「ブー!ブー!ブー!」
アラームが鳴る。俺は開かない目をこすりながら、手を空中で振り回す。
「ガタン!」
ベッドに置いていたスマホが、床に落ちる音がする。
こうなったら仕方がない。
俺は体に力を入れて目を開け、スマホを拾い上げてアラームを止める。
ふう。と一息ついて、ベッドに座る。
朝はあんまり得意じゃない。
スマホに目を戻すと、メッセージが届いていた。
「今日からバイト頑張れよ!」とエーイチ。
「バイトファイト!女子生徒に連絡先聞かれても教えるんじゃねーぞ。」とタクヤ。
教えるわけねーだろと思いながら、フッと笑ってしまう。
そもそも連絡先なんて聞かれないと思うし。
俺は狭いキッチンへ行き、冷蔵庫を開けて、朝ご飯をつくりはじめる。
目玉焼きと白米と、鮭。
自分で言うのもなんだが、大学生とは思えないほど、健康的な食事だと思う。
俺は、母親からご飯はしっかり食べろと、口うるさく言われてきた。
うるさいなと思うときはあったけれど、今の自分がいるのは、親のおかげだと思う。
父親からは、勉強はちゃんとしろとか、友達は大事にしろとか。
学校で教わるようなことだけど、俺はそれをちゃんと守ってきたつもりだ。
あんまり意識することはないけれど、そのおかげで生きるための基本が身についているな、と思う。
ありがとう、なんてまだ恥ずかしくて言えないけれど。
朝ご飯を食べ、「ごちそうさまでした」と手を合わせてから、エーイチとタクヤに返信をする。
画面の時間を確認すると、9時だった。
歯を磨いて、Yシャツに着替える。
家に鍵をかけて、自転車にまたがる。
塾バイトの面接は、塾長先生との面談と、簡単な実力テストで終わり、後日採用の電話をもらった。
塾長先生は、30代くらいの女性で、普段子供と関わっているからか、話しやすかった。
今日の空は、梅雨明けらしい快晴で、ペダルをこぎながら、新鮮な夏の空気を胸いっぱいに吸い込む。
塾まではここから自転車で10分ほど。
楽しみなような、不安なような。
どんな子たちと出会えるんだろうと、やっぱり楽しみな気持ちが大きい気がした。
塾の青い看板が見えてきて、講師用の駐輪場に自転車を止めようとすると、もう一台自転車が止まっていることに気がつく。
塾長先生は車だから、誰の自転車だろう?と首を傾げる。
今日来る生徒は4人だと聞いていたから、別のバイトの人だろうか。
そんな話は聞いていなかったけれど、「バイト友達」というワードが頭の中に浮かぶ。
なんとなく憧れていたものだ。大学生らしくていいじゃんと、余計に心がはずむ。
いやいや、先輩かもしれないし、そもそも学生かもわかんないし、と落ち着かせる。
せわしなく気持ちが動くなか、俺は塾の扉を開ける。
「おはようございます!」
「あ、おはよう。結城先生。今日からよろしくね。」
塾長先生が、デスク越しに挨拶をしてくれる。
塾の中では、「先生」呼びするのがルールになっている。
「はい、よろしくお願いします。」
「あ、そういえば。今日から結城先生と同じく、バイトに入ってくれた子がいるんだ。」
「え?」
「今トイレに行っちゃってるけど。戻ってきたら紹介するね。結城先生と同じ大学1年生だよ。」
「本当ですか?それは嬉しいです。」
同じ学年だと聞いて、期待が膨らむ。
ひょっとしたら、仲良くなれるかもしれない。
落ち着かず、キョロキョロとしていると、ガチャッと、トイレのドアが開いた。
出てきた人を見て、俺は目を見開いた。
「み、湊!?」
声が大きくなってしまい、慌てて手で口を塞ぐ。
「あ…。お、おう。久しぶりだな、陽向。」
一瞬、湊の目線が泳いだ。
だがすぐに俺と目を合わせ、笑顔を作る。
相変わらず、えくぼが愛らしい。
だけど、どこかたどたどしい。中学のときずっと一緒にいたのだから、それくらいは見て分かってしまう。
どうしてここに、と聞こうとしたが、先に塾長先生が話しかけてきた。
「あら、ふたりとも知り合い?なら紹介する必要ないかもしれないけれど、こちら夏目先生ね。あと、塾の中では生徒もいるから、下の名前じゃなくて、お互い結城先生、夏目先生って呼んでね。」
「「わかりました。」」
「でも良かった。2人とも初めてのバイトでしょ?これからお互い助け合って、働けるといいね。」
そのとき、ドアがガラッと開き、「おはようございま〜す」と、「南高」と書いてあるバッグを背負った男の子が入ってくる。
ここから徒歩数分のところにある高校だ。
今日は土曜日だから、塾で勉強した後、部活に行くのだろうか。
ここは個別指導の塾で、事前に自分が担当する生徒の名前は聞いている。
その男の子が靴を脱いで、自分のネームプレートを裏返すと、自分の担当する生徒だということが分かった。
「おはよう。今日君の先生をします、結城です。よろしくね。」
「あ、よろしくお願いします…」
少し男の子の声のトーンが下がった気がする。
いつも通っている塾に突然現れた新人先生に、少し緊張しているようだ。
でも、自分も高校のとき同じ部活だったとか、カバンについているキャラクターが俺も好きだとか話しているうちに、すっかり仲良くなった。
俺は今日、2人の生徒を受け持った。
それぞれ塾のテキストを見ながら、問題を解きすすめていく。
わからないところがあれば、質問してくるし、こちらも困っていそうだったら声をかけてみる。
近くで別の生徒を担当している湊も、笑顔で2人に教えているようだ。
湊の教え方は、本当に上手い。
同じ問題でも、生徒によって教え方を変えることができる。
今日初めて会った生徒なのに、すごいなと思う。
初日ということもあり、俺たちのバイトは昼過ぎで終わった。
「2人とも、お疲れ様。疲れたでしょ?はい、これどうぞ。」
塾長先生が、ペットボトルのジュースを差し出してくれた。
りんごのすっきりした甘みで疲れを癒やしながら、日報を書く。
今日どこまでテキストが進んだとか、生徒の様子はどうだったとか。
ふと目線を上げると、机の向かい側に座っている湊が、びっしりと文字を埋めていた。
ああそうか、こいつ教育学部棟を歩いていたから、きっと教育学部なんだろう。
先生になりたいのかな。
先生になりたいから、塾講師のバイトに?
いや、でも中学のときの湊って、勉強はできたけど、そんなこと言っていたっけ?
そういえば俺が勉強を好きになったきっかけは、湊に勉強を教えてもらったからだ。
中学のとき、勉強についていけなくなりそうだった俺に、休みの日につきっきりで教えてくれたんだっけ。
湊は教えるのが本当にうまくて、俺は勉強することの楽しさを知ることができた。
だから高校では勉強を頑張って、今の大学に入れた。
勉強の楽しさを、勉強が苦手な子に知って欲しい。
俺が塾講師のバイトをはじめようと思ったきっかけの1つでもある。
そういえば、今もまだバレーをやっているんだろうか。
なんでこの大学に入ろうと思ったのか。
あんなに仲が良かったのに、俺の知らない湊の3年間がある。
それは、やっぱりちょっと寂しかった。
塾長先生に見送られ、俺たちは、無言のまま前後に並ぶような形で駐輪場へ向かう。
なんて声をかけたらいいんだろう。
というか声をかけるべきなんだろうか。
胸にモヤモヤが渦巻きはじめた頃、湊が振り返って口を開いた。
「陽向、ほんとにごめんな。急に連絡先消したりして。俺、あのとき、いろいろおかしくて。うまく言えないけど、本当におかしかったんだ。」
湊は、最初は俺の方をまっすぐ見ていたけれど、だんだんと目線が地面に落ちていく。
頬をぽりぽりと人差し指で掻いている。
何か言いづらいことがある時の湊だ。
それっきり、微妙な無言の時間が流れる。
湊がメッセージアプリを消したのには、それなりの理由があったはずだ。
こんなところで突然再会して、いきなり理由を説明しろというほうが難しいだろう。
「ふふっ。別に今無理して言わなくてもいいよ!
湊には湊の事情があったんだろ。湊が話したい時が来たら、ゆっくり話してくれればいいからさ。じゃあまたな!」
俺は湊に手を振って、自転車のところまで早足で向かう。
そのままガチャっと鍵を回すと、サドルにまたがり、勢いよくペダルをこぎだす。
後ろから、待ってという声が聞こえたような気がするけれど、たぶん気のせいだろう。
本当はすごく聞きたい。けれど、理由を聞いてしまったら、大事なものが壊れてしまうような気がする。
心の準備もしないまま、それを聞くのはとても怖かった。
アラームが鳴る。俺は開かない目をこすりながら、手を空中で振り回す。
「ガタン!」
ベッドに置いていたスマホが、床に落ちる音がする。
こうなったら仕方がない。
俺は体に力を入れて目を開け、スマホを拾い上げてアラームを止める。
ふう。と一息ついて、ベッドに座る。
朝はあんまり得意じゃない。
スマホに目を戻すと、メッセージが届いていた。
「今日からバイト頑張れよ!」とエーイチ。
「バイトファイト!女子生徒に連絡先聞かれても教えるんじゃねーぞ。」とタクヤ。
教えるわけねーだろと思いながら、フッと笑ってしまう。
そもそも連絡先なんて聞かれないと思うし。
俺は狭いキッチンへ行き、冷蔵庫を開けて、朝ご飯をつくりはじめる。
目玉焼きと白米と、鮭。
自分で言うのもなんだが、大学生とは思えないほど、健康的な食事だと思う。
俺は、母親からご飯はしっかり食べろと、口うるさく言われてきた。
うるさいなと思うときはあったけれど、今の自分がいるのは、親のおかげだと思う。
父親からは、勉強はちゃんとしろとか、友達は大事にしろとか。
学校で教わるようなことだけど、俺はそれをちゃんと守ってきたつもりだ。
あんまり意識することはないけれど、そのおかげで生きるための基本が身についているな、と思う。
ありがとう、なんてまだ恥ずかしくて言えないけれど。
朝ご飯を食べ、「ごちそうさまでした」と手を合わせてから、エーイチとタクヤに返信をする。
画面の時間を確認すると、9時だった。
歯を磨いて、Yシャツに着替える。
家に鍵をかけて、自転車にまたがる。
塾バイトの面接は、塾長先生との面談と、簡単な実力テストで終わり、後日採用の電話をもらった。
塾長先生は、30代くらいの女性で、普段子供と関わっているからか、話しやすかった。
今日の空は、梅雨明けらしい快晴で、ペダルをこぎながら、新鮮な夏の空気を胸いっぱいに吸い込む。
塾まではここから自転車で10分ほど。
楽しみなような、不安なような。
どんな子たちと出会えるんだろうと、やっぱり楽しみな気持ちが大きい気がした。
塾の青い看板が見えてきて、講師用の駐輪場に自転車を止めようとすると、もう一台自転車が止まっていることに気がつく。
塾長先生は車だから、誰の自転車だろう?と首を傾げる。
今日来る生徒は4人だと聞いていたから、別のバイトの人だろうか。
そんな話は聞いていなかったけれど、「バイト友達」というワードが頭の中に浮かぶ。
なんとなく憧れていたものだ。大学生らしくていいじゃんと、余計に心がはずむ。
いやいや、先輩かもしれないし、そもそも学生かもわかんないし、と落ち着かせる。
せわしなく気持ちが動くなか、俺は塾の扉を開ける。
「おはようございます!」
「あ、おはよう。結城先生。今日からよろしくね。」
塾長先生が、デスク越しに挨拶をしてくれる。
塾の中では、「先生」呼びするのがルールになっている。
「はい、よろしくお願いします。」
「あ、そういえば。今日から結城先生と同じく、バイトに入ってくれた子がいるんだ。」
「え?」
「今トイレに行っちゃってるけど。戻ってきたら紹介するね。結城先生と同じ大学1年生だよ。」
「本当ですか?それは嬉しいです。」
同じ学年だと聞いて、期待が膨らむ。
ひょっとしたら、仲良くなれるかもしれない。
落ち着かず、キョロキョロとしていると、ガチャッと、トイレのドアが開いた。
出てきた人を見て、俺は目を見開いた。
「み、湊!?」
声が大きくなってしまい、慌てて手で口を塞ぐ。
「あ…。お、おう。久しぶりだな、陽向。」
一瞬、湊の目線が泳いだ。
だがすぐに俺と目を合わせ、笑顔を作る。
相変わらず、えくぼが愛らしい。
だけど、どこかたどたどしい。中学のときずっと一緒にいたのだから、それくらいは見て分かってしまう。
どうしてここに、と聞こうとしたが、先に塾長先生が話しかけてきた。
「あら、ふたりとも知り合い?なら紹介する必要ないかもしれないけれど、こちら夏目先生ね。あと、塾の中では生徒もいるから、下の名前じゃなくて、お互い結城先生、夏目先生って呼んでね。」
「「わかりました。」」
「でも良かった。2人とも初めてのバイトでしょ?これからお互い助け合って、働けるといいね。」
そのとき、ドアがガラッと開き、「おはようございま〜す」と、「南高」と書いてあるバッグを背負った男の子が入ってくる。
ここから徒歩数分のところにある高校だ。
今日は土曜日だから、塾で勉強した後、部活に行くのだろうか。
ここは個別指導の塾で、事前に自分が担当する生徒の名前は聞いている。
その男の子が靴を脱いで、自分のネームプレートを裏返すと、自分の担当する生徒だということが分かった。
「おはよう。今日君の先生をします、結城です。よろしくね。」
「あ、よろしくお願いします…」
少し男の子の声のトーンが下がった気がする。
いつも通っている塾に突然現れた新人先生に、少し緊張しているようだ。
でも、自分も高校のとき同じ部活だったとか、カバンについているキャラクターが俺も好きだとか話しているうちに、すっかり仲良くなった。
俺は今日、2人の生徒を受け持った。
それぞれ塾のテキストを見ながら、問題を解きすすめていく。
わからないところがあれば、質問してくるし、こちらも困っていそうだったら声をかけてみる。
近くで別の生徒を担当している湊も、笑顔で2人に教えているようだ。
湊の教え方は、本当に上手い。
同じ問題でも、生徒によって教え方を変えることができる。
今日初めて会った生徒なのに、すごいなと思う。
初日ということもあり、俺たちのバイトは昼過ぎで終わった。
「2人とも、お疲れ様。疲れたでしょ?はい、これどうぞ。」
塾長先生が、ペットボトルのジュースを差し出してくれた。
りんごのすっきりした甘みで疲れを癒やしながら、日報を書く。
今日どこまでテキストが進んだとか、生徒の様子はどうだったとか。
ふと目線を上げると、机の向かい側に座っている湊が、びっしりと文字を埋めていた。
ああそうか、こいつ教育学部棟を歩いていたから、きっと教育学部なんだろう。
先生になりたいのかな。
先生になりたいから、塾講師のバイトに?
いや、でも中学のときの湊って、勉強はできたけど、そんなこと言っていたっけ?
そういえば俺が勉強を好きになったきっかけは、湊に勉強を教えてもらったからだ。
中学のとき、勉強についていけなくなりそうだった俺に、休みの日につきっきりで教えてくれたんだっけ。
湊は教えるのが本当にうまくて、俺は勉強することの楽しさを知ることができた。
だから高校では勉強を頑張って、今の大学に入れた。
勉強の楽しさを、勉強が苦手な子に知って欲しい。
俺が塾講師のバイトをはじめようと思ったきっかけの1つでもある。
そういえば、今もまだバレーをやっているんだろうか。
なんでこの大学に入ろうと思ったのか。
あんなに仲が良かったのに、俺の知らない湊の3年間がある。
それは、やっぱりちょっと寂しかった。
塾長先生に見送られ、俺たちは、無言のまま前後に並ぶような形で駐輪場へ向かう。
なんて声をかけたらいいんだろう。
というか声をかけるべきなんだろうか。
胸にモヤモヤが渦巻きはじめた頃、湊が振り返って口を開いた。
「陽向、ほんとにごめんな。急に連絡先消したりして。俺、あのとき、いろいろおかしくて。うまく言えないけど、本当におかしかったんだ。」
湊は、最初は俺の方をまっすぐ見ていたけれど、だんだんと目線が地面に落ちていく。
頬をぽりぽりと人差し指で掻いている。
何か言いづらいことがある時の湊だ。
それっきり、微妙な無言の時間が流れる。
湊がメッセージアプリを消したのには、それなりの理由があったはずだ。
こんなところで突然再会して、いきなり理由を説明しろというほうが難しいだろう。
「ふふっ。別に今無理して言わなくてもいいよ!
湊には湊の事情があったんだろ。湊が話したい時が来たら、ゆっくり話してくれればいいからさ。じゃあまたな!」
俺は湊に手を振って、自転車のところまで早足で向かう。
そのままガチャっと鍵を回すと、サドルにまたがり、勢いよくペダルをこぎだす。
後ろから、待ってという声が聞こえたような気がするけれど、たぶん気のせいだろう。
本当はすごく聞きたい。けれど、理由を聞いてしまったら、大事なものが壊れてしまうような気がする。
心の準備もしないまま、それを聞くのはとても怖かった。
