舞鶴は困っていた。
自分の傍を離れず、ずっとついてくるこの男に。
男は舞鶴が集めてなんとなく並べた木材の山を見て、
「これがそなたが集めた木くずか?」
と悪気なくバッサリ言い放つ。
「木くず言うな!これでもマシなのを拾ってきたんだよ!あとは小枝ばっかりで…。」
「ならば、石で作った方がまだ現実的だろう。こっちだ。」
「え!?ちょっと一体どこに!?」
スタスタと林の方へ向かっていく彼の背中を、舞鶴は急いで追いかける。
男は慣れた足取りでズンズン林の奥へと進んでいく。
「あった。これだ。」
男が手に取ったのは、縞模様のある鋭利な石。
「それは…?」
「線積石。別名溶接石と呼ばれていて、主に溶かして使うんだ。」
「石を溶かす!?なんで!」
「小屋を作るんだろう?石を積んだ時にこれで隙間を埋めるんだ。溶かして数日放置しておけば固まるから強度も保たれる。」
「へ……へぇ。初めて知ったよ。」
「そうだろうな。この石は妖界にしかない。ただ、最近はお前たちのところでも妖界から仕入れて使っているところもあるらしいがな。」
男は採取した線積石を舞鶴に渡し、その場にしゃがんで石を集め始めた。
「あれ?結構大きいのに軽いんだねぇ。石じゃあないみたいだ。」
「だろう?体積のわりに物量がないのも特徴なんだ。だから溶かしやすく重宝している。」
「へぇ。明閻、あんた物知りなんだねぇ。最初に会った時とは随分印象が変わったよ。意外と話しやすいじゃない。」
屈んで採取していた男の手が、一瞬止まる。
「……そうか。素が出ていたんだろうな。」
「へぇ~。お前さん、地位のありそうなナリしてるし、仕事の鬼になる明閻、っていうもんがあるんだろうね。」
「お前は聞き上手だな。」
「ふん、伊達に太夫の看板を背負ってるんじゃあないんだよ。そんなの誉め言葉にもならないねぇ。」
舞鶴の少し張った声色に、思わずふっと笑みがこぼれる。
「太夫というものは、大人しく一歩下がった女がなるものだと思っていたが…。」
「ご想像と相違があったって?残念ながら女なんてみんなそんなもんさ。」
「そうか。私はまだまだ、何も知らぬのだな。」
男は静かに立ち上がり、採取した線積石を小袋に入れると、またもや別の場所へと移動しはじめた。
「明閻?どこ行くんだい?」
「これだけでは小屋など作れぬ。行くぞ。」
「だからどこに!」
雨音の暗く大きい瞳には、年頃の女たちの談笑の様子が映っている。
なんとも軽やかに、上品に、そして楽しそうに笑いあっている、雨音と歳も変わらぬ令嬢たち。
誰も、薄汚い割烹着など来ていない。豪華絢爛な絹を纏い、優雅に過ごしている。
雨音はただ、塀越しにそれらを見つめることしかできない。
急に後ろから、冷たい水が雨音の頭に勢いよく掛かった。
驚いて振り返ると、華美な着物には似つかわない柄杓を手に持った令嬢たちが、険しい顔で立っていた。
「先程からずっとこちらを覗き見ていましたでしょう?どういうおつもりですか。」
「………。」
「二度は言いませぬ。あなた方女郎が来る場所ではありませんのよ。今すぐお帰り下さい。」
しかし、雨音は濡れた髪を絞るだけで、なにも言わない。
「聞いてますの?」
雨音は黙ったまま絞り切った毛先をくるくるとまとめ、帯にくくられている紐をほどき、墨色の長い髪を結び出した。
彼女のこの、悲しみでもない、強がりでもない、ただの無の態度は、対峙している令嬢たちの背筋を凍らせるのに十分だった。
令嬢は、震える手で持っていた柄杓を雨音めがけて振るった。
「あなた方がいるだけで、わたくしたちの品位が下がるのですよ!」
「やめな!」
令嬢の手を強引に握り、雨音への暴力を止めたのは舞鶴だった。
「手を上げるってんなら、こっちだってタダじゃあおかないよ。」
「な……なんですの遊女のくせに…。」
舞鶴は令嬢から柄杓を奪い、柄の先端を彼女の右目すれすれまで突き出した。
「ひぃっ!」
目玉を刺されると思った令嬢は、その場で思い切り尻餅をつき、焦点の合わぬ目で舞鶴を見続ける。
怯える令嬢の視線を捉えた舞鶴の瞳は、静かに燃え上がる。
「ふっ。甘いねえお嬢さんたち。この女郎如きが、どんな地獄を娑婆で味わったか教えてやろうか?」
いたたまれなくなった令嬢たちは、すごすごと長屋へ戻っていった。
「大丈夫かい雨音。」
「舞鶴お姉さま…。ええ、いつものことですから。」
「おやめ、そんな風に諦めるのは。」
「……。」
「アタシの、せいだね。」
「え……?」
「あんたのその右腕の傷。それがすべてを狂わせた。アタシたちが親に売られて吉原まで向かう道中……。あんたは抜け出そうとして山の中で彷徨っていたんだろう。あの時、もっとはやくアタシが雨音を見つけられていれば……!」
「そんな…。これは、自分で足を滑らせて崖から落ちたんです。舞鶴お姉さまのせいではありません。」
「アタシはね、あんたのその顔、もう見飽きたんだよ。」
「へ?」
「そのなにもかも諦めたような顔さ。雨音にはさ、幸せになってほしいんだ。」
「舞鶴お姉さま……。」
「そうだ!小屋が建つ目途が立ったんだよ!」
「えぇ!?すごい…!さすがは舞鶴お姉さまです!」
「だろう?きっと三日後にはアタシら三人だけの城が出来てるよ!」
「ふふ…!楽しみです。」
今日も灯篭に一斉に火が灯る。深い夜が、世界を覆う。
誰の声も聞こえない、皆寝静まったころ、雨音は今宵も馬小屋から三日月を眺めていた。昨夜の明閻との出来事を思い出し、眠れずにいる。
両脇で静かに眠る二人を起こさないように、そっと寝藁をかき分けて、外へ。
雨音の足は、自然と昨夜と同じあの池へと向かって歩き出す。
期待に胸が弾むこの高揚感を、雨音は否定できないでいた。
雨音の前には、昨日と同じあの人影がぽつり。
「……!」
声を掛ける?それともただ黙って池を見る?
不思議にも、先に声を掛けたのは明閻だった。
「またお前か。」
「す、すみません。」
それ以上は気の利く言葉が分からずに、長い沈黙がふたりに流れる。
「明閻さまは…いつも、ここにいらっしゃるのですか…?」
「ああ。ここならば独りになれるからな。」
「えっ。わ、私…邪魔するつもりはなくて…!」
急いでこの場から離れようと背を向けた、その時。
雨音の右腕が、ドクンと大きく脈を打つ。
「痛っ…!」
「どうした。」
「いいえ、なんでも…。」
裾の上から、一瞬痛んだ右手を抑える。丁度傷の部分だ。
明閻は静かに雨音の傍へ寄り、そっと雨音の右腕の袖を捲った。
雨音は反射で勢いよく腕を引っ込める。しかし明閻は一切顔色を変えず、
「この傷は、どこで?」
と、平然と問うた。
雨音はこの明閻の真っ直ぐな視線に耐えられない。
「これは…幼い頃に、山で…。」
「……なぜお前はいつも下を向く。」
「………。」
「この傷がお前をそうさせるのか。」
雨音は、意味もなく明閻の足元を見るしかなかった。
「……そうか。」
そんな雨音の様子に、明閻は力なく呟くと、ゆっくり雨音から離れ、この場から去っていった。
遠ざかる微かな足音をいつまでもいつまでも聞いている雨音だった。
翌日、日が昇り、舞鶴が小屋を建てる算段を説明しようとすると、
「あたくし忙しいのよ。」
と、取りつく島もなく瑠璃姫はフラッとどこかへ行ってしまった。
「……どうしたもんかねぇ。」
「大丈夫です舞鶴お姉さま。長屋の見張り、私がやります。」
「でも、昨日あんなことが」
「舞鶴お姉さまの啖呵はきっと効いています。それに、あれくらい私は平気ですから。」
「うーん……。」
舞鶴が頭を抱えていると、ザッザッ、と足音が聞こえた。
雨音はその足音の主に釘付けになった。
「やはりここにいたか、舞鶴。」
昨夜会ったばかりの、あの男であった。
「なんだい、また来たのかい?」
舞鶴はため息交じりにそう答える。
「舞鶴お姉さま?また、って…?」
「ああ、昨日会ったんだよ、この明閻に。小屋づくりのことを色々教えてもらっててさ。」
舞鶴のその言葉を聞いた瞬間、雨音の胸の奥にザラッと嫌な感触が走った。
自分の傍を離れず、ずっとついてくるこの男に。
男は舞鶴が集めてなんとなく並べた木材の山を見て、
「これがそなたが集めた木くずか?」
と悪気なくバッサリ言い放つ。
「木くず言うな!これでもマシなのを拾ってきたんだよ!あとは小枝ばっかりで…。」
「ならば、石で作った方がまだ現実的だろう。こっちだ。」
「え!?ちょっと一体どこに!?」
スタスタと林の方へ向かっていく彼の背中を、舞鶴は急いで追いかける。
男は慣れた足取りでズンズン林の奥へと進んでいく。
「あった。これだ。」
男が手に取ったのは、縞模様のある鋭利な石。
「それは…?」
「線積石。別名溶接石と呼ばれていて、主に溶かして使うんだ。」
「石を溶かす!?なんで!」
「小屋を作るんだろう?石を積んだ時にこれで隙間を埋めるんだ。溶かして数日放置しておけば固まるから強度も保たれる。」
「へ……へぇ。初めて知ったよ。」
「そうだろうな。この石は妖界にしかない。ただ、最近はお前たちのところでも妖界から仕入れて使っているところもあるらしいがな。」
男は採取した線積石を舞鶴に渡し、その場にしゃがんで石を集め始めた。
「あれ?結構大きいのに軽いんだねぇ。石じゃあないみたいだ。」
「だろう?体積のわりに物量がないのも特徴なんだ。だから溶かしやすく重宝している。」
「へぇ。明閻、あんた物知りなんだねぇ。最初に会った時とは随分印象が変わったよ。意外と話しやすいじゃない。」
屈んで採取していた男の手が、一瞬止まる。
「……そうか。素が出ていたんだろうな。」
「へぇ~。お前さん、地位のありそうなナリしてるし、仕事の鬼になる明閻、っていうもんがあるんだろうね。」
「お前は聞き上手だな。」
「ふん、伊達に太夫の看板を背負ってるんじゃあないんだよ。そんなの誉め言葉にもならないねぇ。」
舞鶴の少し張った声色に、思わずふっと笑みがこぼれる。
「太夫というものは、大人しく一歩下がった女がなるものだと思っていたが…。」
「ご想像と相違があったって?残念ながら女なんてみんなそんなもんさ。」
「そうか。私はまだまだ、何も知らぬのだな。」
男は静かに立ち上がり、採取した線積石を小袋に入れると、またもや別の場所へと移動しはじめた。
「明閻?どこ行くんだい?」
「これだけでは小屋など作れぬ。行くぞ。」
「だからどこに!」
雨音の暗く大きい瞳には、年頃の女たちの談笑の様子が映っている。
なんとも軽やかに、上品に、そして楽しそうに笑いあっている、雨音と歳も変わらぬ令嬢たち。
誰も、薄汚い割烹着など来ていない。豪華絢爛な絹を纏い、優雅に過ごしている。
雨音はただ、塀越しにそれらを見つめることしかできない。
急に後ろから、冷たい水が雨音の頭に勢いよく掛かった。
驚いて振り返ると、華美な着物には似つかわない柄杓を手に持った令嬢たちが、険しい顔で立っていた。
「先程からずっとこちらを覗き見ていましたでしょう?どういうおつもりですか。」
「………。」
「二度は言いませぬ。あなた方女郎が来る場所ではありませんのよ。今すぐお帰り下さい。」
しかし、雨音は濡れた髪を絞るだけで、なにも言わない。
「聞いてますの?」
雨音は黙ったまま絞り切った毛先をくるくるとまとめ、帯にくくられている紐をほどき、墨色の長い髪を結び出した。
彼女のこの、悲しみでもない、強がりでもない、ただの無の態度は、対峙している令嬢たちの背筋を凍らせるのに十分だった。
令嬢は、震える手で持っていた柄杓を雨音めがけて振るった。
「あなた方がいるだけで、わたくしたちの品位が下がるのですよ!」
「やめな!」
令嬢の手を強引に握り、雨音への暴力を止めたのは舞鶴だった。
「手を上げるってんなら、こっちだってタダじゃあおかないよ。」
「な……なんですの遊女のくせに…。」
舞鶴は令嬢から柄杓を奪い、柄の先端を彼女の右目すれすれまで突き出した。
「ひぃっ!」
目玉を刺されると思った令嬢は、その場で思い切り尻餅をつき、焦点の合わぬ目で舞鶴を見続ける。
怯える令嬢の視線を捉えた舞鶴の瞳は、静かに燃え上がる。
「ふっ。甘いねえお嬢さんたち。この女郎如きが、どんな地獄を娑婆で味わったか教えてやろうか?」
いたたまれなくなった令嬢たちは、すごすごと長屋へ戻っていった。
「大丈夫かい雨音。」
「舞鶴お姉さま…。ええ、いつものことですから。」
「おやめ、そんな風に諦めるのは。」
「……。」
「アタシの、せいだね。」
「え……?」
「あんたのその右腕の傷。それがすべてを狂わせた。アタシたちが親に売られて吉原まで向かう道中……。あんたは抜け出そうとして山の中で彷徨っていたんだろう。あの時、もっとはやくアタシが雨音を見つけられていれば……!」
「そんな…。これは、自分で足を滑らせて崖から落ちたんです。舞鶴お姉さまのせいではありません。」
「アタシはね、あんたのその顔、もう見飽きたんだよ。」
「へ?」
「そのなにもかも諦めたような顔さ。雨音にはさ、幸せになってほしいんだ。」
「舞鶴お姉さま……。」
「そうだ!小屋が建つ目途が立ったんだよ!」
「えぇ!?すごい…!さすがは舞鶴お姉さまです!」
「だろう?きっと三日後にはアタシら三人だけの城が出来てるよ!」
「ふふ…!楽しみです。」
今日も灯篭に一斉に火が灯る。深い夜が、世界を覆う。
誰の声も聞こえない、皆寝静まったころ、雨音は今宵も馬小屋から三日月を眺めていた。昨夜の明閻との出来事を思い出し、眠れずにいる。
両脇で静かに眠る二人を起こさないように、そっと寝藁をかき分けて、外へ。
雨音の足は、自然と昨夜と同じあの池へと向かって歩き出す。
期待に胸が弾むこの高揚感を、雨音は否定できないでいた。
雨音の前には、昨日と同じあの人影がぽつり。
「……!」
声を掛ける?それともただ黙って池を見る?
不思議にも、先に声を掛けたのは明閻だった。
「またお前か。」
「す、すみません。」
それ以上は気の利く言葉が分からずに、長い沈黙がふたりに流れる。
「明閻さまは…いつも、ここにいらっしゃるのですか…?」
「ああ。ここならば独りになれるからな。」
「えっ。わ、私…邪魔するつもりはなくて…!」
急いでこの場から離れようと背を向けた、その時。
雨音の右腕が、ドクンと大きく脈を打つ。
「痛っ…!」
「どうした。」
「いいえ、なんでも…。」
裾の上から、一瞬痛んだ右手を抑える。丁度傷の部分だ。
明閻は静かに雨音の傍へ寄り、そっと雨音の右腕の袖を捲った。
雨音は反射で勢いよく腕を引っ込める。しかし明閻は一切顔色を変えず、
「この傷は、どこで?」
と、平然と問うた。
雨音はこの明閻の真っ直ぐな視線に耐えられない。
「これは…幼い頃に、山で…。」
「……なぜお前はいつも下を向く。」
「………。」
「この傷がお前をそうさせるのか。」
雨音は、意味もなく明閻の足元を見るしかなかった。
「……そうか。」
そんな雨音の様子に、明閻は力なく呟くと、ゆっくり雨音から離れ、この場から去っていった。
遠ざかる微かな足音をいつまでもいつまでも聞いている雨音だった。
翌日、日が昇り、舞鶴が小屋を建てる算段を説明しようとすると、
「あたくし忙しいのよ。」
と、取りつく島もなく瑠璃姫はフラッとどこかへ行ってしまった。
「……どうしたもんかねぇ。」
「大丈夫です舞鶴お姉さま。長屋の見張り、私がやります。」
「でも、昨日あんなことが」
「舞鶴お姉さまの啖呵はきっと効いています。それに、あれくらい私は平気ですから。」
「うーん……。」
舞鶴が頭を抱えていると、ザッザッ、と足音が聞こえた。
雨音はその足音の主に釘付けになった。
「やはりここにいたか、舞鶴。」
昨夜会ったばかりの、あの男であった。
「なんだい、また来たのかい?」
舞鶴はため息交じりにそう答える。
「舞鶴お姉さま?また、って…?」
「ああ、昨日会ったんだよ、この明閻に。小屋づくりのことを色々教えてもらっててさ。」
舞鶴のその言葉を聞いた瞬間、雨音の胸の奥にザラッと嫌な感触が走った。
