放課後、チューニング不安定な俺たち

 翌日から、佐野は俺に対して何も言わなくなった。
 怒りの言葉も、呆れた溜め息も、問い詰めるような視線も、なにひとつない。
 なんとなくの距離感さえ、放課後の教室からそっくりそのまま消え去った。

 軽音部の練習中、俺がカメラを構えていても、佐野は気にしないそぶりを見せる。
 以前なら「ちゃんと俺のことイケメンに撮れてる?」とふざけたり、「その窓際より、こっち側からの光の方が映えない?」と、音楽とは関係のない話もしていた。それが、完全に、なくなった。

 渡り廊下ですれ違っても、目が合いそうになる前にスッと視線を逸らされる。
 部活の連絡用グループLINEはたぶん見ていると思うんだけど。
 俺が投下するメッセージにはスタンプがつかない。

 く……心折れそう。
 ……気まずいよな。
 そりゃそうだ。

 俺は自分に言い聞かせた。
 勝手に意味深な画角の写真を撮って、しかもそれを突然AirDropで送りつけるなんて、どう考えても非常識だ。
 つうか、意味わからない。
 俺が佐野の立場でも普通に引く。

 佐野が距離を置くのは当然だと思うからこそ、謝りたいんだけど。
 てか、謝るようなことなのかもわかんないんだけど。
 LINEみたいな文字じゃなく、ちゃんと自分の言葉で、直接。

 その機会は、中々巡ってこない。

「あ、あ、あ、あ、あー、あのさ、佐野」

 放課後の音楽室。
 アンプの片付けを終えて、ギターケースのファスナーを閉めている佐野の背中に近づいた。
 佐野は少しだけ肩を揺らし、俺の方を振り向いた。

「俺、お前に謝りた……」

「別にいいよ」

 即答。

「え、あの、あれ」

 佐野はファスナーを閉め終えると、ギターケースを肩にかけた。
 エアドロ事故を掘り下げるわけでも、怒鳴るわけでもなく、ただ「ああ」とだけ言って――俺の横を通り過ぎていった。
 故意に無視しているという感じじゃないけど、なんて言葉が一番合うかな。

 ――無関心。だ。

 それが、胸ぐらを掴まれて怒られるよりずっと、心に深く堪えた。

(終わったこれ。完全に嫌われた。もしくは「コイツきっしょ」って軽蔑された)

 ファインダー越しに追いかけ続けていたこと。
 その写真を、事故とはいえ本人に送ってしまったこと。

 俺の中にあった記録係としての仕事だから、という薄っぺらい言い訳は、あの瞬間に完全に崩れ去っていた。

 俺は、佐野を被写体として見ているんじゃない。
「佐野由良」という存在に、特別な感情を抱いている。
 隠し通せれば、平和な高校生活送れていたのに!
 今、その相手との間に分厚くて透明な壁ができてしまい。
 まじで泣きそう。

 部の共有アルバムへの投稿は、あの日以来止まっていた。
「今週分の写真もアップよろしくな」と部長から言われているのに、踏み出せない。
 スマートフォンの写真フォルダを開く。
 そこには相変わらず、佐野の綺麗な横顔、佐野のギターのコードを押さえる指先、佐野が無防備に笑う瞬間の写真が並んでいる。

(全部……削除、しちゃうか)

 ゴミ箱のアイコンの上で、指が固まる。
 どうしても、押せない。

「あーもうっ! 俺のバカ! 変態! うっかりの次元超えてるだろ!」

 ベッドの上でジタバタと悶え苦しんだ俺は、ついに一人で抱えきれなくなり、藁にもすがる思いでスマートフォンをタップした。
 送り先は、中学からの腐れ縁である佐久間萌生(さくまめい)

『緊急招集ハルくんの大ピンチ。たすけてぇ(´;ω;`)ウゥゥ』

 送信して数秒後。
 画面に即座に通知が浮かぶ。

『たすけてぇ(´;ω;`)ウゥゥ ってなんでも可愛く言えば済むと思ってんじゃないわよ!? うちの学校もテスト前なんだから、勉強だったら手伝わないから』

『ちがくてー……』

『じゃあ何。とりあえず駅前マック。ダブチーセットにポテトのLサイズ追加で』

 ――かくして、部活動停止期間に入った放課後。
 俺は駅前のマクドナルドの端の席で、ストローを虚無の顔で噛んでいた。

「で? 大ピンチって何よ。ハルがそこまで落ち込むなんて、カメラのレンズでも割った?」

 向かいの席でポテトのLサイズを豪快に頬張っているのは、他校に通う萌生だ。
 県内でも『制服が可愛い』と有名な女子高のブレザーを着こなす彼女は、ゆるふわなボブヘアにパッチリした目の、いわゆる「小動物系女子」。
 俺と少し雰囲気が似ているらしく、中学の頃から並んで歩いていると「兄妹?」とよく間違われた。

 ただ、見た目のふわふわ感とは裏腹に、中身は完全に「イケメン」だ。
 決断力があり、男前で、俺のくだらない悩みもバッサリ斬り捨ててくれる、頼れるオカン……いや、アニキである。

「レンズより大事なものを砕かれた。俺の、尊厳とか、青春とか……」

「そりゃ随分と重いわね。何やらかしたの」

「……佐野くんに」

「おっ、ハルの推し! 顔面国宝の佐野くんがどうしたの?」

 萌生の目が少しだけ輝く。
 俺が写真を送りまくったせいで、彼女はすっかり佐野の隠れファンになっていた。

「佐野くんに……間違えて、佐野くんのドアップ激写写真を、AirDropで送りつけた」

「……」

「……」

「……は?」

 萌生の手から、ポテトが一本ポトリと落ちた。

「え、待って。情報が処理しきれない。AirDropで? 本人に? 本人の写真を?」

「うん」

「しかも、ハルがいつも撮ってるあの、息止めて狙い澄ましたような、激エモなやつを?」

「うん……っ」

 俺が両手で顔を覆って机に突っ伏すと、萌生は天を仰いだ後、腹を抱えて笑い出した。

「あっははははは! あんたバカじゃないの!? いや、バカだわ! ハル、それ社会的な死じゃん!」

「笑い事じゃないってばぁ! 俺、マジで立ち直れてない……」

「で、佐野くんの反応は? ドン引き?」

「『コレってどういう意味あんの』って、氷点下の声で言われた……。その翌日から、完全に俺のこと透明人間扱い。話しかけても『別にいいよ』って即答でスルー。完全に嫌われた……気持ち悪いって思われたんだ……うぅっ」

 ガチ凹みする俺を見て、萌生は笑い転げるのをようやくやめ、残りのポテトをコーラで流し込んだ。

「んー、まあ確かに気持ち悪いっちゃ気持ち悪いけど」

「追い打ちかけないで泣くから!」

「でもさ」

 萌生が、ふっとイケメンの顔つきになる。

「佐野くん、本当にハルのこと嫌ってんのかな」

「嫌ってるでしょ。だって無視だよ?」

「ハルさ、自分が逆の立場だったらどうする? あんまり話したことないクラスメイトから、自分の超絶エモい写真が不意打ちで送られてきたら」

「……え? そりゃ、ビビるし、何目的!? って警戒する」

「でしょ? 普通なら、もっとあからさまに距離を取るか、他の部員に『あいつヤバい』って愚痴るか、最悪キレるわよ。でも、佐野くんはただ『無関心』を装ってるだけでしょ?」

 萌生の言葉に、俺は少しだけ顔を上げた。

「……どういうこと?」

「怒ってるっていうより、どう反応していいか分からなくて戸惑ってるんじゃないの? 佐野くんって、不良っぽく見えて意外と真面目というか、硬派なんでしょ?」

「うん。部活のまとめ役だし、音楽には超ストイック」

「じゃあ、なおさらキャパオーバーしてんのよ。……それにさ」

 萌生はニヤリと笑って、俺を指差した。

「ハル、あんた自分のこと『ただの記録係』とか言ってるけど、その写真、愛がダダ漏れなのよ。本人知らない私が見ても『このカメラマン、被写体のこと絶対好きじゃん』って分かるレベルなんだから」

「なっ……!?」

「送っちゃったもんは仕方ない。嫌われたって決めつけてウジウジしてないで、ちゃんとタイミング見て誠心誠意謝りなさいよ。ハルのその愛くるしいワンコみたいな顔で必死に謝れば、大抵の男は許すから」

「俺は男だっつーの!」

 俺が抗議すると、萌生は「はいはい」と適当にあしらいながら立ち上がった。

「さて、事故報告(恋バナ)も聞いたし、私は塾行くわ。ハル、あんたもテスト勉強しなさいよ。赤点取って部活停止になったら、それこそ推しの顔、拝めなくなるわよ」

「……うっ。分かってるよ」

 マックを出て、駅の改札で萌生と別れる。
 彼女の男前なアドバイスのおかげで、少しだけ胃の痛みが軽くなっていた。

(どう反応していいか分からなくて、戸惑ってるだけ……か)

 だとしたら。
 嫌われたわけじゃないなら、まだ、俺にできることがあるかもしれない。

 夕焼け空を見上げながら、俺は小さく深呼吸をした。
 とりあえず、次の部活で……もう一度だけ、ちゃんと謝ってみよう。

 そう決意したはずなのに、その数日後、さらなる大うっかりをやらかして、再び致死量の絶望を味わうことになるとは、この時の俺は知る由もなかった。