春待つ乙女のしあわせな縁切り


 静香(しずか)は茶を一口含むと、早速とばかりに切り出す。

「先月うちに、道枝のご当主から連絡があったんよ。ご長女が(たつみ)んとこに行ったまま、戻ってこぉへんと。聞いた時はまさかと(おも)たけど、ほんまに……」

 静香は呆れたとばかりにため息を落とす。

「年頃の娘さんを屋敷に上げるばかりか、親の同意もなしに住まわせるて。何考えてるんよ」
「同意がない訳やないでしょう。道枝のご当主には、はじめに僕からきちんと連絡を差し上げてるはずですけど」

 巽は桜子の隣に座ったまま、動じる様子もない。淡々とした表情のまま、静香の背後に控える父に視線を送る。静香も黙って振り返ると、父は取り繕うように咳払いをする。

「……確かに、連絡は頂いております。けれど事の発端は、桜子が婚姻は嫌だと駄々をこね、恐れ多くも巽さまに連れ出してほしいと願い出たことではないですか。桜子のせいで巽さまにご迷惑をお掛けしているのですから、連れ戻すのは親として当然です」

 桜子は徐々に状況を理解し始めていた。
 静香や父たちは、自分を家に戻すためにここへ来ている。
 此度の訪問の目的は、自分なのだ。
 父が渋面で桜子を睨む。

「桜子、いい加減家に戻りなさい。皆が心配しているのが分からんのか」

 父は最後に会った時より、少し疲れているようにも見えた。桜子が口を開くよりも早く、巽が話し出す。

「桜子さんにまともな生活もさせへんで、今更心配て。よう言いますわ」
「な、何を……親が子を心配するのは当たり前でしょう」

 父の顔が僅かに歪む。すると、隣にいた翠が父の腕に触れた。 

「もしかして、お姉さまが巽さまに何かあらぬことまで吹き込んだのではありませんか? いやですわ、話半分に聞き流してくださればよかったのに。……ねえ、お姉さま?」

 翠が桜子に微笑みかけた。昔と変わらぬ、綺麗だがどこか酷薄な笑み――かつてなら怖じて黙ってしまっただろうが、今は違う。桜子は翠から視線をそらさない。

「いいえ。決して、そのようなことはしておりません」
「……まあ怖い」

 横で巽が隠しもせずため息をつく。 

「呆れて物も言えんとは、このことやな」
「巽、口を慎みや」

 静香が眉を吊り上げるも、巽は強気だ。

「ハッ、どの親子も愛情深く幸せやなんて、そんな話あるわけないですやん。当主かて……よう知ってはりますやろ」

 彼の毒気に、静香が黙る。この二人の親子関係が複雑であると知っている今だからこそ、巽がどんな目で道枝の人間を見ているのか――桜子には分かる気がした。
 巽と静香の会話が切れた合間を縫って、父が桜子に向き直る。

「桜子、これ以上巽さまに面倒をお掛けするな。お前の我儘のせいで他家にまでご迷惑が掛かっているんだぞ」

 桜子は唇を噛む。
 その点に間違いはない。桜子がここにいるせいで二條の当主までもが出てきているのだから。 
 言葉に詰まる桜子の足に、トンと巽の手が当たった。机の下だ、他の人間には見えないだろう。

「まず、勘違いしてはるようですけど、桜子さんがここにおるんは彼女の意思やないです。僕が取引を持ち掛けたから、彼女はこの屋敷に留まることになりました」

 巽の発言に、父が不審そうに眉を寄せる。 

「巽さま、取引とはどういう意味です」
「僕が桜子さんに力の使い方を指導する。代わりに、桜子さんには春の茶会に出て、一葉の養子に入れと持ち掛けました」

 すると今度は静香が理解できないといった様子で首を傾げる。

「養子? 確かに分家生まれの神眼は、茶会に出れば養子になれる機会がある……けど、わざわざ行きずりの娘さんにそこまでのお膳立てする必要ないやろ。巽に何の得が……」
「僕の婚約者として、相応の立場を得てもらうためです」

 婚約者――その言葉に、父や翠、静香までもが息を呑み、目を剥いた。

「婚約者て、なんの冗談――」
「本気ですけど。養子に入る前から僕と懇意やったと知りはったら、一葉も婚約を断る理由はないはずでしょう」

 父と翠が言葉を失っている。道枝に連絡を入れていたと言っていたが、身の保護をしている程度の内容だったのだろう。まさかそんな複雑な状況であるとは思いもしなかったに違いない。

 最初呆気に取られていた静香であったが、すぐに我を取り戻す。みるみるうちに表情を険しくする。

「まさか……自分の顕示欲のために、この娘さん無理やり屋敷に置いて面倒見とった言うんか」
「そうなりますね」

 しれっと言い放つ巽に、いよいよ桜子も黙っていられなくなる。彼の腕を掴んで止めにかかる。

「巽さん、そんな言い方」
「ええから。桜子さんは黙っとって」

 こちらを見ようともせず、巽に手を払われる。その態度も静香の逆鱗に触れたようで、彼女の語調が更に強くなる。

「アンタ、無茶苦茶なことを言うてる自覚はあるんか」
「なんや文句あるんですか。結ぶ力を持つ神眼が嫁になる。一葉なら家格も釣り合う。二條としてもこの子は満足な相手のはずでしょう」
「天家の婚姻は、縁が全てやろうに。それを知った上で、そんな勝手――」 
「だから、なんやて言うんです?」

 巽が静香を遮る。 

和泉(いずみ)だけやなく、次男の僕にも神眼があった。小さい頃からずっと……ずっと、あったんや。せやのに、今まで僕の存在価値を足蹴にしてきたんはどこの誰です? 当主、貴女やないですか」
「巽、」
「それを今更出てきて二條らしくせぇて……なんですの。どの面下げて、それを僕に言いはるんです」

 巽が怒っている――いや、怒りという言葉では到底表現しきれない。桜子は、彼の痛みをひしひしと感じていた。

 ようやく彼の本心に触れた気がする。
 巽は、桜子を得ることで二條家に一矢報いたかった――不要の烙印を押され続ける自分にも価値があるのだと、本家の人々に突きつけたかったのだ。

 積もりに積もった鬱屈と、静香への叫び。桜子はただじっと彼女の出方をうかがう。
 静香は深く息を吐き出すと、目を閉じた。

「その我儘が……一人の娘さんの人生を狂わせてる自覚はあるんか。巽にその責任が取れる言うんか」

 ああ、彼を責める姿勢は変わらないようだ。
 これ以上は見ていられない。傍観者でいるのはここまでだ。桜子は何か言いかける巽を、咄嗟に手で制した。

「静香さま。横から口を挟むご無礼をお許しください」

 桜子が声を上げると、一瞬室内が静まり返った。
 父と翠がこちらを凝視しているのを感じる。彼らに構わず桜子は続ける。

「私は無理やりこの屋敷に置かれている訳ではありません。私からもお頼みして、ここに置いてもらっているのです」
「……桜子さん、ええから」

 何を言い出すのかという顔をしている巽に、桜子はぴしゃりと言い放つ。

「何でもひとりで背負おうとしないでください。私だってきちんとお話しできます」

 守られてばかりは嫌なのだ。この人が傷つく姿はもう見たくない。
 桜子はあらためて静香に向き直る。

「巽さんは、天眼を使えない私のために、力の使い方を教えてくださいました。役立たずの疫病神だった私を、ひとりの人間として扱ってくださった。私にとって恩人で……代わりのいない、大切な人なのです」

 静香は黙ったまま、ただ桜子を見つめている。

「私は巽さんの足枷にはなりたくありません。私が出ていくことで全て解決するのであれば、今すぐにも出ていきます」

 必死に言葉を継いで、静香と目を合わせる。

「ですから、この人だけを責めるのはどうかやめてください」

 静香が桜子をじっと見つめる。背後では、父が固まっている。こんなにはっきりと話す娘を初めて目の当たりにして、心底驚いているようであった。
 長い沈黙の後、静香は息を吐いた。

「この子と、ふたりだけで話させてもらおか」
「あかん。当主、僕が話す」

 すぐさま巽が腰を浮かすが、静香が跳ね除ける。

「巽は黙っとき。わたくしが話したいんは、この子や」

 ひたと見据えられた静香の冷えた視線に気圧される。けれど桜子も引く気はない。

「……分かりました」
「桜子さん」

 巽が立ち上がった桜子の腕を掴む。けれど桜子はやんわりとその手を解く。

「巽さん、私は大丈夫ですから」
「ほな別んとこ行こか。英治、案内し」

 緊張した面持ちの英治が壁際からとんでくる。戸が閉まる直前、後ろを振り返ると、不安そうな顔をした巽がこちらを見つめていた。

 ――大丈夫ですよ。
 巽が桜子を守ってくれたように、自分も貴方を守りたい。桜子は巽に微笑むとしゃんと背筋を伸ばし、部屋を後にした。