コートではキスしないでください。

「ピーーーッ!!」
ホイッスルが鳴る。
1年生の俺たちはボールを打つのをやめ、熱い砂埃をあげてコーチのもとに集合する。
「町田は一旦抜けて。長野松下、本田山田は1コート、宮崎宮本は………」

…まただ。
また「一旦抜けて」と言われた。
「一旦」と言っても、それは俺にとって「ずっと」だ。
試合形式の練習で、俺とペアを組ませる相手がいないから。

「晴人!」
コートに背中を向けていると、千秋に声をかけられた。
帽子を脱いで、額の汗をぬぐっている。
うだるような夏の練習を耐えて日焼けした笑顔が眩しい。
「俺の後ろにいて」
「なんで?」
「見てほしいから」
短く答えてさっさとコートに戻る。
「は?」
間の抜けた声が、思わず口から出てしまう。
俺にアドバイスできることなんて何もないだろう。
でも特に居場所もないから、言われた通り千秋の後ろ、フェンスの内側で見学する。

「第1セット、ラブオール!」
千秋が右足を一歩うしろに引いて、ボールを青い空に放り投げた。それを目線で追いかけながら、右腕を後ろに引いて、ゆっくり持ち上げる。
高く掲げたラケットから足先までが一本の線のように大きく伸びた。
当たる瞬間まではスローモーションだ。
「シュパッ!」
短く鋭い音がして、ガットのど真ん中に当たったボールは相手コートに走る。
すぐさまペアの松下が前に出る。
レシーバーは、その重いサーブをなんとか返そうと思いきり踏み込み、ラケットを振り上げた。
「あ、オーバーだな」
呟いた瞬間、大きく弧を描いて返ってきたボール。
そのままバウンドすることなく俺の横を通り過ぎ、すぐ後ろのフェンスにガシャンと当たった。
フェンスが一瞬揺れる。
急に力を失ったボールが、コロコロと地面を転がり、俺はそれをラケットで弾ませて拾い上げた。

「サンキュ、ていうか危なかったな」
駆け寄ってきた千秋の手のひらにのせると、そんなことを言って微笑む。
「ちゃんと見てろよ」
「見てたよ。当たらないって分かったから避けなかっただけ」
「……それだけじゃねーよ」
どういうことだ?
念を押すように言われ、首を傾げる。
ちゃんと見てる。ボールも、お前も。
ボールが危ないと言うのだったらフェンスの外にいさせてほしいし、千秋だったら俺が何か言うまでもなく、そのフォームは完璧だ。
この天才のプレイは不思議と人の目を引きつける。

もう一度サーブだ。
さっきとほとんど同じ、ブレのない、芯の通った動き。
「シュパッ!」
動きは同じなのに、ボールはさっきとは違うコースを辿った。まるで魔法みたいに自由にラケットを操っている。
今度はレシーバーの足が間に合わず、鋭く入ったボールは低く弾んでコートを転がった。たまらず膝に手をついている。
「ナイッサー!」
ペアの松下が声をかける。
千秋は俺を振り向き、グッと親指を立てた。
いや、そういうのはペアとやれよ。

試合は圧倒的に、千秋のペアが優位にすすむ。
なんたって、1年生ながらエースだ。
俺は何度かボールを拾った。
俺が拾うと、必ず千秋が取りにくる。

この天才的で芸術的なプレイを見ながら
「そろそろ潮時なのかな」
と一人呟く。
入学と同時にテニス部に入って5か月。
先日コーチに言われた言葉を思い返す。
「練習は参加してもいいけど、試合には出さない」
そんなことは言われなくても分かりきっていた。
中学のときも、一度も試合に出たことはない。
体が小さく、非力。
それは高校生になった今も変わらず、必死にトレーニングしても筋肉のつかない自分の腕を見下ろす。
俺はこうして、だれかの後ろでボール拾いをしてるほうが合っているんだろう。
それでも、大好きなテニスに関わっていたい。それが俺の望み。

「ゲームセット!」
ハッと顔をあげると、いつの間にか試合は終わっていた。
分からないけど、どうせ千秋が勝ったんだろうな。
「おつかれ!」
千秋に声をかけて、フェンスの外に出る。
そのまま水道に向かい、目を覚まさせるように顔を洗っていると千秋が追いかけてきた。
「晴人もおつかれ!」
「俺、なにもしてないけど」
「晴人が見ててくれるとがんばれる」
ニコッと満面の笑みで言われて、目を丸くする。
「俺って、そんな効果ある?」
「ある。オーラが出てる」
なんだそれ…
つい、自分の後ろから後光のように虹色の光が出ているのを想像したら、笑いがこみ上げてきた。
「あははっ!オーラって、なんか大仏みたいじゃん」
「大仏ってよりは、俺にとっては……パワースポットみたいなもん」
「分かった。それならずっと見てるよ」
「うん…」