それから、舞鶴と雨音は屋根作りに勤しんでいた。
あの男も毎日日中にフラッと来ては、手伝ったり少し世間話をしたり。
そして相変わらず瑠璃姫は屋根作りになど目もくれず、せっせと目を付けた青年の元へと通っていた。
竹製の格子が段々と大きくなっていく。しかし、あの舞鶴お手製の歪な小屋を覆うには程遠い。
無心で蔦縄を結んでいく。摩擦で雨音の指先は赤く固くなっていく。
「手伝おうか、雨音。」
そう声を掛けた彼の美しい月白色の髪が風に靡いている。
夜に出会った明閻さまと、日中に訪ねてくる明閻さまは、どこか雰囲気が違って見える。
この時間の明閻さまは、なにかから解き放たれたかのような親しみやすさを感じる。
あなたを知る度に、あなたがわからなくなる。
雨音は、いつかの夜、崖の上で助けられた時の、明閻との距離の近さを思い出していた。
同じ時間を共にしている今の方が、明閻を身近に感じられるのは当たり前だろう。しかし、雨音の心の内では、なぜかあの夜に思いを馳せることが多い。
「明閻、ちょっといいかい。」
雨音の背中越しに、舞鶴が声を掛けた。
「なんだ?」
「竹を切り終えたから補充しようと思ってさ。アタシじゃあ大量の竹を持って移動できないだろう?手伝っておくれ。」
「…ああ、わかった。」
手を止めて二人のやり取りを見ている雨音に、
「悪いね、コイツを借りるよ。」
と、微笑む舞鶴。
雨音はその微笑みに、ちくりと刺される感覚がした。
雨音は二人の背中から目を背けるように、手元の蔦縄に集中した。
竹林が生い茂るなか、色々な話をする。
舞鶴にとって、この時間がこの上ないほど充実したものになっている。
「それにしても…線積石にしてもヒャクミソウにしても、ここには便利なものがたくさんあるんだねぇ。アタシたちのところにもあれば、きっとまた大災害が起きたとて町の再起は早くなりそうだ。」
「15年前の大災害か…。」
「知ってるのかい?」
「ああ、下界の歴史はあらかた勉強させられたからな。」
「ちょっと明閻。それ、やめろって言ってんだろ。」
「……?」
「下界、って表現さ。無意識に人間を見下してるのが伝わるんだよ。」
「そうだったな、すまない。見下しているという意識もなく使っていた。」
「……根深い問題だねぇ。こんなこと、次期頭領とやらは解決できるのかね。明閻、あんたが前に言ってたろう?あやかしと人間が平等な世界を作るって。」
「……そうだな。」
男は伐採した竹を縛りながらしばらくなにかを考え込んでいた。
「……線積石、ひとついくらだと思う?」
「あの小さい欠片ひとつ、だろう?うーん、そうだねぇ…5文。」
「50文だ。」
「え、ひ、ひと欠片でかい?それは……商売繁盛なら継続して使っていけるんだろうけど、そんじょそこらのお店じゃあねぇ。」
「詳しいな。」
「色々な客がいたもんでね。それで、石が一体なんだって?」
「本来なら、ひとかけら1文も価値はない。砂利のようにいたるところに転がっているものだからだ。しかし、ここあやかし界にしかないという理由だけで、こちら側の要望通りの値にまで上げられてしまうのが現状だ。我々はそれになんの疑問も抱かない。」
「ふん、そうだろうね、"あやかし"さまはさ。」
「私は…本当の意味で平等な世を目指したいと思っている。しかし、考えれば考えるほど、根は深いものだと思い知らされるのだ。」
「……なら、まずはアタシたち人間の住む世界を下界と呼ぶのをやめることだね。」
「いや、それと貿易事情は関係ないだろう?」
「阿呆!関係あるどころか、原点だよ!アタシから言わせりゃあね!」
舞鶴の勢いに、キリッとした目が点になり呆気に取られている。
「そんなもの、表面だけ整えたところで無駄だよ。意識改革からしないとさぁ。」
「いや、意識改革など時間が掛かりすぎる。ならば形式だけでも変えて機械的に植え付けていく方がいいだろう。」
「なんだって?アタシの考えは理想論だって言いたいのかい!?」
「即効性がないと言っただけだ。」
「あのねぇ。結局は心持ちなのさ。一人の意識がひとつの組織になってるんだよ。」
「そうか…。舞鶴、お前が吉原で一番評判の太夫だったと聞いている。きっと、人を惹きつけるのは女としての魅力だけではないのだろうな。」
「お…女としての……。」
舞鶴は、年甲斐もなく幼い少女のように頬を染め上げる。
やれ美しいだの、艶やかだの、そんな言葉は当たり前に浴びてきた。太夫として、それは当然であるし、そうでなければならないと思っていた。客からの誉め言葉をかき集めたところで、舞鶴自身の喜びにはならない。男の言葉など、太夫という格を上げる要素のひとつに過ぎない。
そう思っていたのに。
なぜこの男の言葉は、たったひとつでこんなにも全身を駆け巡るのか。
なぜこの男の眼差しは、たった一瞬でも己の心を掴んで離さないのか。
色欲まみれる駆け引きの世界で育ったアタシが、なぜこうもこの男の言葉を素直に受け入れられるのだろう。
舞鶴の心など知る由もない男は、続けざまに
「そなたのような者が傍にいれば、私の進むべき道に開路が見えるかもしれん……。」
と、独り言のように呟いた。
いけない、いけないよ。この男は明閻だ。頭領じゃない。
アタシの目的は、頭領の花嫁になって、あの子たちになにひとつ不自由にさせない生活をさせることじゃないか。
裏戸から、青年の手招きが見える。
「姫様、お待ちしておりました。」
派手な顔立ちの割烹着を着た女を迎え入れたのは、官僚補佐の青年だった。
「あたくしも、会いたかったわ。」
遊女の常套句を青年に投げかけながら、彼の背中に両手を絡ませてゆっくりと抱きつく。そして青年がぎこちない手つきで抱きしめ返す。
百戦錬磨の瑠璃姫にとって、この程度の男を虜にするなど容易いものだ。
(人間もあやかしも、所詮は雄。本質はなにも変わらないわ。)
瑠璃姫が入り込んだ裏戸から、話し声が聞こえた。
「誰か来ます、姫、こちらへ。」
裏戸が開いたので、瑠璃姫と官僚補佐の青年は茂みに身を潜めてやり過ごすことに。
瑠璃姫の耳に入ってきたのは、あの忌々しい大声だった。
「して、収穫があった、と?」
騎刃だ。あの男に見つかったらまずい、また面倒なことになり兼ねない。
騎刃の後から裏戸を通って来た男も、瑠璃姫が知っている人物だった。
(あれは…確か明閻って言ったわよね。)
「ああ、とても有意義な時間を過ごせた。」
「ほどほどにしてくださいよ。バレたら面倒くさいことになりそうなんで。特にあの遊女三姉妹は。」
(遊女三姉妹って…まさかあたくしたちのこと!?裏で陰口なんていい度胸してるじゃない騎刃のやつ。こんな状況じゃなかったら蹴り上げるところよ!)
「私がこうして身を隠しているのは、おおかた情報収集のためだそ騎刃。彼女たちの本当の姿を知る必要がある。」
「へいへい。忙しいもんですな、次期頭領さま、って言うのはよぉ。」
「そうだな。しかし、私にしかできないことがたくさんあるのだ、騎刃。」
(頭領…!?アイツ、次期頭領って言ったわよね!?まさか明閻が次期頭領……!?)
あの男も毎日日中にフラッと来ては、手伝ったり少し世間話をしたり。
そして相変わらず瑠璃姫は屋根作りになど目もくれず、せっせと目を付けた青年の元へと通っていた。
竹製の格子が段々と大きくなっていく。しかし、あの舞鶴お手製の歪な小屋を覆うには程遠い。
無心で蔦縄を結んでいく。摩擦で雨音の指先は赤く固くなっていく。
「手伝おうか、雨音。」
そう声を掛けた彼の美しい月白色の髪が風に靡いている。
夜に出会った明閻さまと、日中に訪ねてくる明閻さまは、どこか雰囲気が違って見える。
この時間の明閻さまは、なにかから解き放たれたかのような親しみやすさを感じる。
あなたを知る度に、あなたがわからなくなる。
雨音は、いつかの夜、崖の上で助けられた時の、明閻との距離の近さを思い出していた。
同じ時間を共にしている今の方が、明閻を身近に感じられるのは当たり前だろう。しかし、雨音の心の内では、なぜかあの夜に思いを馳せることが多い。
「明閻、ちょっといいかい。」
雨音の背中越しに、舞鶴が声を掛けた。
「なんだ?」
「竹を切り終えたから補充しようと思ってさ。アタシじゃあ大量の竹を持って移動できないだろう?手伝っておくれ。」
「…ああ、わかった。」
手を止めて二人のやり取りを見ている雨音に、
「悪いね、コイツを借りるよ。」
と、微笑む舞鶴。
雨音はその微笑みに、ちくりと刺される感覚がした。
雨音は二人の背中から目を背けるように、手元の蔦縄に集中した。
竹林が生い茂るなか、色々な話をする。
舞鶴にとって、この時間がこの上ないほど充実したものになっている。
「それにしても…線積石にしてもヒャクミソウにしても、ここには便利なものがたくさんあるんだねぇ。アタシたちのところにもあれば、きっとまた大災害が起きたとて町の再起は早くなりそうだ。」
「15年前の大災害か…。」
「知ってるのかい?」
「ああ、下界の歴史はあらかた勉強させられたからな。」
「ちょっと明閻。それ、やめろって言ってんだろ。」
「……?」
「下界、って表現さ。無意識に人間を見下してるのが伝わるんだよ。」
「そうだったな、すまない。見下しているという意識もなく使っていた。」
「……根深い問題だねぇ。こんなこと、次期頭領とやらは解決できるのかね。明閻、あんたが前に言ってたろう?あやかしと人間が平等な世界を作るって。」
「……そうだな。」
男は伐採した竹を縛りながらしばらくなにかを考え込んでいた。
「……線積石、ひとついくらだと思う?」
「あの小さい欠片ひとつ、だろう?うーん、そうだねぇ…5文。」
「50文だ。」
「え、ひ、ひと欠片でかい?それは……商売繁盛なら継続して使っていけるんだろうけど、そんじょそこらのお店じゃあねぇ。」
「詳しいな。」
「色々な客がいたもんでね。それで、石が一体なんだって?」
「本来なら、ひとかけら1文も価値はない。砂利のようにいたるところに転がっているものだからだ。しかし、ここあやかし界にしかないという理由だけで、こちら側の要望通りの値にまで上げられてしまうのが現状だ。我々はそれになんの疑問も抱かない。」
「ふん、そうだろうね、"あやかし"さまはさ。」
「私は…本当の意味で平等な世を目指したいと思っている。しかし、考えれば考えるほど、根は深いものだと思い知らされるのだ。」
「……なら、まずはアタシたち人間の住む世界を下界と呼ぶのをやめることだね。」
「いや、それと貿易事情は関係ないだろう?」
「阿呆!関係あるどころか、原点だよ!アタシから言わせりゃあね!」
舞鶴の勢いに、キリッとした目が点になり呆気に取られている。
「そんなもの、表面だけ整えたところで無駄だよ。意識改革からしないとさぁ。」
「いや、意識改革など時間が掛かりすぎる。ならば形式だけでも変えて機械的に植え付けていく方がいいだろう。」
「なんだって?アタシの考えは理想論だって言いたいのかい!?」
「即効性がないと言っただけだ。」
「あのねぇ。結局は心持ちなのさ。一人の意識がひとつの組織になってるんだよ。」
「そうか…。舞鶴、お前が吉原で一番評判の太夫だったと聞いている。きっと、人を惹きつけるのは女としての魅力だけではないのだろうな。」
「お…女としての……。」
舞鶴は、年甲斐もなく幼い少女のように頬を染め上げる。
やれ美しいだの、艶やかだの、そんな言葉は当たり前に浴びてきた。太夫として、それは当然であるし、そうでなければならないと思っていた。客からの誉め言葉をかき集めたところで、舞鶴自身の喜びにはならない。男の言葉など、太夫という格を上げる要素のひとつに過ぎない。
そう思っていたのに。
なぜこの男の言葉は、たったひとつでこんなにも全身を駆け巡るのか。
なぜこの男の眼差しは、たった一瞬でも己の心を掴んで離さないのか。
色欲まみれる駆け引きの世界で育ったアタシが、なぜこうもこの男の言葉を素直に受け入れられるのだろう。
舞鶴の心など知る由もない男は、続けざまに
「そなたのような者が傍にいれば、私の進むべき道に開路が見えるかもしれん……。」
と、独り言のように呟いた。
いけない、いけないよ。この男は明閻だ。頭領じゃない。
アタシの目的は、頭領の花嫁になって、あの子たちになにひとつ不自由にさせない生活をさせることじゃないか。
裏戸から、青年の手招きが見える。
「姫様、お待ちしておりました。」
派手な顔立ちの割烹着を着た女を迎え入れたのは、官僚補佐の青年だった。
「あたくしも、会いたかったわ。」
遊女の常套句を青年に投げかけながら、彼の背中に両手を絡ませてゆっくりと抱きつく。そして青年がぎこちない手つきで抱きしめ返す。
百戦錬磨の瑠璃姫にとって、この程度の男を虜にするなど容易いものだ。
(人間もあやかしも、所詮は雄。本質はなにも変わらないわ。)
瑠璃姫が入り込んだ裏戸から、話し声が聞こえた。
「誰か来ます、姫、こちらへ。」
裏戸が開いたので、瑠璃姫と官僚補佐の青年は茂みに身を潜めてやり過ごすことに。
瑠璃姫の耳に入ってきたのは、あの忌々しい大声だった。
「して、収穫があった、と?」
騎刃だ。あの男に見つかったらまずい、また面倒なことになり兼ねない。
騎刃の後から裏戸を通って来た男も、瑠璃姫が知っている人物だった。
(あれは…確か明閻って言ったわよね。)
「ああ、とても有意義な時間を過ごせた。」
「ほどほどにしてくださいよ。バレたら面倒くさいことになりそうなんで。特にあの遊女三姉妹は。」
(遊女三姉妹って…まさかあたくしたちのこと!?裏で陰口なんていい度胸してるじゃない騎刃のやつ。こんな状況じゃなかったら蹴り上げるところよ!)
「私がこうして身を隠しているのは、おおかた情報収集のためだそ騎刃。彼女たちの本当の姿を知る必要がある。」
「へいへい。忙しいもんですな、次期頭領さま、って言うのはよぉ。」
「そうだな。しかし、私にしかできないことがたくさんあるのだ、騎刃。」
(頭領…!?アイツ、次期頭領って言ったわよね!?まさか明閻が次期頭領……!?)
