のこぎりのような刃物で、延々と竹を同じ長さに切っていく。
「なかなか様になってるじゃないか、舞鶴。」
「なに楽しそうにしてるんだい明閻!普通逆だろう!」
「逆とは?」
「普通は、あんたが竹を切ってアタシが座って竹を抑えるんだよ!女に刃を持たせるんじゃないよ!」
「ふっ…。あはは!それもそうか。」
おおかた仏頂面だったこの男が、こうも豪快に笑う姿を初めて見た。
「あんたも人の子…あ、違う、"あやかし"か。あんたと話してるとあやかしだってことをつい忘れるね。」
「見目はそなたたち人間とあまり変わらぬからな。」
「あんたは他のあやかしとも違うよ。」
「違う?」
「ああ。特に、吉原に客として通っていた"あやかし"たちとはね。こんなにも意思疎通できるなんてさ。」
「……私の同胞が、下界で横暴なふるまいをしているのは耳に挟んだことがある。しかし、あまり実感できていないのだ。」
「そりゃそうだろう。あんたは"あやかし"なんだから。内輪にいる限りなにも見えて来やしないよ。アタシらの住んでる世界を下界だなんて言うしねぇ。」
「すまない。よく考えが甘いと言われるのもこういうところなのだろうな。」
素直に舞鶴の意見を聞き入れ、スン…と俯いている深紅の眼差しを見ると、どうも調子が狂ってしまう。
「お茶会のときのあんたとはまるで別人だね。」
「……。」
「あのさぁ明閻。…アタシね、あんたが急に来なくなって、寂しかったんだよ。」
ふわりと心地の良い風が二人を包む。
「アタシにとってあんたは、唯一会話が出来る男だからさ。幼い頃から吉原で育って、無数の男どもを見てきたアタシが…この舞鶴太夫さまがこんなこと言うなんて、ちゃんちゃら可笑しいかもしれないけどね。」
舞鶴はしみじみと心の内を吐露した。自分でも、こんなことを話すつもりはなかったのに。
「……ああ、煙管が欲しいねぇ。」
相槌を打たずに神妙な顔をしているこの男を見た舞鶴は、なんだか気恥ずかしさが込み上げてきた。
作業を再開しようと右手に持っているのこぎりを竹に当てた。
「…雨音も、そうなのだろうか。」
男は静かに零した。
舞鶴は、のこぎりを持った手を思わず離しそうになる。
「あま、ね?」
「ああ、いや、なんでも。」
なんで、雨音……?
その時、奥からガサガサと草木を分ける音がした。
「いた、舞鶴お姉さま…!」
舞鶴の口角が少し下がる。それを隠すかのように、舞鶴は急いで足元の竹に目を向けた。
「なに?忙しく大工仕事をしてたってのに。」
「あの、やっぱり私も手伝います。瑠璃姫はいつも日が暮れる頃に戻ってきますし。」
「でも…雨音にこんな力仕事はさせられないよ、戻りな。アタシがやるからさぁ。男手だってあるしね。」
「いや、雨音にも手伝ってもらおう、舞鶴。」
「……。」
「切った竹を格子状に並べて縛る係も必要だ。」
「…あんたが、そう言うなら。」
男は竹に添えていた手をスッと離し、雨音の近くへと歩み寄っていった。
「なに、難しいことはない。私が教えよう。」
舞鶴の目には、顔を上げて少し微笑んでいる雨音の奥ゆかしくも愛らしい表情ばかりが映る。
いたたまれなくなって、竹に目を移す。
それでも、視界の端に、朗らかな顔で雨音に屋根作りの手順を教えているあいつの姿が見えてしまう。
「おお、飲み込みが早い。手先が器用なのだな。」
「ありがとうございます…。」
「しかし、その袖は邪魔ではないか?捲った方が…」
男が雨音の右腕に手を伸ばすと、
「ひゃっ!」
と、雨音は小さな悲鳴を上げ、反射的に手を引っ込めた。
「すまない。困らせるつもりではなかった。」
「い、いいえ…。ただ、驚いただけで。」
なぜ?明閻さまには何回もこの傷を見られているから、今更なにか思う必要はないはずなのに。
それなのに、傷を晒すのが怖いと感じてしまった…。
「あまり蔦縄がないな。取ってこよう。」
そう言って男は林の奥へと消えていった。
残された舞鶴と雨音は、黙々と手を動かし続けた。
二人とも、互いに声を掛けることも、目を合わせることもなく。
静かな林の中で、定期的に竹のぶつかる音が聞こえる。
均等に切り終えた竹を、舞鶴が放り投げているときに出る音だ。カラン!と勢いのある高音が雨音の耳を刺す。その度に、雨音の小さな肩はビクついてしまう。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
あの男は蔦縄を取りに行ったきり、こちらへ戻ってこない。
「明閻のやつ…さすがに、遅くないかい?」
舞鶴がようやく口を開いた。
「そう、ですよね…。私、探してみます。」
「え!?雨音!?」
雨音は小走りで林の奥を進んでいった。
考えるよりも先に、足が動いていた。
雨音は、なんとも言えない居心地の悪さを感じていたのだ。生まれた時から共に過ごしているのに、あんな空気を味わったのは初めてであった。
少しヒリつくような、あの舞鶴の背中は一体…。
一心不乱に足を動かしていると、どこからか
「おい。」
と呼び止められた。
しかし、雨音は自分への声掛けだとは思わず、そのまま走り続ける。
すると、急に後ろから腰を抱きかかえられ、雨音の足が止まった。
「前を見ていないのか!」
この声は……!
雨音は声の主に嬉しくなり、顔を上げる。雨音の腰を片手で掴んでいたのは、やはり明閻だった。
「ぶつかるぞ。」
「え……。あっ!」
雨音の目の前には、大樹が。
「いつぞやの崖の次は、木か。」
私、結構前のめりで走っていたのに。こうも軽々しく動きを止められてしまうなんて……。
あやかしと人間による身体能力の差、というよりも、男と女の構造的な差異に触れ、雨音の頬が赤く染まる。
緊張と恥じらいで胸いっぱいの雨音とはうらはらに、明閻は眉一つ動かぬいつもの無の表情だ。そんな温度差に、段々と雨音の肩の力が抜けていく。
このどこか冷たく、身が引き締まるような明閻の雰囲気は、先刻まで共に作業していた男とはどこか相違を抱かせる。
「あの、私、明閻さまを探しに来たのです。」
「入り用暫し抜けていた。蔦縄は持ってきたから使うといい。」
雨音に蔦縄を渡してすぐに立ち去ろうとする明閻に、雨音は慌てて声を掛ける。
「あの、明閻さま!また、あの池で会えますでしょうか……。」
「……さあな。」
右腕の傷が、ぎゅうっと圧迫されるような感覚だ。
会いたい。
私、もっと明閻さまに、会いたいんだ。
さあな、という、答えになっていない返答しかできなかった。
受け止めるべきではない言葉であると瞬時に判断したからだ。
門を潜り抜け、"アイツ"の待つ部屋へと急いで向かう。
長い廊下の途中で、人間の商い人と何回かすれ違った。この地に人間を招くことは珍しくはないが、それにしても数が多い。一体何人の商人を連れてきたんだ。
商人の中に、見知った顔が紛れていた。
「悟助。」
「明閻様。先程、御世の間に……」
「そんなことだろうと思ってたところだ。この商人たち、お前が連れてきたのか。」
「はい。どうしても早急に、と命じられたもので。」
悟助への挨拶もそこそこに、明閻は御世の間へと足を速めた。
ノックもせず、御世の間の重い扉を開ける。
「ああ、ようやく来たか。アレは渡してくれたよな?」
「渡したが…。それよりあの商人の数はなんだ?それにその生地の山は。」
「悟助に頼んで下界で流行っている商いを一通り連れてきたのさ。直ぐにでも必要になってな。うん、きっとこの藤色の絹が映えるであろう。」
「………。」
目の前にある、金箔で覆われた重厚な机に絹生地を広げて楽しげにしているそいつを、ただ見ているしかなかった。
しかしこいつのコロコロと変わりゆく表情を見るたびに、まだ左手に残っている先程の雨音の体温と感触が、ふわりと宙に消えるような虚しさを抱いてしまう。
「あの、明閻さま!また、あの池で会えますでしょうか……。」
心の奥底に湧き上がろうとしている感情に蓋をしながら、雨音の言葉を忘れようとしている明閻だった。
「なかなか様になってるじゃないか、舞鶴。」
「なに楽しそうにしてるんだい明閻!普通逆だろう!」
「逆とは?」
「普通は、あんたが竹を切ってアタシが座って竹を抑えるんだよ!女に刃を持たせるんじゃないよ!」
「ふっ…。あはは!それもそうか。」
おおかた仏頂面だったこの男が、こうも豪快に笑う姿を初めて見た。
「あんたも人の子…あ、違う、"あやかし"か。あんたと話してるとあやかしだってことをつい忘れるね。」
「見目はそなたたち人間とあまり変わらぬからな。」
「あんたは他のあやかしとも違うよ。」
「違う?」
「ああ。特に、吉原に客として通っていた"あやかし"たちとはね。こんなにも意思疎通できるなんてさ。」
「……私の同胞が、下界で横暴なふるまいをしているのは耳に挟んだことがある。しかし、あまり実感できていないのだ。」
「そりゃそうだろう。あんたは"あやかし"なんだから。内輪にいる限りなにも見えて来やしないよ。アタシらの住んでる世界を下界だなんて言うしねぇ。」
「すまない。よく考えが甘いと言われるのもこういうところなのだろうな。」
素直に舞鶴の意見を聞き入れ、スン…と俯いている深紅の眼差しを見ると、どうも調子が狂ってしまう。
「お茶会のときのあんたとはまるで別人だね。」
「……。」
「あのさぁ明閻。…アタシね、あんたが急に来なくなって、寂しかったんだよ。」
ふわりと心地の良い風が二人を包む。
「アタシにとってあんたは、唯一会話が出来る男だからさ。幼い頃から吉原で育って、無数の男どもを見てきたアタシが…この舞鶴太夫さまがこんなこと言うなんて、ちゃんちゃら可笑しいかもしれないけどね。」
舞鶴はしみじみと心の内を吐露した。自分でも、こんなことを話すつもりはなかったのに。
「……ああ、煙管が欲しいねぇ。」
相槌を打たずに神妙な顔をしているこの男を見た舞鶴は、なんだか気恥ずかしさが込み上げてきた。
作業を再開しようと右手に持っているのこぎりを竹に当てた。
「…雨音も、そうなのだろうか。」
男は静かに零した。
舞鶴は、のこぎりを持った手を思わず離しそうになる。
「あま、ね?」
「ああ、いや、なんでも。」
なんで、雨音……?
その時、奥からガサガサと草木を分ける音がした。
「いた、舞鶴お姉さま…!」
舞鶴の口角が少し下がる。それを隠すかのように、舞鶴は急いで足元の竹に目を向けた。
「なに?忙しく大工仕事をしてたってのに。」
「あの、やっぱり私も手伝います。瑠璃姫はいつも日が暮れる頃に戻ってきますし。」
「でも…雨音にこんな力仕事はさせられないよ、戻りな。アタシがやるからさぁ。男手だってあるしね。」
「いや、雨音にも手伝ってもらおう、舞鶴。」
「……。」
「切った竹を格子状に並べて縛る係も必要だ。」
「…あんたが、そう言うなら。」
男は竹に添えていた手をスッと離し、雨音の近くへと歩み寄っていった。
「なに、難しいことはない。私が教えよう。」
舞鶴の目には、顔を上げて少し微笑んでいる雨音の奥ゆかしくも愛らしい表情ばかりが映る。
いたたまれなくなって、竹に目を移す。
それでも、視界の端に、朗らかな顔で雨音に屋根作りの手順を教えているあいつの姿が見えてしまう。
「おお、飲み込みが早い。手先が器用なのだな。」
「ありがとうございます…。」
「しかし、その袖は邪魔ではないか?捲った方が…」
男が雨音の右腕に手を伸ばすと、
「ひゃっ!」
と、雨音は小さな悲鳴を上げ、反射的に手を引っ込めた。
「すまない。困らせるつもりではなかった。」
「い、いいえ…。ただ、驚いただけで。」
なぜ?明閻さまには何回もこの傷を見られているから、今更なにか思う必要はないはずなのに。
それなのに、傷を晒すのが怖いと感じてしまった…。
「あまり蔦縄がないな。取ってこよう。」
そう言って男は林の奥へと消えていった。
残された舞鶴と雨音は、黙々と手を動かし続けた。
二人とも、互いに声を掛けることも、目を合わせることもなく。
静かな林の中で、定期的に竹のぶつかる音が聞こえる。
均等に切り終えた竹を、舞鶴が放り投げているときに出る音だ。カラン!と勢いのある高音が雨音の耳を刺す。その度に、雨音の小さな肩はビクついてしまう。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
あの男は蔦縄を取りに行ったきり、こちらへ戻ってこない。
「明閻のやつ…さすがに、遅くないかい?」
舞鶴がようやく口を開いた。
「そう、ですよね…。私、探してみます。」
「え!?雨音!?」
雨音は小走りで林の奥を進んでいった。
考えるよりも先に、足が動いていた。
雨音は、なんとも言えない居心地の悪さを感じていたのだ。生まれた時から共に過ごしているのに、あんな空気を味わったのは初めてであった。
少しヒリつくような、あの舞鶴の背中は一体…。
一心不乱に足を動かしていると、どこからか
「おい。」
と呼び止められた。
しかし、雨音は自分への声掛けだとは思わず、そのまま走り続ける。
すると、急に後ろから腰を抱きかかえられ、雨音の足が止まった。
「前を見ていないのか!」
この声は……!
雨音は声の主に嬉しくなり、顔を上げる。雨音の腰を片手で掴んでいたのは、やはり明閻だった。
「ぶつかるぞ。」
「え……。あっ!」
雨音の目の前には、大樹が。
「いつぞやの崖の次は、木か。」
私、結構前のめりで走っていたのに。こうも軽々しく動きを止められてしまうなんて……。
あやかしと人間による身体能力の差、というよりも、男と女の構造的な差異に触れ、雨音の頬が赤く染まる。
緊張と恥じらいで胸いっぱいの雨音とはうらはらに、明閻は眉一つ動かぬいつもの無の表情だ。そんな温度差に、段々と雨音の肩の力が抜けていく。
このどこか冷たく、身が引き締まるような明閻の雰囲気は、先刻まで共に作業していた男とはどこか相違を抱かせる。
「あの、私、明閻さまを探しに来たのです。」
「入り用暫し抜けていた。蔦縄は持ってきたから使うといい。」
雨音に蔦縄を渡してすぐに立ち去ろうとする明閻に、雨音は慌てて声を掛ける。
「あの、明閻さま!また、あの池で会えますでしょうか……。」
「……さあな。」
右腕の傷が、ぎゅうっと圧迫されるような感覚だ。
会いたい。
私、もっと明閻さまに、会いたいんだ。
さあな、という、答えになっていない返答しかできなかった。
受け止めるべきではない言葉であると瞬時に判断したからだ。
門を潜り抜け、"アイツ"の待つ部屋へと急いで向かう。
長い廊下の途中で、人間の商い人と何回かすれ違った。この地に人間を招くことは珍しくはないが、それにしても数が多い。一体何人の商人を連れてきたんだ。
商人の中に、見知った顔が紛れていた。
「悟助。」
「明閻様。先程、御世の間に……」
「そんなことだろうと思ってたところだ。この商人たち、お前が連れてきたのか。」
「はい。どうしても早急に、と命じられたもので。」
悟助への挨拶もそこそこに、明閻は御世の間へと足を速めた。
ノックもせず、御世の間の重い扉を開ける。
「ああ、ようやく来たか。アレは渡してくれたよな?」
「渡したが…。それよりあの商人の数はなんだ?それにその生地の山は。」
「悟助に頼んで下界で流行っている商いを一通り連れてきたのさ。直ぐにでも必要になってな。うん、きっとこの藤色の絹が映えるであろう。」
「………。」
目の前にある、金箔で覆われた重厚な机に絹生地を広げて楽しげにしているそいつを、ただ見ているしかなかった。
しかしこいつのコロコロと変わりゆく表情を見るたびに、まだ左手に残っている先程の雨音の体温と感触が、ふわりと宙に消えるような虚しさを抱いてしまう。
「あの、明閻さま!また、あの池で会えますでしょうか……。」
心の奥底に湧き上がろうとしている感情に蓋をしながら、雨音の言葉を忘れようとしている明閻だった。
