花嫁候補は三姉妹、選ばれたのは妹でした ~後ろ向きなあの子があやかし頭領の花嫁になるまで~

 舞鶴(まいつる)の部屋の壁には、赤黒い血が滲んでいる。

 「ア…アタシが…アタシがむりやり婆を押したから…。」

 絞り出すようにそう告げる舞鶴の指先は、僅かに震えていた。

 「ま…舞鶴お姉さまは…私を助けようとしただけで…。」

 微動だにしない遣手婆を見て、雨音(あまね)の白い肌が、青くなっていく。
 呆然と立ち尽くす舞鶴と雨音。二人の襟ぐりを無理矢理引っ張り、再起させたのは瑠璃姫(るりひめ)だった。

 「なにしてるの姉さまたち!逃げるのよ!今のうちに!さぁ!」

 瑠璃姫に引っ張られて、震える足をなんとか前に出し歩き出す。

 「いい?自然に、ですわよ二人とも。」

 瑠璃姫を先頭に、店の入り口まで歩いていく。もう少しで店街へ出られる、そう思った時、

 「あれ~?三人揃ってどこ行くの?」

 と、同じ店の遊女が話しかけてきた。

 「あたくしたち、湯屋がまだなの。」

 瑠璃姫が平然と答えるが、後ろにいた舞鶴が、抱えていた荷物を床に落とし、ガンッと鈍い音を立てる。

 「舞鶴さん、なにか落としたわよ?」

 話しかけてきた遊女が舞鶴の落とした荷物を拾おうと足元を見ると、舞鶴の指先になにかが付いているのが見えた。

 「舞鶴さん、指…どうしたの?赤…」

 「きゃーーーー!!」

 二階から女の悲鳴が響いた。
 まずい、見られた!
 三人は瞬時に察した。

 「行きましょう姉さまたち、はやく!」

 三人は駆け足で店の外へ出た。

 「悟助(ごすけ)!悟助はどこなの!?」

 瑠璃姫は辺りを見回すが、悟助はいそうにない。店の中から、連続的に悲鳴が聞こえてくる。

 「ここから離れましょう!」

 三人は走り続け、なんとか人気のない路地裏へ身を潜めた。
 息も整わぬうちに、瑠璃姫はバシッと姉二人の背中を叩いた。

 「ちょっと!しっかりしてよ姉さま達ったら!肝心な時に腰抜けね!」
 「ご…ごめんね瑠璃姫…。ありがとう、私たちをここまで連れてきてくれて。」
 「ふん。当然でしょう?ほら、舞鶴姉さまも、あたくしに感謝なさい?」

 いつもどっしりと構えているしっかり者の長女の顔は、 自分の血汚れた指先を見つめたまま蒼白になっていた。
 雨音と瑠璃姫は、どうしたものかと互いに顔を見合わせた。
 段々と、彼女たちが隠れている路地裏の近くの通りが、騒がしくなっていく。

 「なに!?宵花楼(よいかろう)で人殺し!?」
 「舞鶴を探せ!妹二人もだ!」

 「も…もうここまで広まって…!?」
 「ここが見つかるのも時間の問題ね。どうする?雨音姉さま。」
 「えっと、確か悟助さんがいつも出入りしていた酒屋さんは確か…。きゃっ!?」

 雨音は何者かに袖を引っ張られ、後ろに倒れそうになった。

 「雨音姉さま!?」

 見つかってしまった…!硬直した顔のまま雨音が振り返る。
 しかし、雨音の袖を掴んでいたのは探していた人物だった。

 「探しましたよ。さあ、はやく荷車へ!」

 悟助に促され、すぐそこに停めてあった荷台へ乗り込む三人。悟助が上から布をかけ、低い姿勢で小さくなっている三姉妹を隠そうとしたそのとき。

 「いたぞ!あそこだ!」

 ガタッ!と、彼女たちを乗せた荷台が勢いよく傾き、ガタガタと激しく上下に揺れ出した。
 暗闇の中、三人は祈るような思いでぴったりと身を寄せていた。

 「待てー!」
 「あいつを捕まえろ!」

 遠くから、数々の怒号が聞こえる。
 せっかくここまで来たのに、もう駄目かもしれない。体が激しく揺れ動くなか、雨音は両手を合わせ、ぎゅっと目を瞑る。
 その瞬間、荷台が斜め上に傾き、ふわりと浮かぶような感覚が走った。
 三姉妹を覆っていた布が強い風で吹き飛ばされ、一気に視界が開けた。

 「な…なに、これ…!」

 雨音は目の前の光景が信じられなかった。地面より、空の方が近いのである。

 「ちょっと雨音姉さま見て!下!」

 瑠璃姫が慌てた様子で雨音の肩を叩いた。雨音はそうっと荷台から身を乗り出すと、さっきまでいた吉原の街が小さくなっていた。

 「と…飛んでる…!?」

 すぐさま前へ向き直すと、カラスのような鳥が荷台を背負って空を飛んでいた。
 漆黒の長い髪が風で顔を撫でる。雨音は目を細めて、

 「あやかし…。」

 と、小さく呟いた。



 野を越え山を越え、いくらばかり飛んでいただろうか。
 とある大きな山脈へ差し掛かると、悟助はゆっくりと地上めがけて降りて行った。
 深い森のなかだろうか。背の高い木々に空が隠れている。どこもかしこも、同じような木々が乱雑に連なっている。
 全く見たことのない外の様子に、三姉妹は皆唖然とした。
 雨音は静まり返った森の様子を不安げに見つめていたが、ハッと我に返って悟助の方を向くと、彼はもう鳥の姿ではなく、見慣れた人間の姿に戻っていた。

 「難なく連れてきたようだな、悟助。」

 森の奥から、声がした。雨音はその声を聴いて、もしやと顔を上げた。

 「明閻(めいえん)様。難なく、ということはありませんが…。」

 明閻に一礼したあと、悟助が答える。
 雨音の大きな瞳は、しっかりと明閻を捉えていた。

 「悟助は若様の命の通りに。それからお前たち、ついてこい。」

 明閻はさっさと背中を向け、森の奥へと進んでいった。三姉妹も、慌てて明閻のあとをついていく。

 「ねぇ!ちょっと!さっきのはなんなのよ!」

 先行く明閻に向かって、瑠璃姫が叫んだ。

 「さっきの悟助!あいつもあやかしだったの!?目が紅くないのに!」

 速足で進んでいた明閻の足が、ピタリと止まった。

 「あまり阿呆なことを喋るな。お前たちはもう見られているんだ。」

 振り向きもせず強い口調で言い放った後、再び歩き出した。

 「な…なによあいつ…。」
 「あれは半妖さ。アタシの客にひとりだけ居てね…。」

 瑠璃姫の肩をぽん、と押しながら、舞鶴は明閻に聞こえないように小声でつぶやいた。

 「あっそう。それより舞鶴姉さま、いい加減本調子になったのかしら?」
 「……生意気な妹。」

 どこへ向かうかわからぬまま、ただただ森の中を歩いていく。
 そんな中でひとり、胸を抱えて考え込んでいるのは、雨音。
 雨音の胸の奥は、なぜだかチクチクと小さく痛んでいた。

 (私…なにをこんなにモヤモヤしているのかしら…。ああ、明閻さまにお会いできたと言うのに、あの方は私たちに声を掛けることもなく…。)

 そこまで思いめぐらせて、雨音は気付いた。

 (私…。明閻さまに、「よく来たな。」って言って欲しかったの…。どうして…。)