◇◇
最初に違和感を持ったのは教室に入ってすぐ。
朝に弱くていつもギリギリで登校して来る鵜飼くんが、今日は僕より先に着いていることだった。
「鵜飼くん?みんなも……どうしたの?」
ざわついていた教室が不自然に静まり返って、クラスメイトたちの視線が一斉に僕へ向く。気まずそうなものもあれば明確に軽蔑を含んだものもあって、嫌な予感が背中を走った。
鞄を抱えたまま立ち尽くす僕の耳に、女子たちのひそひそ声が届く。
「うわ、来た」
「よく平気で来れるよね」
「メンタル強……」
僕のことを言ってるんだろうけど、こんなに睨まれる覚えはない。
ここにいてもしょうがないとひとまず自分の机へ向かおうとした僕の前に、席を離れた鵜飼くんが立ちはだかる。
「理久、俺がクラスLIMEに送ったの見てねぇの?」
「クラスLIME……?」
「ちっ。……これ、どういうことだよ」
露骨な舌打ちと共に突きつけられたのは彼のスマホだ。画面に写し出されたものを見た瞬間、思わず息を飲む。
「これ……!」
乳白色のセンサーライトに照らされた玄関の中央に僕と想くんが立っている、つい昨日撮ったと思われる写真がクラスのグループトークに共有されていた。さっき自分のスマホを見た時はなかったのに。
……少し傾いた想くんの背中が僕の顔を覆い隠しているというアングルのせいで、キスしてるように見えなくもない(それは事実無根だけども)。
──確かに鵜飼くんの家は隣だけど……撮られてたんだ。
──わざわざこれをみんなに流して、彼は何をしたいんだ?
昨日の“アレ”って傍から見るとこんな感じなんだ……!なんて、恥じらっている状況じゃないのは分かる。
「お前さぁ、やるならもっとうまくやれば?」
目の前にある僕の顔をさらに覗き込み、吐き捨てるように言う鵜飼くん。
「うまくやるって、何が……?」
「“彼氏”の家の隣でこんなことするか?普通」
「……彼氏の家……?」
──彼氏って、僕の?
偽装だけど僕の彼氏は想くんで、彼の家はもっと離れたところにある。僕の家の隣に住んでる人といえば。
「とぼけんなよっ!」
視界の端で何かが動いた。瞬間、鵜飼くんの腕が僕の肩を乱暴に掴む。
「鵜飼くん、痛い……っ」
「お前、昨日俺と帰る約束してたよな?」
「え?」
「なのに連絡も無視して、挙げ句の果てに五十嵐と浮気してましたって?さすがに傷つくんだけど」
「ちょ、待って、浮気ってなんのこと!?帰る約束もしてないしっ」
「誤魔化そうとしても無駄だぞ。ここにいるみんな、俺と理久が付き合ってるの知ってんだから」
「……!?」
「さっき俺が言った」
言葉を失う。
僕と鵜飼くんが付き合ってるって……なんだその笑えない冗談は。みんなも一緒になって僕をからかおうとしてる?と周りを見渡すけど、注がれる視線は相変わらず冷たい。
「阿澄くんの彼氏って鵜飼のことだったんだ」
「言われてみれば鵜飼以外ないわ。普段あんだけイチャイチャしてんだから」
「よく今まで黙ってられたな、鵜飼」
「恥ずかしいから付き合ってることはみんなに秘密にしてくれって、理久に頼まれたんだ」
沈黙を破って次々と口を開くクラスメイトたちに、俯きながら返す鵜飼くん。
「でもさ理久、浮気なんかされたらもう隠せねぇだろ」
「っ、浮気も何も、僕たち付き合ってないでしょ!?なんでそんな変な嘘つくのっ」
「そこから否定すんの?」
このままじゃまずいとなんとか反論しようとする僕に、鵜飼くんが被せるように遮る。
「クラスの奴らは俺とお前の言うこと、どっちを信じると思う?」
「そ、れは……」
クラスの中心人物的な立ち位置の鵜飼くんと、彼がいなければ名前すら覚えられていない僕。
どちらの発言力が上かなんて聞くまでもないけど、すぐに嘘だって分かるようなことなら話は別だ。
「……阿澄くんには悪いけど、鵜飼の方がほんとのこと言ってると思う」
「うん。あんなに仲良くて、付き合ってないって言う方が無理あるよ」
「だよね……」
──そんな馬鹿な!
予想外の反応に掴まれたままの肩が震える。
今教室にいる全員、誰も鵜飼くんが嘘をついてるなんて思ってない。
混乱で整理のつかない頭のまま、ふと前を見ると。
「……!」
俯いた状態からほんの僅かに顔を上げた鵜飼くんが……笑っていた。
みんなにはギリギリ見えない角度の、歪んだ口元を見てすべてを察する。
──嵌められた。
たぶんだけど鵜飼くんは、昔から見下していた幼なじみに避けられるのが面白くなかったんだ。
それで腹いせに僕と付き合ってるなんて嘘をついて、浮気されたと騒いだけど……普段からみんなの前で仲良しアピールをしていたから誰にも疑われない。
中学時代と同様に、僕は完全に外堀を埋められていたんだ。
「昨日も鵜飼、クラスLIMEでめっちゃ怒ってたし。阿澄くんが約束すっぽかして五十嵐くんと一緒にいたからでしょ?」
「……それで言ったら五十嵐も悪いよな?」
ここで急に想くんの名前が出てきて、心臓が嫌な跳ね方をする。
「阿澄に彼氏いるって気づいてて手ぇ出したってことだろ?しかもアイツも最近彼女が出来たって、噂で聞いた」
「うわ、クソじゃん」
「五十嵐くんって、もっとちゃんとしてる人かと思ってた」
「鵜飼が不憫過ぎるだろ」
ひそひそ声が遠慮を失っていく。想くんは生徒会の仕事があるから学校にはいるだろうけど、クラスのグループトークをミュートしていて異変に気付けていないはず。
「やめて、想くんを悪く言わないでっ」
「あーあ。名前呼びになってるとかもう確定じゃん」
「ちがっ……」
想くんは何も悪くない。
偽装恋人の話も、生徒会の帰りに家まで送ってくれたのも……全部僕のためにしてくれたことなのに。
僕が甘え過ぎたせいで、何も知らない人たちから好き勝手言われることになってしまった。
「……お願い。聞いて、みんな」
こうなったら想くんにかかった誤解だけでも解かなければ。大きく息を吸って声を張ると、一時的だろうけど静かになる。
「想く──五十嵐くんはほんとに関係ない。昨日も『夜道が怖いから』って、僕が無理やり送ってもらっただけ」
「じゃあ写真でキスしてるっぽいのは?」
「……」
鵜飼くんの追及に喉が詰まる。
いっそ偽装恋人のことから説明してみようか。だけどもう鵜飼くんと僕が付き合ってるって前提は覆せそうにないし……それに。
──せっかく彼女が出来たっていう噂が広まって、想くんが平穏を取り戻せたのに。
──また前みたいに、嫌な思いをさせるわけにはいかない。
「……それは」
ぎゅ、と制服の裾を握りしめる。
「五十嵐くんかっこ良くて優しいから……その、一緒に帰れたのが嬉しくて……」
「キスはお前が勝手に仕掛けたってこと?」
「……」
鵜飼くんといえば、僕にだけ見えるところで勝ち誇ったような笑みを浮かべている。心の底から悔しい……けど、想くんを守るためには頷くしかない。
「答えろよ理久。キスはお前からで、五十嵐が拒否したんだな?」
「そ、そ──……」
「──そんなわけなくない?」
そうだよ、と縦に振ろうとした首が止まった。聞き覚えのあり過ぎる凛とした声が教室に響いたのだ。
「……想くん……!」
いつの間にか開いていた扉の前には、鞄を持った想くんが立っていた。
「昨日は鵜飼が言ったようなことは起きてない。……キスしたかったのは俺の方だし」
想くんはまっすぐ僕のところまで歩いて来ると、乱暴に掴まれたままの肩に視線を落とす。
「鵜飼。その手、離して」
いつも通り落ち着いた声音だけど、どことなく怒りが滲んでいる。
「……ほらよ」
「わっ」
それに気を悪くしたらしい鵜飼くんがほぼ突き飛ばすように手を離し、よろけた僕の背中を想くんが支えてくれた。
「遅くなってごめんね、りっくん。もう大丈夫だよ」
「あっ……うん……」
助けに来てくれたことを喜ぶべきなのに、それどころじゃない。
──だって想くん今、僕とキスしたかったって……!
心強さよりも困惑と羞恥が勝つ。こんな顔をみんなに見られたら何を言われるか。すっかり赤くなった首から上を隠すべく、僕は持っていた鞄を掲げた。



