「ヒャクミソウ、ここまで集めたのか。」
「ああ、やっぱりお前さんの言うとおり、この葉っぱを混ぜるだけでだいぶ違うねぇ。線積石がスッと溶けるよ。」
「そうだろう。」
「さてはあんた、そんな偉そうなナリして実は大工だな?番匠は花形だしねぇ。」
「知識として得ているだけだ。」
なんとも軽やかに、楽し気に、あの方と話している姉の姿がある。
こちらを向く素振りもない態度に、雨音の心は重く沈んでいく。
……消えたい。ここから、去りたい。
ぎゅっと心臓が掴まれる感覚が雨音を刺す。
そして、それに呼応するかのように、一瞬目の前が明るくなり、モワッと熱気が雨音の顔を吹き抜けた。
「雨音!ほら、見てごらんよ。」
熱気の正体は、炎だった。
「え……?」
いつの間にか、雨音の目の前には焚火が赤赤と燃えている。
「舞鶴お姉さま、これは一体……?」
「明閻の妖術さ。指先一つで火を起こせるなんて、これは便利だねぇ。」
舞鶴は雨音の手を引き、焚火に当てている器の中でじわりと溶けだしている線積石を指さした。
「この石を溶かして、積み石の間に塗るのさ。これを繰り返せばアタシたちの小屋が出来るんだよ。」
「そうなんですね…。」
雨音の細くて長い前髪が、まつ毛にかかる。
どうして?ようやく姉妹の城を築ける手立てができたというのに、こんなにも心が弾まないのは、何故。
どことなく愁いを帯びた、雨音のしなりとした立ち姿に、男の視界の焦点が合わさる。
「雨音、と申すのか。」
「……はい。」
舞鶴お姉さまの名は、呼んでいたのに。私の名は……。
「舞鶴とは着ている物も様子も違うな。」
「ちょっと、様子も、ってなんだい?」
「そのままの意味だが。」
「あのね、この子は遊女じゃないんだよ。アタシらが働いていた宵花楼では厨房にいたんだ。店で接待したときも、そう説明しただろう?この子の作る料理は別格だよ。ね、雨音。」
「あ……えっと…。」
「そうか。それは食べてみたいものだな。」
「食べてみたいってんなら、早く小屋を作って、それから道具を調達しないとねぇ。あんたはあれ、なんとか出来ないのかい?」
「あれ、とは?」
「見りゃわかるだろ!アタシらは長屋から追い出されたんだよ。ご立派なお嬢様たちとやらにねぇ。」
「……それは知っている。」
「はぁ~…。明閻、あんたが何者か知らないけどね、もうちょっと権力のある男だと思ってたよ。」
舞鶴は懐から金子を出した。この金子は、明閻が宵花楼に尋ねた時に貰ったものだ。
「ここでも使えるかと思ったんだけどねぇ。こうして金子をチラつかせても、侍女たちは顔色一つ変えやしない。全く意味ないよ、重いだけだ。」
「ふっ。お前は逞しいな。そんなものであいつらは寝返らぬ。」
「そうかい!全く不憫だねぇアタシらってさぁ。ね、雨音。」
「……。」
「そなたたちを長屋へ戻すことは出来ないが、時々様子を見に来てやる。……っと、そろそろまずいな。では、また。」
男は颯爽とどこかへ歩いていった。
「なんだいあいつは。まぁ、なかなか愉快なところもあるけどさ。」
舞鶴は鼻歌交じりに、器の中の液体をかき混ぜる。
雨音は、そんな舞鶴の様子に足先から冷えるような感覚に襲われていた。
木陰から、衛角がそっと頷く。
それを見た瑠璃姫は、僅かな門の隙間に細い体を滑らせた。
ここは長屋の奥にあった、高い塀の向こう側。今まで見てきた建造物とは違う、より一層豪華で厳格な母屋のような屋敷が正面に建てられている。
「睨んだとおりだわ。」
瑠璃姫は急いで裏戸から建物の中へ侵入した。
薄暗いガランとした厨房で、急いで頭巾をかぶる瑠璃姫。華美な夜の女から、給仕女へ己を投じる。
「雨音姉さまのように振舞っていれば、きっとバレないわ。」
厨房を出て、長い廊下をひたすら歩いていく。
すれ違う者は誰も彼も下働きだけだ。
(官僚のいる場所はまだまだ先のようね。)
廊下を進むにつれて、段々と人がいなくなっていく。
(あたくしのカンは間違えてなさそうね。)
ふと、どこからか話し声が聞こえた。
瑠璃姫がキョロキョロと周りを見回すと、廊下の先に、細やかな彫刻が目立つ扉があった。
そうっと扉へ近づき、耳を澄ます。
「して、若様はなんと?」
瑠璃姫の一番聞きたかった単語が耳に入って来た。
「お披露目はまだだそうだ。継承の儀にて表へ立たれる意向がお強い。」
「継承の儀まではひと月もありまするぞ。何故若様はこのようなお考えで?」
「わかりませぬ。明閻殿もその算段で動いていらっしゃる。若様をお見掛けしてもなにも申すな、と、下々の者にも命を下しているようでして…。」
「はぁ…。さっさと決めてしまえばよいものを。」
「どうやら、明日正午のお茶会にはお見えになるようです。花嫁候補のご令嬢もこぞって出席する貴重な機会でありますからな。明日のお茶会で大方の候補を絞られるのだろう。」
(お…お茶会!?なによそれ!聞いてないわ!)
初めて知る情報に、瑠璃姫は思わず前のめりになる。その拍子に、ゴッ!と小さく握った拳が扉に当たってしまった。
「何奴か!?」
カツカツと慌ただしい足音が扉の向こうで響く。
(しまった…!)
このだだっ広い廊下に隠れる場所など存在しない。
焦る瑠璃姫を、何者かがグッと乱暴に引っ張った。
扉が容赦なく開かれる。
「これはこれは…!」
扉を開けた中年の官僚は、雄々しく立っている男の姿を見て安堵の表情を浮かべている。
「騎刃(きば)殿ではないか。」
「明閻様はお見えに?」
「いいえ、半刻ほど前に顔を出したきり、一度も。」
「そうですか。」
「急ぎのようならば…」
「いや、いい。自分の足で探します。」
騎刃は会話を遮るように、扉を静かに閉めた。そして呆れ顔で振り返り、自分の後ろで小さく隠れている瑠璃姫の肩を軽く叩く。
「こんなトコロでなにしてんだ、性悪女。」
「ああ、やっぱりお前さんの言うとおり、この葉っぱを混ぜるだけでだいぶ違うねぇ。線積石がスッと溶けるよ。」
「そうだろう。」
「さてはあんた、そんな偉そうなナリして実は大工だな?番匠は花形だしねぇ。」
「知識として得ているだけだ。」
なんとも軽やかに、楽し気に、あの方と話している姉の姿がある。
こちらを向く素振りもない態度に、雨音の心は重く沈んでいく。
……消えたい。ここから、去りたい。
ぎゅっと心臓が掴まれる感覚が雨音を刺す。
そして、それに呼応するかのように、一瞬目の前が明るくなり、モワッと熱気が雨音の顔を吹き抜けた。
「雨音!ほら、見てごらんよ。」
熱気の正体は、炎だった。
「え……?」
いつの間にか、雨音の目の前には焚火が赤赤と燃えている。
「舞鶴お姉さま、これは一体……?」
「明閻の妖術さ。指先一つで火を起こせるなんて、これは便利だねぇ。」
舞鶴は雨音の手を引き、焚火に当てている器の中でじわりと溶けだしている線積石を指さした。
「この石を溶かして、積み石の間に塗るのさ。これを繰り返せばアタシたちの小屋が出来るんだよ。」
「そうなんですね…。」
雨音の細くて長い前髪が、まつ毛にかかる。
どうして?ようやく姉妹の城を築ける手立てができたというのに、こんなにも心が弾まないのは、何故。
どことなく愁いを帯びた、雨音のしなりとした立ち姿に、男の視界の焦点が合わさる。
「雨音、と申すのか。」
「……はい。」
舞鶴お姉さまの名は、呼んでいたのに。私の名は……。
「舞鶴とは着ている物も様子も違うな。」
「ちょっと、様子も、ってなんだい?」
「そのままの意味だが。」
「あのね、この子は遊女じゃないんだよ。アタシらが働いていた宵花楼では厨房にいたんだ。店で接待したときも、そう説明しただろう?この子の作る料理は別格だよ。ね、雨音。」
「あ……えっと…。」
「そうか。それは食べてみたいものだな。」
「食べてみたいってんなら、早く小屋を作って、それから道具を調達しないとねぇ。あんたはあれ、なんとか出来ないのかい?」
「あれ、とは?」
「見りゃわかるだろ!アタシらは長屋から追い出されたんだよ。ご立派なお嬢様たちとやらにねぇ。」
「……それは知っている。」
「はぁ~…。明閻、あんたが何者か知らないけどね、もうちょっと権力のある男だと思ってたよ。」
舞鶴は懐から金子を出した。この金子は、明閻が宵花楼に尋ねた時に貰ったものだ。
「ここでも使えるかと思ったんだけどねぇ。こうして金子をチラつかせても、侍女たちは顔色一つ変えやしない。全く意味ないよ、重いだけだ。」
「ふっ。お前は逞しいな。そんなものであいつらは寝返らぬ。」
「そうかい!全く不憫だねぇアタシらってさぁ。ね、雨音。」
「……。」
「そなたたちを長屋へ戻すことは出来ないが、時々様子を見に来てやる。……っと、そろそろまずいな。では、また。」
男は颯爽とどこかへ歩いていった。
「なんだいあいつは。まぁ、なかなか愉快なところもあるけどさ。」
舞鶴は鼻歌交じりに、器の中の液体をかき混ぜる。
雨音は、そんな舞鶴の様子に足先から冷えるような感覚に襲われていた。
木陰から、衛角がそっと頷く。
それを見た瑠璃姫は、僅かな門の隙間に細い体を滑らせた。
ここは長屋の奥にあった、高い塀の向こう側。今まで見てきた建造物とは違う、より一層豪華で厳格な母屋のような屋敷が正面に建てられている。
「睨んだとおりだわ。」
瑠璃姫は急いで裏戸から建物の中へ侵入した。
薄暗いガランとした厨房で、急いで頭巾をかぶる瑠璃姫。華美な夜の女から、給仕女へ己を投じる。
「雨音姉さまのように振舞っていれば、きっとバレないわ。」
厨房を出て、長い廊下をひたすら歩いていく。
すれ違う者は誰も彼も下働きだけだ。
(官僚のいる場所はまだまだ先のようね。)
廊下を進むにつれて、段々と人がいなくなっていく。
(あたくしのカンは間違えてなさそうね。)
ふと、どこからか話し声が聞こえた。
瑠璃姫がキョロキョロと周りを見回すと、廊下の先に、細やかな彫刻が目立つ扉があった。
そうっと扉へ近づき、耳を澄ます。
「して、若様はなんと?」
瑠璃姫の一番聞きたかった単語が耳に入って来た。
「お披露目はまだだそうだ。継承の儀にて表へ立たれる意向がお強い。」
「継承の儀まではひと月もありまするぞ。何故若様はこのようなお考えで?」
「わかりませぬ。明閻殿もその算段で動いていらっしゃる。若様をお見掛けしてもなにも申すな、と、下々の者にも命を下しているようでして…。」
「はぁ…。さっさと決めてしまえばよいものを。」
「どうやら、明日正午のお茶会にはお見えになるようです。花嫁候補のご令嬢もこぞって出席する貴重な機会でありますからな。明日のお茶会で大方の候補を絞られるのだろう。」
(お…お茶会!?なによそれ!聞いてないわ!)
初めて知る情報に、瑠璃姫は思わず前のめりになる。その拍子に、ゴッ!と小さく握った拳が扉に当たってしまった。
「何奴か!?」
カツカツと慌ただしい足音が扉の向こうで響く。
(しまった…!)
このだだっ広い廊下に隠れる場所など存在しない。
焦る瑠璃姫を、何者かがグッと乱暴に引っ張った。
扉が容赦なく開かれる。
「これはこれは…!」
扉を開けた中年の官僚は、雄々しく立っている男の姿を見て安堵の表情を浮かべている。
「騎刃(きば)殿ではないか。」
「明閻様はお見えに?」
「いいえ、半刻ほど前に顔を出したきり、一度も。」
「そうですか。」
「急ぎのようならば…」
「いや、いい。自分の足で探します。」
騎刃は会話を遮るように、扉を静かに閉めた。そして呆れ顔で振り返り、自分の後ろで小さく隠れている瑠璃姫の肩を軽く叩く。
「こんなトコロでなにしてんだ、性悪女。」
