「上田さん、ちょっといい?」
上司はかけていたメガネをくいっとあげて私を呼ぶ。
はぁ、今日もか。
キリキリと痛む胃を抑えながら上司の待つデスクへと向かった。
「…あの、なんでしょう?」
「なんでしょうって、呼ばれた理由わかってるでしょ?」
目の前に出された資料を見て、私は首をかしげる。
「これ、何か問題でもありましたか?」
「はぁ…。この資料さつまんないんだよね。ていうか君が作るのは全体的にまとまりがないし趣旨がぶれてるっていうか、面白くない。こんなの提出したら僕が恥かくでしょ」
上司は畳み掛けるように、早口で言った。
「…すみません」
出た声は思ったよりも小さくて掠れた。
「毎回毎回、僕の時間を奪うのやめてよね。あとさ…」
始まった。
毎日恒例の上司の小言。
こうなると長いことはわかっている。
バレないように胃をさすりながら、私は深々と頭を下げた。
「…すみませんでした」
謝れば、すぐに終わる。
「…」
上司の小言が止まった。
私は軽く顔をあげて、上司の様子をうかがう。
上司は不服そうに頬杖をついてこちらを見ていた。
「君さー。謝れば済むと思ってない?見え見えなんだよね」
「…」
「何その目。文句あるなら言ってみれば?」
文句なんてたくさんあるに決まってる。この資料だって本来は自分の仕事なのに、私に作らせておいて。
しかも、昨日終電ギリギリまで作ってたのに呆気なくボツにされた。
言いたいことは、たくさんあるに決まってる。
でも…。
私はグッと拳を握る。
「…いえ、何もありません」
言えなかった。
それから一時間くらい上司の小言を聞かされた。
「…今日は社長との食事の日なんだ。これくらいで済ませてやったこと、存分に感謝してね。他の会社だとこれくらいじゃ済まないだろうな」
そう言って、上司は鞄を持ち誇らしげに帰っていった。
上司の背中を見ながら、私は衝動を抑えるように右手の親指の爪を噛む。
ムカつく。あんなやつ消えればいいのに。
自分で思っておいて、ぞわっとした。
噛む度に爪はどんどん削れていく。やめなきゃって思っているけど、自分を落ち着けるためにはこの方法しかなかった。
爪は死んだ細胞の集まりって誰かから聞いたことがある。
だったら、別にどうでもいいやって思うようになった。
ボロボロでも誰も見てないだろうし。
爪を内側にいれてぎゅっと握る。
私は込み上げてきそうなものを必死に抑えて、自分のデスクに着いた。
「上田ー。また怒られてたね」
隣の席の同期である西山が話しかけてくる。
それも、馬鹿にしているような弾んだ声で。
「そうだね」
私はパソコンへと向き直り、適当に返事をする。それでも、この男はしつこい。
「なぁなぁ。やっぱりお前標的にされてるんじゃね?」
「なにそれ」
「可哀想に」
「…」
「よく耐えてるよお前は。俺だったらすぐに辞めるわ」
「…そう」
バタンっとパソコンの画面を閉じた。
西山はビクッと肩をあげる。
「定時なので。お先に失礼します」
震えそうになる声を精一杯抑えて、私は荷物をまとめて部署を後にする。
エレベーターの扉が閉まった瞬間に、はぁっと大きなため息を溢した。


