大崎から連絡が来ていた。
会って話したいと。
無理だ。
私にはそんな勇気はない。
傷つくとわかっていて、話したくない。
教室の自分の席でスマホを開いていると前の席に座った藍田がスマホを取り上げた。
「まだ連絡返してないの?」
「……」
「あっちも気持ちが固まったんじゃない?」
「……許せるの?」
「許さないよ。友達振った男なんて」
「でしょ?じゃあ、返す必要ないじゃん」
「それは違うでしょ?知りたかったんじゃないの?自分を振った理由。大崎の口から聞きたかったんでしょ?」
「でも」
「振られた理由知ったら、今度こそ立ち直れないかも」
「立ち直るって」
ちょっと笑う彼女。
しかし、彼女だってつい最近徳井に告白して振られた身だ。
傷つかないのか。
「私はもう振られるのわかってたから。逃げるもん、あいつ」
「……全部わかってたもん。でも、終わりじゃないから。まだ負けてない」
「負けてないって」
「一回で終わる恋愛なんてないでしょ」
どこか達観している彼女。一体これまでどんな経験をしてきたのか。
「簡単に終わらせないよ、私は。生きてる限り続くんだから、人との関わりは」
「……」
「浦間もさ、あいつ次第だけどまた戻れるかもしれない。あんなことしておいてって感じだけどね」
中学の担任とうまくいきそうだから振った。
それだけが理由なら、私は、泣いてしまう。
というか、泣いてしまったのだけれど、今度は泣かずに話せるだろうか。
夏休みが終わって一人教室にいたあのとき。
大崎が忘れ物して、徳井の次に入ってきたあの放課後。
話しかけて普通に返す彼になんだか傷ついているのは私だけかと悲しくなった。
特に傷つくことを言われたわけじゃないのに。
彼がどうして振ったのか、そこにはどんな思いがあったのか。
知るのは怖い。
知った後も怖い。
どうしていくべきが正解か。
次に進むなんて無理なんじゃないかと思うほどに。
「ゆっくり考えな。私はどの答えを選んでもいいと思ってるよ」
あの頃の四人には戻れないのかもしれない。
私だけがそう思っているのかもしれない。
それでもなお、話し合うべきだろうか。
いや、戻りたいから話すんじゃない。
次に進むために話すんだ。
放課後、彼に連絡を取るとすぐ既読がついた。
あのとき、まともに話せなかったこの教室で。
部活用の服を着る彼。
付き合っていた頃は、似合ってるだなんて話していたけれど、今はもう違う。
「連絡がないから、流石に嫌われたかと思ったよ」
彼はいう。
「どうして話す気になったの?」
「無駄に長話しても、いい思いしないからいうね。どうして、私を振ったの?」
「……」
「この話をすることになるってわかってたはずじゃん。それもわかってて連絡くれたんでしょ?」
「……あぁ、そうだ」
でも、と彼は口を閉ざす。
「中学の頃の担任のせい?それ以上のことはない?そんなわけないでしょ」
口を開かないどころか、目を逸らす彼の行動が図星だと証明する。
「……どこまで、わかってて、その質問するの?まるで全部知ったような口だよね」
本当に聞きたいことはまだなのかと急いでいるよう。
怒られるのが怖いのか、何か言われてしまうのが怖いのか。
そうじゃない。
彼が一番に恐れてるのは、人が離れていくこと。
ずっと初めから気づいてた。
徳井と私、藍田が三人でファミレス行っていたことを知って、彼はついてきた。
徳井と喧嘩して、亀裂が生まれても直そうと必死だった。
藍田が怒っても、仲直りしようとした。
本当にクズでどうしようもない女たらしならこうなることはない。
徳井みたいになっていてもおかしくない。
そうじゃないのは、彼が、一番人と接点も持っておきたいということの証明。
今怒らないのも、これまで怒ってこなかったことも何よりも証拠なりえる。
「全部、知ったんじゃなくて、気づいたの」
「……」
彼は様子を伺っているみたいだ。
証拠はまた増えていく。
「私と付き合ってる時、全く怒らなかったよね。突然振られたからさ、不満を募らせたのかななんて思ってた」
「実態は知ってるじゃんか」
「でも、変わらず声をかけてきた」
「それは」
「一ヶ月くらい距離あったのに、突然だよ?意味わかんない。でも、わかったの、気づいたの。なんか肩の荷が降りたみたいに話しかけてくるもんだから、私もつい話した。バカだよね」
「……」
単刀直入に。
「怖いんだよ、あなたは。誰かと距離を置かれるのが、誰かと縁が切れてしまうのが」
俯く彼に私はいう。
「私と一緒だ」
同じなんだ。
元彼とうまくいかなかった原因が、受験だとしてもストレスをぶつけられて、距離を置かれて、話しかけてきたと思ったら謝られて、でもまた、距離を置かれた。
話しかけないことがお互いの利点だとか思うことにして。
傷つかないし、傷つけない。
接点さえなければ、お互い苦しむことはない。
思い出すこともない。
しかしそれは、私にとっていつも横にいた人がいなくなり苦しくなった。寂しさを癒してくれる恋人がいないのは悲しいことだった。好きな人と距離ができてしまう恐ろしさを身をもって痛感した。
だから私は、目の前の彼にはストレスを溜めさせないようにと俯瞰で自分を見るようにした。
「中学の頃好きだった担任と離れて、寂しかったりしたんじゃない?」
初めて彼の気持ちに土足で踏み込んだ。
地雷だったとしても、堪忍袋の尾が切れようとも私は逃げるつもりは毛頭もない。
「距離、おいてきたのは、あなたなのにどうして私に連絡してきたの」
「……責められてもしょうがないと思ってる」
「そうじゃなくて。……わかんないかな。なんで逃げてばかりなの」
「逃げてるつもりはない」
「逃げるよ。そうじゃなかったら、どうしてまだ何も話してくれないの?様子伺うのやめてよ」
「悪かったと思ってる」
「適当に宥めれば、私が納得してこれから先うまくやってけるとか思った?」
「……」
「図星なんでしょ。元から逃げる前提で、話し合う気なんてなくて、だから、今もこうして自分の意見を言わない」
「いつからそんな、強気になったんだよ。前までずっと相手の様子伺ってたくせに」
「それは……」
「立場が逆転したとか思ってる?君の意見を全部聞いておかないと、君は君の意見を言わなくなる」
元彼との一件を彼は知ってる。
「踏み込むのが怖くて、ためらってきた君が、いつそんな強気に踏み込めるようになったのか疑問だよ」
それは、彼が私を見ていなかったことを顕著に表す。
「ずっと最初から、わたしのことなんてみてなかった?」
「それは違う。見てなかったら、今君とちゃんと向き合おうだなんて思わない」
「だったら」
「だったらなんで、他人のいざこざばかり解決して、自分の問題を解決に向かわせない?僕と話したかったのは君の方で、君はずっと僕を見てばかりで、言葉なんて一切なかった。逃げてたのは、君だ」
被せるように彼はいう。
「それは」
口を開いても彼の言葉は続く。
「君が、何をしようたって自由だし、考えるのも自由。元彼との蟠りを解消できたから、今僕と話しても問題は解消できる。そんなふうに楽観的になったのが今の君じゃないか」
「言葉で勝てないって私に言いたいの?」
「そうじゃないけど」
「だったらなんで、私を振ったの?もっと他にあなた自身が思うことあったんでしょ?そうじゃないとおかしい。私が、踏み込まなかったのは確かに、何か言われるのが、傷つくのが怖いから。でも、あなただって踏み込まれたくなかったんじゃないの?」
「……」
「踏み込んだ挙句、怒られるなら、そんなことしないよ。望んでもない喧嘩を私はしたくない」
「だから、僕が振っても何も言わなかった。納得してないのはわかってたけど、でも、何か言ってれば、僕も何か少しくらい言葉を返したさ」
「そうやって、自分は悪くないって言い続けるの?」
「は?」
「悪くないわけないじゃん。だって、みんな怒ってる。藍田も徳井も。あなたが悪くないと言い聞かせれば、言い聞かせるほど、二人ももちろん私も怒りを覚える」
「他人を使ってまで自分の意見を尊重するのかよ」
「そんなつもりない。だったらなんで教えてくれないの?ほんとは心のどこかで隠しているものがあるんでしょ?」
「踏み込むのが怖いとか、逃げるなとか、言いたい放題言うくせに最後は泣けば解決する男女の会話に何があんの」
彼の本心が見えてくる。
怒りを刺激してみれば、意図も容易く彼は自分の言葉を吐いていく。
「結果、全部こっちが飲み込んで次を見据える。解決なんか一切せずに、蟠りは解消されずに、積もりに積もった不満が関係を終わらせる」
「私に不満があるなら言ってよ」
「言ったら、変わんの?変わったことなんて何もない」
「それは私に言ってるの?本気で私に対する怒りなの?」
「……」
「ほら、やっぱまだ中学の担任のことを想ってる」
「違う」
「違うわけない」
「全くもって違う。だいたい、関係が終わることの何が不満なんだよ。クラスにもカップルはいる。別れてたりする。他クラスだって別クラスだって、別れてる。友達関係も解消される。他人より離れる。それの何を恐れてんの。代わりなんて他にいくらでもいると言うのに」
彼の本当の気持ちがよく理解できた気がする。
代わりはいくらでもいる。
それが彼の根底にあるかぎり、私はきっと彼と別れるのは時間の問題だった。
ただ中学の頃の担任が引っ掛けてきただけの話。
「ねぇ、いつからそんなふうに思ったの?代わりなんて普通すぐに見つかんない」
「見つかる。大学にでも入ってみろよ。四人の仲なんてどこにでもある。友達なんていくらでも作れる。SNSだってある。ネット恋愛だってある時代だ。友達なんて作りたいと思えばいくらでも作れる。過去に固執してるのはお前らも一緒だ」
「例を挙げれば、私が納得すると思うの?そんなことが聞きたいわけじゃないの」
「じゃ、何求めてんの?求められた言葉たくさん言ってきたよね。君が何を求めているのかよくわかってたから、言わないようにしてた言葉もある。それでも、まだ何か求めてんの?」
求められた言葉を言ってただけだなんて、今更知った。
それはつまり。
「中学の頃の担任が好きだった時、ずっと求められてる言葉を言ってたの?それであなたは付き合うことができたの?都合よく使われることの苦しさをあなたが一番理解しているはずなのに、都合よく私を使ったの?」
「……」
図星なんだ。
否定して欲しかったけれど、彼を怒らせたのは私だ。
今、彼から出る言葉は全部本音。
「傷つくってわかってることをなんでやっちゃうの?本当は私のことどう思ってたの?付き合いたいだなんて思った?」
「……」
「黙ってないで、答えてよ!」
「……うっさいな。話がとっ散らかりすぎだろ。お前のことは、好きだった。今はもうなんともない」
「……」
好きじゃない。それだけで頭がフリーズしてしまいそうになる。
「ほら、黙ってないでなんか言ってみろよ」
喧嘩腰の彼が、ここまで怖いだなんて思っても見なかった。
夏休みの終わりからずっと聞きたかった言葉がこれ?
聞かなければよかった。
何も知らない方が、幸せだった。
「みんなしてあの頃の四人を求めてる。だけど、僕は求めてない。壊れる関係なんだよ、人間関係って。終わったらまた始めるだけ。それが、いつになろうがどうでもいい。他に代わりはいる。みんなにも代わりはいる」
もういいか、と彼はいう。
きっと連絡を入れたのは、そろそろちゃんとした話を聞きたいと私が思っていたことに気づいたから。
彼にその気はなかった。
たったそれだけのこと。
彼の言う通りだ。
関係はいつか終わる。
代わりはいくらでもいる。
元彼がいるように、今彼がいたように、次は新しい彼がやってくる。
本当は、誰でもよかったんだろと言われているような気がした。
優しい彼をわざと怒らせてまで欲しかった本音は、こんなにも聞かなければよかったと後悔するものだった。
顔や性格、彼の全部がそばにあった頃、彼の本心までは知らなかった。
キスだってハグだってあんなことだってしてきたのに、何も私は知らなかった。
彼が、踵を返す。教室から離れようとしている。
会話は終わったんだ。
当然、離れるのだ。
知りたいことを教えてくれた彼の優しさ。
こんなにも尖って心に刺さると思っても見なかった。
私はもう、何もかも彼を理想の上でしか見てなかったんだろう。
だから、その理想を消したくなくて思い出すこともしなかった。
彼に聞きたいことはまだある。でも、もう……。
目を伏せた刹那、教室の扉がガラッと開いた。
大崎の声ではない誰かの声。
「はーい、まだ話終わってないよー。第二ゲーム行こうか、大崎」
そこには、徳井と藍田の姿があった。
「なんで……」
私の声が彼には届いてなかった。
「何しにきた」
大崎はいう。
「あれだけメンタル病んでたくせに、その空元気はなんだ」
「クズになりたくてなったんじゃないだろ。ほら、そっちいけ」
全く話を聞かない徳井。
大崎の背を押して、不本意に教卓に立たせる。
「代わりがいるなら、誰でもいいって理屈、俺は納得できないな」
「私も」
藍田が賛同している。
この二人、振られたばかりなのにどうして一緒にいるの。
「振られた理由も振った理由もわかったんだ。だけど、流石にね、まだ解決してないな」と、徳井。
「解消するとか解決するとかいうなら、まだ一つ問いは残ってる。でしょ?徳井」と藍田。
「じゃなきゃ、盗み聞きしないって。藍田に呼ばれてきたけど、まぁ、こんなことだろうと思った」
中学から一緒の徳井だからわかることもあるんだろう。
「お前、初恋が担任だから狂ったのかもしれねぇけどさ『あのジェットコースターさ、毎回乗る人が違う。でも、スタッフはにこやか。本当は乗ってくれる人がいるなら、誰でもよかったのかもね』遠足の時に担任から言われたこと引きずってんじゃん」
『私のこと好きな人もきっと他の誰かに乗り移って、思い続けてくれる人なんていないのかもね』と続けて言われたらしい。
「言ってたな、『代わりなんていない、だから、そんなこと言わないでほしい』ってお前、今の自分が聞いたらどうするよ」
いつか、大崎が言っていた。
徳井が喧嘩腰だと勝ち目はないと。
「人前でバラしてほしくなかったかもしれんけどさ、俺は、浦間を傷つけてほしくなかった」
藍田がバシッと徳井の腕を叩いた。
本題に入れと言いたいのかもしれない。
「さっきの言葉聞いた時、俺、嬉しかったんだ。四人中三人は、あの頃の関係に戻りたいって思ってるって」
お前は過去に固執してるっていうけどさ。と続けた。
「大崎が一番固執してんじゃん。初恋女に毒されちゃって、ほんとはそんな気持ちないくせに代わりはいるって強がってんの?」
「お前さ」
「嘘嘘。絶対、ありえねぇもん。お前が、あの頃を忘れる?そんなことないだろ」
徳井がその事実を信じたくないのか、それとも本気でそう思っているのか。
「誰でも代わりはいる、僕じゃなくていい」
「それ自己犠牲かなんか?犠牲の上で俺ら三人が仲良いって?」
「元はと言えば、僕のいない仲だろ。僕がいなくても三人で仲良かったはずだ。僕じゃなければ、関係は壊れない」
そのさきも本来は壊れなかったと彼は続けた。
「壊したのは大崎ってことに違いはない。でも、俺が入れた。三人の仲がいつか、四人でいることが普通になった。当たり前だった。変わっちまったけど、変わらないままでいるのは無理だって、よく理解してる。俺もそうだ。藍田だってそう」
俺は。
「もう変わっていく関係に怖さはない。それは仕方ないっていうのかもしれないけど、それでもどうにも俺にはやっぱ大崎がいてのあの頃の四人だよ。それだけは絶対に変わんない」
いつか関係が壊れることを一番に恐れた徳井がそんなことを言う。
この一週間、藍田と何があったのか私は知らない。
だけど、彼の中には一つ重荷が外れたようなそんな思いが残る。
壊れてもいいと望む大崎と壊れることも仕方ないと受け入れた徳井。
「俺が、大崎を仲に入れたのはさ、昔から変わんないお前を知ってるから。大崎が一番、自分の気持ちにふたして逃げてるよ」
それに比べて、と私を見やる徳井。
「自分の気持ちも相手の気持ちも知りすぎて、弱気になってる浦間。一人で悩むのはやめようよ、俺らみんな」
一人で抱えて、解決する時間なんて求めてなくて、それをきっとどこかでみんな気づいてた。
だから、誰も踏み込まなかったし、悩みを吐露されるまで待ってた。
我慢の限界が来て、ぶつける人もいて、逃げる人もいて。
でも一番、すぐそばにいてくれるのは恋人なんかじゃなくて、友達なのかもしれないと思う。
出会う人が運命の人じゃないからとかそんな話じゃない。
きっとこの先もどこかで出会う人もそう簡単には信じられない。
大崎も出会う人が悪かったから、人を信じてないのかもしれない。
「友達でいい。それが、悪いものだとは思わないよ。喧嘩しても、またやり直せるって思えるなら、そっちの方がいい」
私はいう。
大崎は、私を見てまた目を伏せた。
付き合えば、別れがある。
でも、友達は別れてもまた再会する。
「俺も」
徳井はいう。
笑ってた。
一年半、一緒にいるんだ。
なんだって少しはわかってしまう。
何を言われたら嫌で、何を言われたら嬉しいか。
全部はわからなくて、その度に喧嘩して、仲直りしていけばいい。
そしてまた、その人のことを少しずつ知ればいい。
ぶつかり合うことがなかった四人。
いつしか曖昧な関係こそが楽しいものだと思えた。
だけど、ぶつかり合えば曖昧になっていたものが、表に出て、亀裂を産む。
壊れていく。
再生する。
亀裂はより強固になって治っていく。
喧嘩するほど仲がいいと言うのは、仲直り前提だ。
小さい頃に比べて、謝ることも仲直りすることも難しくなっていく。
今こうして、喧嘩しあって、また戻せる仲の私たちならきっとこの先も関係は続けていけるのだろうと思う。
そして、大崎は
「ごめん」
といった。
会って話したいと。
無理だ。
私にはそんな勇気はない。
傷つくとわかっていて、話したくない。
教室の自分の席でスマホを開いていると前の席に座った藍田がスマホを取り上げた。
「まだ連絡返してないの?」
「……」
「あっちも気持ちが固まったんじゃない?」
「……許せるの?」
「許さないよ。友達振った男なんて」
「でしょ?じゃあ、返す必要ないじゃん」
「それは違うでしょ?知りたかったんじゃないの?自分を振った理由。大崎の口から聞きたかったんでしょ?」
「でも」
「振られた理由知ったら、今度こそ立ち直れないかも」
「立ち直るって」
ちょっと笑う彼女。
しかし、彼女だってつい最近徳井に告白して振られた身だ。
傷つかないのか。
「私はもう振られるのわかってたから。逃げるもん、あいつ」
「……全部わかってたもん。でも、終わりじゃないから。まだ負けてない」
「負けてないって」
「一回で終わる恋愛なんてないでしょ」
どこか達観している彼女。一体これまでどんな経験をしてきたのか。
「簡単に終わらせないよ、私は。生きてる限り続くんだから、人との関わりは」
「……」
「浦間もさ、あいつ次第だけどまた戻れるかもしれない。あんなことしておいてって感じだけどね」
中学の担任とうまくいきそうだから振った。
それだけが理由なら、私は、泣いてしまう。
というか、泣いてしまったのだけれど、今度は泣かずに話せるだろうか。
夏休みが終わって一人教室にいたあのとき。
大崎が忘れ物して、徳井の次に入ってきたあの放課後。
話しかけて普通に返す彼になんだか傷ついているのは私だけかと悲しくなった。
特に傷つくことを言われたわけじゃないのに。
彼がどうして振ったのか、そこにはどんな思いがあったのか。
知るのは怖い。
知った後も怖い。
どうしていくべきが正解か。
次に進むなんて無理なんじゃないかと思うほどに。
「ゆっくり考えな。私はどの答えを選んでもいいと思ってるよ」
あの頃の四人には戻れないのかもしれない。
私だけがそう思っているのかもしれない。
それでもなお、話し合うべきだろうか。
いや、戻りたいから話すんじゃない。
次に進むために話すんだ。
放課後、彼に連絡を取るとすぐ既読がついた。
あのとき、まともに話せなかったこの教室で。
部活用の服を着る彼。
付き合っていた頃は、似合ってるだなんて話していたけれど、今はもう違う。
「連絡がないから、流石に嫌われたかと思ったよ」
彼はいう。
「どうして話す気になったの?」
「無駄に長話しても、いい思いしないからいうね。どうして、私を振ったの?」
「……」
「この話をすることになるってわかってたはずじゃん。それもわかってて連絡くれたんでしょ?」
「……あぁ、そうだ」
でも、と彼は口を閉ざす。
「中学の頃の担任のせい?それ以上のことはない?そんなわけないでしょ」
口を開かないどころか、目を逸らす彼の行動が図星だと証明する。
「……どこまで、わかってて、その質問するの?まるで全部知ったような口だよね」
本当に聞きたいことはまだなのかと急いでいるよう。
怒られるのが怖いのか、何か言われてしまうのが怖いのか。
そうじゃない。
彼が一番に恐れてるのは、人が離れていくこと。
ずっと初めから気づいてた。
徳井と私、藍田が三人でファミレス行っていたことを知って、彼はついてきた。
徳井と喧嘩して、亀裂が生まれても直そうと必死だった。
藍田が怒っても、仲直りしようとした。
本当にクズでどうしようもない女たらしならこうなることはない。
徳井みたいになっていてもおかしくない。
そうじゃないのは、彼が、一番人と接点も持っておきたいということの証明。
今怒らないのも、これまで怒ってこなかったことも何よりも証拠なりえる。
「全部、知ったんじゃなくて、気づいたの」
「……」
彼は様子を伺っているみたいだ。
証拠はまた増えていく。
「私と付き合ってる時、全く怒らなかったよね。突然振られたからさ、不満を募らせたのかななんて思ってた」
「実態は知ってるじゃんか」
「でも、変わらず声をかけてきた」
「それは」
「一ヶ月くらい距離あったのに、突然だよ?意味わかんない。でも、わかったの、気づいたの。なんか肩の荷が降りたみたいに話しかけてくるもんだから、私もつい話した。バカだよね」
「……」
単刀直入に。
「怖いんだよ、あなたは。誰かと距離を置かれるのが、誰かと縁が切れてしまうのが」
俯く彼に私はいう。
「私と一緒だ」
同じなんだ。
元彼とうまくいかなかった原因が、受験だとしてもストレスをぶつけられて、距離を置かれて、話しかけてきたと思ったら謝られて、でもまた、距離を置かれた。
話しかけないことがお互いの利点だとか思うことにして。
傷つかないし、傷つけない。
接点さえなければ、お互い苦しむことはない。
思い出すこともない。
しかしそれは、私にとっていつも横にいた人がいなくなり苦しくなった。寂しさを癒してくれる恋人がいないのは悲しいことだった。好きな人と距離ができてしまう恐ろしさを身をもって痛感した。
だから私は、目の前の彼にはストレスを溜めさせないようにと俯瞰で自分を見るようにした。
「中学の頃好きだった担任と離れて、寂しかったりしたんじゃない?」
初めて彼の気持ちに土足で踏み込んだ。
地雷だったとしても、堪忍袋の尾が切れようとも私は逃げるつもりは毛頭もない。
「距離、おいてきたのは、あなたなのにどうして私に連絡してきたの」
「……責められてもしょうがないと思ってる」
「そうじゃなくて。……わかんないかな。なんで逃げてばかりなの」
「逃げてるつもりはない」
「逃げるよ。そうじゃなかったら、どうしてまだ何も話してくれないの?様子伺うのやめてよ」
「悪かったと思ってる」
「適当に宥めれば、私が納得してこれから先うまくやってけるとか思った?」
「……」
「図星なんでしょ。元から逃げる前提で、話し合う気なんてなくて、だから、今もこうして自分の意見を言わない」
「いつからそんな、強気になったんだよ。前までずっと相手の様子伺ってたくせに」
「それは……」
「立場が逆転したとか思ってる?君の意見を全部聞いておかないと、君は君の意見を言わなくなる」
元彼との一件を彼は知ってる。
「踏み込むのが怖くて、ためらってきた君が、いつそんな強気に踏み込めるようになったのか疑問だよ」
それは、彼が私を見ていなかったことを顕著に表す。
「ずっと最初から、わたしのことなんてみてなかった?」
「それは違う。見てなかったら、今君とちゃんと向き合おうだなんて思わない」
「だったら」
「だったらなんで、他人のいざこざばかり解決して、自分の問題を解決に向かわせない?僕と話したかったのは君の方で、君はずっと僕を見てばかりで、言葉なんて一切なかった。逃げてたのは、君だ」
被せるように彼はいう。
「それは」
口を開いても彼の言葉は続く。
「君が、何をしようたって自由だし、考えるのも自由。元彼との蟠りを解消できたから、今僕と話しても問題は解消できる。そんなふうに楽観的になったのが今の君じゃないか」
「言葉で勝てないって私に言いたいの?」
「そうじゃないけど」
「だったらなんで、私を振ったの?もっと他にあなた自身が思うことあったんでしょ?そうじゃないとおかしい。私が、踏み込まなかったのは確かに、何か言われるのが、傷つくのが怖いから。でも、あなただって踏み込まれたくなかったんじゃないの?」
「……」
「踏み込んだ挙句、怒られるなら、そんなことしないよ。望んでもない喧嘩を私はしたくない」
「だから、僕が振っても何も言わなかった。納得してないのはわかってたけど、でも、何か言ってれば、僕も何か少しくらい言葉を返したさ」
「そうやって、自分は悪くないって言い続けるの?」
「は?」
「悪くないわけないじゃん。だって、みんな怒ってる。藍田も徳井も。あなたが悪くないと言い聞かせれば、言い聞かせるほど、二人ももちろん私も怒りを覚える」
「他人を使ってまで自分の意見を尊重するのかよ」
「そんなつもりない。だったらなんで教えてくれないの?ほんとは心のどこかで隠しているものがあるんでしょ?」
「踏み込むのが怖いとか、逃げるなとか、言いたい放題言うくせに最後は泣けば解決する男女の会話に何があんの」
彼の本心が見えてくる。
怒りを刺激してみれば、意図も容易く彼は自分の言葉を吐いていく。
「結果、全部こっちが飲み込んで次を見据える。解決なんか一切せずに、蟠りは解消されずに、積もりに積もった不満が関係を終わらせる」
「私に不満があるなら言ってよ」
「言ったら、変わんの?変わったことなんて何もない」
「それは私に言ってるの?本気で私に対する怒りなの?」
「……」
「ほら、やっぱまだ中学の担任のことを想ってる」
「違う」
「違うわけない」
「全くもって違う。だいたい、関係が終わることの何が不満なんだよ。クラスにもカップルはいる。別れてたりする。他クラスだって別クラスだって、別れてる。友達関係も解消される。他人より離れる。それの何を恐れてんの。代わりなんて他にいくらでもいると言うのに」
彼の本当の気持ちがよく理解できた気がする。
代わりはいくらでもいる。
それが彼の根底にあるかぎり、私はきっと彼と別れるのは時間の問題だった。
ただ中学の頃の担任が引っ掛けてきただけの話。
「ねぇ、いつからそんなふうに思ったの?代わりなんて普通すぐに見つかんない」
「見つかる。大学にでも入ってみろよ。四人の仲なんてどこにでもある。友達なんていくらでも作れる。SNSだってある。ネット恋愛だってある時代だ。友達なんて作りたいと思えばいくらでも作れる。過去に固執してるのはお前らも一緒だ」
「例を挙げれば、私が納得すると思うの?そんなことが聞きたいわけじゃないの」
「じゃ、何求めてんの?求められた言葉たくさん言ってきたよね。君が何を求めているのかよくわかってたから、言わないようにしてた言葉もある。それでも、まだ何か求めてんの?」
求められた言葉を言ってただけだなんて、今更知った。
それはつまり。
「中学の頃の担任が好きだった時、ずっと求められてる言葉を言ってたの?それであなたは付き合うことができたの?都合よく使われることの苦しさをあなたが一番理解しているはずなのに、都合よく私を使ったの?」
「……」
図星なんだ。
否定して欲しかったけれど、彼を怒らせたのは私だ。
今、彼から出る言葉は全部本音。
「傷つくってわかってることをなんでやっちゃうの?本当は私のことどう思ってたの?付き合いたいだなんて思った?」
「……」
「黙ってないで、答えてよ!」
「……うっさいな。話がとっ散らかりすぎだろ。お前のことは、好きだった。今はもうなんともない」
「……」
好きじゃない。それだけで頭がフリーズしてしまいそうになる。
「ほら、黙ってないでなんか言ってみろよ」
喧嘩腰の彼が、ここまで怖いだなんて思っても見なかった。
夏休みの終わりからずっと聞きたかった言葉がこれ?
聞かなければよかった。
何も知らない方が、幸せだった。
「みんなしてあの頃の四人を求めてる。だけど、僕は求めてない。壊れる関係なんだよ、人間関係って。終わったらまた始めるだけ。それが、いつになろうがどうでもいい。他に代わりはいる。みんなにも代わりはいる」
もういいか、と彼はいう。
きっと連絡を入れたのは、そろそろちゃんとした話を聞きたいと私が思っていたことに気づいたから。
彼にその気はなかった。
たったそれだけのこと。
彼の言う通りだ。
関係はいつか終わる。
代わりはいくらでもいる。
元彼がいるように、今彼がいたように、次は新しい彼がやってくる。
本当は、誰でもよかったんだろと言われているような気がした。
優しい彼をわざと怒らせてまで欲しかった本音は、こんなにも聞かなければよかったと後悔するものだった。
顔や性格、彼の全部がそばにあった頃、彼の本心までは知らなかった。
キスだってハグだってあんなことだってしてきたのに、何も私は知らなかった。
彼が、踵を返す。教室から離れようとしている。
会話は終わったんだ。
当然、離れるのだ。
知りたいことを教えてくれた彼の優しさ。
こんなにも尖って心に刺さると思っても見なかった。
私はもう、何もかも彼を理想の上でしか見てなかったんだろう。
だから、その理想を消したくなくて思い出すこともしなかった。
彼に聞きたいことはまだある。でも、もう……。
目を伏せた刹那、教室の扉がガラッと開いた。
大崎の声ではない誰かの声。
「はーい、まだ話終わってないよー。第二ゲーム行こうか、大崎」
そこには、徳井と藍田の姿があった。
「なんで……」
私の声が彼には届いてなかった。
「何しにきた」
大崎はいう。
「あれだけメンタル病んでたくせに、その空元気はなんだ」
「クズになりたくてなったんじゃないだろ。ほら、そっちいけ」
全く話を聞かない徳井。
大崎の背を押して、不本意に教卓に立たせる。
「代わりがいるなら、誰でもいいって理屈、俺は納得できないな」
「私も」
藍田が賛同している。
この二人、振られたばかりなのにどうして一緒にいるの。
「振られた理由も振った理由もわかったんだ。だけど、流石にね、まだ解決してないな」と、徳井。
「解消するとか解決するとかいうなら、まだ一つ問いは残ってる。でしょ?徳井」と藍田。
「じゃなきゃ、盗み聞きしないって。藍田に呼ばれてきたけど、まぁ、こんなことだろうと思った」
中学から一緒の徳井だからわかることもあるんだろう。
「お前、初恋が担任だから狂ったのかもしれねぇけどさ『あのジェットコースターさ、毎回乗る人が違う。でも、スタッフはにこやか。本当は乗ってくれる人がいるなら、誰でもよかったのかもね』遠足の時に担任から言われたこと引きずってんじゃん」
『私のこと好きな人もきっと他の誰かに乗り移って、思い続けてくれる人なんていないのかもね』と続けて言われたらしい。
「言ってたな、『代わりなんていない、だから、そんなこと言わないでほしい』ってお前、今の自分が聞いたらどうするよ」
いつか、大崎が言っていた。
徳井が喧嘩腰だと勝ち目はないと。
「人前でバラしてほしくなかったかもしれんけどさ、俺は、浦間を傷つけてほしくなかった」
藍田がバシッと徳井の腕を叩いた。
本題に入れと言いたいのかもしれない。
「さっきの言葉聞いた時、俺、嬉しかったんだ。四人中三人は、あの頃の関係に戻りたいって思ってるって」
お前は過去に固執してるっていうけどさ。と続けた。
「大崎が一番固執してんじゃん。初恋女に毒されちゃって、ほんとはそんな気持ちないくせに代わりはいるって強がってんの?」
「お前さ」
「嘘嘘。絶対、ありえねぇもん。お前が、あの頃を忘れる?そんなことないだろ」
徳井がその事実を信じたくないのか、それとも本気でそう思っているのか。
「誰でも代わりはいる、僕じゃなくていい」
「それ自己犠牲かなんか?犠牲の上で俺ら三人が仲良いって?」
「元はと言えば、僕のいない仲だろ。僕がいなくても三人で仲良かったはずだ。僕じゃなければ、関係は壊れない」
そのさきも本来は壊れなかったと彼は続けた。
「壊したのは大崎ってことに違いはない。でも、俺が入れた。三人の仲がいつか、四人でいることが普通になった。当たり前だった。変わっちまったけど、変わらないままでいるのは無理だって、よく理解してる。俺もそうだ。藍田だってそう」
俺は。
「もう変わっていく関係に怖さはない。それは仕方ないっていうのかもしれないけど、それでもどうにも俺にはやっぱ大崎がいてのあの頃の四人だよ。それだけは絶対に変わんない」
いつか関係が壊れることを一番に恐れた徳井がそんなことを言う。
この一週間、藍田と何があったのか私は知らない。
だけど、彼の中には一つ重荷が外れたようなそんな思いが残る。
壊れてもいいと望む大崎と壊れることも仕方ないと受け入れた徳井。
「俺が、大崎を仲に入れたのはさ、昔から変わんないお前を知ってるから。大崎が一番、自分の気持ちにふたして逃げてるよ」
それに比べて、と私を見やる徳井。
「自分の気持ちも相手の気持ちも知りすぎて、弱気になってる浦間。一人で悩むのはやめようよ、俺らみんな」
一人で抱えて、解決する時間なんて求めてなくて、それをきっとどこかでみんな気づいてた。
だから、誰も踏み込まなかったし、悩みを吐露されるまで待ってた。
我慢の限界が来て、ぶつける人もいて、逃げる人もいて。
でも一番、すぐそばにいてくれるのは恋人なんかじゃなくて、友達なのかもしれないと思う。
出会う人が運命の人じゃないからとかそんな話じゃない。
きっとこの先もどこかで出会う人もそう簡単には信じられない。
大崎も出会う人が悪かったから、人を信じてないのかもしれない。
「友達でいい。それが、悪いものだとは思わないよ。喧嘩しても、またやり直せるって思えるなら、そっちの方がいい」
私はいう。
大崎は、私を見てまた目を伏せた。
付き合えば、別れがある。
でも、友達は別れてもまた再会する。
「俺も」
徳井はいう。
笑ってた。
一年半、一緒にいるんだ。
なんだって少しはわかってしまう。
何を言われたら嫌で、何を言われたら嬉しいか。
全部はわからなくて、その度に喧嘩して、仲直りしていけばいい。
そしてまた、その人のことを少しずつ知ればいい。
ぶつかり合うことがなかった四人。
いつしか曖昧な関係こそが楽しいものだと思えた。
だけど、ぶつかり合えば曖昧になっていたものが、表に出て、亀裂を産む。
壊れていく。
再生する。
亀裂はより強固になって治っていく。
喧嘩するほど仲がいいと言うのは、仲直り前提だ。
小さい頃に比べて、謝ることも仲直りすることも難しくなっていく。
今こうして、喧嘩しあって、また戻せる仲の私たちならきっとこの先も関係は続けていけるのだろうと思う。
そして、大崎は
「ごめん」
といった。



