花嫁候補は三姉妹、選ばれたのは妹でした ~後ろ向きなあの子があやかし頭領の花嫁になるまで~

透き通った白い肌に、青々と目立つクマを隠そうともしない素振りで、淡々と野菜を切っていく雨音(あまね)
今日一日、昨日の遣手婆(やりてばば)悟助(ごすけ)の会話が頭から離れずにいた。

(私も、舞鶴(まいつる)お姉さまも、瑠璃姫(るりひめ)だって…。この楼閣(ろうかく)の日々を終えられると信じていた。信じて今日まで生きてきた、のに…。)

一体これ以上、どうしようというのか。
雨音の頭には、昨日の会話はもちろん、愕然(がくぜん)とした舞鶴の表情が強くしこりのように残っていた。茹で上がった野菜をかごへ移し、熱いまま包丁を入れ、見栄え良くかたちを整えていく。体だけは、虚しくいつものように動いている。

「雨音さん、それ切り終わったら、こちらのお酒を舞鶴太夫のお座敷に、って。」
「私、ですか?」
「ええ、遣手婆(やりてばば)が雨音さんに運ばせろ、って言ってましたよ。」
「……。」

どうして…。そんな言葉が零れそうになった。昨日、瑠璃姫のところへ酒を運んだら、ああしていざこざが起きてしまったではないか。
雨音は、厨房の入り口の隅に置かれた酒瓶に目をやった。この酒は滅多に見たことのない、高級品であった。

「雨音さん、急いで!」
「は、はい…!」

雨音のお盆を持つ手は、おそろしく震えていた。
年に一度出るか出ないかの高価なお酒…。一体舞鶴はどんな客をもてなしているというのだ。

「し…失礼致します…。」

震えが止まらぬまま、大客間の襖をそっと開けた。

「お酒をお持ちいたしました。」

顔を上げられないまま、三つ指をついて一礼する。

「ご苦労、雨音。」

雨音の耳にスッと入ってきたのは、堂々とした舞鶴の声色だった。ホッとして思わず
顔を上げると、舞鶴太夫の左右には気高い雰囲気を醸し出す若い男が数名並んで座っている。その者らの瞳は、昨夜の瑠璃姫の客だった吾妻(あずま)と同じ深紅の瞳だ。

「太夫が直々に労いをかけるとは…。この下女は何者だ?」

舞鶴の一番近くにいた男が問う。
昨日の吾妻…いや、"あやかし"とはまるで違う、"あやかし"特有の野蛮な雰囲気を一切感じない不思議な青年だ。
キリッとした端正な顔立ちにキレイに揃えられた七三の前髪。そしてつややかな月白(げっぱく)色のそれが、人間のようでいて"あやかし"である境界を曖昧にさせる。

「アタシの妹、雨音さ。その子は遊女じゃないから乱暴はよしとくれよ。」

そんな舞鶴の説明で、あやかしたちの視線が一気に雨音に集まる。
続けて青年は、

「舞を見せてくれ。」

と、雨音に向かって命じた。

「言っただろうお客さん。その子は遊女じゃないんだよ。」

しかし青年は舞鶴の呼びかけには答えず、雨音をジッと見据えたまま

「舞えと言っている。」

一歩も引かぬ迫力で言い切った。

(なぜ…。なぜこのあやかしは私にこんなことを…?)

たらりと冷や汗を流し、弱々しい視線を畳の一点から動かせない雨音。

(舞なんて、舞鶴お姉さまに少し教わったくらいしか…。)

前にも後ろにも動けないまま、雨音はただずっと、手前に伸ばした三つ指を支えるだけだった。

「雨音、あんたの仕事は終わったんだ。さっさと厨房に戻りな!…お客さん、舞ならアタシともう一人、踊りの評判がいい妓がいるんだよ。さぁ。」

舞鶴が助け船を出し、ほかのあやかしの客らも舞鶴の方へ顔を向けたが、この青年だけは雨音を見続けていた。

「……その程度か。」

青年が、ぼそりと呟く。
雨音の脳裏に、昨夜の失態が過った。

(ここで私がしっかりしなければ…また店に迷惑が掛かってしまう。そしてきっと…舞鶴お姉さまのお金も、また……!)

雨音の目の奥に、グッと力が入った。
(これ以上、私のせいで舞鶴お姉さまや瑠璃姫に……あんな思いをさせたくない!)

「ご所望とあらば、僭越(せんえつ)ながら舞わせていただきます。」

雨音はスッと立ち上がり、割烹着をするりと脱いだ。
一歩、二歩と優雅に足を運び、柳のようにしなやかな腕を沿え、ゆっくりと舞いだした。
音もなく静まり返った部屋の中で、震える手先をなんとか抑えながら舞う妹の姿を見て、舞鶴も雨音に合わせるように唄いだす。
その間、誰も口を挟まず、手拍子もせず、ただただ雨音の耽美な舞に目が離せずにいた。
舞鶴の唄が終わり、無音の合図で雨音はハッと我に返った。

「い…以上でございます…。」

すごすごと小さくなりながらお辞儀をし、ちらりとあやかしたちの様子を窺った。あやかしたちは、目を丸くしながら雨音を見ていた。
驚いていたのはあやかしだけではない。雨音もまた、あやかしたちの静かな態度に戸惑っていた。

(この人たち…ただのあやかしじゃないわ。だってあやかしは皆、私たち人間に対して横暴で、残虐で…。)

この場の空気に呑まれて誰も口を開かなかったが、しばらくして青年が

「なるほど。これは出向いた甲斐があったものだな。」

と、目の前のお猪口を口にした。

「なぜ、それほどの器量と芸がありながら、下女のままでいるのだ。」

青年は雨音の袖口から僅かに見える赤黒い腕の異形を目にした。

「その腕は…。」

青年の独り言のような言葉にハッとし、雨音は素早く袖口を抑え、慌てて腕を隠す。しかし、そんな雨音の様子を憐れむことなく、青年は顔色を変えずに雨音へ近づいた。

「ちょっとお客さん!?」

焦りの混じった舞鶴の声より先に、青年が雨音の袖をまくってしまった。

「……この傷、どこで?」

また、嘲笑される…。

「お…幼いころに……。」

反射で声が震える雨音。
青年はしばらく雨音の仰々しい腕を見つめたが、スッと優しくまくっていた袖を下ろした。

「すまない、つかぬことを聞いた。」

青年は真顔のまま、席へと戻っていった。

「いえ…。」

あんなにまじまじと、自分の腕の傷を見た者が、驚くでもなく、冷やかすでも気味悪がるでもなく、眉一つ動かさずに詫びの一言を返すなんて。
雨音は驚きのあまり、その場に立ち尽くしてしまった。。
青年は席に座りなおすと、お猪口に残った酒を一気に口に入れた。

「巷で噂の美人三姉妹とは、舞鶴・瑠璃姫…。そしてもうひとりはこの下女ということだな。」
「ええ。二人とも自慢の妹たちさ。雨音の厨房の腕は確かだよ。」

お猪口に酒を注ぎながら、舞鶴も答える。

「そうか…。」

それから青年は腕を組み、ウンとなにかを考え込んだ。
舞鶴も雨音も、この青年の様子に呆気に取られていた。なぜなら、今まで客についたあやかしたちは、“巷で噂の美人三姉妹”と遭逢(そうほう)したとなると、途端に好奇の目で彼女らを眺め、昨日のようにちょっかいを出す者もいたからである。
この青年は、なにかが他の者とは違う…そう強く感じた雨音だったが、ようやく己の仕事を思い出し、

「では、私はこれで…。」

と、腰を上げたが、

「待て、そこの女!」

青年が部屋を去ろうとする雨音を呼び止めた。

「なに、お前さんまだ雨音に用があるって?ご要望通り、舞は披露したじゃない。」

舞鶴が咎めるが、青年の視線の先は雨音一点だ。
雨音の傷を見ても、アタシたちが噂の美人三姉妹だと知ってもこの青年は常に冷静だった。しかしこの様子、どうやらなにか訳があると、舞鶴の長年のカンが頷いた。

「ねぇあやかしのお前さん。どうやらただ遊びにここへ来たわけじゃあないね?」

舞鶴はあやかしの青年にグッと近付き、鋭い視線を刺した。その青年も舞鶴の視線に答えるように顔を上げ、ジッと舞鶴を見つめ返した。そして、懐から金子《きんす》の束を出し、舞鶴の手元に置いた。

「……なんのつもりだい?」
「舞鶴太夫。そしてそこの下女。ここからは内密の話をする。」

青年の周りにいた数人のあやかしらの空気に緊張が走った。

「…ええ。太夫の名にかけて、口外しないと誓うよ。」

舞鶴の迷いのない答え方を受け、青年はゆっくり話し始めた。

「……近日中に、我らあやかしの頭領が次世代の者へ引き継がれることになっている。」
「……!」
「あやかしの頭領だとて、貴様ら人間に無関係でもあるまい。そこは解るな?」
「…ええ。アタシら人間と"あやかしさま"たちは共存して社会を築いている。そこに優劣も上下も強弱もない…はずだったんだけどねぇ。」
「そうだ。同胞が人間相手に威張り散らしている現状は、我々も把握はしている。だが、どうも上手くいかなかった。」
「そのせいで、肩身が狭いったらないよ。」
「そうか。そうだろうな。」
「…なぜそんな話をアタシたちに?生憎アタシは太夫を名乗らせてもらってんのさ。この程度の世間話はほとほと飽きたよ。」
「この現状を解消するために、あやかしの頭領を代えるのだ。」
「へぇ、ま、せいぜい期待してるよ、"あやかしさま"。」
「せっかちな女だ。まだ話は終わっていない。」
「あんたの話は長すぎるんだよ!金子を置くほど大事な話ってんなら要件を先に言いな!」
「新しいあやかしの頭領の花嫁を探している。舞鶴太夫、格子の瑠璃姫、そしてそこの下女の雨音…。お前たち三人とも、次期頭領の花嫁候補になってほしい。」
「え……。」
「最も、次期頭領の花嫁探しは大々的に周知し、候補者も大勢取るつもりだが…。集まった女どもが全てカッコウでは意味がない。」
「その言い方…あれかい?お前さんたちはその“花嫁候補”の本命探しにこの辺をうろついてるのかい?」
「半分当たり、半分ハズレだ。そもそも吉原で探す気はなかったが、町で耳にする評判の娘の名に、お前たちの名を挙げる者があまりにも多くてな…。」
「…そうかい。アタシら、そんなに有名になっちまったんだねぇ。そんな話…。遣手婆(やりてばば)は説得したんだね?」
「いや、この場で決めたことだ。」
「あの腹黒婆が許すはずない…。」
「我々の目指す日本はあやかしと人間の平等な世だ。今ここで、大きくなりすぎたあやかしの権力とやらを強行するつもりはない。」
「ふん、そんなもの。なんの役にも立ちやしないさ…。」
「よく聞け、舞鶴太夫。明日の午の刻に、悟助(ごすけ)が街へ荷車を出す。その荷物に紛れてここを抜け出せ。あとは悟助が案内するだろう。」
「な……!?」
「悟助には、明閻(めいえん)に言われて来た、とひとこと言えばいい。さて、用は済んだな。もうここに留まる理由は無くなった。失礼しよう。」

帰り支度を始めるあやかしたち。明閻(めいえん)と名乗るその青年は、上着を羽織り、座敷をあとにしようと障子に手を掛ける。

「ま…待ってください!」

そんな明閻の後ろ姿に縋り付くような声を出したのは、雨音だった。

「どうして、そんな…急に…。」
「若殿の命運のためだ。お前たち三姉妹は若殿を支える器量も技量も最低限はあるとみた。…昨日の瑠璃姫も、うちのものが随分と世話になったようだ。あれほどの気の強さがあればきっと我らあやかしと対等に渡り合えよう。」
「昨日の、って…。もしかして…。」
「強制はせぬ。あとはお前たち自身で決めることだ。では、失礼する。」
ひらりと羽織をなびかせ、明閻は部屋をあとにした。
「こんな…ことって……。」

その勇ましささえ感じる明閻の後ろ姿を、雨音は自分の視界に残すようにずっと見つめていた。