花嫁候補は三姉妹、選ばれたのは妹でした ~後ろ向きなあの子があやかし頭領の花嫁になるまで~

 ぎょろりと意思なく不規則に回転する目玉、まるで人形のように勢いよく倒れる骨ばった体、そして、舞鶴(まいつる)の部屋の壁に大きく残った血の跡。

 町のど真ん中で罪人女と罵られ、あの時の情景が瑠璃姫(るりひめ)の頭を過った。

 「お前たちのせいで店は大変な騒ぎだったんだぞ!」

 あの時、無理矢理に蓋をしていた心の傷が浮上していく。瑠璃姫の両手は、小刻みに震え始めた。

 「し…知らないわよ。あたくしのせいじゃないもの。あのババアが勝手に…。」
 「あのあと、命は助かったがどうも頭の打ちどころが悪くてな。使い物にならんから埋めたんだ。」
 「なら益々知らないわよ。あなたたちが勝手にババアを殺したんじゃない。」

 奉公人の男は瑠璃姫の袖を思いっきり掴んだ。

 「戻れ瑠璃姫、吉原は抜けられない。水揚げ以外で吉原を抜けた女はいない、わかっているだろ!?」
 「いや!離しなさいよ!」

 周りは遠巻きに二人の様子を窺うが、止めようとする者は誰もいない。
 命運尽きた、という考えが一瞬浮かぶ。


 ダメ、ダメよ瑠璃姫!あたくしはこんなところで終わる女じゃない!


 そう鼓舞していた矢先、瑠璃姫を掴んでいた男の手は、何者かによって剝がされる。やっとのことで、瑠璃姫と男を仲裁する者が現れた。

 「やめないか。この子は私の連れだ。」

 深紅の瞳がギラリと男を睨みつけた。

 「あ、あやかし……!」
 「それに、吉原に戻ることももうない。覚えておけ。」

 男はすごすごと去っていった。

 「大丈夫か?探したぞ。」
 「宗玄(そうげん)さま……。」

 期待していた男とは、違った。

 「騎刃は別の道を探している。合流してそろそろ屋敷へ戻ろう。」
 「え、ええ……。」

 瑠璃姫と宗玄は並んでゆっくり歩き出した。

 「それにしても、人間に畏怖の目で見られるのも悪くはないな。そのおかげでそなたを守れたのだから。」


 きっと、こういう台詞は心が躍るものなんだわ。舞鶴姉さまから借りた本にもあったもの。
 このまま色を使って仕掛ければ、あたくしならきっと、この男を落とすなんて容易いはず。
 もうすぐ日が暮れる。ここからは女の時間。ここからが勝負の時。


 「なあ瑠璃姫。」
 「はい。」
 「もういい。無理をするな。」
 「……はい?」
 「薄々感じてはいたが、先程の私を見るそなたの顔で確信が持てた。」
 「なにがよ。」
 「そなたは何故私の花嫁になりたいのだ?」
 「そんなの、あなたが、というよりは頭領の……あっ。」

 疲労と安心で不意に本音が漏れてしまった。

 「やはりな。だから、無理をするなと言ったのだ。」
 「は、はぁ!?無理するに決まってるでしょ!あたくしの人生がかかってるのよ!決定的な地位を得て、安定した暮らしをして、有り余る金で贅沢して、それから…!」
 「それで、そなたは本当に幸せになれるのか?人間の寿命は短いと聞くが、それは終わりを迎えた時に、いい人生だったと振り返られるものなのか?」
 「………。」
 「はっきり言おう。瑠璃姫、私はそなたを選ばない。なぜなら私にとってもそなたにとっても、夫婦になることが最善の道とは言えないからだ。」
 「……は?」
 「ああ、安心してくれ!花嫁になれなかったとしても、そなたを吉原に戻すことなどせぬ。そなたたち三人の面倒はこちらで見よう。そなたたちには幸せになってもらいたい。」
 「そ……そんなの納得いかないわ!冗談じゃない!まだあたくしのこと知らないくせに!あたくしにとっては…!」

 瑠璃姫が文句を並べようとするが、宗玄は穏やかな顔で聞いている。
 その表情は、瑠璃姫の張りに張った心をしぼませるには充分だった。

 「そなたの主張はなかなかに刺さったぞ。しかし、学びを得られた。そなたとここに来られて良かった。ありがとう瑠璃姫。」
 「……そうね。感謝しなさい。」

 なんだか、肩の力が抜けたような、温かい日差しに包まれるような感覚になる瑠璃姫だった。






 日が落ちて月の光が明るくなった夜。

 「おかえりなさい。」

 柳のように立っている雨音(あまね)を見て、ビクッと体を震わせる瑠璃姫。雨音の手には、立て板が。

 「あ、あら。雨音姉さま。部屋から出ていたの?」
 「瑠璃姫を待っていたの。」
 「廊下で?ずっと?」
 「ええ。」
 「な…なによ。」
 「この立て板、知らない?」

 瑠璃姫はバツが悪くなり、咄嗟に言い返すことが出来ずに黙る。
 それもそうだ。この立て板を襖の脇に立てて、雨音を閉じ込めていたのだから。
 雨音の力のない目に、罪悪感が押し寄せてくる。
 なにも言えない瑠璃姫に対し雨音は、

 「…そう。」

 と、冷たく返した後、部屋へと入ってしまった。

 「わかってるわよ。流石に、やりすぎたなって……。」

 瑠璃姫が手に持っていた二つの飴細工は、行き場をなくして宙ぶらりんになってしまった。

 そうだ、お茶。雨音姉様の好きな緑茶を入れて、謝ろう……。
 屋敷の離れに、台所があったはず。

 瑠璃姫は近道をしようと、屋敷の中庭を突っ切るように歩いていく。
 すると、背後から思いっきり肩を掴まれた。

 「なっ…なんですの!?」
 「い、いた…!ようやく見つけましたよ、"瑠璃(るり)殿"!」
 「あ、あなた…!」

 すっかり忘れていた。瑠璃姫の肩を掴んで離さないのは、彼女が中途半端に色仕掛けしていた官僚補佐の青年だった。

 「ずっと探していたんです!ああ、会えてよかった!」

 青年はそのまま後ろから抱きついた。
 瑠璃姫は自分から青年を引きはがそうと体を捻るが、ビクともしない。

 「ちょっと!あたくしの恰好を見てわからないの!?」
 「ええ。僕のためにめかし込んでくれたんですよね…!」
 「は、はぁ!?なに言ってんのよ!あたくしは下働きじゃなくて花嫁…」
 「探し出すのが遅れて申し訳ないです、どうか機嫌を直してください瑠璃殿。身分差の恋に慎重な行動はつきものですから…。」

 なにコイツ…。全然話が通じないじゃない!

 それでもなんとか抵抗しようともがいているうちに、足を絡ませて転んでしまった。青年も瑠璃姫の上に覆いかぶさる。

 「ちょっと!どいて!」
 「ああ瑠璃殿、この時をどんなに待ちわびたか…!」

 瑠璃姫が押しのけようとしても、青年の指一本動かせない。こんなに青白くて細い体型であってもあやかしなのだ。人間の、しかもオ女の力で出来ることなどたかが知れている。

 なんで…なんでこうなったの!?だれか、だれか…!

 何かを蹴り上げるような鈍い音がし、急に瑠璃姫の身体への重圧が軽くなった。

 「え…な、なに…。」
 「なにしてんだこんなところでぇ!」

 瑠璃姫に覆いかぶさっていた青年を蹴り飛ばし、大声を出したのは騎刃だった。
 中途半端に現れている狼の耳と尻尾は、これでもかと毛が逆立っている。

 「この女が若様の花嫁候補だってわかって……ん?あー、ダメだ、完全に伸びちまってる。しばらく起きねぇなぁコレ。手加減すりゃよかったぜ。おい、大丈夫か性悪女。」

 意識を失っている青年を確認し、瑠璃姫の方に振り返ると、いつもの威勢のよさとは真逆の、弱々しくへたり込んでいる彼女の姿が見えた。

 「おい、大丈夫か?」

 瑠璃姫の隣にしゃがみ込んで心配そうに見つめる騎刃の声色は、とても柔らかく優しかった。
 その声掛けに、瑠璃姫は止まることのない涙を流した。

 「お、おい…。」


 この瞬間に、わかってしまった。
 助けが来て、全身の血が駆け巡るほど、嬉しかったこと。
 自分が女として、人間として、とても無力だということ。
 それでも、あやかし全員を嫌いになんてなれないこと。
 そして…今こうして傍にいる人が、コイツじゃなきゃ、あたくしは満足しないってこと。


 「怖かった…。怖かったぁ……。」
 「そ、そうだよな…。悪かった、オレも悪かった。」

 (オレも悪かった、ってなんだよ。オレは別になにも悪くねぇだろ。)

 しおらしくシクシクと泣くお調子娘を目の前に、たじたじになってしまう騎刃。
 その態度すらも彼女の計算だとは知らずに。