ゆさゆさと乱暴に体が揺れている。
「おい!起きろって!」
朦朧とした意識の中、頑張って瞼を持ち上げると、昨日見たばかりの顔が目の前にあった。
きりりとした太い眉毛に、散り散りに広がる剛毛な紺青色の髪の毛。
「やっと起きたか。お前ら、なんたってこんなところで寝てんだ?」
がっしりとした巨体は、揺らしていた手を離してスッと立ち上がった。
「騎刃、さん…?」
雨音はようやく、この者が騎刃であることを認識する。
「うるっさいわねー…なんなのよ朝から。」
気だるげに瑠璃姫も起き上がる。
「……げっ!あなた、昨日の汚らしいヤツ!」
「ちょっ…ちょっと瑠璃姫。」
「ああ、お前は昨日の性悪女か。ここは馬小屋だぜ?酔っぱらってんのか?」
「こっちは正気よ。馬鹿にしないで頂戴。あなたこそその馬鹿げた獣耳はなによ。狼の耳みたいな。」
「馬鹿げたぁ?別に普通だろ、狼のあやかしが獣耳出すくらい。朝はまだ眠いから妖気も不安定なんだよ。」
「お、狼の…あやかしぃ!?」
「それよりお前ら、なぁんで馬小屋なんざ。」
「ぬくぬくと平和に育ってきたお嬢様たちには、あたくしたちの存在って猛毒なんですって。」
「あの長屋から追い出されでもしたのか?それにしたってこんな場所で。」
「こんな場所しかなかったのよ、馬鹿!」
「あー!だからあの姉ちゃん、木くず集めてなんかやってたのか。ほら、お前たち二人と一緒にいた。」
騎刃の言葉に、瑠璃姫と雨音は互いに顔を見合わせる。
「そういえば舞鶴姉さまは?」
「あ、確かにいないわ……。」
雨音と瑠璃姫は急いで馬小屋を出て辺りを見回した。すると、騎刃の言った通り、馬小屋の向かいの林の傍に舞鶴らしき人が小さく見えた。二人は小走りで舞鶴のいる場所まで近づくと、舞鶴は真剣な顔でいくつかの木材を地面に並べていた。
「ちょっとぉ舞鶴姉さま!?」
「ああ、おはよう瑠璃姫に雨音。どうだい?これくらいの広さなら…」
「まさか本気で小屋建てるつもり!?」
「ああ、そうだよ。……まあ、こんなもんでいいだろう。雨音、瑠璃姫、どっちか木や石を集めるのを手伝ってくれない?」
「じゃあ、私手伝います。」
「ありがとう雨音。じゃあ瑠璃姫は長屋の様子を見ていてくれないかい?」
そう言って舞鶴は、池を挟んで見える長屋を指さした。
「あら、案外近いのね。ってちょっと待って。まさか見張りってことぉ~?」
「そうだ。アタシたちは一応花嫁候補としてここに来てるんだからね。いつなにが始まってもおかしくないだろう?」
瑠璃姫は腕を組んでなにか考えるように黙り込んだ。
「おい、お前ら。」
瑠璃姫の背後から、ヌッと顔を出したのは、騎刃。右手には馬を一頭引いている。左手には大きく膨れた風呂敷が。
「これ、厨房のやつに言ってもらってきたんだ。」
瑠璃姫は騎刃からずいっと渡された風呂敷を受け取り、結び目を解いて中を見てみた。
「まあ!お野菜やお米に果物!もしかしてこれ、あたくしたちに?」
「長屋に入れねぇなら食うもんも困るだろ。足りなくなったら、馬小屋の隣にある兵士の寝屋の厨房に入りゃあ手に入るぜ。そういう風に話はつけたからな。それと、別に馬小屋に住むのは構わねーけどよ、あんまり阿呆やってると追い出されるぜ。」
「……あなた、どこかへ行くの?」
「まぁな。」
「その馬、あなたが乗るには小さいんじゃなくて?」
「おっと、それ以上は首突っ込むもんじゃねぇな。」
「……。」
「ま、せいぜい頑張れよ、玉の輿さん。」
馬を引いて去っていく騎刃をジッと見たまま瑠璃姫は動かない。
「おーい。瑠璃姫?どうした?」
「舞鶴姉さま、あたくしちょっと別行動するわね。」
「はぁ!?なんで!」
「なんで?ここはもう戦場だからよ。じゃあね。」
騎刃の後をこっそり追うように、瑠璃姫もこの場を去っていった。
「はぁ~……。まったくあの末娘は。どうしたもんかねぇ。」
「えっと、どうしましょう、舞鶴お姉さま。」
「まあいいや。雨音、瑠璃姫の代わりに長屋の様子を見ていてくれないかい?」
「ええ。わかりました。」
雨音は目の前の池を通り過ぎ、長屋の塀の近くまで来た。一応戸を叩いたり、声を掛けたりしてみるものの、返ってくるのはクスクスと笑う女の声だけだった。
「やっぱり、ダメね……。」
ふと、空を見上げる。
曇天とも行かぬ、微妙に灰色がかった空は、昨夜とは別物だ。
雨音は、昨日の明閻の横顔を思い浮かべていた。
「あの時の舞が……私…なんて。」
大した意味はない。そのはずだ。
縋るように、何度も噛みしめてはいけない。
…期待しては、いけない。
雨音はボーッと塀越しの世界を見つめていた。
長屋の中の令嬢たちは、本を読んだり談笑したりと優雅に過ごしている。
同じ年頃の少女たちだが、自分とはまるで別の世界の住人なのだ。
明閻につられてここまで来てしまったことを、今になって後悔し始めていた。
あかやしの次期頭領の花嫁になる女が、あの中にいるのかもしれない。
「私が…望んではいけない場所なんだわ……。」
一方、舞鶴は、適当にそれっぽく並べた木材を上から見下ろしてみるが、次の一手がまるでわからない。
「うーん。妹たちに言い切った手前、なんとか形にしたいんだけどねぇ……。」
舞鶴は腕を組んだまま、次はどうするべきか悩んでいた。
ふと、右隣から人の気配がした。
ハッとして舞鶴が顔を上げると、七三に分けられた月白色の髪が目の前で靡いていた。
「あんたは……明閻。」
舞鶴の目の前にいる男はジッと舞鶴を見つめたまま、
「明閻、か。」
と呟いた。
「言っておくけどあんたはもうアタシの客じゃあないからね。"様"なんて付けないよ。」
「客……。」
「なんだい、もう宵花楼に来たことを忘れたのかい?」
「そうか、そうだったな。」
「"あやかしさま"ってのは、どこまでも"あやかしさま"だねぇ。人間なんて眼中にないみたいな態度だ。じゃあ、アタシは忙しいからこれで…」
舞鶴はこの場を去ろうとしたが、この男に肩を掴まれ歩みを止められる。
「待て、やはりそう思うのか?」
「なにが。」
「お前たち人間にとっては、どこまでも"あやかしさま"なのか?」
曇りのない瞳が、真っ直ぐと舞鶴へ向けられる。
舞鶴は眉間に皺を寄せて、掴まれている手を振り払った。
「馬鹿言ってんじゃないよ!アタシたち女郎が…。アタシら人間が、どれだけあんたたちに乱暴にされたと思ってる!あんたら"あやかしさま"が人を野草のように扱ってる話をわざわざ話させて、何様のつもりだい!」
「待て、私は知りたいだけだ。」
「……。」
「言ったろう。アタシは忙しいんだ。やることがあるからね。」
「では、手伝おう。そなたの話が聞きたい。」
「冗談じゃないね!アタシは今から小屋を建てるんだよ。お前さんは忙しいんだろうから、さっさと職務に戻りな。」
「小屋……。なるほど、では益々手伝おう。」
「はぁ!?」
開いた裾から、艶やかな白い肌がなまめかしく光る。
白く小さな手は、血管の浮き出た固い手を裾の中へとおびき寄せる。
「門番の衛角ね。覚えておくわ。」
衛角と呼ばれる男は、女を着物ごと力強く引き寄せる。
「焦らないでちょうだいな…。なにもこれきりとは言ってませんわよ?」
「し、しかし……。」
「ちょーっと手助けしてくれるだけでいいの。戸を少しだけ、閉め忘れれば、それだけで……。ね?簡単でしょう?」
漆黒の長い髪に刺さる簪が、隙間から漏れる日の光であやしく輝く。
「そうしたらあたくし、あなたの元へ何度でも通うわ……!」
「瑠璃姫殿…!」
人気のない蔵の中での出来事など、この二人以外誰も知ることはなかった。
「おい!起きろって!」
朦朧とした意識の中、頑張って瞼を持ち上げると、昨日見たばかりの顔が目の前にあった。
きりりとした太い眉毛に、散り散りに広がる剛毛な紺青色の髪の毛。
「やっと起きたか。お前ら、なんたってこんなところで寝てんだ?」
がっしりとした巨体は、揺らしていた手を離してスッと立ち上がった。
「騎刃、さん…?」
雨音はようやく、この者が騎刃であることを認識する。
「うるっさいわねー…なんなのよ朝から。」
気だるげに瑠璃姫も起き上がる。
「……げっ!あなた、昨日の汚らしいヤツ!」
「ちょっ…ちょっと瑠璃姫。」
「ああ、お前は昨日の性悪女か。ここは馬小屋だぜ?酔っぱらってんのか?」
「こっちは正気よ。馬鹿にしないで頂戴。あなたこそその馬鹿げた獣耳はなによ。狼の耳みたいな。」
「馬鹿げたぁ?別に普通だろ、狼のあやかしが獣耳出すくらい。朝はまだ眠いから妖気も不安定なんだよ。」
「お、狼の…あやかしぃ!?」
「それよりお前ら、なぁんで馬小屋なんざ。」
「ぬくぬくと平和に育ってきたお嬢様たちには、あたくしたちの存在って猛毒なんですって。」
「あの長屋から追い出されでもしたのか?それにしたってこんな場所で。」
「こんな場所しかなかったのよ、馬鹿!」
「あー!だからあの姉ちゃん、木くず集めてなんかやってたのか。ほら、お前たち二人と一緒にいた。」
騎刃の言葉に、瑠璃姫と雨音は互いに顔を見合わせる。
「そういえば舞鶴姉さまは?」
「あ、確かにいないわ……。」
雨音と瑠璃姫は急いで馬小屋を出て辺りを見回した。すると、騎刃の言った通り、馬小屋の向かいの林の傍に舞鶴らしき人が小さく見えた。二人は小走りで舞鶴のいる場所まで近づくと、舞鶴は真剣な顔でいくつかの木材を地面に並べていた。
「ちょっとぉ舞鶴姉さま!?」
「ああ、おはよう瑠璃姫に雨音。どうだい?これくらいの広さなら…」
「まさか本気で小屋建てるつもり!?」
「ああ、そうだよ。……まあ、こんなもんでいいだろう。雨音、瑠璃姫、どっちか木や石を集めるのを手伝ってくれない?」
「じゃあ、私手伝います。」
「ありがとう雨音。じゃあ瑠璃姫は長屋の様子を見ていてくれないかい?」
そう言って舞鶴は、池を挟んで見える長屋を指さした。
「あら、案外近いのね。ってちょっと待って。まさか見張りってことぉ~?」
「そうだ。アタシたちは一応花嫁候補としてここに来てるんだからね。いつなにが始まってもおかしくないだろう?」
瑠璃姫は腕を組んでなにか考えるように黙り込んだ。
「おい、お前ら。」
瑠璃姫の背後から、ヌッと顔を出したのは、騎刃。右手には馬を一頭引いている。左手には大きく膨れた風呂敷が。
「これ、厨房のやつに言ってもらってきたんだ。」
瑠璃姫は騎刃からずいっと渡された風呂敷を受け取り、結び目を解いて中を見てみた。
「まあ!お野菜やお米に果物!もしかしてこれ、あたくしたちに?」
「長屋に入れねぇなら食うもんも困るだろ。足りなくなったら、馬小屋の隣にある兵士の寝屋の厨房に入りゃあ手に入るぜ。そういう風に話はつけたからな。それと、別に馬小屋に住むのは構わねーけどよ、あんまり阿呆やってると追い出されるぜ。」
「……あなた、どこかへ行くの?」
「まぁな。」
「その馬、あなたが乗るには小さいんじゃなくて?」
「おっと、それ以上は首突っ込むもんじゃねぇな。」
「……。」
「ま、せいぜい頑張れよ、玉の輿さん。」
馬を引いて去っていく騎刃をジッと見たまま瑠璃姫は動かない。
「おーい。瑠璃姫?どうした?」
「舞鶴姉さま、あたくしちょっと別行動するわね。」
「はぁ!?なんで!」
「なんで?ここはもう戦場だからよ。じゃあね。」
騎刃の後をこっそり追うように、瑠璃姫もこの場を去っていった。
「はぁ~……。まったくあの末娘は。どうしたもんかねぇ。」
「えっと、どうしましょう、舞鶴お姉さま。」
「まあいいや。雨音、瑠璃姫の代わりに長屋の様子を見ていてくれないかい?」
「ええ。わかりました。」
雨音は目の前の池を通り過ぎ、長屋の塀の近くまで来た。一応戸を叩いたり、声を掛けたりしてみるものの、返ってくるのはクスクスと笑う女の声だけだった。
「やっぱり、ダメね……。」
ふと、空を見上げる。
曇天とも行かぬ、微妙に灰色がかった空は、昨夜とは別物だ。
雨音は、昨日の明閻の横顔を思い浮かべていた。
「あの時の舞が……私…なんて。」
大した意味はない。そのはずだ。
縋るように、何度も噛みしめてはいけない。
…期待しては、いけない。
雨音はボーッと塀越しの世界を見つめていた。
長屋の中の令嬢たちは、本を読んだり談笑したりと優雅に過ごしている。
同じ年頃の少女たちだが、自分とはまるで別の世界の住人なのだ。
明閻につられてここまで来てしまったことを、今になって後悔し始めていた。
あかやしの次期頭領の花嫁になる女が、あの中にいるのかもしれない。
「私が…望んではいけない場所なんだわ……。」
一方、舞鶴は、適当にそれっぽく並べた木材を上から見下ろしてみるが、次の一手がまるでわからない。
「うーん。妹たちに言い切った手前、なんとか形にしたいんだけどねぇ……。」
舞鶴は腕を組んだまま、次はどうするべきか悩んでいた。
ふと、右隣から人の気配がした。
ハッとして舞鶴が顔を上げると、七三に分けられた月白色の髪が目の前で靡いていた。
「あんたは……明閻。」
舞鶴の目の前にいる男はジッと舞鶴を見つめたまま、
「明閻、か。」
と呟いた。
「言っておくけどあんたはもうアタシの客じゃあないからね。"様"なんて付けないよ。」
「客……。」
「なんだい、もう宵花楼に来たことを忘れたのかい?」
「そうか、そうだったな。」
「"あやかしさま"ってのは、どこまでも"あやかしさま"だねぇ。人間なんて眼中にないみたいな態度だ。じゃあ、アタシは忙しいからこれで…」
舞鶴はこの場を去ろうとしたが、この男に肩を掴まれ歩みを止められる。
「待て、やはりそう思うのか?」
「なにが。」
「お前たち人間にとっては、どこまでも"あやかしさま"なのか?」
曇りのない瞳が、真っ直ぐと舞鶴へ向けられる。
舞鶴は眉間に皺を寄せて、掴まれている手を振り払った。
「馬鹿言ってんじゃないよ!アタシたち女郎が…。アタシら人間が、どれだけあんたたちに乱暴にされたと思ってる!あんたら"あやかしさま"が人を野草のように扱ってる話をわざわざ話させて、何様のつもりだい!」
「待て、私は知りたいだけだ。」
「……。」
「言ったろう。アタシは忙しいんだ。やることがあるからね。」
「では、手伝おう。そなたの話が聞きたい。」
「冗談じゃないね!アタシは今から小屋を建てるんだよ。お前さんは忙しいんだろうから、さっさと職務に戻りな。」
「小屋……。なるほど、では益々手伝おう。」
「はぁ!?」
開いた裾から、艶やかな白い肌がなまめかしく光る。
白く小さな手は、血管の浮き出た固い手を裾の中へとおびき寄せる。
「門番の衛角ね。覚えておくわ。」
衛角と呼ばれる男は、女を着物ごと力強く引き寄せる。
「焦らないでちょうだいな…。なにもこれきりとは言ってませんわよ?」
「し、しかし……。」
「ちょーっと手助けしてくれるだけでいいの。戸を少しだけ、閉め忘れれば、それだけで……。ね?簡単でしょう?」
漆黒の長い髪に刺さる簪が、隙間から漏れる日の光であやしく輝く。
「そうしたらあたくし、あなたの元へ何度でも通うわ……!」
「瑠璃姫殿…!」
人気のない蔵の中での出来事など、この二人以外誰も知ることはなかった。
