花嫁候補は三姉妹、選ばれたのは妹でした ~後ろ向きなあの子があやかし頭領の花嫁になるまで~

 むかしむかし、ここ吉原に、街一番と評判の美人三姉妹がおったそうな。

 いま、吉原一の賑やかしを見せる店、「宵花楼(よいかろう)」。
 この店一に評判の美人三姉妹を一目見ようと、今宵も多くの男たちが足(しげ)く通うのであった。

 「世知辛いねぇ…世知辛いよ。」

 ギュッとキツく帯を結び、凛とした涼しい瞳を斜めに落とし、ぽそりと呟くは、「宵花楼(よいかろう)」の看板太夫である舞鶴(まいつる)だった。
 丸く綺麗に結われた髷(まげ)に、べっ甲の簪をいくつも刺していく。
 簪を刺す手を止め、窓格子から、藍色へと染まってゆく空を眺める。もうすぐ、オンナの時間が始まる。

 「舞鶴(まいつる)姉さまぁ~!?」

 廊下から騒がしい声がしたかと思うと、ガラッと障子を開け、玉のように派手な美少女がズカズカと舞鶴の部屋へ入ってきた。
 長いまつ毛に大きくて華やかな瞳。眉の上で綺麗に切りそろえられた前髪と、頬まで覆う横髪が、彼女のあどけなさを感じさせる。そこにいるだけで周りが華やぐような、まさに宝石のような美少女だ。

 「…瑠璃姫(るりひめ)。あんたのその落ち着きのなさ、もうちょっとなんとかならない?」

 舞鶴の小言を気にも留めず、はらはらと顔にかかる黒くて長い髪を耳にかけながら、引き出しを上段から順番に開けていく。

 「舞鶴姉さま、あのよく効く肌の薬あったでしょう?ほら、"あやかし"御用達の。」
 「ああ、その棚じゃないよ。こっち。」
 「あ!あった。これだわ!」

 瑠璃姫(るりひめ)は着物の襟を引っ張って右腕をあらわにした。彼女の右腕には、大きな歯形が青々と残ってしまっている。

 「なに。どうした?その腕。」

 舞鶴からの問いに、瑠璃姫の緩く下がった目尻は今にも狐目になりそうな勢いまで力が入る。

 「昨日の客にやられたの。ひとりで盛り上がって勝手に嚙んできて!ほんっとう、これだから"あやかし"って嫌いなのよ。」
 「跡にならないといいけどねぇ。」
 「雨音(あまね)姉さまみたいに?」
 「お止め、瑠璃姫。あの子の傷跡はそんなんじゃあないだろ。」
 「ちょっと冗談で言っただけでしょ。…それに、雨音姉さまはその傷のおかげであたくしたちと同じ運命から免れたんじゃない。」
 「……瑠璃姫や雨音が頑張ってるのはわかってるよ。もうすぐ、もうすぐだから。あと少しで店への借金が返せるんだ。そうしたら、どこか静かな田舎で…姉妹三人一緒に暮らそう。」
 「…そのために舞鶴姉さまが太夫まで上り詰めたのはあたくしだって……。あ。」
 瑠璃姫の大きな瞳に、荒い木彫りの菩薩像が映った。
 「舞鶴姉さま、その手に持ってる…。」
 「ああ、観音菩薩かい?アタシが彫ったんだ。」
 「よくやるわ、昨日の(しも)の子の、でしょう?」
 「そうやって階級で優劣つけて、すぐ見下すのは瑠璃姫の悪い癖だ。」
 「舞鶴姉さまって時々おバカなことおっしゃるのね。優劣をつけるための階級じゃない。…それに、掟を破って折檻されて死んだのよ。あの子の自業自得。」
 「それでも、誰も悲しまないのは浮かばれないだろう。」
 「それはそうよ。こんなの日常茶飯事なんだから。……って、舞鶴姉さま!?」

 まだ長襦袢(ながじゅばん)姿の舞鶴は、瑠璃姫を横切ってふすまを開け、廊下に出た。そして右手に持っている菩薩像をスッと軽く上に上げ、

 「埋めてくる。」
 と言い残し、一階へと静かに降りて行った。
 「……舞鶴姉さまったら。」

 店外から覇気の良い声がガヤガヤと聞こえ出す。シンと静まり返った吉原の街が、眠りから目を覚ます。
 三姉妹の次女、雨音(あまね)は厨房の端から端を忙しそうに往来していた。
 着倒してくたびれている割烹着に、無造作にひとつに結われた黒髪。すっと通る忘れ鼻の上には、どこか寂し気な愛らしい大きな瞳。遊女のように着飾ることも、化粧を施すこともない雨音だが、彼女の美しさが濁ることはない。

 「雨音さーん!瑠璃姫さまのところにお酒ー!」

 雨音は窯をかき混ぜていた手を止め、

 「はぁーい!」

 割烹着のままお盆にあるお酒を二階のお座敷へと運んだ。

 「失礼致します。」

 障子を開けると、金箔の屏風の前にガッシリとした大男と、その肩に(こうべ)を沿う瑠璃姫の姿があった。

 「下女かと思えば、とんだ上玉が現れたもんだな。」

 瑠璃姫の客である大男は、上座から離れ、障子を開け廊下に正座している雨音の傍までやって来た。
 なめらかな肌に大きく開いた透き通る瞳、その上を流れる長いまつげと雑に束ねた漆黒の長い髪に釘付けになっていた。
 雨音はおそるおそる顔を上げ、目の前で己を好奇の目で見てくる大男を見つめ返す。大男の目は、紅く濁っていた。

 (この目の色…。この方、"あやかし"だわ。)

 粗相は出来ない。そう判断し、一歩も動けなくなる雨音。
 その瞬間、瑠璃姫の鈴のような美声が、大男の後ろからぴしゃりと苦言を放った。

 「吾妻(あずま)さま!その者はただの給仕ですわ。そこの人、お酒を置いてはやく出て行ってちょうだい。」

 瑠璃姫の言葉を受けて助かったと安堵し、お盆を置いて立ち上がろうとしたその時。"あやかし"の大男、吾妻(あずま)が雨音の割烹着を引きちぎり、加えて着物の両襟を左右に開いた。

 「お前、瑠璃姫と顔が似ている。もしや巷で噂の美人三姉妹の一人か?」

 雨音はおおっぴろに広げられた胸元を直すことも出来ず、だただた震えが止まらない。
 瑠璃姫はすかさず吾妻の左腕に己の腕を絡め、上目遣いで

 「吾妻さま。あたくしの目の前で他の女に目を向けるなんて…許しませんわよ?」

 と、牽制に入った。しかし、瑠璃姫の甘い態度に屈することなく、さらに雨音の着物をはぎ取ろうと雨音の右袖の裾を引っ張り出した。

 「きゃあ!」

 突然強い力で引っ張られ、前のめりに倒れる雨音。乱暴に引き裂かれた右袖はびりびりと肩から破れて赤黒い右腕が露出する。まるで火傷跡のような皮膚に、大きな筋の凹凸がいくつも目立っている。美しい顔に見合わぬ雨音の右腕に、紅い目玉をぎょっとさせる吾妻。

 「なんだお前、その汚らしい右腕は!」

 あろうことか、驚きのまま思わず大声で叫んでしまった。
 しかし、雨音は顔色を一切変えなかった。こんな罵声は数え切れぬほど浴びてきたのだ。大事にならぬうちに、と、ゆっくりと起き上がり、この座敷を去ろうとした。が、雨音の目の前で、思いっきり横転する吾妻の姿が目に入ってしまった。

 「る…瑠璃姫!?」
 「なにが汚らしい、だ!お前の態度の方がよっぽど汚いくせに!"あやかし"だからっていい気になるな!雨音姉さまに謝れ!」

 瑠璃姫による不意打ちの蹴りで倒れ込んだ吾妻に、なおも手に持った扇子で何回も叩きまくる。

 「やめて、瑠璃姫やめて!」



 夜も更けきり、朝日が顔を出さんと僅かばかり漏れる頃。
 薄暗い厨房の隅でから、女のすすり泣く声が微かに聞こえる。雨音の震える細い肩を、そっと撫でて落ち着かせようとする舞鶴。
 
 「大丈夫、なにも気にするな、雨音。」
 「私の…私のせいなんです…。私のせいで、瑠璃姫が…。」
 「そうじゃなくてもアイツはなにかとやらかすからな。折檻には慣れてるよ。」
 「舞鶴お姉さま…。」
 「ふふ、瑠璃姫のやつ、虚無の顔で逆さ釣りにされてたよ。あれくらいの折檻なら屁でもないってね。」
 「で…でも…。」
 「いいかい雨音。あと十日。あと十日だけ耐えておくれ。あと十日、いつものように働けば…借金の額まで貯まる算段なんだ。」
 「え…。」
 「あと十日で店への借金を返して、ここから出られる。お前も瑠璃姫も。アタシたち姉妹、三人とも一緒だ。」
 舞鶴の強くて希望の溢れた眼差しに、雨音の流れる涙も止まる。

 「あと十日で…私たちの夢が叶うのですね…!」
 「ああ、そうだよ雨音。瑠璃姫もこのことは知っている。だからあんな折檻、もうへっちゃらなのさ。」
 「嬉しい。私…ずっとずっとこの時を…!」

 ひとたび止まった涙が、雨音の瞳を再び覆い始める。
 その時。

 「全く、瑠璃姫には嫌んなるねぇ!」

 静まり返った店中に響くような遣手婆(やりてばば)の声が聞こえた。

 「吾妻さまには一切のお代をいただくことなくお遊びいただきました。」

 どうやら、奉公人の男とすぐそこの廊下で話しているらしい。
 長女の舞鶴と次女の雨音は、厨房から出るタイミングを失い、隅でなんとなくこの二人の会話を耳にすることにした。

 「当然だよ。瑠璃姫には当分馬車馬のように働いてもらうさ。」
 「そういえば三姉妹の一番上、舞姫がもうすぐ借金返し終わるそうで?」
 「あっはっはっは!冗談はよしな悟助(ごすけ)。今日の瑠璃姫の粗相は、舞鶴の駄賃から天引きさ。"あやかしさま"を怒らせたんだ。持ち金の半分は消えるだろうねぇ。」
 「…恐ろしいものです。」
 「あんなに金になる女、一体だれが手放すってんだい。商売ってのはね、そういうもんさ。」
 「借金なんて一生…」
 「返す未来はないよ。舞鶴は真っ直ぐで一生懸命な女だ。せいぜい使い倒してやるまでよ。」

 遣手婆(やりてばば)と奉公人・悟助(ごすけ)の足跡が、唖然とするふたりから遠ざかってゆく。
 舞鶴と雨音は、しばらく厨房の暗闇から動けないでいた。