水に入れば、頭が冷えると思った。けれど、冷たいシャワーを浴びても、プールに潜っても、教室での光景が頭から消えなかった。
衝動的に掴んでしまった手首。すぐ近くにあった芽吹の顔。驚きに見開かれた目。芽吹のあんな表情は初めて見た。
「……くそっ」
腕が思ったように上がらない。水を掻く手が浅い。
力を抜け。そう思うほど、肩が力んでしまうのがわかった。
ターンの距離を誤り、足の裏が壁をかすめる。水面に上がると、コーチが眉をひそめていた。
「平野、動きが固いぞ。何焦ってるんだ」
「……すみません」
「体はちゃんと仕上がってる。タイムも、練習じゃ出てるんだ」
コーチは、俺の目を見て言った。
「あとは、よけいなことを考えずに泳げるかどうかだ。大会前日に無理しても仕方ない。軽く流して、上がれ」
言い返せなかった。
崩れているのは、泳ぎだけではなかった。
帰り道、信号待ちで自転車を止めたとき、横にバスが停まった。見覚えのある水色のイルカのロゴ――スイミングスクールの、送迎バスだった。
何気なく目を向けると、窓際に座っている子どもが、隣の子の肩に頭を預けて眠っているのが見えた。寄りかかられた子が、眠った子の頬に張りついた濡れた髪を、指先でそっとよける。
胸の奥が、切なく締め付けられるような痛みを訴えた。
昔の芽吹も、帰りのバスでよくあんなふうに居眠りをした。オレンジ色の夕日のなかで、俺の肩に凭れて。不意に、あの重みが、ぬくもりが、肩によみがえる。そこにあったのは、まっすぐな友情と信頼だった。そして、俺も同じ温度のものを、芽吹に抱いていたはずだ。
あのころに戻れたら、と思った。
幼いあいつがきれいな目を輝かせて、「かっこいいね」と言った、あの日の俺のままでいたかった。
ハンドルを強く握りしめる。
いちばんの友達でいたかった。芽吹がそれを望んでいるのなら。でも。
――ごめん、芽吹。俺はもう、友達のままではいられないんだ。
だからといって、理由も言わずに避けて、訳もわからないまま傷つけて。誰よりも好きだと思っていた笑顔を、あんなふうに曇らせて。それは、好きだなんて気持ちより、よっぽど最低だ。
こんなに好きになって、戻れる場所なんて、もうどこにもない。
だから、逃げるのはもう、やめる。
信号が青に変わり、バスが動き出す。俺もぐっとペダルを踏みこむ。
――明日。明日勝って、全部話そう。
衝動的に掴んでしまった手首。すぐ近くにあった芽吹の顔。驚きに見開かれた目。芽吹のあんな表情は初めて見た。
「……くそっ」
腕が思ったように上がらない。水を掻く手が浅い。
力を抜け。そう思うほど、肩が力んでしまうのがわかった。
ターンの距離を誤り、足の裏が壁をかすめる。水面に上がると、コーチが眉をひそめていた。
「平野、動きが固いぞ。何焦ってるんだ」
「……すみません」
「体はちゃんと仕上がってる。タイムも、練習じゃ出てるんだ」
コーチは、俺の目を見て言った。
「あとは、よけいなことを考えずに泳げるかどうかだ。大会前日に無理しても仕方ない。軽く流して、上がれ」
言い返せなかった。
崩れているのは、泳ぎだけではなかった。
帰り道、信号待ちで自転車を止めたとき、横にバスが停まった。見覚えのある水色のイルカのロゴ――スイミングスクールの、送迎バスだった。
何気なく目を向けると、窓際に座っている子どもが、隣の子の肩に頭を預けて眠っているのが見えた。寄りかかられた子が、眠った子の頬に張りついた濡れた髪を、指先でそっとよける。
胸の奥が、切なく締め付けられるような痛みを訴えた。
昔の芽吹も、帰りのバスでよくあんなふうに居眠りをした。オレンジ色の夕日のなかで、俺の肩に凭れて。不意に、あの重みが、ぬくもりが、肩によみがえる。そこにあったのは、まっすぐな友情と信頼だった。そして、俺も同じ温度のものを、芽吹に抱いていたはずだ。
あのころに戻れたら、と思った。
幼いあいつがきれいな目を輝かせて、「かっこいいね」と言った、あの日の俺のままでいたかった。
ハンドルを強く握りしめる。
いちばんの友達でいたかった。芽吹がそれを望んでいるのなら。でも。
――ごめん、芽吹。俺はもう、友達のままではいられないんだ。
だからといって、理由も言わずに避けて、訳もわからないまま傷つけて。誰よりも好きだと思っていた笑顔を、あんなふうに曇らせて。それは、好きだなんて気持ちより、よっぽど最低だ。
こんなに好きになって、戻れる場所なんて、もうどこにもない。
だから、逃げるのはもう、やめる。
信号が青に変わり、バスが動き出す。俺もぐっとペダルを踏みこむ。
――明日。明日勝って、全部話そう。
