花嫁候補は三姉妹、選ばれたのは妹でした ~後ろ向きなあの子があやかし頭領の花嫁になるまで~

 それから、瑠璃姫(るりひめ)は毎日屋根作りに参加するようになった。
 理由は明確で、瑠璃姫の挙動から明閻(めいえん)目当てだということが分かる。色々な方法でアプローチするが、明閻は知ってか知らずか、のらりくらりとかわしている。
 雨音(あまね)は、その様子を見てもあまり焦ることはなかった。それよりも、舞鶴(まいつる)が明閻に声を掛ける度に、雨音の心は焦燥感に駆られる。雨音はずっと、二人の様子も自分の心も見ないフリをしていた。

 「雨音、ちょっといいか。」

 男が声を掛けると、横から舞鶴が

 「ああ、藁の調達かい?それならアタシが。」

 と、遮ろうとするが、男は曖昧に返事をし、雨音の袖を引っ張って連れ出した。

 作業していた林を抜け、広い池のほとりまで歩いた。

 ここは、明閻さまと会った夜の、あの池だわ。

 「あ、あの明閻さま、どうしてここに……?」
 「え?ああ、特に意味はない。」
 「え……。」

 覚えていないのだろうか。私にとってはあの夜の池の揺らめきも、雲の隙間から覗く月の輝きも、風に乗って鼻先をつつく草木の香りも、全部全部、私の感覚に残っているのに……。

 「なんだか息が詰まるな…。」
 「すみません。私たちの都合に巻き込んでしまって。」
 「いや、違うんだ。最近、舞鶴といい瑠璃姫といい、二人からの圧が強くてな……。私がなにかしでかしたのだろうか?」
 「あ、圧…ですか。」
 「その分、雨音は変わらないな。淡々と目の前の作業をこなしていて、好感が持てる。だから、少しはそなたと一緒に静かに過ごしたかったのだ。」

 ずっと自分を押し殺してきた雨音にとって、この言葉はなんとも心地の良いものだった。
 私は、舞鶴お姉さまのように明閻さまと対等に接することができない。瑠璃姫のように女を使って積極的に距離を詰めることもできない。
 なんだか、私は私でいい、と言われているみたいだ。

 「……勿体ないお言葉です。私なんかに…。」
 「そなたと初めて会った時から、その物鬱(ものう)つ気な表情は変わっていないな。あらかたあの二人に押されてこの場に来たのだろう?」
 「いいえ……。」

 私はただ、明閻さまに会いたくて、ここまで来たんです。

 顔に掛かる髪の毛を、耳に賭けようと右手を上げる雨音。その動作で袖がするりと下がり、赤黒い腕が見えた。

 「その傷は……。」

 明閻さまにはもう幾度と見られている。焦って隠す必要もなかった。

 「雨音、その傷は、どこで?」
 「え……。」

 まさか傷について触れられるとは思わず、一瞬言葉が詰まる。

 あれ?明閻さまから、前にも同じことを聞かれた気がする。

 「すまない、言いにくいのであれば気にしないでくれ。」
 「いえ、そういうわけでは……。これは、小さい頃に崖から落ちてしまって…その時に出来た傷なんです。私たち三姉妹は幼い頃に、借金のかたとして両親に売られました。そうして吉原に来たのです。……これは売られた日の夜、吉原まで移動している最中の森で、両親と離れ離れになるのが嫌で、家に帰ろうと籠から抜け出して逃げた時に。」
 「あやまって崖から落ちたのか。」
 「はい。落ちたあとは意識を失って、気付いたら舞鶴お姉さまと吉原の人が……。」

 雨音は当時の記憶を辿りながら話していたが、ふと自分の発した言葉に違和感を覚えた。

 吉原の人……。あれは吉原の人だったのだろうか?
 スッとした立ち姿に、月光から少しだけ零れる白髪のような髪の毛が思い浮かぶ。
 あれは……。

 雨音はチラリと横に並んで立っている男の顔を見た。
 男の視線は、雨音の傷に向いていた。そしてこの傷に向けられているその目を、雨音はよく知っていた。

 「…そうか、可哀想に。」

 そう、憐みの目だ。気味悪がる怯えた目と同じく、幾度となく浴びてきたこの眼差し。

 かわいそう……?

 雨音の中で、温かくなっていたなにかが、サッと冷めていく感覚が走った。


 それからは、なにを話しかけられても耳に入ってこなかった。自分でもどうやってこの時を過ごしていたかわからない。
 わからないまま、いつの間にか藁でできた屋根は完成し、三姉妹の生活居がようやくかたちになっていた。

 「ちょっとぉ。雨音姉さまったらどうしたの?帰ってきてからずっと心ここにあらずじゃない。」
 「さぁ……。明閻となにかあったのかもねぇ。」




 屋敷の中が慌ただしい。
 使用人が走って行き来している。
 明閻は不思議に思いつつも、御世の間へと向かった。あの男に、呼び出されていたのだ。
 相変わらずノックもせず、御世の間の扉を躊躇いなく開ける。

 「ああ、来たか!」

 玉座に座っている男が、軽快に話しかける。

 「なんだか使用人たちの様子がおかしいが。」

 明閻はため息交じりに答える。

 「それはそうだろう。次期頭領就任の儀を明日にしたからな。」
 「なんだって!?七日後じゃなかったのか!」
 「思ったよりも早く頼みの物が届いたのでな。はやく渡したいのだ。」
 「私になんの断りもなく勝手に……。」
 「よいではないか。最初の命だ。そなたにも働いてもらうぞ、明閻。」
 「はぁ……。」

 ついに、来てしまった。
 明閻の鼓動は、動揺を揺さぶるように速く大きくなっていた。





 鳥のさえずりも聞こえなくなり、静寂な暗闇の中。
 雨音は夜になっても眠れなかった。



 「可哀想に。」



 あの時の言葉が、雨音の頭から離れない。

 嫌だ……。ジッとしていたら頭がおかしくなりそう!

 小屋を飛び出して、走った先は池のほとりだった。
 ああ、どうしてここに来てしまうんだろう。

 ほとりに、人影が見えた。まさか。
 雨音は、気付かれないように来た道を戻ろうとした。

 「帰るのか。」

 この声は、やはり明閻さま。
 雨音はそれ以上動くことも出来ず、中途半端な距離感のまま立ち止まった。

 「……お前がもし、姉たちのためにここまで来たのなら、逃げるのは今日が最後だぞ。」
 「いえ……。姉や妹のためではありません……。」
 「そうか。では、お前も花嫁を目指すのだな。」
 「え……。わ、私は……」

 自分がここに来る決意をした理由を、思わず零しそうになった。しかし、昼間の引っかかりがそれをせき止める。

 「あの、明閻さま。やはりこの傷は可哀想なのでしょうか……。」

 ずっと池の方を見ていた明閻が後ろを振り返り、雨音を見る。

 「お前は自身はどうなんだ。」
 「え?私、自身…ですか?」
 「お前はその傷を憐れだと思っているのか。」

 そんなこと、考えたこともなかった。でも……

 「私は、この傷を憐れだと思ったことはありません。当たり前なんです。日常なんです。蔑まれるのも、憐れまれるのも。でも…明閻さまは、私の傷を見ても眉一つ動かさなかった。私はそれが心地良かったんです。なので、今更憐みの目を向けないでください。同情されたら…悲しいです。」

 そうだ、私は悲しかったのだ。さも気にも留めない素振りで傷を見たあの時のあなたでさえ、これは悲惨なものなのだと突きつけられたようで。

 「なんの話だ?」
 「へ?」
 「あ、いや、なんでも。もしやそれは日中での話か?」
 「…はい。」
 「私はお前を憐れんだことなどない。」
 「え?」
 「逃げぬのなら、明日は覚悟しておくことだ。」
 「め、明閻さま…?」

 明閻はそれだけ言い残し、どこかへ去っていった。



 翌朝、聞きなれない声で目を覚ます三姉妹。

 「起きてくださいまし。支度をしますよ!」

 三姉妹を揺すり起こしているのは、侍女のあやかしだった。

 「このあと、次期頭領就任式に参加していただくのですから、はやく!」