花嫁候補は三姉妹、選ばれたのは妹でした ~後ろ向きなあの子があやかし頭領の花嫁になるまで~

 自室に戻った雨音(あまね)は、ボーッと行燈(あんどん)を見つめていた。


 もしかしたら、私が選んだ道は間違っていたのかもしれない。
 私が明閻さまに会いたい一心でここに来てしまったから……。
 馬小屋で互いの身体に寄り添って眠りについていた頃が、一番幸せだったかもしれない。
 瑠璃姫(るりひめ)の闘争心の高さは理解していたつもりだった。でも、いざ自分に刃を向けられると、こんなにも恐ろしくて悲しいだなんて。


 襖の向こうから、

 「雨音、いるか?」

 と、男の声が聞こえた。
 雨音は軽く返事をしたあと、ゆっくり襖を開けた。

 「宗玄(そうげん)さま。」
 「瑠璃姫から具合が悪いと聞いたのでな。起き上がって大丈夫なのか?」

 具合が悪いというのも、きっと瑠璃姫による嘘だろう。
 雨音は瑠璃姫の悪行を説明する気力もなかったため、適当に話を合わせた。

 「ええ、大丈夫です。ちょうど夜風にでも当たろうかと思っていましたので。」
 「そうか。よければお供してもいいだろうか?」
 「かまいません。」

 雨音はゆっくり立ち上がり、宗玄と共に部屋をあとにした。

 廊下で想い人の声がし、隣の部屋にいる妹を連れてどこかへ行こうとしている様子を、耳に壁をぴったりくっつけながら舞鶴は聞いていた。宗玄と雨音が廊下から去る姿を、舞鶴もゆらりと追いかける。

 雨音と宗玄は屋敷を出て、だだっ広い玉砂利の広場へと来た。

 「あそこに東屋(あずまや)があるんだ。月が良く見えるぞ。」

 と、雨音を案内した。

 二人は東屋にある腰掛けに座り、一緒に夜空を眺める。

 「もう瑠璃姫からの土産は受け取ったか?」
 「……いえ。」
 「そうか。ならばなにか他にも用意しているのかもしれんな。そなたに渡すのを楽しみにしていたから。」
 「楽しみ…ですか。」

 宗玄から今日の瑠璃姫の様子を聞いて、さらに心が冷えていく雨音。なにをしようとも、瑠璃姫が雨音を閉じ込めた事実は変わらないのだから。

 「それからもう一つ。私からも土産話があるのだが……。」
 「なんでしょうか。」
 「どうにも京で評判の蘭方医学者がいると聞いてな。その者にかけあっているところだ。」
 「そ、そんな…。大した体調ではありませんから。」
 「ああ、違う。そなたの腕の傷のことよ。」
 「傷……?」
 「そうだ。女子(おなご)の腕にそのような傷があるのは可哀想だろう。なんとか跡を消す手立てがないものか、その医者に相談したくてな。そなたもその傷で相当苦労したようだし。」
 「可哀想、ですか……。」

 また、この言葉だ。
 でもこれでひとつ、はっきりわかったことがある。


 「…そうか、可哀想に。」


 いつか、池のほとりで言われたあの言葉は、明閻さまではない。
 明閻さまになりすましていた、この男による憐みの言葉だった。

 「雨音の傷といい、今日の城下町でのことといい、人間というのは我らが思うよりもずっと脆いものなのだな。そのような生き物と、我々あやかしが対等な関係を築き、住みよい世にしていくのは…やはり難しいのだろうか。」
 「……さあ…。」
 「おっと、こういう話は舞鶴の方が良いのかもしれん。……雨音は、不思議に思わなかったか?」
 「なんでしょう。」
 「なぜ弟の私が後継者で、兄の明閻が側近なのか。」

 明閻の話で、雨音の瞳がきらりと輝く。

 「そういえば…!なぜ、明閻さまが頭領ではないのですか?私たち人間は、長男が家を継ぐものです。」
 「明閻は、許されない罪を犯したのだ。ちょうどそなたの腕の傷を見て思い出した。もう十年ほど前の話だが。」
 「一体なにを……?」
 「どうやら、人間を助けるために、己の体の一部を引きちぎり、その人間に移植させたらしい。私はその場に居合わせてはいなかったが、左手を丸ごと移したらしい。」
 「左手を…!?あれ?でも、今は両手ともあった気が…。」
 「我々あやかしは妖力が戻れば体の一部を失ってもまた生えてくるのさ。」
 「そうなんですね…。やはり、人間と全然違いますね。」
 「そうだな……。」
 「あの…どうしてその行為が許されないのですか?」
 「単に、人間への移植が禁止されているからだろうな。倫理的な面でも、健康的な面でも、大きな問題があるからだそうだ。」
 「そうなんですか…。それで、宗玄さまが跡継ぎに?」
 「そういうことだ。」
 「そんな……。」

 明閻さまが頭領ならば、私は迷わずに花嫁になるのに。

 ふと、雨音の視界が暗くなる。
 それは宗玄が優しく雨音を抱きしめていて、雨音の視界が宗玄の左肩で遮られているからだと把握するのに、数秒かかった。

 「雨音、私の(つがい)になるつもりはないか?そなたのその憂いを帯びた横顔は美しい。だが、私の力で、そなたを笑顔にできないだろうか。」

 宗玄の腕に少しだけ力が入る。

 「初めて見た時から、惹かれていた。雨音。」

 明閻さまと同じ顔なのに、どうしてこうも違うのか。どうしてこんなにも、心が動かないのだろう。

 無言になっている雨音に気付き、慌てて体を離す宗玄。

 「す、すまなかった急にこのようなこと。嫌だったか?」
 「いえ…。少しびっくりしてしまって。」
 「そうか、よかった。雨音、私は本気だ。今すぐじゃなくてもいい。ゆっくり考えて、返事を聞かせてはくれぬか?」
 「…はい、わかりました。」
 「恩に着る!なるべく前向きに考えてほしい!」

 ホッとしたような、無邪気な宗玄の笑顔を見ると、ああこの人はやっぱり弟なんだな、と実感する。
 その懸命な姿が愛らしくて、思わず微笑んでしまう。
 明閻さまとは、全然似ていないわ。


 段々と荒くなっていく呼吸をなんとか抑え込む。しかし、これ以上は無理だ。
 額からたらりと冷や汗が流れる。
 物陰から宗玄と雨音の会話を盗み聞きしていた舞鶴は、音もなく静かにその場を去った。


 なんで、なんで。
 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで

 なんで、雨音……?


 やっとのことで自室に戻った舞鶴。襖を思いっきり閉め、行燈がひとつ灯っている薄暗い部屋にしばらく立ち尽くす。
 先程の、優しい宗玄の告白が耳から離れない。
 何回も何回も反芻しては舞鶴の頭を支配していく。

 ガタン!と、行燈が倒れる音が響いた。
 行燈を蹴り飛ばした舞鶴の足の指から血が滲む。
 倒れた勢いで小さな火が消え、部屋は深い暗闇に包まれた。

 抑えていた震えが一気に全身から溢れ出す。
 舞鶴のすすり泣く声は、暗闇の中に溶けて誰にも届くことはなかった。