春待つ乙女のしあわせな縁切り


 幕の内側は狭霧(さぎり)のための控室かと思っていたのだが、違ったようだ。桜子は瞠目する。
 中は想像より広く、狭霧の他に大勢の男女が歓談していた。けれど会話を楽しむ外の招待客とは違い、ここにはひりついた雰囲気が漂っており――成る程、各家の当主が集まる場なのだと気づく。

 もしや父もここにいるのかと密かに探すも、今見た限りでは見つけられない。それよりも、こちらを値踏みするような視線が全身に刺さる。ここで怖じては巽の名に傷がつく――桜子は周囲の雰囲気にのまれまいと顔を上げる。

「確か君は、二條さんのところの」

 奥の席に腰を下ろしていた狭霧が顔を上げる。隣には静香(しずか)の姿もあった。

「次男の(たつみ)ですわ。今日は和泉(いずみ)が欠席でして、この子が一葉(ひとつば)さんとこの茶会に出るんは、えらい久しぶりやと思います」
「ああ道理で……よく来たね。見ないうちに随分と男前になって」

 静香の紹介に巽が頭を下げる。軽いやりとりの後、狭霧の視線が背後の桜子へと移る。

「……で、この子が例の」

 静香から話を聞いているのだろう。冴えた瞳が桜子を捉える。

「一葉さま、お初にお目に掛かります。私は――」

 挨拶をしかけた桜子をさらりと狭霧の手が制する。

「結構。時間は有限だ。名乗りは貴女が本物だと証明できてから頂こう」

 馬鹿にするでもなく、狭霧は至極当然のように言ってのける。彼は奥に控えていた男の使用人を呼びつけると、抑揚を欠いた口調でもって桜子を手招く。

「では、試しにうちの使用人と巽くんとの間に縁を結んでみてくれ」

 背中には黙って見守る他家の当主らの視線を感じる。桜子が隣に立つ巽を見上げると、彼がそっと頷いた。

 もう大丈夫――緊張が解けていく。使用人の男の周りに漂う糸に手を伸ばすと、男は怯えたように後ずさる。

「大丈夫ですよ、痛いことは何もありませんから」

 可視できない、得体のしれない術を施されると思えば恐ろしくもあるだろう。桜子は優しく声を掛けると、巽からも同じように糸を掴む。

 糸を視ることすらできなかった数ヶ月前。疫病神だと罵られていた辛い日々。今は全てが遠く感じる。

 桜子が掌の中の糸に集中すると巽と男、それぞれの記憶の欠片が頭の中を巡る。
 巽と紡いできた日々がやっとここに結実する。
 桜子が力を込めて糸をより合わせて指を開くと、二本の糸は確かに一本に繋がっていた。

 淡く輝く糸が宙に浮けば、背後からどよめきが上がる。狭霧の口角が静かに持ち上がる。

「――お見事」

 短いながらもこれ以上ない賛辞に、桜子の肩から力が抜ける。巽の誇らしそうな顔が目に入り、なぜだか目頭が熱くなった。震える息を吐き出し、深々と頭を下げる。

「ありがとう、ございます」
「神眼をまたひとり我が家系に迎えられることを嬉しく思う。貴殿の名は」

 顔を上げると、狭霧と真っ直ぐに目が合う。

「道枝桜子と申します」
「……道枝? 当主は今日は来ているのだったか」

 狭霧は呟き、当主らの方へと顔を向ける。するとこれまで黙って成り行きを見守っていた静香が口を開く。

「ここには()はりません。わたくしが外に出しましたから」
「おや、何故」
「ベタベタと蜜にたかる害虫は、いっとう厄介ですやん」

 静香が上機嫌に手の中の扇子を転がす。桜子には答えになっていないような気がしたのだが、狭霧にはそれで十分であったようだ。酷薄な笑みが口端にのぼる。

「よくあることだ。弥幸(みゆき)のときも苦労した。すまないが、二條さんに処理をお願いしてもいいだろうか」 
「もう炙り出して、ちょうどさっき駆除したところですわ」

 不穏な単語に思わず巽を見上げれば、舌打ちでもしそうな渋面をしていた。

「当主。そないな話、桜子さんの前でせんとってください」

 巽も彼らの話す内容を理解しているらしい。静香がくつくつと笑う。

「えらい骨抜きにされてもうて。桜子さんの方がアンタよりずっとしっかりしとんのに、何を心配しとんのやら」

 おそらく道枝の両親のことについてなのだろうが――この場で桜子が声を上げ問える立場にないことは、百も承知であった。
 狭霧が二條親子のやりとりを興味深げに眺めている。

「この場にわざわざ巽くんが同席しているということは、お二人はそういう仲なのだと思っていていいのだろうか」

 そして再び桜子へと視線が返ってくる。巽は怯むことなくはっきりと言い切る。

「そうです。けど、一葉家にとっても悪い話やないと思います」
「まあ……そうだな」

 ゆったりと狭霧が顎を撫でる。

「桜子さんは女性だ。養子として一葉に入れようとも、いずれ嫁に出さねばならない。なれば、こちらとしてもお相手が二條さんというのは有り難い話ではある。それに……」 

 じいっと狭霧の目が桜子と巽の間を見つめる。桜子は自身の経験からピンとくる。この目の動きは縁の糸を視ている。
 狭霧は満足そうに笑むと、静香が座る椅子の肘掛けを叩いた。

「いやはや、流石二條さんと言うべきか。巽くんの縁組みに随分力を入れたようですな。これほどに相性の良い縁は滅多とないでしょう」

 相性の良い――はじめ桜子はきょとんとしていたが、じわじわと実感する。

 他の天眼持ちに問うたことがないので知らなかったが、自分と巽の間に結ばれている縁はとても良い縁らしい。糸の良し悪しなど気にしたこともなかったが、他人に評価されるとこそばゆい気持ちになる。
 静香が扇子を広げ、口元を隠す。

「そうですやろか。確かに、苦労はしましたわ」

 言いながら、静香が意味ありげにこちらを一瞥する。巽がたまたま桜子を拾ったという話は伏せるらしい。桜子は黙って場の流れに任せる。

「この縁を手放す方が惜しいというもの。私はこのまま巽くんにお任せしたいと思う」

 狭霧がそう告げると、巽が詰めていた息を吐き出した。

「……ありがとうございます」

 それまで沈黙していた他家の当主らから拍手が起こる。桜子が振り返れば、入室したときには探るような目を向けてきていた彼らが、桜子へ向けて恭しく頭を垂れるではないか。
 これが一葉に名を連ねるということなのか。
 
 桜子がたじろぐと、巽がそっと肩を抱いてくれる。

「気にしたらアカン。桜子さんは桜子さんでしかないんやから」

 いつか聞いたような台詞――ああ、そうだ。かつて自分が巽に言った言葉だ。
 桜子は微笑むと、大切な人の隣に立つことが許された喜びだけをただ噛み締めようと思った。