春待つ乙女のしあわせな縁切り

一葉(ひとつば)の茶会は毎年、御殿山(ごてんやま)の別邸で行うんが慣例や」

 他愛もない話が途切れた合間、おもむろに(たつみ)が切り出す。

「茶会ゆうても野点(のだて)やし、格式張ったもんっちゅーより、顔合わせて情報交換の場て感じやけど」

 手はまだ繋がれたまま。河風が頬を撫で、ゆらゆらと二人の髪が揺れる。

「お茶会だなんて、きっと大勢の方が招待されるのですよね」
「せやな。桜子さんは僕の紹介で入れてもらうんやけど……普通やったら一般人に声は掛からへんから。あの場におるんは基本、東の天家やな。西から来るんは二條(にじょう)くらいやわ」

 桜子は息を呑む。東の家――避けては通れないと分かっていたものの、直面するとやはり怖い。

「……道枝(みちえだ)も、呼ばれるのでしょうか」

 巽から返答はない。けれど彼の表情は苦々しいものを含んでいる。

「家とどう折り合いをつけるんか。僕は桜子さんの意思を尊重したいとは思う。ただ」
 
 彼が僅かに言葉を切る。

「縁切るんが一番ええ選択肢やと、僕は思う」

 ――ああ、そういうやり方もあるのか。
 今の桜子なら力を制御できる。切っても無用な縁結びをしない。道枝とすっぱり縁を切り、金輪際関わらないようにすることも可能なのだ。けれど、桜子は口ごもる。

「……私は、まだ……」

 そこまでの踏ん切りがつかない。どんなわだかまりがあろうと、彼らとは血を分けた家族。無情でいる方が難しい。
 黙る桜子に寄り添うように、巽が繋がった手を軽く握る。

「茶会までまだ時間はある。自分の中でよう考えて決めや」
「……はい」 

 道枝の人間とどう向き合うべきなのか。彼を前にして、自分がどうしたいのか。
 巽の提案は有り難いが、彼に頼るだけで全てを終わらせるような形にはしたくないと思った。

 流れる空気が重たくなりかけ――それを切り裂くようにパッパッと遠くからクラクションが鳴った。周囲を見渡すと、土手にほど近い砂利道に車が一台停まっていた。運転席には英治の姿。桜子たちの姿を認めるや否や、転がるようにこちらへ駆け出てくる。

「ああ、迎えやな。行こか」

 繋がれていた巽の手が離される。分かち合っていた温度が急に失われ、桜子はほんの少し寂しく思った。

「また今度、出掛けた時にでも、な?」

 気持ちが顔に出ていたのか、巽が悪戯っぽく笑った。
 この人は心でも読めるのだろうか。とても恥ずかしい。桜子は羞恥から自身の顔を押さえると、何度も頷いた。

「坊っちゃん、桜子さん! こんなところにいらしたんですか!」

 息を切らしてやってきた英治に対し、巽はいつもの調子に戻っている。飄々とした笑みを浮かべ、肩を上下させる使用人の背を叩く。

「堪忍な。急に散歩したなってん」
「いやいや、別に私は探したことを怒っているんじゃありませんよ!」

 英治は一息つくと、巽の腕を握った。

「坊っちゃん、大変です。さっき屋敷に電話が入りまして、ご当主さまがこちらへ来られるとのことですよ」
「茶会があるんやから、そらあん人も来るやろ」
「そうではなくて! 私的にうちに来たいとのことです。そ、それも明後日だと」
「……は?」

 巽から笑顔が消えた。

「明後日の午前中、茶会に先駆けて帝都へ来られるとのことです。その際に、こちらにも寄られるので準備をしておけと」
「相変わらず勝手やな。こっちの都合は全部無視かいな」
「それと……」

 英治が言いにくそうに口をまごつかせる。

「桜子さんに、会わせろとも」

 急に自分の名が出てきて、桜子は驚いて固まってしまう。巽はそんな桜子を見つめ、苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちする。

「どこで聞きつけてきたんやろか」

 低く吐き出された声は、いつになく堅い。桜子は彼らのやりとりを黙って見ていることしかできない。

「このまま桜子さん送ったら外の依頼行くつもりやってんけど……やめとくわ。英治、帰ったら先方に断りの電話入れるから、番号調べとって」
「かしこまりました」

 英治が渋い顔で頷き――その視線が、話についていけず取り残される桜子に向けられた。

「では、桜子さんは」
「ああ……せやな」

 巽が桜子にぎこちなく笑う。 

「ごめんなぁ。外出て疲れたやろ。屋敷に戻ったら部屋でゆっくりしとってな。……英治、急いで車出したって」

 巽は桜子を促すと、足早に自動車へと向かう。彼なりの気遣いなのかもしれないが、暗に関わるなと突きつけられているようで。
 桜子は何も返事をすることができなかった。せっかく近づいたと思った距離が、また遠くなってしまったような気がした。


 
 車内でも巽は一言も話さなかった。屋敷に着くと、真っ先に二階へと向かっていく。おそらく二條本家に電話を繋ぐつもりなのだろう。桜子は、自動車を門脇に停める英治の近くで、遣る瀬無く立ち尽くすしかなかった。

「ええと、このあとは依頼人の電話番号を調べて……あとカトラリーの確認と……」

 英治は車から降りてくると、桜子の様子にぴたりと立ち止まった。

「桜子さん、大丈夫ですか?」
「……私、巽さんのお邪魔になっていますよね……」

 二條当主が名指して桜子を呼んだ。本来は婚約もしていない男のもとに上がり込むなど、失礼極まりない話だ。彼との合意の上での住み込みとはいえ、親から見ればただの厄介者にしか見えないだろう。

「大丈夫ですって。桜子さんを置くことは坊っちゃんが言い出したことなんですから。気に病む必要ないですよ」
「でも……それに私、今日巽さんが外の依頼が入っていることすら知らなくて……」

 巽は何気なくこぼしていたが、彼は自分を自動車に乗せた後、依頼人のもとへ行くつもりのようであった。だから行きは帝電だったのかと、今更ながら腑に落ちる。

「やっと自分で力を使えるようになって、巽さんの依頼に同行できるようになってきたのに。これじゃあ私、全然巽さんのお役に立てていないです」
「そう暗い顔をしないでください。坊っちゃんなりに桜子さんのことを考えてのことだと思いますよ。負担を掛けたくなかったんですよ」

 本当にそれだけなのだろうか――桜子は唇を噛む。

 土手での会話で、巽は桜子に辛くないかと訊ねた。けれど今考えみると、それは巽自身に向けて言っていた言葉のように思える。

 今の関係が苦しいのは、きっと巽の方。
 取引したことを後悔しているのか。桜子が役に立たないから、うまく立ち回れていないからもどかしく思っている?
 でも、彼の口からは何も語ってくれない。変わらず、いつだって優しいままで。

 耳を澄ませば、二階の奥から巽の声が聞こえてくる。怒気を孕んだ彼の声が、途切れ途切れに屋敷に響いていて。英治が主人のいつにない様子に隣で顔をしかめていた。

「桜子さん、私たちも屋敷に入りましょう」

 英治が気遣わしげに桜子の肩を叩く。
 言われた通り、自分も部屋に戻った方がいいのだろう。

 桜子は俯きかけ――自分の身なりが目に入る。綺麗な着物、あかぎれのない美しい手。骨と皮ばかりだった昔より、ずっと健康的な身体。全部巽のおかげだ。

 ――与えられてばかりではいけない。

 桜子は顔を上げる。待つだけでは、道枝に閉じ籠もっていた時と何も変わりないではないか。

「あの、英治さん」

 桜子が声を掛けると、三和土(たたき)で靴を脱いでいた英治がはたと振り返る。

「はい? なんでしょう」 
「私に二條本家について教えてくださいませんか」
「本家について、ですか」

 英治の視線が一瞬戸惑いに揺れる。

「坊っちゃんから何もお聞きになっていないのでしょう? 私からお話できることは、本当に限られていると思うんですけど」
「それでもいいんです。私だけ何も知らないままなのは嫌なんです。巽さんのことを、ちゃんと知りたい」

 お願いしますと深々と頭を下げれば、しばしの沈黙の後、英治が吐息する。

「……分かりました。私がお話できる範囲でお教えします。お夕飯の後、お時間もらえますか?」
「ありがとうございます」

 桜子が礼を言って再び頭を下げると、「難儀な人たちですねえ」と零された。