コートではキスしないでください。

「晴人はフォームがきれいだから、きれいなボールが返ってくる」

千秋はいつも褒めてくれる。
「きれいなボールってなんだろう」という疑問は置いておいて、当然言われて悪い気はしない。汚いなんて言われるよりずっと良いはずだ。

自主練は試合が終わってからもずっと続いていて、俺たちは高校1年生の冬を迎えた。
俺は少しずつ練習に参加するようになり、交代でペアも組ませてもらっている。
ペアになったやつに「上手になったよね。安心して見ていられる」なんて言われたら、ますますやる気が出る。
100%、絶対に、自主練のおかげだ。
千秋には感謝しかない。
だけど、だれに何を言われても、千秋に言われるささいな言葉が1番俺の心を打つ。俺の片思いは続いていて、何気ない日常が楽しくて幸せなんだ。
それに、2人きりで大好きなテニスができるこの時間は、何よりもかけがえのないものだった。
終わりたくない。ずっと続いてほしい。

白い息を吐き出しながら、ボールを追いかけていると、早すぎる日没がすぐそこに迫っていた。
「千秋、もう帰ろう!すぐ暗くなる」
声をかけると、すぐに走り寄ってくる。
「おう!」
「今夜雪かもしれないって!」
言ってるうちに、頭上に白いものが吸い込まれるように落ちてきた。
「やばいやばい、すぐ積もりそうな雪!」
ボールを拾い、慌てて部室に走る。
「早く入って!」
千秋をうながし、その後に続く。

ドアを閉めて振り向くと、千秋が戸惑ったように俺を見ていた。
狭い部室、いつもはなんとなく交代で使っていたけど、別に2人で着替えられないわけじゃない。
さっさと着替えて、雪が本格的に積もる前に帰ったほうがいいだろう、と考えただけだ。
「どうした?早く着替えようよ」
上着を脱いでTシャツに手をかけたとき、その手を千秋の手が押さえた。
え?なんで…?
驚いて斜め上にある顔を見上げると、千秋が顔をそらした。
目の下と、耳が赤い……?なに?その反応……
なんだか、むずがゆくなってくる。
まるで……まるで、俺みたいだ…
千秋は意を決したように、俺を真っすぐ見た。
「晴人って、俺のこと好き?」
「………っ!」
予想外の問いに、声にならない声が漏れた。一拍置いて、一気に首から上に熱が集まる。
それから、この膨らみきった想いを伝えてしまいたい衝動にかられた。
だけど、伝えたらもう一緒にはいられないかもしれない。自主練も…
一瞬で思考が頭を巡る。
………どんなに否定したところで、もう千秋にはとっくに見透かされている気がした。変にごまかすより、ここは素直になったほうがいいだろう。
観念して目をそらし、怖さと少しの期待を込めてゆっくり頷く。
「知らないうちにいつも目で追うようになってた。それに俺のためにコーチに怒ってくれて、嬉しかった」
「……晴人、聞いてたんだ」
「うん。ていうかあんな大きい声で話すなよ」
千秋の目尻が柔らかく細められ、「ふっ」と笑い声が漏れた。
「俺も」
そう言って、俺の顔を向かせるように両肩を掴んでくる。真っすぐで真剣な瞳に見つめられた。
「楽しそうにテニスをする晴人に、いつも背中を押されてた。辛くて投げ出したくなったときも、晴人が見ててくれると不思議と頑張れた」
「……え?!」
そんなの、俺のほうだよ。千秋を見てると頑張れる。いつも励ましてくれて、どんなときもその心は温かくて、包みこんでくれた。
千秋はいつも「見てて」と言うけど、そんなこと言われなくても、いつも千秋だけ見ていた。目が離せなかった。
もしかして俺たちは同じ気持ちで、お互いを見ていたんだろうか。
胸に手を当てると、ドクドクと心臓の鼓動が響いてきた。
気持ちを確かめるように見つめ返して、瞳を揺らす。
「千秋……俺、千秋のことが好きだ」
「…俺も晴人が好きだよ。晴人が俺を好きになるよりずっと前から。……恋人に、なってくれるよね?」
ゆっくり頷いた。体の奥から湧き上がった高揚感に、自然と口元が緩む。
「でもさ、晴人」
「なに?」
囁くような声だったから思わず顔を近づけると、その目が細められた。
「………でも、俺の好きはこういう好きだから」
「え?………っ?!」
突然、熱を帯びた瞳がすぐ目の前まで近づいて、唇が触れた。
一瞬だけ離れて、角度を見定めるようにしてもう一度。
口を開かせるように、舌で口唇をなぞられ、無理やり侵入しようとする。
ゾクゾクと電気のようなものが駆け上がり、背中が震えた。
Tシャツの中を、冷たい手が這い上がってきて、体がビクンと跳ねる。
思わず千秋の胸を押すと、思いの外あっさりと離れていった。
息を荒らげたまま潤んだ瞳で見上げると、クスクス笑ういつも通りの顔。
「はい!だから出て!すぐ着替えるから」
そう言って上着を投げてくる。恋人になったばかりだというのに、肩を押されて追い出されてしまった。

今はこの寒さがちょうどいい。
テニスコートにはうっすら雪が積もり、冬の闇が下り始めている。
もうなにもかも手遅れだ。雪も、この想いも。
顔の熱が冷めきらないうちに千秋が出てきた。
「どうぞ、待ってるから」
ドアを押さえていてくれる。
その前を通り過ぎようとして、足を止めた。
「……俺、別に嫌なわけじゃないから!」
千秋が目を丸くする。
「ちょっと急だったっていうか、心の準備が必要で…だから、嫌じゃない!」
手の甲で口を押さえて笑う大好きな人。
俺と同じくらい、いや、俺以上に顔も耳も赤くなっている。

「分かった、じゃあゆっくり進めようね」

そう言った千秋の目の奥に、ゾクリとするような熱が浮かんでいた。