遠くから、兵士たちの雄々しい掛け声が聞こえてくる。先程くぐった大門のさきの広場で、あやかしの兵士たちが訓練をしているようだ。
三姉妹はそれぞれ、そんな兵士らの様子を遠くから眺めていたり、目の前の池に石を投げて遊んだり。
やがて兵士の声も聞こえなくなり、日が傾き始めた。大地に落ちた三姉妹の影が、長く薄くなっていく。
「きっと、そろそろ勝負の時間よ。」
「ああ、"あやかし"の頭領がこちらへ出向くのか、それともアタシたちが移動するのか……。そろそろあの大部屋へ戻った方がよさそうだね。」
「この時間はあたくしたちの土俵。あんな箱入り娘に負けるはずないわ。」
三姉妹は長屋の玄関に向かうが、侍女どころか人っ子一人いない。
舞鶴が戸を開けようとするが、横へ引いても引いてもびくともしない。
「おおーい!誰かいませんか!」
拳で戸を叩きながら大声を出す舞鶴。しかし、返ってくるのは不気味な静寂だけだ。
「締め出されたんじゃなぁい?」
「仕方がない。裏戸を探そう。」
三人一緒に、長屋の塀に沿って歩き出す。ぐるりと周回している途中で、長屋の塀とは比べものにならない高さ、そして広さの反り立つ塀が見えた。
「ねぇ姉さまたち。なにかしら、あれ。」
「さぁ…。こんなに広いのに、まだ立派な建物があるのかもねぇ。」
「ふうん。」
(立派な建物…ね。きっとあの高い塀の向こうに頭領やお偉い方が住む屋敷があるに違いないわ。じゃなきゃあんなに厳重に塀で囲わないもの。姉さまたちはあまり気にしてないようだけど。)
そうこうしているうちに、もといた場所に戻ってきてしまった。長屋周りの塀を一周しても裏戸は見つけられず、再び長屋の中に入ることはできなかった。
「塀をよじ登って入るしかないか……。」
「えぇ~!?お着物が汚れちゃうかもしれないじゃない!あたくしたちあまり着替えを持ってきてないのに!」
「中でなにか始まっちまうかもしれないだろう?アタシが先に登るからさ。行くよ。ほら、雨音も。」
「……はい。」
舞鶴はその場で着物の裾をたくし上げ、さほど高くはない塀をよじ登る。
……が、塀の向こうを見た舞鶴は、動きをピタリと止めた。
「舞鶴お姉さま……?」
舞鶴はゆっくりと塀を降り、首を横に振りながら妹たちの肩を叩いた。
「ダメだ。ぬかるんでる。」
「……はぁ?」
「塀を超えて降りた先は、残飯が混じったぬかるんだ土なんだよ。」
舞鶴は大きくため息をついてその場にしゃがみ込んだ。
「なによそれ。完全にあたくしたちを追い出す気ね。」
「そんな……!だ、誰かに」
「無駄だ。あいつら、窓越しにアタシを見て笑ってたからね。あの様子じゃ、侍女もグルだ。」
「舞鶴お姉さま…。」
どこからか聞こえる烏の鳴き声が虚しく響く。
しかし雨音は、さほど落胆していなかった。それどころか、顔色一つ変えず、しゃがんでいる舞鶴を見つめていた。
太夫だなんだともてはやされたこの姉には衝撃だったのだろう。
雨音自身にとってはこの程度の仕打ち、当然なのだ。だたの日常なのだ。
「……だ。」
小さく舞鶴が呟いた。そしてパッと顔を上げ、
「野宿だ!」
意気揚々と提案した。
「いやよ!」
舞鶴の活気ある一言を、容赦なく叩き切る瑠璃姫。
「野にさらされるくらいなら豚小屋の方がマシよ!」
「豚小屋…?それだ!冴えてるなぁ瑠璃姫、それだよ!」
広大な敷地内に規則的に並んでいる灯篭が、ひとりでに、同時に灯された。
「ひっ!なにあれ!?誰もいないのに勝手に火が点いたわ!」
「ちょ、ちょっと痛い瑠璃姫。そんなに強く手を握るんじゃないよ。あやかしの妖術かなんかだろう。やっぱりアタシたちが住んでた世界とは違うんだねぇ。」
夜は更け、辺りは暗闇に包まれる。三姉妹は長屋の塀の外でただ暇を持て余すしかなかった。
しかし、いつまで経っても塀の向こうでなにかが行われる気配はない。
長屋にも戻れず途方に暮れた三姉妹は、フラフラとだだっ広い敷地を彷徨い始めた。
長屋や近くの池の目の前は、なにもない広場のようになっている。反対の背の方は深い林。向かいの遠くに見えるのは、下働きの妖や兵士たちの寝屋だ。
舞鶴が先頭になり、向かいの寝屋の連なりを目指して歩く。なにかを探しているようだ。
「あ、あった!」
舞鶴は、兵士たちの寝屋のすぐ近くにある馬小屋を指さした。
「……なにが?嫌な予感。」
鼻にまとわりつく獣集を遮るように、袖で鼻を隠す瑠璃姫。
「豚小屋も馬小屋も一緒だろう?ここなら屋根があるし、誰も来ない。」
「ちょっとぉ!あたくしの言葉を鵜呑みにしないでくださる!?」
「そんなこと言ったって、アタシらが好き勝手できそうな場所なんてここくらいしかないだろう?」
「私は賛成です。この木くず…ふかふかだし、きっといい寝床になると思うの。」
「えぇ~?雨音姉さままで……。」
「安心しな瑠璃姫!明日からアタシが簡易の小屋でも作ってやるから!作り終えたら三人で寝泊まりする場所にすればいい。」
「はぁ!?無理に決まってるでしょ!」
「案外いけるかもしれないよ?なんたって特技は木彫りだからねぇ!」
「全然信憑性がないじゃない!」
三人顔を合わせて、こんなにも伸び伸びと笑えるのはいつぶりだろう。
それから、ふんわりと寝藁に包まれた彼女たちの笑い声は、段々と寝息に変わっていった。
「月が綺麗。」
寄り添うように寝ている舞鶴と瑠璃姫を起こさぬように、そっと馬小屋を抜けて、瞬く満天の星空へ目を向ける。
ぐうっと伸びをして、月明かりの下を少し歩いてみる。
馬小屋でもいい。ああして姉妹みんなで穏やかに笑っていられるなら。
誰に虐げられようとも、居場所がなくても。
私は……それで充分満たされている。
随分歩いただろうか。今日一日、三人で共に過ごした池まで着いてしまった。雨音は、池のほとりに浮かぶ三日月を眺める。
なんとなく人の気配がし、ふと池から目を離して顔を上げると、雨音の視線の先にぽつんと人影が見えた。
姿かたちを捉えた瞬間、雨音の鼓動が静かに高鳴り始める。
「明閻さま……。」
雨音の言葉に、その人影が振り返る。
「……ああ、お前か。」
眉一つ動かない無機質な顔が雨音を捉える。
そんなぶっきらぼうな態度でも、雨音の瞳を輝かせるには充分だった。
「どうしてこんな時間に外にいる。」
「そ、それはその……。」
「訳アリか。まあそうだろうな。」
「え……。」
またすぐに背中を向けて去ってしまうのではないか、と、不安になり裾を握る雨音。
しかし、明閻は視線を池に向けたまま、その場に佇んでいた。
「あの…明閻さまは……なぜ…。」
「ここにいるのか、と?」
「……。」
「別に意味はない。」
沈黙が続く。
ゆらゆらとゆっくり揺れる三日月を、ただただ眺め続ける。
「わ、私は…。月が、綺麗だからです。この三日月に魅せられて、ここまで来てしまいました。」
明閻は雨音の言葉に答えず、前を向いたまま微動だにしない。
「今日一日で、色々なことが起こりました…。きっともう、私たちは宵花楼に戻れない。」
雨音はゆっくりと池に近付き。水面に揺らめく三日月を覗き込んだ。
「宵花楼の格子越しに映る月も、こうして今見ている月も…。月だけは、なにも変わらないんだもの。」
雨音の大きな瞳が、グッと力を込めて細くなる。
「どこにあろうと、月は月。私も……。」
雨音は言葉を続けようとしたが、ガリッと砂利を踏む明閻の足音にかき消される。
「今さら、後悔しているのか?」
「え…?」
「…あの時の舞が、お前ではないのか。」
明閻はそう言い残し、雨音に背を向けたまま暗闇の中へ消えていった。
ただひとり、雨音だけに向けられたこの言葉は、いつまでも胸の奥に刺さって抜けなかった。
三姉妹はそれぞれ、そんな兵士らの様子を遠くから眺めていたり、目の前の池に石を投げて遊んだり。
やがて兵士の声も聞こえなくなり、日が傾き始めた。大地に落ちた三姉妹の影が、長く薄くなっていく。
「きっと、そろそろ勝負の時間よ。」
「ああ、"あやかし"の頭領がこちらへ出向くのか、それともアタシたちが移動するのか……。そろそろあの大部屋へ戻った方がよさそうだね。」
「この時間はあたくしたちの土俵。あんな箱入り娘に負けるはずないわ。」
三姉妹は長屋の玄関に向かうが、侍女どころか人っ子一人いない。
舞鶴が戸を開けようとするが、横へ引いても引いてもびくともしない。
「おおーい!誰かいませんか!」
拳で戸を叩きながら大声を出す舞鶴。しかし、返ってくるのは不気味な静寂だけだ。
「締め出されたんじゃなぁい?」
「仕方がない。裏戸を探そう。」
三人一緒に、長屋の塀に沿って歩き出す。ぐるりと周回している途中で、長屋の塀とは比べものにならない高さ、そして広さの反り立つ塀が見えた。
「ねぇ姉さまたち。なにかしら、あれ。」
「さぁ…。こんなに広いのに、まだ立派な建物があるのかもねぇ。」
「ふうん。」
(立派な建物…ね。きっとあの高い塀の向こうに頭領やお偉い方が住む屋敷があるに違いないわ。じゃなきゃあんなに厳重に塀で囲わないもの。姉さまたちはあまり気にしてないようだけど。)
そうこうしているうちに、もといた場所に戻ってきてしまった。長屋周りの塀を一周しても裏戸は見つけられず、再び長屋の中に入ることはできなかった。
「塀をよじ登って入るしかないか……。」
「えぇ~!?お着物が汚れちゃうかもしれないじゃない!あたくしたちあまり着替えを持ってきてないのに!」
「中でなにか始まっちまうかもしれないだろう?アタシが先に登るからさ。行くよ。ほら、雨音も。」
「……はい。」
舞鶴はその場で着物の裾をたくし上げ、さほど高くはない塀をよじ登る。
……が、塀の向こうを見た舞鶴は、動きをピタリと止めた。
「舞鶴お姉さま……?」
舞鶴はゆっくりと塀を降り、首を横に振りながら妹たちの肩を叩いた。
「ダメだ。ぬかるんでる。」
「……はぁ?」
「塀を超えて降りた先は、残飯が混じったぬかるんだ土なんだよ。」
舞鶴は大きくため息をついてその場にしゃがみ込んだ。
「なによそれ。完全にあたくしたちを追い出す気ね。」
「そんな……!だ、誰かに」
「無駄だ。あいつら、窓越しにアタシを見て笑ってたからね。あの様子じゃ、侍女もグルだ。」
「舞鶴お姉さま…。」
どこからか聞こえる烏の鳴き声が虚しく響く。
しかし雨音は、さほど落胆していなかった。それどころか、顔色一つ変えず、しゃがんでいる舞鶴を見つめていた。
太夫だなんだともてはやされたこの姉には衝撃だったのだろう。
雨音自身にとってはこの程度の仕打ち、当然なのだ。だたの日常なのだ。
「……だ。」
小さく舞鶴が呟いた。そしてパッと顔を上げ、
「野宿だ!」
意気揚々と提案した。
「いやよ!」
舞鶴の活気ある一言を、容赦なく叩き切る瑠璃姫。
「野にさらされるくらいなら豚小屋の方がマシよ!」
「豚小屋…?それだ!冴えてるなぁ瑠璃姫、それだよ!」
広大な敷地内に規則的に並んでいる灯篭が、ひとりでに、同時に灯された。
「ひっ!なにあれ!?誰もいないのに勝手に火が点いたわ!」
「ちょ、ちょっと痛い瑠璃姫。そんなに強く手を握るんじゃないよ。あやかしの妖術かなんかだろう。やっぱりアタシたちが住んでた世界とは違うんだねぇ。」
夜は更け、辺りは暗闇に包まれる。三姉妹は長屋の塀の外でただ暇を持て余すしかなかった。
しかし、いつまで経っても塀の向こうでなにかが行われる気配はない。
長屋にも戻れず途方に暮れた三姉妹は、フラフラとだだっ広い敷地を彷徨い始めた。
長屋や近くの池の目の前は、なにもない広場のようになっている。反対の背の方は深い林。向かいの遠くに見えるのは、下働きの妖や兵士たちの寝屋だ。
舞鶴が先頭になり、向かいの寝屋の連なりを目指して歩く。なにかを探しているようだ。
「あ、あった!」
舞鶴は、兵士たちの寝屋のすぐ近くにある馬小屋を指さした。
「……なにが?嫌な予感。」
鼻にまとわりつく獣集を遮るように、袖で鼻を隠す瑠璃姫。
「豚小屋も馬小屋も一緒だろう?ここなら屋根があるし、誰も来ない。」
「ちょっとぉ!あたくしの言葉を鵜呑みにしないでくださる!?」
「そんなこと言ったって、アタシらが好き勝手できそうな場所なんてここくらいしかないだろう?」
「私は賛成です。この木くず…ふかふかだし、きっといい寝床になると思うの。」
「えぇ~?雨音姉さままで……。」
「安心しな瑠璃姫!明日からアタシが簡易の小屋でも作ってやるから!作り終えたら三人で寝泊まりする場所にすればいい。」
「はぁ!?無理に決まってるでしょ!」
「案外いけるかもしれないよ?なんたって特技は木彫りだからねぇ!」
「全然信憑性がないじゃない!」
三人顔を合わせて、こんなにも伸び伸びと笑えるのはいつぶりだろう。
それから、ふんわりと寝藁に包まれた彼女たちの笑い声は、段々と寝息に変わっていった。
「月が綺麗。」
寄り添うように寝ている舞鶴と瑠璃姫を起こさぬように、そっと馬小屋を抜けて、瞬く満天の星空へ目を向ける。
ぐうっと伸びをして、月明かりの下を少し歩いてみる。
馬小屋でもいい。ああして姉妹みんなで穏やかに笑っていられるなら。
誰に虐げられようとも、居場所がなくても。
私は……それで充分満たされている。
随分歩いただろうか。今日一日、三人で共に過ごした池まで着いてしまった。雨音は、池のほとりに浮かぶ三日月を眺める。
なんとなく人の気配がし、ふと池から目を離して顔を上げると、雨音の視線の先にぽつんと人影が見えた。
姿かたちを捉えた瞬間、雨音の鼓動が静かに高鳴り始める。
「明閻さま……。」
雨音の言葉に、その人影が振り返る。
「……ああ、お前か。」
眉一つ動かない無機質な顔が雨音を捉える。
そんなぶっきらぼうな態度でも、雨音の瞳を輝かせるには充分だった。
「どうしてこんな時間に外にいる。」
「そ、それはその……。」
「訳アリか。まあそうだろうな。」
「え……。」
またすぐに背中を向けて去ってしまうのではないか、と、不安になり裾を握る雨音。
しかし、明閻は視線を池に向けたまま、その場に佇んでいた。
「あの…明閻さまは……なぜ…。」
「ここにいるのか、と?」
「……。」
「別に意味はない。」
沈黙が続く。
ゆらゆらとゆっくり揺れる三日月を、ただただ眺め続ける。
「わ、私は…。月が、綺麗だからです。この三日月に魅せられて、ここまで来てしまいました。」
明閻は雨音の言葉に答えず、前を向いたまま微動だにしない。
「今日一日で、色々なことが起こりました…。きっともう、私たちは宵花楼に戻れない。」
雨音はゆっくりと池に近付き。水面に揺らめく三日月を覗き込んだ。
「宵花楼の格子越しに映る月も、こうして今見ている月も…。月だけは、なにも変わらないんだもの。」
雨音の大きな瞳が、グッと力を込めて細くなる。
「どこにあろうと、月は月。私も……。」
雨音は言葉を続けようとしたが、ガリッと砂利を踏む明閻の足音にかき消される。
「今さら、後悔しているのか?」
「え…?」
「…あの時の舞が、お前ではないのか。」
明閻はそう言い残し、雨音に背を向けたまま暗闇の中へ消えていった。
ただひとり、雨音だけに向けられたこの言葉は、いつまでも胸の奥に刺さって抜けなかった。
