桜餅と恋心



 左近を目の前にして茶菓子を飲み込むなんて難しい。
 真之介は急いで茶で飲み込んだ。

「甘い物が好きなのか」
「は、はい」
「そうか」

 左近は視線を逸らすと川の方を見た。

「最近、忙しくて花見どころではなかったな」

 左近が遠い目をして云った。見つめる先の桜はほぼ葉桜になっていた。

「なんだよ。葉ばかりだ」

 云い方がおかしくて、真之介は思わず吹きだした。

「何がおかしい」
「いえ、申し訳ありません」
「ふん」
「あの、頼みましょうか?」
「ん? 何を」
「桜もちです。桜の葉の香りがしてうまいですよ」
「甘いものは苦手なんだ」

 どう答えていいか分からなかった。

「好きなのか?」
「え?」
「桜もちだ。うまそうに食っているから、思わず坐ってしまった」
「そうでしたか」

 真之介が納得すると、左近がじっと見つめていた。

「あの……、何か?」
「ああ、いや。すまん、俺は今嘘をついた」
「……え?」
「あとをつけていた。お主が今日は元気がなかったから心配していた。もう大丈夫なのか?」
「え……?」
「いつも元気に走り回っている奴が道場の隅でしおれていたら、心配するじゃないか」

 聞き間違いだろうか、と真之介はぼんやりと思った。
 こんな自分を気にかけてくださっていたのか。

 嬉しさがこみあげてくる。
 真之介はフフッと笑った。
 笑った拍子に涙が一つ零れた。

「辛いことがあるのか? 俺でよければ話を聞くが……」

 云ってしまおうか。
 本当に縁談をするのですか?
 しかし真実なら、お祝いの言葉を伝える覚悟ができていない。
 逡巡すると左近の腕がふっと真之介の髪に伸びた。

「あ……」
「花びらだ、ついておるぞ」

 笑う顏に引き寄せられる。目を離せられない。
 どうしよう。とても好きだ。
 無邪気な笑顔。
 誰にでも優しい寛大なお人だから。
 顔を見ていると苦しくて泣きそうになる。

「か、かたじけのうございます。都築さまに気を使わせてしまいまして、申し訳ありませぬ」
「かまわんさ、俺にとってお前は大事な門弟(もんてい)だからな」

 ぽんと肩を叩かれる。

「では俺も、遅い花見を楽しむとするかの」

 茶汲女に注文を取り、酒を頼んだ。酒はすぐに出てきた。
 隣で酒を飲む左近を見つめながら、真之介は唇を噛んだ。

 このままでいいじゃないか。
 そばにいられるだけでいいんだ。
 自分の気持ちは打ち明けてはならぬ。

「あ……」

 その時、手の平を温かいものが包み込んだ。
 隣を見ると、まっすぐに川を見つめた左近が呟いた。

「桜がきれいだの」

 さっき、葉桜ばかりだと云ったのに。
 左近の手が触れている間、体中の熱が燃えるようで、血が(たぎ)っていた。
 がんがんと心臓の音が頭の中で鳴り響いている。

「お主の元気な顔を見るのが俺の楽しみだ。聞きたいことがあるなら、遠慮せず聞け」

 食い込むような指先を感じて体が熱い。
 坐っているのに、自分がどこにいるのか分からなくなりそうだった。

「聞いているのか? 真之介」
「あ、あの……、驚いて声が……」

 左近が笑った。

「俺が欲しければついて参れ」

 すくっと立ち上がり勘定を払った。真之介の分まで払い、土ぼこりの道を歩き始める。

 今すぐ、今すぐ立ち上がれっ。

 真之介は自分に云った。
 男ならここで立ち上がって追いかけろ。
 草履を踏ん張り立ち上がる。

 ふらりと体が(かし)いだが、なんとか体制を整えた。
 左近がゆっくりと歩いている。
 真之介は走った。
 心の中で叫びながら追いついた。

「つ、都築さまっ」
「うん……。さっきから同じことしか云っておらぬが、……綺麗だの」

 左近は川の方を眺め、それからきゅっと唇を結ぶと黙って歩き出した。
 今すぐ腕につかまり、手を握りしめたい。
 慾望に揺さぶられながら、真之介はふらふらと左近について行った。
 左近も黙ったまま、どこへともなく歩いてゆく。


              了