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「――さて。盗み聞きとは、ええ度胸してはりますね」
先に桜子を幕の外へと先に出したのは正解だったようだ。巽は、守衛に幕の陰から引っ張り出される彼女の両親に冷ややかに告げる。
「まだおらはったんですか。もう帰らはったんかと思てましたわ」
静香もまた、身じろぎひとつせず地面にうつ伏せる男女に扇子を向ける。
「わたくしが桜子さんとの縁は切ったんやから、ここに留まる理由はないんと違います?」
そう、既に桜子と彼らとの縁の糸は切られている。桜子と静香に会った際に、道枝のふたりが会場に来るなり縁を切ったと耳打ちで聞いた。
駆除の言葉通り、彼らは正しくこの場より排除されたはずであった。しかし、女は懲りもせずに食らいついてくる。
「で、ですが! こちらの了承もなしに、桜子の希望だけで勝手に親子の縁を切るというのは、横暴が過ぎるのではありませんか!?」
その口から彼女の名を出すな――巽は当主との間に割り込むと、彼らに言い放つ。
「勘違いすんなや。桜子さんは切ってほしいや一言も言うとらん。これは僕から当主に願い出たことや」
「……は……、そんな訳が……」
「桜子さんかてアンタらに思うことはぎょうさんあると思う。けどどうあっても、あの子は話もせず縁切ってハイ仕舞いにできるほど、冷酷になられへん」
女の口が物言いたげに震えるのを、巽はため息でもって制する。
「僕かて桜子さんの意思無視してまでやりたなかったわ。それを、この人が――」
忌々しく静香を一瞥すれば、彼女はいつになく上機嫌に笑う。
「道枝さんら、桜子さんを巽の屋敷から攫いはったんやろ。わたくしが撒いた餌に、えらい上手に食いついてくれはって。嬉しいわ」
「餌……一体どういう」
男が呆然と呟くと、静香は笑みを深める。
「貴方がたと巽の屋敷を訪ねたとき、わたくしはわざと貴方がたと顔合わせんよう、桜子さんを部屋に残していったんよ」
巽は苦虫を噛み潰したような気分で顔を背ける。
「桜子さんと話しとうてしゃあない貴方がたが、焦ってあの子に接触して、何や粗相をしでかしてくれれば……なんて。思ったよりも早くて助かりましたわ」
静香は愉快そうに扇子を傾ける。
道枝の失態があればうまく縁切りの口実を取り付けられると考えたのだろうが――巽は低く吐き捨てる。
「ありえへん。あの子の身を危険に晒してまでやることちゃいますやろ」
「わたくしとて、道枝さんがこないに強硬手段を取らはるなんて思わへんかったんよ。誘拐やて……恐れ入ったわ」
どうだか、と言いたいところを腹の底に呑み込む。
静香は決して桜子を嫌ってはいない。けれどそれ以上に、この良縁を手放したくないという天家の思想が強いのだと思う。
天家に、世間でいうところの普通や常識なんぞ通用しない。一葉や二條ともなれば、尚のこと利のある縁を何よりも尊ぶ。巽の胸に苦々しい記憶が広がる。だから桜子が誘拐されたときも、率先して静香が動いてくれたのだ。
巽の心中など露知らず、青褪める男は静香に向けてたどたどしく口を開く。
「で、では桜子は、このことを……」
「知らへんのと違う? まあ追々、巽が話すやろ」
随分と軽々しく言うもんやな――巽との良縁を喜び、静香へ純粋な信頼を寄せている桜子にどう伝えろと言うのか。
巽は是とも否とも返せず、無言を貫くに留めた。
「さて……そろそろ話は終わったかね」
会話の切れ間に、沈黙を続けていた狭霧が割って入った。道枝に関心すら持っていないようで、欠伸でも零しそうな雰囲気で立ち上がる。
「面倒だが、私はそろそろ外に出ねば」
「もうそんな時間やったんですか。なら、わたくしも一緒に行かせてもらいましょ」
狭霧と静香は足元に伏した彼らを見ることもなく、幕の外へと出ていった。その後ろを、他家の当主らが金魚の糞よろしくついていく。皆が一様に憐れんだ目で道枝を見下ろし、けれど触らぬ神にといった様子で足早に消えていく。
一葉の所有物に楯突いた代償だ。
縮こまる男女の背中を、巽は淡々と見つめる。
桜子はもうただの娘ではない。神眼を持つ、一葉の娘なのだ。彼女に無礼を働いた者に関わろうとする者など、いるはずもない。
「ほな、道枝さんらにもお帰りいただこか」
巽の一言で、守衛に引きずり出される道枝のふたりの姿を見送り、巽も幕の外へと出る。桜子は幕から離れたところで待ってもらっているはず――足早に向かいかけたところで、小柄な女が入り口近くに立っているのに気づく。
そういえば、もうひとりいたのだったかと思い出す。
「……両親は」
女――翠は、紙のように真っ白な顔色で呟く。
「ちょうど今お帰りいただいたところや。君は……桜子さんに会いには行かへんよな」
「行くわけありません」
翠は今日の縁切りにあたって、道枝邸に残る桜子の私物から両親と縁深いものを持ち出してきてもらった。本来は道枝邸に人をやって盗ませようかとも思っていたところに、彼女の方から接触してきたのだ。
桜子と自分たちの縁を切ってほしい、と。
「もう、わたしとお姉さまの縁も切れていますか?」
「切れとるな」
巽が頷けば、翠は憑き物が落ちたような顔で笑う。
「……そうですか。これでせいせいしましたわ。これでやっと、わたしもあの疫病神から解放されるんだわ」
彼女にどんな心境の変化があったのかは分からない。けれど、巽には以前のような険は感じられなかった。
翠はこちらに一礼すると、背を向けて歩き出した。
彼女もまた、天家という箱庭の犠牲者なのだろうとは思う。けれど、だからといって桜子にしてきたことを許せるわけではない。
両親とともに、これまでの業を背負えばいい。
巽が冷淡な目でただその背を見つめていると、遠くから桜子が呼ぶ声が聞こえた。暗い思考から引き上げられる。
見れば、散った八重桜の花弁が風に乗って桜子の周りを舞っている。固い顔してたらアカンな――巽は表情を緩めると、ただひとり信じられる女性のもとへと向かうのだった。
