胃袋掴むにゃ科学から!

  放課後、ほとんどの生徒は部活に勤しむ時間。
 それは俺――高木優斗も例外ではなく、今日も今日とて科学室で実験に耽っている。
 ほぼ年功序列で部長となって早数ヶ月、部員達を纏めるのには多少苦労したが、今では皆楽しく実験をしているようで何よりだった。
 フラスコを傾けながら、不意に窓の外を見る。そこには数々の運動部の姿があり、、皆泥にまみれながら必死に練習をしていた。
 その中に、一際目を惹く存在があった。
 それは、サッカー部のエースストライカーの姿だった。
 漫画でしか見たことのないような体勢で軽々とシュートを決める姿に、女子マネージャーをはじめ、見学している女子達から黄色い声援が上がっている。
「凄いですよね。不知火先輩」
 そんな光景を見ていると、不意に後輩部員がそう話かけてきた。
「なんでも、もう大学からオファーがきてるとか」
「そうなのか?」
「はい。クラスの女子が騒いでましたよ」
「そうか」
 俺にはそんなこと、一言も言っていないくせに、と内心怒りのようなものが芽生えるが、今は抑えて後輩の話を聞くことにした。
「ルックス良し、身長良し、おまけに運動神経抜群だなんて……俺とは大違いですよ」
 自虐的に笑う後輩を尻目に、視線を再びサッカー部へと移す。
 確かに運動神経は抜群だが、頭は空っぽの脳ミソ筋肉だと知ったら、後輩はどう思うのだろうか。
 そんなことを考えて、クスッと笑むと後輩が不思議そうにこちらを見ていた。
「部長、不知火先輩と親しいんですか?」
「まあな」
「そうなんだ……なんか意外ですね。こう、正反対っていうか」
「そうか?」
「あっ! すみません……失礼なことを」
 そう言って肩をすくめた後輩に、なんてことないと言うように首を横に振って見せる。
「気にするな。よく言われる」
「そうなんですか?」
「ああ。実際、正反対だしな」
 あちらは運動神経抜群に加えてイケメンで高身長。それに比べて、こちらは平平凡凡ときた。
 正反対と言われても仕方がないだろう。
 だが、あのエースストライカーの秘密を知っているのは俺だけだ。それは秘かな優越感であり、誰にも漏らしていない、漏らしたくない秘密であると言えた。
「さあ、おしゃべりはここまでだ。実験に戻れ」
「はい!」
 まだ大きな白衣を靡かせて自身の定位置へと戻っていく後輩の背を見て、僅かに口角を上げる。
 あの男の秘密がもうすぐやってくる。
 その時間を待ちわびるように、俺は早々に終えた実験の道具を片付けながら、他の道具の準備を始めた。


 下校時刻の鐘が鳴り、どこの部活も部員達や顧問の先生が帰宅していく頃合い。
 俺は特別に科学室の使用を認められているため、誰も居ない科学室で今日の実験レポートを書いていた。そんな時、窓からコンコンと誰かがガラスを叩く音が耳に入ってくる。
そこには、いつものように窓から顔を覗かせる幼馴染の不知火衛の姿があった。
「腹減った~、優斗いつものくれ~」
 窓越しにそう言い、くた~ともたれかかる衛を見て、嬉しさを感じているのを隠すように溜め息を吐く。
「ここは科学室だって何回言えば分かるんだ……」
 そう言いつつも、いつも用意しているチキン味のインスタントラーメンを手で割り、ビーカーの中へ放り込んで湯をかける。
 3分待った後、出来上がったそれを攝子と一緒に渡すと、衛は笑顔でラーメンを勢い良く啜った。
「うん! 美味い! やっぱ部活後はこれだよな!」
「ただのインスタントラーメンだろ……」
「腹減ってんだもん。それに、優斗が作るとなんか普通のより美味く感じるし」
「……っ!」
 不意に言われた言葉に思わず赤面してしまう。
 この男は昔から超の付く鈍さで、こちらの好意など全く気がついていないからタチが悪い。
 俺がどんな気持ちで毎日こうして衛の部活が終わるまで待っているかも知らないで。
「でも、毎日同じ味じゃ飽きるだろ」
「まあ、な。でも弁当作ってくれるような彼女とか居ないしさ、俺はこれで十分だよ」
「彼女……」
 呟いてから、弁当という発言に頭の中の電球がピカッと点灯する。
「それじゃあ……弁当があったらより嬉しいってことか?」
「ん~、まああったら良いよな。ちょい憧れだし」
「そうか……」
 ふむ、と考えてから空になったビーカーを受け取る。
 汁まで飲み干してあるそれを見て、これでは塩分過多ではないだろうかと思う。衛にはもっと健康的な食事を摂ってほしい。
「衛、今日は先に帰ってもらってもいいか? まだ少しやりたいことがあるんだ」
「いいけど、下校時間大丈夫か?」
「ああ。先生には上手く説明するさ」
「分かった。それじゃあ、また明日な!」
「ああ、またな」
 帰宅する衛を見送り、自分も急いで帰り支度をする。
 一番近くのスーパーが衛の下校ルートとは真逆なことに感謝して急いでそこへと向かった。


   ***


「材料は買ってきたが……料理なんてまともにしたことがないな」
 翌朝、普段よりもかなり早く起きて、ずらりと並んだ食材を前に呟く。
「料理は科学に通ずるものがあると聞いたし、まあなんとかなるだろう」
 何から作ろうかを考えて、まずは冷ます必要のあるものからにしようと鶏肉を掴む。
「まずはメインの鶏のから揚げからだな」
 一口サイズに切った鶏肉をボウルに入れて、調味料を入れて揉み込む。最後にマヨネーズを入れてさらに揉み込んだ。こうすると、マヨネーズに含まれる乳化された植物油が鶏肉のたんぱく質に作用してやわらかくなるため、冷めてもジューシーなから揚げになる。
「これを熱した油で揚げて……しっかり油をきる。冷めるまでに他もやるか」
 そう呟いて、次はにんじんを千切りにしていく。
 慣れない包丁に苦戦しながら、頭の中に弁当を頬張る衛の顔を思い浮かべる。
 アイツのことだ、真っ先に食べるのはから揚げで、口元を油や衣でベタベタにするに違いない。念のためにウェットティッシュを持って行った方がいいだろうか。
 そんなことを考えながら切ったそれを油で炒めて、少し冷めたところで食べやすい本数に分けて味付けのりで巻いていく。
 にんじんは油で炒めると脂溶性ビタミンであるβカロテンの吸収率がグンと上がる。さらに海苔で巻くことで一口で食べやすくなるのと、味付け海苔の塩味が甘いにんじんによく馴染んで美味くなる。
 衛に好き嫌いはないが、好んで食べる機会のないにんじんでも、こうしてやれば自発的に食べるだろう。
「こっちはこんなもんか。それじゃあ……次はこれにするか」
 そうひとり言を零して、ほうれん草を手に取る。
 泥を落とすように、特に根本をよく洗ってから耐熱容器に入れてレンジで2分ほど加熱して水分をしっかりと絞ってやる。そして、適当な長さに切り分けて白だしで和えたら最後に汁漏れ防止の鰹節をかけて弁当用のミニカップに盛り付ける。
「あとは……これだな」
 最後に衛が昔から好きな甘い玉子焼きを作る。砂糖を多めに入れ、甘さを引き立てる醤油を少々入れて焼いていく。
 俺はどちらかと言うとしょっぱい玉子焼き派だが、衛は昔から甘い玉子焼きを好んで食べていた。これと言って甘党でもないというのに、不思議で仕方がなかったのを思い出す。
「巻くのは……難しいんだな……」
 玉子焼き用のフライパンと菜箸を使って、玉子を巻いていく。砂糖が多いため少し焦げてしまったが、これくらいは想定内だと言い訳をして焼き上げる。
「おかずはこんなもんか……」
 出来上がったおかずを見て、我ながら初めてにしてはなかなかだなと自画自賛をして、家で一番デカイ弁当箱に白米を詰めて、上に疲労回復に効果てきめんなクエン酸を沢山含んだ梅干しを乗せる。
 ここまですれば、あとは作っておいたおかずを詰めておしまいだ。
「これでビーカーラーメンに負けたらその時はその時だ」
 その際は衛の顔面を一発殴るくらいで済ませてやろうと考えて、時計を見る。
 思っていたよりも時間がかかってしまった。
「このままじゃ遅刻だ……」
呟いて、急いで学校の準備をして家を出る。
 少しでも衛が喜んでくれたらいいと思いながら、自分のものとは別のデカイ弁当箱を持って教室へと駆け込んだ。


   ***


 放課後、科学部の生徒や顧問も帰り、静まり返った科学室の窓がコンコンと叩かれる音が鳴り響く。
 そこには部活終わりで泥だらけのサッカーのユニフォームを着た衛の姿があった。
 それを確認して、ガラガラと窓を開けると、衛は軽々と窓のサッシに足をかけて科学室へと入ってきた。
「オイ、靴くらいは脱げよ」
「あっ! 悪い悪い」
 ヘラヘラと笑って、衛はスパイクを脱ぐと窓の側に置いて俺の方へ振り返った。
「これでよし! んじゃ、優斗いつものくれ!」
 大きく手を広げて伸ばしてきた衛に、今朝作ってきたドデカイ弁当を差し出す。
「……へっ?」
「今日はこれだ。毎日ラーメンじゃ栄養が偏るからな」
 きょとんとする衛に早く受け取れと弁当箱を押しつける。
「これ……もしかして優斗が作ったのか?」
「……悪いか?」
「全然! マジで嬉しい! 開けていいか?」
「……んっ」
 頷いて見せると、衛は目をキラキラとさせて弁当の蓋を開けた。
「わぁ……すっげぇ美味そう‼」
 食べる前からはしゃぐ衛を見て、トクンと高鳴る胸に手を添える。
 ここまで喜んでくれるとは思っていなかったのもあり、少しくすぐったい気持ちだ。
「いただきま~す!」
 衛が大口を開けて弁当のおかずを頬張るのをドキドキしながら見つめる。
 自分の持てる知識でなんとか形にはしたものの、味見まではしていなかったので妙な緊張が走った。
「ど、どうだ……?」
「めっっっちゃくちゃ美味いっ‼」
「本当か⁉」
「うん! 特にこのから揚げ! 超うめぇっ! 優斗は料理もできるんだな! スゲェよ!」
「そ、そうか……良かった」
 ホッと胸を撫で下ろし、安心したことから脱力してしまった身体を使い慣れた椅子に預ける。
 衛は次から次へと弁当を食い進めていくと、不意にこちらを見つめてニッコリと笑った。
「優斗は良いお嫁さんになれるな!」
「……っ!」
 そんな言葉に、ドクンっと胸を鳴らしてしまった自分のちょろさを感じながら、満面の笑みを向ける衛を見つめ返す。
 そして、こちらも不意を突くように顔を近づけてほぼ無意識に触れるだけの口づけをする。
「……」
 急なことに目を丸くする衛を見て、そっと離れると衛の視線から逃れるように顔を背けて椅子に座った。
 すると、衛は相当驚いたのだろうか、あわあわと口を開けながら箸を止めて、耳まで一瞬で赤く染め上げていた。
 そんな衛の姿を直視し、こちらもだんだんとこみ上げてきた羞恥に頬を染め上げる。
 無意識だったとはいえ、衛とキスをしてしまったことに変わりはない。
 我ながら、計画性のないことをしてしまったと思ったが、何故かそれに対して後悔といった気持ちは込み上げてこず、寧ろスッキリとした気持ちが熱くなった胸の中を冷やすように吹き抜けていた。
「ゆ――」
「なにも言うな……」
 衛が俺に疑問を問いかける前に言葉を遮ってやる。
 口元を押さえて言うと、衛は躾の行き届いた犬のように口を閉じてそれ以上の言葉を発することはしなかった。
 それをいいことに、俺の方から衛へ声をかける。
「今度は……」
 今、俺の顔はどこまで赤く染まっているのだろうか。見当もつかないことを考えながら次に吐き出したい言葉を必死で思い浮かべる。
「今日のよりもっと美味いもの作ってやるから……その、また食いに来いよな」
 今言える精一杯の言葉を吐いて、唇を噛む。
 そんな俺の姿を見て、衛はきょとんとした様子で俺を凝視する。やはり嫌だったのだろうか。気持ちが悪いと思われてしまったのだろうか。
 そんな思考でめちゃくちゃになった頭でなんとか冗談だと言えないだろうかと考えていると、衛が少しだけ汚れた口元をほころばせて口を開いた。
「……楽しみにしてる!」
 そしてニカッと笑うと、衛はそう答えて再び弁当をガツガツとかきこみ出した。
「って! それでいいのかよっ!」
「らにが?」
 思わず入れてしまったツッコミに対して、口いっぱいにおかずを入れて話す衛に、呆れながら溜息を吐く。
 こういうのを恋愛的な卑怯行為というのだろうか。この男はこちらの気持ちなど微塵も気にせずに淡い恋心を突いてくる。
「まったく……」
 そう呟き、この鈍い男をどうしたら射止めることができるのかを模索する。恋心を掴むにはまず胃袋からとはよく言ったものだ。
 けれど、この鈍さでは恐らく暫くは恋への発展は無理だろう。まあ、仕方がない。
 気づかれないように唇を指でなぞり、そんなことを思いながら、次はどんな栄養満点の弁当を作って驚かせてやろうかと考えるのだった。