◇◇
「りっくん、図書委員との仕事もう終わったの?」
「うん。さっき先生に承認もらってきた」
「さすが、早いね」
放課後の生徒会室。
隣の席で感心したように言う相手に、僕は照れ笑いで応える。
「想くんが作ってくれたマニュアルのおかげだよ」
五十嵐くん改め、想くんから“偽装カップル”を提案されてから約一ヶ月。
クラスメイトたちに謎の外堀を埋めて来る鵜飼くんに対抗するため、そして女子からの行き過ぎたアプローチに困っているという想くんを助けるために付き合ってるフリをすることになった僕たち。
とはいえ実際にしたことといえば「彼氏が出来たからもう前みたいに遊べない」と鵜飼くんに伝えたくらいで、誰と付き合っているかまでは言っていない。
だけどその効果は絶大だった。
【おい理久】
【生徒会何時に終わんだよ】
【俺ずっと待ってんだけど】
【早く来い】
PC作業が一段落したところでさっきから震えっぱなしのスマホを手に取れば画面には、クラスのグループトークに怒涛の勢いで飛んでくる鵜飼くんのメッセージ。個人の方にも似たような通知が来ている。
──少し前なら、こうなったら断ることは出来なかった。
──でも今は。
【また鵜飼が阿澄くんに絡んでる】
【やめなー?阿澄くん彼氏と帰るかもしんないじゃん】
【人生初の彼氏だからあんま邪魔してやるなって、鵜飼が言ったのに】
現在進行形で上がり続ける鵜飼くんからのメッセージに、クラスメイトの何人かが反応している。僕に恋人が出来たことは鵜飼くん経由でみんなに広まったらしく、今ではこんな風に止めてくれるようになった。
──彼氏ってところまで共有されるとは……でもみんなの反応は普通だった。
──想くんも“彼女がいる”って情報だけで告白してくる人がだいぶ減ったって言ってたし……少しは力になれたのかな。
「LIME、鵜飼から?」
手元の資料を一度閉じた想くんが、呆れ半分といった声音で聞いてくる(彼のスマホは微動だにしないところを見ると、グループトークはミュートされているんだろう)。
「うん。待たなくて良いよって、さっきも教室で直接言ったんだけど」
「諦め悪いね」
「一日くらい付き合った方が良いのかなぁ」
「ダメ。それは“彼氏”の俺が許さない」
「……っ」
食い気味に即答されて心臓が跳ねる。
──……まただ……。
仮に偽装カップルの設定を出すにしてもみんながいる時にやれば良いと思うんだけど、想くんはこうして二人だけの時によく“彼氏”発言をする。
──本気じゃないって分かってるのに、何度も言われるとどうしても意識してしまう……!
いい加減心臓がもたないし、やめてもらうようお願いしてみようか……と考えたちょうどその時。生徒会室のドアが外側からゆっくり開かれた。
「──お、二人とも早いね」
「小川会長!」
中に入って来たのは三年生の小川先輩だ。
この学校の生徒会長で、整った容姿と朗らかな笑顔が目を引く。
柔らかい雰囲気からも分かる通り面倒見が良くて、どんなに忙しそうな時も丁寧に生徒会の仕事を教えてくれた。
「お疲れ様です」
「お疲れー。先生から聞いたよ阿澄くん、土曜日の校外活動も出てくれるんだって?」
「あ、はい。ちょうど予定が空いてて」
「先々週もそれ言ってたよ」
想くんの横からひょこ、と顔を覗かせる小川会長。彼を前にして頬を染めない女性もいるんだな……と初見は感動したものだ。
「頑張ってくれるのはありがたいけど無理しないでね。毎回休日が潰れるのは嫌でしょ?」
「……ほんとに駄目な時はちゃんと連絡します」
今のところは僕にとっても都合が良いので大丈夫です……とは敢えて言わないでおく。
『人手が足りないから来てくれない?』と想くんに誘われた時は僕に生徒会の仕事が務まるだろうか……って不安だったけど、みんな親切だし頑張った分だけ評価や感謝の気持ちで返ってくるのがすごく楽しい。
──何より、鵜飼くんが介入出来ないところに居場所を作れたのが大きい。
クラスではあくまで鵜飼くんのおまけの僕が、生徒会ではそんなイメージと関係なくただの一個人として見てもらえる。
ついこの間まではこんな充実した高校生活が送れるとは思わなかった。それもこれも全部想くんのおかげだ。
「阿澄くんが入ってくれてから、仕事がどんどん回ってすごく助かってるんだよー」
「それは、想くんが色々サポートしてくれるので……」
「でも最近だとりっくんが先に気づいて動くことの方が多いよね」
「……ん?君たち、いつから下の名前で呼び合うようになったの?」
「……あれ……?」
やりとりの中でそう首を傾げる小川会長に、僕も目を瞬かせる。
──そういえば、いつからだっけ。
──確か、『カップル設定が公になった時のために呼び方変えとかない?』って想くんに言われて、それから……?
詳しい経緯を思い出せなくてふと隣を見れば、数分ぶりに想くんと目が合ってゆるりと微笑まれる。
偽装の恋人に見せるにはもったいほどの甘やかな表情に、名前呼びのことなんてどうでもよくなってしまった。
◇◇
「りっくんの家ってここ?」
「うん。ありがとう、想くん」
学校を出る頃にはとっくに日が暮れていた。
同じ最寄り駅とはいえ、自宅からそこそこ離れているはずの僕の家まで送ってくれた想くんにお礼を言う。
「僕が『夜道は怖い』なんて言ったから気を遣わせちゃったよね。ごめん……」
「どっちみち送るつもりだったから。“彼氏”として当然だよ」
「……あのさ、想くん」
家族の誰かに気づかれる前にと口を開けば、「ん?」と指通りの良さそうな髪が揺れた。
「その、“彼氏”ってやつ」
「うん」
「二人きりの時まで恋人設定は守らなくても良いんじゃないかな……。これだとほんとに付き合ってるのと変わらないっていうか」
言ってからしまった、と思った。
これだと僕が想くんに、本当のカップルになるよう迫ってるみたいに聞こえないか。そんなおこがましいことちっとも考えてないのに!……恋人扱いされる度に心臓がもたないくらいには、想くんを意識しちゃってるけどもっ。
「……りっくん」
「なっ、なに?」
「もしもさ」
ひとり慌てふためく僕とは裏腹な、落ち着き払った想くんの声。
「俺が“そう”なりたいって言ったら?」
「“そう”って……?」
「設定じゃなくて、りっくんの本当の彼氏になりたいって言ったら……迷惑?」
「……え」
──理解するのに時間がかかった。
“本当の彼氏”。
そこだけやけにクリアに残って、耳やその周辺を急速に熱くさせる。
「え、ほ、ほんっ……!?」
うまく口が回らないし──回ったとしてもなんて答えれば良いのか。
想くんは返事を急かすことなく、緩めたまぶたの隙間から僕を見ている。
──“もしも”って言う割には冗談でもなさそう……。
僕らを包む空気は、完全に告白の時のそれだった(告白なんてされたことないけど)。
「…………迷惑じゃ、ない」
とりあえず何か言わなきゃと絞り出した声はずいぶんと頼りない。
「でも……どうして僕なのかな、とは思う」
そこまで続けて、想くんの視線から逃げるように目を伏せる僕。
だって本当に分からない。
想くんは穏やかで優しくて、おまけに顔もスタイルもモデル並みに良い。学校の廊下を歩くだけで女子が色めきたって、僕と偽装カップルになるまでは告白され過ぎて困っていたという。
そんな人が、どうして僕なんかの本当の彼氏になりたいなんて。
「……好きにならない方がおかしいと思うけど」
「へ?」
「ううん、なんでもない」
どれだけ自分のことを振り返ってみても、好きになってもらう要素が見つからない。やっぱり冗談だったのか……と結論付ける間に、想くんが何か言ったのを聞き逃してしまった。
「ご、ごめん。ぼーっとしてた」
「ただのひとりごとだから大丈夫。俺もう行くね」
想くんが一歩動くのに反応して玄関のセンサーライトがついた。それだけもう遅い時間なんだ、早く返してあげないと。
「ほんとにありがとう。また明日……!」
「……ふふ。りっくんの耳真っ赤」
センサーライトの、乳白色の光に照らされたことでバレたらしい。
さっきからちっとも冷える気配のない耳に、想くんのひんやりした指が触れる。あまりにも心地良かったのと……少しの期待でその手に軽く擦り寄れば、アイスグレーの瞳がすぅ、と細まっていくのが見えた。
──中学時代ぶりに芽生えそうな気持ちを飲み込むのに精一杯で、僕はすっかり失念していた。
──センサーライトに照らされた玄関がいかに人目を引くのかと……僕の家の隣には誰が住んでいるのかを。



