花嫁候補は三姉妹、選ばれたのは妹でした ~後ろ向きなあの子があやかし頭領の花嫁になるまで~

 太陽が燦燦(さんさん)と輝く()つ時。
 雨音(あまね)は着慣れた割烹着を(まと)い、慣れない手つきで化粧筆を取る。


 もうすぐ、宗玄さまとの約束の時間だ。
 昨夜、小屋作りに協力していた"明閻(めいえん)さま"が宗玄(そうげん)さまであったことが判明した。
 それを聞いて、私の気持ちは益々迷子になっていく。
 では、この頬紅も、口紅も、一体なんのために…?
 それでも、約束は約束だ。昨日は私だけ頭領から贈り物を受け取ってしまって居心地が悪かった。だから今日は、私が舞鶴お姉さまと瑠璃姫になにか良いものをお渡し出来たらいいのだけれど。


 迷っている時間も無くなった。そろそろ部屋を出て御世(みよ)の間に向かわなくては。
 雨音は化粧台から立ち上がり、襖に手をかけた。

 「んっ。あれ?」

 引いてもビクともしない。

 「え?ど、どうして…。」

 ガタガタと思いっきり引いてみるが、全く開く気配がない。

 「ど、どうしよう……!」





 御世の間の戸の向こうから、

 「宗玄さま、入っても?」

 と、女の声がした。
 雨音が来たのだろう。宗玄は書類から目を離し、机に座ったまま返事をする。

 「ああ、入れ。」

 しかし、戸が開き、現れたのは雨音ではなく瑠璃姫(るりひめ)だった。

 「そなたは…瑠璃姫?」
 「あの…雨音姉さま、今日は体調がよろしくなくて。代わりにあたくしがお供させていただきますわ。」
 「なに、見舞いに行った方がいいだろうか?そうだ、医者も呼ぼう。」
 「いいえ!既に侍女たちが看病していますわ。それに、女が弱った姿を殿方にお見せするのは酷ではなくて?」
 「そうなのか…。」

 あからさまにガッカリする宗玄に少し腹を立てつつも、

 「その代わり、この吉原売れっ子遊女の瑠璃姫が、宗玄さまに心安らぐひと時をお届けしますわ。」

 と、涼しげな笑顔で宗玄を説得し、雨音の代わりに逢瀬に漕ぎ着けた。




 一体、あれからどれくらいの時が経ったのだろう。雨音の部屋の前と左側の襖は、どちらも全く空く気配がない。後ろと右側の壁には窓ひとつない。
 もう、約束の時間は過ぎてしまったのだろうか。
 半ば諦めた状態で座り込んだ雨音だったが、今度は急に厠に行きたくなってしまった。

 どうしよう…!

 「だ、誰か―!誰かいませんか!」

 雨音は助けを求めて大声を上げた。しかし、物音一つしない。

 「舞鶴お姉さまー!瑠璃姫!」

 隣接した部屋にいるであろう二人を呼ぶが、それでも外の気配は変わらない。


 そんな……!二人ともいないの!?
 どうしよう、こんな時に限って……。


 しばらく叫んでいると、ガコン、と、なにかを外す音がした。

 誰かいる!

 「すみません!襖が開かないんです!」

 雨音が訴えると、スルリと襖が開いた。

 「えっ……!」

 襖の向こうに立っていたのは、明閻だった。

 「め、明閻さま……?」

 昨日会った宗玄とは違う、冷ややかでクスリともしない、人を寄せ付けない雰囲気。
 この方が、明閻さまなんだわ。

 「襖の横に板が倒れて塞いでいたのだろう。これでは開くまい。」
 「あ、ありがとうございます。」
 「不自然だな。何者かが立て付けたかのようだ。」
 「え……。」
 「そういえばお前は弟の宗玄と約束していたのではないのか。時間は過ぎている、急げ。」

 雨音は中腰になってなにかに耐えている。

 「どうした。」
 「すみません…ずっと、厠に行きたくて、その……。」

 真剣な雨音の表情に、明閻はこらえきれずに思わず喉の奥を鳴らしてしまう。

 「わ…笑わないでください……!」
 「引き留めて悪かった。どうぞ。」

 真面目な顔で体を避ける明閻の姿に、思わず雨音も笑みがこぼれてしまう。
 去り際に、雨音は勇気を出して明閻にこう伝えてみた。

 「明閻さまにお会いできて、嬉しいです。失礼します。」

 そのまま明閻に背を向けて、廊下を走っていく。雨音は明閻の顔も、返事も確認することは出来なかった。





 (からす)が背負う狭い籠の中に、大の男二人と、華奢な瑠璃姫が密になって座っている。

 「ちょっと。なんであなたもいるのよ、騎刃(きば)。」
 「オレは若様の護衛だ。お前こそいつものそんな態度でいいのか?若様の御前だぞ。」
 「いいのだ、騎刃。私は彼女たちの気取らない姿が見たいのだ。」
 「この小娘が気取らなかったら誰も拾いやしねぇですぜ。」
 「腹立つわね。あなた兵士なんだったら籠に乗らないで歩きなさいよ。」
 「馬鹿言え空飛んでるんだぞ。」
 「狭いのよ!」
 「ははは、瑠璃姫と騎刃がこうも愉快だとは思わなんだ。」
 「笑い事じゃないわよ!」

 (んも~!どうしてこうなるわけ!?あたくしは吉原の売れっ子遊女…。あたくしの手に掛かれば落ちない男はいないっていうのに!)

 山を下り、天地里(あめつちさと)をも通り過ぎ、一刻ほど籠に揺られていると、江戸の城下町へと入っていった。
 烏が地上に降りたので、瑠璃姫たちも籠から出て辺りを見回す。

 「すごい…。人が多くて賑わっているわ…!」

 吉原の世界しか知らない瑠璃姫は、行き交う人々やどこからも聞こえてくる商人たちの呼び込みの声など、なにもかもが新鮮な景色に目を潤ませている。

 「こんなに感動してもらえるなら、連れてきた甲斐があったな。」
 「すごいわ!あたくし、こういう雰囲気大好き!ねぇ!あれはなに!?」
 「おいおい走るなよ性悪女!はぐれるぞ!」
 「あなたが付いてきなさい!」
 「オレらが若様についてくんだよ!」


 すごいすごい!
 こんなにも活気がある町があるだなんて!
 それはそうよ、こんな空気を知ったらきっと、あたくしたち遊女は二度と吉原に戻ろうなんて思わないもの。


 どこまでも続く店通りや、賑わう参道、色々と見ては胸が高鳴るばかりだった。

 「まぁ!素敵!金魚だわ。」
 店先に並んで飾られている金魚の飴細工に目を奪われている瑠璃姫。すると、店の前で呼び込みをしていた粋のいい江戸っ子の兄ちゃんが話しかけてきた。
 「お姉ちゃん、別嬪さんだねぇ。飴細工は初めてか?」
 「飴細工?なにそれ知らないわ。」
 「飴で出来てるから食えるよ、一本どうだ!?」

 瑠璃姫の後ろから、月白色(げっぱくいろ)の髪に深紅の瞳を光らせた人外が顔を覗かせた。

 「なんだ、それが欲しいのか?瑠璃姫。」
 「初めて見るものだから、一体何なのか気になったのよ。」
 「折角だから…」

 宗玄が懐から巾着に入った銭を出そうとしたその時、さっきまで勢いの良かったお店の兄ちゃんは震えた声で

 「いや、お代はいい。どうぞ持ってって下さいあやかしさま。」

 と言うと、店の奥へ入っていってしまった。

 「そうか……。」

 宗玄は一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに

 「お兄さん、お代はここに置いていくから受け取ってくれ。」

 と、店の向こうに向かって叫んだあと、瑠璃姫が見ていた金魚の飴細工を手に取った。

 「はい、お嬢さん。」
 「揃いも揃ってあたくしを(わっぱ)扱いするんじゃないわよ。」
 「揃いも揃って?」
 「あなたと、あなたの部下の騎刃よ!」
 「仲良いな、おまえたち。」
 「馬鹿じゃないの?」

 色々と店を見ていく中で、気付いたことがある。
 皆が皆、宗玄や騎刃があやかしだとわかると、それまでの軽快な営業文句が急に閉ざされて、他の客を対応したり、金銭を要求せずに品物を譲ったりといった態度を取るのだ。
 その度に、宗玄の顔が曇っていく。
 瑠璃姫は、ここに来るまでの吉原での日常を思い出していた。

 「歩き疲れたわ。」
 「では、そこの茶屋で休憩しよう。」

 茶屋の中に入り、机を三人で囲みながら煎じ茶と茶菓子をつまむ。

 「あからさまに元気がないわね、宗玄さま。つまらなかった?」
 「いや、そなたのせいではない。ただ、私の考えの甘さを実感していたんだ。」
 「どこに行っても人間なんてあんなもんですぜ若様。」
 「そうか……。」

 騎刃のあっけらかんとした言いように、宗玄は益々どんよりしてしまった。
 そんな宗玄を見た瑠璃姫は腹の底から沸き上がる感情に頭がカッと熱くなる。

 「気に入らないわ!」
 「え?」
 「あなたのそういう被害者のような態度よ!坊主の欲まみれより気に入らないわ!」
 「わ、私が被害者…?」
 「そうでしょう?だってちょっと突っぱねられた対応をされたからってそんなに落ち込んで。その原因があなたたちあやかしの普段の行いだってこと、一寸も考えていないんでしょう!?」
 「いや、そんなことは……」
 「あるわよ!あなたなんて、きっと生まれた時から蝶よ花よと育てられて、あなたを否定する者なんていなかったんだわ!あなたなんて、ただ人より権威や地位があるだけで大事にされているに過ぎないんだから。あなたを大事にすれば、自分にうまみが返ってくる。ただそれだけのことなのよ!」

 宗玄は茶をすすろうと持ち上げかけた茶器を机にそっと置き、さらに考え込む。

 「聞き捨てならねぇな。花嫁候補としてここにいるお前も、同じ穴の狢じゃねぇか。」
 「騎刃。あなたって、あたくしに恥をかかせたいんだわ。意地悪しか言わないもの。」
 「言い過ぎだって言ってるだけさ。」
 「あたくし、忘れていましたわ。あやかしなんて元々野蛮な連中だったってこと。あたくしは、吉原で受けた屈辱をなかったことになんてできないの。」
 「そんな心持ちの女が若様の隣に並べるもんか。若様が志す世の話をもう一度耳の穴かっぽじって刻んどくんだな。」

 騎刃の一歩も引かない態度に、瑠璃姫はカッとなって一発平手打ちをお見舞いした。そして小走りで茶屋から出て行ってしまう。

 「瑠璃姫!」
 「追わなくていいじゃないすか?すぐ戻ってきますよ。」




 瑠璃姫は当てもなく賑やかな通りを駆け抜ける。
 ずっと走っていると、段々と足が重くなってきた。瑠璃姫は立ち止まり、息を整える。

 「なにやってるのかしら、あたくし……。」

 前かがみになり膝に両手をついてふうっと深呼吸していると、頭上から

 「瑠璃姫!?」

 と、男が声を掛けてきた。
 なにかと思い顔を上げると、なんと宵花楼(よいかろう)の奉公男が目の前に立っていた。

 「あ、あんた確か悟助(ごすけ)と同じ奉公人の…。」
 「やっと見つけたぞ!この罪人女!」