放課後、チューニング不安定な俺たち

 学園祭が目前に迫り、軽音部は連日遅くまで練習を続けている。
 俺――軽音部の公認記録係は、音楽室の隅っこでカメラを構えていた。

 それにしても、だ。
 あのエアドロ誤爆事件以来、佐野の「俺だけ透明人間扱い」がマジでキツい。
 他のメンバーとは普通に「今のフレーズ、ちょっとハシった?」とか言って笑い合ってるのに、俺が視界に入った瞬間にすんっ……と温度が下がる。
 
(あの写真、消したのかな……)

 ファインダー越しに、彼のギターを弾く指先を追いながら思う。
 キモがられて即削除されてたら、俺のメンタルは粉々。
 かといって、もし残されてたら……それはそれで「何のために?」ってなって、余計に心臓に悪い。
 結局、俺にできるのは、無機質なシャッター音を響かせることだけだ。

「瀬戸、今日の写真も共有アルバムに上げといて。パンフで使うからさ」

 副部長の高橋先輩に声をかけられ、「あ、はい! 任せてください!」と営業スマイルで返事をする。
 その夜、ベッドの上で一人反省会をしながらアップロード作業。
 ……画面を埋め尽くすのは、案の定、佐野くん、佐野くん、また佐野くん。

(……俺、ストーカーかな? いや、仕事だ。これは仕事なんだ……!)

 自分に必死に言い聞かせても、削除ボタンの上で指が固まる時点で、俺の仕事という言い訳は完全に破綻していた。


 そして運命の木曜日。
 俺のうっかりが、取り返しのつかないレベルで炸裂した。

「ない。……嘘だろ。ない、ない、ないっ!」

 教室でスクールバッグをひっくり返さんばかりに探るけど、あの黒いノートが見当たらない。
 あれは俺の『佐野由良・観察日記』だ。
 どの角度の光が一番彼を綺麗に見せるかとか、ギターを弾く時の唇の癖とか……挙句の果てには「たぶん、好きだと思う」なんて、ポエム全開の告白まで書いてある。もし誰かに読まれたら、俺の高校生活は物理的に終了。社会的死。購買、図書館、下駄箱……どこにもない。

「瀬戸、どうした? 何そんなにスクールバッグ振ってんの。カクテルでも作ってんのか?」

 呆れた声をかけてきたのは、同じ軽音部でクラスメイトの村田だった。

「む、村田っ……ノート! 俺の、黒くて小さいノート見なかった!?」

「は? 知らねーよ。……あ、でも音楽室の隅に落とし物ボックスあるじゃん。昨日部活で落としたんなら、あそこ見てきたら?」

「そ、それだーーーっ!!」

(中身のヤバさは絶対に誰にも言えない……!)

 俺は鞄を掴んで、猛ダッシュで音楽室へ向かった。
 ボックスの中をひっくり返しても、あるのは錆びたシールドと誰かのピックだけ。 

(終わった。佐野くんに見られたら、俺、もうこの学校に通えない……!)

 その夜、俺は布団の中で「明日の朝、タイムリープしてないかな……」なんて現実逃避をしながら、一睡もできなかった。

 週明け。
 俺は魂が抜けたような顔で、一人居残って音楽室の片付けをしていた。
 椅子を畳み、マイクスタンドを片付けていると、背後で扉が開く音がした。

「……まだいたのか、瀬戸」

 少し低めで、不良っぽいトゲのある声。佐野だ。

「あ、うん。……お疲れ様」

「これさ、お前のだろ」

 彼がズボンのポケットから取り出したのは、紛れもなくあの「黒いノート」だった。
 俺の心臓が、ガツンと音を立てて止まった。

「え、あ、どこで……っ」

「先週、譜面台の下。名前書いてあったから拾った」

 佐野が俺にノートを差し出す。受け取る指先が震えすぎて、もう生まれたての小鹿状態だ。

「な、中身……見た?」

「見てない。……安心しろよ」

 佐野は真顔だった。嘘をつくようなタマじゃないのは知ってるけど……でも、微かに彼が視線を逸らしたのを、俺は見逃さなかった。

(……え、これ絶対どっか一ページくらい見てるよね!? 『好き』のページじゃないよね!? 頼むからそうであってくれ!)

「……ありがとう。助かった」

「ああ」

 佐野は踵を返し、扉のところでふと足を止めた。

「……フルネームじゃ無かったらお前のってわからなかったよ」

 背中越しにそれだけ言って、彼は去っていった。

 ――それからだ。
 佐野が、妙に話しかけてくるようになった。

「今日の写真、SNS用にデータくれ。あと、こっちの角度のも」

 そういう事務的な話だけ。でも、これまでの無関心が嘘みたいに距離が近い。
 ある日の放課後なんて、俺の隣にドカッと座ってスマホを覗き込んできた。

「写真、どれがいいか選ばせろ」

「え、ちょっ、佐野くん、近い……っ、シトラスのいい匂いするし……」

(あ! 心の声が!)

 彼の手が画面をスクロールして、止まった。
 それは、彼がふと窓の外を見上げた時の、最高に無防備な後ろ姿の写真。

「……お前って、いつも俺のこと撮ってるよな」

(ゲッ、バレた! いや、記録係だし! 仕事だし!)

「そ、それは、その……記録係だからさ! 平等に……」

「嘘つけ。他の部員の三倍はあるぞ」

(うわあああ! 数えてたの!? こわっ! 佐野くん意外とマメなの!?)

「別に、責めてねーよ」

 降ってきた声は、意外なほど優しかった。
 顔を上げると、少しだけ意地悪そうに、でも柔らかく笑う彼と目が合った。

「……上手いと思うよ。お前の写真」

「あ……ありがとう、ございます」

「エアドロのやつ」

(出た! 禁句!)

「あれ……まだ削除してねーから」

 さらっと爆弾発言を投下して、彼はギターを担いで帰っていった。

 ……削除してない? あの、超至近距離で撮った、寝顔みたいな写真を?
 夕焼けで真っ赤になった音楽室に一人。
 俺の心臓は、カメラのシャッター音なんて比べ物にならないくらいの爆音で、ドキドキと鳴り続けていた。

(……これ、もしかして俺、まだ生きてていい感じ?)