花嫁候補は三姉妹、選ばれたのは妹でした ~後ろ向きなあの子があやかし頭領の花嫁になるまで~

 静まり返った茶室には、明閻(めいえん)の小さなため息が零れるだけだった。

 「なによあれ。ご令嬢っていうのはあんなにも好き勝手できるご身分ですのね。あーあ、せっかくあたくしと舞鶴(まいつる)姉さまで良い歌が詠めたのに。」
 「……好き勝手しているのはお前たちの方だろう。」
 「なによ。」
 「この茶会の話をどこで聞いた。長屋にいる者のみに通達したはずだが。」
 「あたくしたちはお呼びじゃなかったっておっしゃるわけ?」
 「…そうだ、と言っている。」
 「はぁ?あの女たちを止めて場を仕切るのがあなたの役目ではなくて!?なんであたくしたちのせいに…」

 瑠璃姫(るりひめ)が文句を言い終わる前に、明閻はサッと立ち上がり瑠璃姫を睨みつけながら

 「茶会はお開きだ。」

 と言い残し、茶室を出ていった。

 雨音(あまね)は俯き気味の視界の端でなんとか去り行く明閻を捉える。
 明閻の姿が映らなくなると、途端に指先が震え出した。その震えを包み込むように止めたのは、舞鶴だった。

 「雨音、大丈夫だよ。あんたは誰よりも優しくて美しいじゃないか。」

 舞鶴の両手の体温は温かく、心地が良い。

 「違います……。違うんです、舞鶴お姉さま…。」

 雨音の目から、ぽろぽろと小さい雫が流れていく。

 「なに言ってんだい。吉原一の太夫が太鼓判を押してるんだよ。自信持ちな!」

 違うんです。私が恐ろしいのは、彼女たちの冷たい視線でも、化け物と呼ばれた言葉の刃でもないんです……。
 私はただ、ただ、明閻さまのあんな顔を見たくなかった。
 失望したような顔にさせてしまったのは私だ……。

 青い顔で立ち尽くす雨音に、舞鶴はなおも励ましの言葉をかける。

 「心配しない。こんなことくらいで…アタシたちの目指す道は閉ざされないさ。」




 茶室を出た明閻は、ようやく緊張の糸がほどけたのか、大きくため息をついた。

 あの男の思惑通り…と、いったところなのだろうか。
 明閻は、光のない雨音の目が忘れられない。
 どんなに上品で美しく教養のある令嬢でも、吉原で上りつめた気高くひと際目の引く舞鶴や瑠璃姫でもなく、明閻の記憶に残っているのは、桜色の着物でめかし込んだ素朴な雨音だった。
 端麗な顔立ちには似使わぬ、あの寂しげな目をつい追ってしまうのは何故だろう。

 「明閻!」

 後ろから肩を叩かれた。振り向くと、庭師のナリをした男が立っていた。

 「やはり、予想通りだったな。」

 と、庭師は満足げに明閻に話しかけた。

 「それで、どうだというのだ。それになんだその恰好は。」
 「ははは。こんなところに次期頭領がいるだなんてバレたら大騒ぎになるだろう?」

 次期頭領だと名乗る男は、自慢げに老人のような白髪の長い付け髭を伸ばして見せびらかす。

 「御覧の通り、誰も私が次期頭領だなんて思わずに通り過ぎる。それどころか、先程出て行った令嬢たちは目が合っても挨拶もしなかったぞ。」
 「ああ、そう。」

 明閻の眉間に皺が寄る。この若殿は、こうも無邪気に仕掛けるから困る。

 「そういえば、最後に来た三姉妹だけだな、私に挨拶したのは。……うむ、決めた。ここからは就任式に向けての準備だ。手伝え、明閻。」
 「……ああ。」






 嵐のようなお茶会から数日。
 三姉妹は細々と長屋の外で生活を続けていた。
 とは言っても、日中、瑠璃姫はほとんど姉たちと一緒におらず、この敷地のどこかをフラフラしている。
 一方で長女舞鶴と次女の雨音は、二人で小屋作りを進めていた。
 お茶会後、ひとつだけ変わったことがある。
 それは、明閻が一切彼女らの前に姿を現さなくなったことだ。

 「…はぁ、これはもう立派な小屋だね!だいぶ狭いけど、身を寄せる場所ならこれで充分だろう。」
 「ええ。舞鶴お姉さまが作った場所ですもの。私はとても気に入っています。」
 「ああ雨音!まだ壁に触らないでおくれ!もう数日しないと乾かないんだ!」
 「え!?あ、すみません!」

 雨音は、泥と墨で薄汚れた舞鶴の豪華絢爛な着物の裾を見た。

 「……お着物、随分と汚れてしまいましたね…。」
 「ふ、いいんだよ。あんたたちの役に立てるならさぁ。それに、着物一つでアタシの女の価値は下がりゃしない。」
 「私、洗濯してきます。」
 「え?ああ、いい、いい。まだやることあるからね。手伝っておくれ雨音。」
 「ええ、もちろんです。」
 「全く…やっぱり女手だけじゃあ大変だよね。アイツ、知識だけ披露したらすぐ来なくなりやがってさぁ。」
 「……明閻さま、ですか?」
 「そうだよ!あんなに嬉々として小屋作りに協力的だったのに。……そうだ、あのお茶会からだよ、来なくなったの。」
 「………。」
 「アタシたちはなにも間違っちゃいないんだ。そもそも花嫁候補にと薦めたのはアイツだろうに。」
 「すみません。私のせいで…。」
 「もう。あんたはすぐそうやって自分のせいにするんだから。」

 はぁ、とため息をついて、ふと油断した瞬間に垣間見える舞鶴の表情は、口で言うほど平気なものではなかった。雨音は、それを脇目に見ている。
 自分が令嬢に右腕の傷を見せてしまったせいで、順調に運ぶと思っていた花嫁選びが崩れてしまった。舞鶴や瑠璃姫が張り巡らせていた勝算に水を差してしまった。

 雨音がそんなことを考えていた矢先、舞鶴がボソッと小声で呟いた。


 「アイツ、そんなに怒ってるのかな……。」


 雨音の耳には、どんな小鳥のさえずりより、どんなに風の唸る音より、鮮明に響いてしまった。
 憂うような姉のその表情は、なんとも美しく艶やかな横顔だった。この瞬間に抱いた違和感と危機感に、雨音は蓋をした。
 ガラガラと音を立てて、線積石(せんせきいし)が雨音の足元に落ちていく。

 「あらあら石が……。って、雨音?どうした?」
 「す、すみません。呆けていました。」

 雨音は、動揺を隠すのに精一杯だった。




 上弦の月が、白く透き通った雨音の頬を照らす。
 馬小屋の中、雨音は二人が寝静まったのを確認すると、フラッと外へ飛び出した。
 あてもなく、だた林の深い方へと足を速めていく。
 雨音は今日一日中、舞鶴の、ほんの刹那な横顔を忘れられずにいた。

 ここに来てからは、苦しいことばかりだ。
 生まれた時から共に過ごし、大好きな姉に対する思いは、単純なものではなくなっていた。

 私は、舞鶴お姉さまを尊敬している、心から。
 美しくて強くて、優しくて……。
 私はそんな姉が、大好きなのだから。
 私があの横顔を気にする必要など微塵もないはずだ。
 私が舞鶴お姉さまに抱く感情は「好き」以外にあってはならないものなのだ。
 いや、そんなものは存在しないはずだ。
 なのに、なのに。
 この心の底から冷えていく感情はなんなのだろう。
 どこからか来るこの焦燥感はなんだというのだ。
 私は、舞鶴お姉さまが好き。
 私は……。

 「止まれ!」
 「……へ?」

 雨音の背後から、真っ直ぐに突き刺す怒鳴り声がした。
 急な声掛けに驚いた雨音は、ビクッと震わせた拍子に足を踏み外してしまう。その瞬間、グッと雨音の足が下に引っ張られる。
 落ちる!
 そう察した瞬間、雨音のしなやかな腰が誰かの手によって掴まれた。

 「死ぬ気か!」

 踏み外した足元を見てみると、暗く深い谷が広がっていた。

 「こんな夜更けに崖の上でなにをしている!」

 雨音にとっては、とても聞き覚えのある声だ。しかし、こんなにも力強く張り上げるような声色は初めてだった。
 雨音は、おそるおそる、腰を掴んでいる主の方へと振り返る。

 「め…明閻さま…?」

 雨音の瞳に映る明閻は、眉間に皺を寄せてひどく険しい顔をしている。しかし、その中に、あのお茶会の時のような怒りは感じない。

 「お前はまたそうやって…!」
 「へ……。」

 雨音の顔が、グッと明閻の胸元に引き寄せられる。雨音の後頭部に添えられているのは、明閻の手。
 状況を察した瞬間、雨音の全身に熱が駆け巡った。
 雨音は声を上げることも出来ない。それでも、明閻の手の強さは緩まない。

 「…ふぅっ!」

 明閻の着物に顔を押し当てられ、苦しくなった吐息が思わず漏れる。

 「すまない。」

 明閻もこの状況にハッとしたのか、すぐに雨音を引き離した。
 体が離れても、雨音の顔の熱は引かない。

 「……身を、投げようとしていたのか?」

 そう静かに呟き、雨音の右腕の袖を捲る明閻。

 「明閻さま……!?」
 「この傷のせいか。」

 明閻の、雨音の古傷を見る瞳は、最初から他の者と違った。今もそうだ。嫌悪も驚愕もない、静かな眼差し。
 深紅の瞳が月光に照らされ、妖しく光っている。まるで波のように、明閻の瞳の反射が揺らめいている。

 そんなこと、あるはずがない。
 目の前にあるこの慈しむような瞳が、己の不気味な傷に向けられることなど…

 雨音の傷が、ドクンと強く脈を打った感覚がした。
 明閻の問いに、雨音はなにも答えられない。

 「こんな真夜中に森の中でなにをしていた?」
 「え……。」
 「この傷は…お前を苦しませることしかしないのか。」

 数日前のお茶会の時とは全く違う、明閻の力ない話し方に戸惑う雨音。

 「あの…違うんです……。少し、考え事をしていて。ひとりになりたくて…。そうしたら」
 「いつの間にか崖の上まで歩いていた、と?」
 「は、はい……。」
 「…お前はなにも変わらないな。」
 「え?」
 「相変わらず馬小屋で寝ているのか。」
 「はい。でも、もうすぐ舞鶴お姉さまの作った…」

 そこまで声に出たあと、さっきまでの自己嫌悪が一気に押し寄せてきた。

 「雨音?」
 「……。あの…。舞鶴お姉さまが、がっかりしておられました。明閻さまにお会いできないから、と……。」

 雨音は必死に絞り出すようなか細い声で、明閻に伝えた。

 「そうか。伝えておこう。」
 「え?」
 「ああ、いや。心得ておこう。」
 「……。」
 「森からの抜け道はわかるのか?」
 「いえ…。」
 「では、出口まで送ろう。」

 明閻は黙ったまま雨音の方へ左手を差し出した。

 「あ、あの?」
 「捕まっていろ。またひょこひょこと転落されたら気が気じゃないからな。」
 「えっ…。私、そんなに転びません…。」
 「信用ならんな。」

 雨音はおそるおそる明閻の左手に、時分の右手を重ねた。その瞬間、グッと力強く雨音の指先が握られた。

 呼吸が浅くなっていくのがわかる。緊張で目線が定まらない。この握られた指先は、妙に力が入ってしまう。

 そんな、男の人とこんな…。
 いいえ、男の人だから、というよりは、明閻さまだから……?

 そこから、森を抜けるまでは互いに前を向いたまま歩き続け、話すこともなく沈黙が続いた。

 「ここから馬小屋への道はわかるな?」
 「……はい。」

 馬小屋、という言葉で、心の中にともった幸福感は、一気に現実に引っ張られて消えた。同時に、雨音の脳裏に、昼間の舞鶴の横顔が浮かび上がった。

 「明閻さま。」

 ゆっくりと歩き出した明閻をそっと呼び止めた。

 「舞鶴お姉さまを…よろしくお願い致します。」

 雨音は明閻の背中に向かって深々と頭を下げる。
 明閻は雨音の投げかけには答えず、砂利を蹴ってその場をあとにした。

 これでいい。

 そう、

 これでいいのだ。