皆、パフォーマンスを求めている。
タイム・パフォーマンスは限りある人間の命を考えると合理的な判断だし、
コスト・パフォーマンスは単位当たりの価値密度を上げることで見返りを増やせる。
それは至極、当然の帰結だ。
しかし、世の中を見渡してみよう。
皆が高いパフォーマンスを求めた結果、どうなったか。
誰が幸せになったのだろうか?
誰を幸せにしていったのだろうか?
君らはどうだ?
パフォーマンスを追い求めた果てに獲得したものは、
他者への不理解と無自覚な怠惰だったのではないだろうか?
秘密結社『マンティセス』はそんな奴らを撃滅する。
その筆頭である私のことを、皆は畏怖の念をもって「カマキリ」と呼ぶ。
私は見社 冴(みやしろ さえ)。
マンティセスの筆頭で、犯罪者の娘として生きる女。
――マンティセスのメンバーは必ず人混みにいる。
理由は誰かさんのスマホを乗っ取るため。
これによって『誰かさんの誰かの誰か』になることができ、
ピア間通信の傍受システムにかかりにくくなる。
このようにして素人集団である私たちは、群れとしての統率を保っていた。
私はいつもこんな感じで無数の顔ナシたちとチャットしている。
[今回のテーマは痴漢っぽい人]@誰かさん
[つまらん…]@誰かさんの友だち
[そんなことない、彼らはビジネスとして自分の『特技』を活かしている]@誰?
[そんなにニーズあるん]@誰かさんの友達の知り合い
[それは、ご本人たちに聞いてくれ]@誰かの誰か
[最近の論文ではエロじゃなくって支配欲が根っこらしい]@誰かさんが転んだ
[お薬処方してもなくならないわけだ]@見知らぬ誰か
[タチが悪いな]@誰かさんの隣の誰かさんになりすましている誰か
[いろんな意味で筆おろしされてない奴らなんだな]@ほぼ私
[そんなことより今回のゴールは?]@誰かさんの隣にいた誰か
[一匹、釣り上げてみて金流(カネ)を見る]@誰かさん
[ようやく、面白案件になって来た]@誰!
[大きな借り物は漁船]@誰かさん
[ラストシーン俺やりたい]@どうしてみんな誰かさんってつけるの?
[ライブ配信すんの?]@今日も明日も誰かさん
[やらないけど配信はご本人次第]@誰かさん
[つまらん…]@誰かさんの友だち
[何人?]@後ろの誰かさん
[派手にやるからメンバー全員参加]@誰かさん
[たのしそ…シリコンマスクOK?]@誰かさんの友だちかも
[もちろん]@誰かさん
[詳細はこちらをクリック]@誰かさんの代理
――その人を本当に知りたかったら、『カネと女を洗え』というのが鉄則らしい
ここでいう『女』っていうのはその人の弱みってこと。
私たちはターゲットのすべてを丸裸にしていった。
[普通の人]@誰1
[子持ちししゃも]@誰2
[社交的]@誰3
[からの……うちの子に限って]@誰4
[麿が現世転生したら色々NGだった件]@誰5
[テスト期間と週末が重なる日]@誰かさんは真面目
[アレの日ってネットで情報を集められるからね]@誰1
[にしても奴らのスキル、もっと他に活かせないの?]@誰4
[とんでもない社会的損失、ハイスペに多いんでしょ?]@誰5
[らしいよ]@誰か99
[まあ俺らも似たようなもんだけど]@誰2
[毒をもって無害にしてみる]@誰29
[ちょっと、ケツ決めようよ通信コスト安くない]@真面目な誰かさん
[だな]@ALL
[ラストシーンのライトアップってどうすんの?]@誰Zero
[それコミで釣り船チャーターできた今週末ね]@誰かさん
[り]@ALL
――ターゲットは走った。あの有名な小説の一節を思わせるような走りだった。
私たちは漁船までエスコートして差し上げた。
恐らくターゲットにとっては人生最大の大舞台だ。
日没後の海浜公園はカップルを中心に皆、思い思いの時間をゆっくりと過ごしていた。
ターゲットはそれに不釣り合いなぐらい走っていた。
マラソンをしている人よりも早く、しかしスーツ姿で走っていた。
すれ違う人たちは、滑稽な姿を見てこう思ったに違いない。
(待ち合わせの時間に遅れたのかしら)
(これ……完全に修羅場に向かう顔してんなー)
(でもどうして……スマホで一言、連絡すれば済むコトじゃん?)
(バグっちゃったんだろ? お仕事とお私事……オツです)
(ここの名所、愛の鐘で君が待ってる……って感じでモーレツに走ってる)
(あの人……酔ってるな、自分に)
クライマックスの舞台は海浜公園の名物、『二人の鐘』。
桟橋の先に設置された鐘を鳴らせば結ばれると県外でも有名な恋愛スポットだ。
プロモーションミスなのか地元の人は『あの鐘』と呼んでいる。
ターゲットは何かに導かれるように、糸を手繰り寄せられるかのように桟橋の先へ全速力で走っていった。
すれ違う人の中にはターゲットのつぶやきを聞いていた者もいた。
「俺のカネが!口座がなくなる」
「今まで貯めて来た俺のカネ!」
「なんで……どうして……こんなこと」
「あいつら何なんだ!? みんなやってることだろ?」
「なんで俺だけなんだ!」
「俺よりもっと悪い事してる奴いるだろ?」
「あの鐘を鳴らせば……噂は本当だったんだ」
「あいつらは実在したんだ」
「あの鐘を鳴らせば俺は大丈夫だって」
「ヒー、ヒー、フー!ヒー、ハー、フー!」
周辺にいた人が聞いた最後のセリフは、有名なあの歌詞に似ていたらしい。
「あの鐘を鳴らすのは……この俺だ!」
そう言ってターゲットは鐘の振り子を思いっきり引っ張った。
それは鐘の音ではなく『プツン』という細い糸が切れた音のようだった。
「あれっ?」
振り子には既に細工が施されており強い力を加えるとすっぽ抜けるようになっていた。
落下防止のために施工されたはずの柵もなぜかなかった。
ターゲットはそのまま桟橋から海へと突き抜けていった。
おそらく飛び込みは素人だったのだろう。
『パーン』という大きく痛々しい腹打ち音と共に海へ叩きつけられた。
ターゲットが海に落ちたのと同時に、
漁船が煌々とライトを照らしながら近づいて来た。
「あぶっ!おぼげぇ!助け……やっぱ……引き揚げないで!」
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドドドドドドッ。
船のエンジン音は凄まじく、ターゲットの声は船長に届かなかった。
船長はエンジン音に負けない声量でターゲットに話しかけた。
「兄ちゃん!言われた通りやって来たぞ。今、引き揚げっから。
オメーさん、そんなに暴れてっと網の中で怪我するってよ!
もうちょっと大人しくしてろってば、暴れんなって!」
「網じゃなくって、その浮き輪投げて!」
「何言ってんだオメーさんがSNSでバズりたいっていうからよー、
これちゃんと撮影許可まで行政に出してOKもらってんだぞ。
最後までやり切らねーと俺もカネもらえねぇんだわ。
兄ちゃん、男なら腹くくって最後までやり切れ!!」
「違う違うって、そうじゃないんだってば」
「『嘘じゃなーい』って、若いのに古い曲よく知ってんのなぁ!」
「はい、皆さん撮影タイムです」
船長はそう言うとその場にいた人たちに合図した。
ターゲットは眩い光の中にいた。
「おい、ちょっと待てよ!撮るなよ」
「兄ちゃんよ、スマイル・スマイル♪」
「船のおやじ!早く下ろせよ」
「なにほざいてんだ。尺が必要だって言ってたのオメーさんだろ?」
「うっせ、うっせーわ、このじじい。その口つぐめや!」
「おい……兄ちゃんよ。それ演技じゃねーよな?
俺と拳で語りあいてーってことか!あんっ?」
「いえ……違います。すんません」
「はい!皆さん撮影は以上で終了です。兄ちゃんも迫真の演技だったね。
今からゆっくり下ろすから。これからも応援してるよ!」
ターゲットは天文学的にかみ合わない状況に心から叫んだ。
「俺の人生、返せー!」
――ターゲットとされた人は警察の取り調べに応じていた。
「あの……違うんです」
「このあなた名義で提出された申請って受理されてないみたいですよ。
鐘の部品も柵も損壊って扱いになりますね」
「いや……あの」
「あーあ、そんなこと言うの?
じゃあ表現変えるよ。If~、けが人でたら責任とれるの? とれないの?」
「とれませんということになろうかと思います」
「はい、お認めいただいたってことで。ここに署名と……押してもらえますか?」
「あ……はい」
「目立ちたいのはわかるけど、もうちょっとルール守ってね」
「すみません」
「あと材料費と人件費。高騰しているらしいから、補修の件ね。
相場の1.5倍は覚悟しといた方が良いんじゃない?
僕の家もこの前リフォームしたら、ええってぐらい請求されたもんね」
「ええっ?ええ……わかりました」
「じゃあ僕らはこれでお終い。後は違うところから呼び出しあるだろうから、
ひとつずつ誠意出していこう。次からこんなことしないようにね」
「すみません、ありがとうございました」
――ターゲットがこってり本当の大人たちからのリクエストをさばいていた頃。
冴たちはいつも通りチャットをしており、次のターゲットを物色していた。
[釣果はどう?]@誰かさん
[市場経由でターゲットが損する形で上納しているっぽい]@人A
[市場って?]@誰かさん
[取引所だよ金商の]@人A
[売買するとスプレッドを胴元に払うじゃん]@人B
[究極それ繰り返すと元本ゼロになるね]@人C
[ターゲットは損したってことになる=上納]@誰かさん
[お金は右から左に動くという物理現象]@人C
[動いた先の人は幸せ]@人B
[先の先の人も幸せ]@人A
[へー、面白いね]@誰かさん
[次はその金商業者?]@人D
[なんかヤバそう、自分はパス]@人L
[同じく]@人LL
[ちょっとね……同じく]@人LLL
[気にしないで一人でもやるから]@誰かさん
[ハウ?]@人D
[さあね]@誰かさん
[なんか心配]@人D
[また連絡するよ、ちょっと考えさせて]@誰かさん
冴は考えていた。
(相手も金融のプロだ。それなりのエンジニアを飼っているはず。
ハッキングしてカネの動きを追うのは、よっぽどの穴がないと無理。
映画みたいにはいかないし、それに体制を整えるっていっても時間がかかる。
今の段階は産業族のフロントマンが使ってる電話番号さえわかればいい。
考えられるやり方ではリスクが大きすぎる。
もうちょっと、サクッとできないかなー)
冴は自分の部屋を歩き回りながら、何やらブツブツと言い始めた。
「サクッと……ね」
「サクッと……サクッと」
「サクッと、サクッと……サクッと、サクッと」
「サクッと、サクッと、ウエハース」
「ウエハース!」
冴は少し考えすぎて頭がお花畑になりつつあった。
と同時にバチバチッと脳内が発火してある男を思い出した。
「山田だ!」
冴はスマホで山田に電話をしようとしたが連絡帳に彼の電番はなかった。
「そういえばあいつアンプラグドン(スマホ持たない派)だ。
ほんとに面倒くさい奴……明日、大学の研究室に直接突撃しようっと」
そう言って冴はシャワーを浴びることにした。
「あいつ大学の頃から相変わらずだろうから、お土産買ってやらないと」
――翌日、冴は山手線の内側にある大学のキャンパスに向かった。
ジジジッ、カチッ、コチッ、キュキュルルル。
山田はやはりここにいた。というより彼の居場所はここしかない。
大学卒業後も教授の研究室に入り浸りそのまま助教授扱いとなった。
山田は教授になるつもりも就職して働こうとも思っていない。
ただひたすら機械、現在ではドローンと呼ばれる無機質の変則移動体と、
二次元モノクロアイドルに囲まれて生活できればそれでよかった。
既に冴は山田の背後に迫っていたが気づいていなかった。
山田は集中すると視覚と触覚以外の感覚がゼロになる過集中の持ち主だった。
さすがの山田も数時間の集中が切れ、嗅覚が戻ってきたころだった。
「いやだから伊藤ちゃん、研究室で香水ふりまいちゃダメっしょ?
僕のモノクロアイドル『田中美里』ちゃんの仮想臭気と混ざっちゃうじゃーん」
少し補足しよう。
モノクロアイドルとは自身のイマジネーションをマキシマムにせしめるため、
コンテンツをあえてモノクロにして楽しむ輩のことをいう。
彼らはカラフルに着色されたコンテンツを『カラード』と呼び一線を引く。
モノクロアイドル信奉者たちは音や匂いを語り合い、
いかに自分が言語化できるかを競い合う。
そこが彼らの悍ましい部分だった。
振り向いた先には伊藤はおらず、その代わりに見社がいた。
「ん? あんた誰? 部外者厳禁だよ」
「もう忘れたの? あんたに覗き見された、見社よ」
「ゲッ、思い出した!
お前は僕のモノクロアイドル『田中美里』ちゃんの立体模型に一番近しかった
見社 冴だな!今も変わらぬボディラインからの……髪型何で変えたの?」
「はいそれ『触れない痴漢』確定ね。
それになんで髪型変えんのに、お前の許可が必要なんだよ。山田ぁ!
私がお着替え中にドローン送り込んだこと、まだ覚えてるぞ」
「違う、違う、そうじゃない」
「そのセリフ、最近どこかで聞いたな……男ってみんな同じセリフ使うんだな」
「いやだから僕のドローンがあまりにもエクセレンツ過ぎてね。
けしかけたのは当時の教授さんだよ!僕は……」
「研究室を私物化しておきながら『僕は共犯者です。主犯は教授です』ってことね」
山田は少し黙ってうつむいた。
「何? 今更何なの? まだ時効じゃないから言いたいこと言いなよ」
「お前が好きなウエハース手に入れた」
冴はそう言っておもむろに手にしていた菓子箱を山田に手渡した。
「ちょっと待て、この包装用紙は、一年以上予約待ち。
銀座なのになぜか上野のウエハース五十六個入。
金額税込みイチキュッパの奴だろ!」
「情報古いわよ、今は原材料費高騰で二万越えね」
「金の話はどうだっていい。今、僕の手にあるってことは」
「そう、山田。全部君のだ」
「マジで」
「ジーマーで」
「僕のこと好きになっても……まずは美里ちゃん越えしないとだよ」
「そろそろ本題に入っていいかしら?」
「はい、すみません」
そう言って、冴は事情を話した。
両手に持ったウエハースをぽろぽろとズボンに落としつつ熱い玉露をすすりながらも、
山田の表情は曇っていった。
「僕は、二人が乗り越えるもんだと思ってたんだ。
だって関係ないじゃん。
大手にこだわらなければどこでも就職できたろ? 見社ならさ。
どうして意地張っちまったんだよ?」
「そのことを話しにここに来てはいないからノーコメント」
「知らないだろうから言ってやろうか。
二人は僕ら同年代のお手本みたいなカップルだったんだ。
『あーこれこれ、これが普通のパーフェクト・ハッピー。
やべっ、ハッピーオーラ―で近づけねー、太陽風かよって』やつ。
それなのになんで自分から手放すんだよ……お前があの時、一言いえばさー
こんなことにはならなかったはずだぜ? 俊の顔見てなかったわけじゃないだろ?」
「だからノーコメント」
「僕のドローンが欲しいっていうのはさー
なんかヤバいことに首突っ込んでるんだろ?
どうせお父さんの件だろ? それはやめとけって」
「っで? ドローンかしてくれるの・くれないの?」
「貸せるけど、モニターはここでしか出来ないよ」
「問題ないわ、ありがとう」
冴は席を立って部屋の出口へ向かった。
「見社、あんま無理すんなよ」
「そういう時は『ウエハースありがとう』でしょ?
じゃあね。また来るわ」
「次、会う時は二箱で!」
山田は両手でウエハースを食べ続け、熱い玉露を飲み続けていた。
――冴は山田から入手したドローンを金商業者が入居しているビルに放った。
そのドローンはヘビのような動きをするもので、元々災害用に設計されたものだった。
電源はビルの配線から拝借し屋外に面した位置に待機しているもう一台のドローンが携帯通信網を利用して山田の研究室までデータを送信することになっていた。
「とまあこんな仕組みでだね……今の世の中、スパイ映画みたいに人間は動かないよ」
「覗き見の趣味がここまでになるとはね」
「……」
山田は返す言葉もなく、ドローンを操作していった。
「建物の配置だと……大抵、偉い人って景色の良い場所に陣取るじゃん?
だからあと数メートル進ませたところなんじゃない?」
「さすが、あたりをつけるのも天性のものがあるわね」
山田は冴にいじられながらもドローンを操作していたが、
少し映し出される映像に違和感を覚えた。
「なんだあれ……」
「なんか同じようなものが動いてる」
「ちょっと待て、先客がいるみたいだ」
「山田、それってどういう意味?」
「どういう意味って、そういう意味だよ。
しかも、あの形状って」
「さすがに天井裏でバトれないでしょ?
どうするの山田?」
「いやーどうもこうも。あれ僕が作った奴だ。
あのね、僕が作った奴ならお尻のダイオードが青光りするはず」
「えー、なんか悪趣味」
「ちょっとやってみるね。ポチッとな」
山田の言った通り、前方にいると思われるドローンらしき物体の一部から
青い光が点滅した。
「ツートンツートン、ツーツーツートントン、トンツーツーツートントントン……」
「山田、大丈夫か?」
「ちょちょちょ、話かけないで。今解読してるから。
やったことないんだよモールス信号とか」
山田は発音した言葉をネットのモールス信号変換サイトにかけて復号した。
「どう?」
「2501……やっぱり、僕が設定したシリアルだ」
「それはわかったから、誰が操作しているの?」
「もー、見社やめとけよ。これ警察にサンプルとして提供したやつだよ。
内緒で実戦投入してんじゃん」
「へー、山田以外に顔広いんだ。彼女いるの?」
「そうじゃないだろ!防災コンテストで出品して優勝したら
おじいさんに声かけられてさー。
人命救助のために一台貸してくれないかって言われたんだよ。
そう言われたら断れるわけないだろ? あれだけの災害があったんだから。
っで、その送り先が警察だったの」
「その『おじい様』とは今も連絡とってるの?」
「いいや」
「山田もしかして警察にドローン送る時さぁ……律儀に送り主の住所書いた?」
「冴、日本人ならモラル・ルール・当たり前!」
「ダメだ、ここ監視されてる。しくじったなー」
「冴、撤収するぞ」
「やってちょうだい」
「冴、これからどうすんの?」
「向こうの出方を待つわ」
――冴はその間、マンティセスのメンバーとの連絡を断った。
道を歩いて通りすがりの老人を見るたび冴は声を掛けられるのではと思ったが、
待てど暮らせど彼らからのアクションはなかった。
冴は思った。
(アクションがないのではなく、出来ない……というよりもやりたがらない。
するとアクションをとるべき側は彼らではなく私ってことになる。
そうであるならば、私は今後利用される存在として彼らに定義されるだろう。
つまり、マンティセスは解散だ)
マンティセスのルールとして一定期間やり取りがなければ退会させられる。
今回は筆頭が対象となった。
『カマキリ』は獰猛な生き物だ。たとえ頭がもぎ取られたとしても狩ることをやめない。
カマキリが持つ性分と同じく、頭を失ったマンティセスの活動は、
SNSを騒がせるコンテンツの供給者として『誰かしら』たちに継続されていった。
冴は高級介護施設に就職し、ただ彼らからの接触を待った。
そこを選んだのは直感であり、山田が言っていた『おじいさん』というキーワードだけに賭けていた。
そこは接触するには自然で、密室があり、なにより他の誰も気にしない。
彼らが求める人間以外は、敷地に足を踏み入れることすら叶わない。
木を森に隠せる格好の場所だった。
「はい、おじいさん。私のお尻触ったらだめですよ。
本当に次は訴えますよー」
「何をいうとる。余命宣告受け、来週死ぬんじゃ……もう怖いもんあるかいや」
「あら、おじいちゃん。瀬戸内のご出身なんですね。
瀬戸内のどこですか?」
「広島と岡山の中間らへんの……あれっ、どこやったかいね」
「はいどうぞ。この前頼まれた本とコピックの赤ペンです」
「いやーすまんね」
老人はそう言って、先ほど冴から渡されたペンを使ってサラサラと書き始めた。
白と黒の鶴は赤く染まっていった。
「絵がお上手ですね」
「これか? これはわしが書いたもんじゃない」
「そうなんですか。上手な鶴ですね」
「お前さんは良い魂を持っとる。今時、珍しい」
「ありがとうございます」
「みんな、あんたが来て毎日が楽しいって言っとるよ」
「そうですか、それはうれしいですね。
はい、体持ち上げてください」
「どうして今も頑張ってるんだ? もうええじゃないか?
わしを見てみろ……しわしわになってよぼよぼになって
何が楽しくてここまで生きなきゃならんのかのー
息子も孫も、もう会いに来てくれんし」
「さー、私にはわからないわ」
「この鶴の絵、お前さんにあげるよ。
君は合格だ」
「大切に飾っとくわ、ありがとう」
冴はこの時、何を言われているのか分からなかった。
余命幾ばくもない老人の言うことだ、記憶の混濁もあった。
その時はそう思っていた。
冴は働きが認められ違うフロアの担当を命ぜられた。
そこは個室で今までの部屋とは雰囲気が違い、まるで高級ホテルのような佇まいだった。
「新しくお世話させていただきます。
よろしくお願いいたします」
その部屋にいた老人は比較的若かった。
冴はなぜこの人がここにいるのか少し不思議に思っていた。
ただ、質の高いサービスを受けられる施設であったこともあり、
さほど意識に上がることはなかった。
「へー、若いのに頑張っているね……なんていうの名前」
「みやしろって言います」
「珍しい名前だね。出身は?」
「ごめんなさい、あまりそういうのは答えるなって言われていますので」
「すまんすまん、つい癖で……下のフロアのあいつはまだ生きているかい?
あいついつも『俺の余命は来週もない』とか言っていただろ」
「ええ、お元気ですよ。この前、鶴の絵をいただきました」
「直接手渡してもらったの?」
「はい、そうですが」
「珍しいな、あいつが合格だすなんて」
「そうなんです。私、合格みたいですよ」
「っで、何色?」
「えっ?」
「下着の色じゃないよ。その鶴の絵の色だよ」
「赤です」
「なるほど……今日はもういいよ。また明日来なさい」
「わかりました。失礼いたします」
――冴は次の日も昨日の部屋に入って行った。
「おはようございます」
「早くにご苦労さん。さっそくだけど上に移動しよう」
「でも、私のセキュリティカードでは、
上のフロアのボタンは押せない仕様になっています」
「大丈夫、彼女が開けてくれるから」
二人はエレベーターで上の階へ行き、廊下を歩きながら少し話をしていた。
冴は目の前の男性の歩き方がやけに静かだったのを覚えていた。
「一番上のフロアはさらに別世界だろ。
なんせここの一部屋は下の二部屋ぐらいあるからね」
「そうなんですね。知りませんでした。
というよりお詳しいんですね」
「まあね」
男性はそれ以上、しゃべることはなかった。
そのフロアの奥の部屋まで行くと女性が立っていた。
冴はフロアへ上がるごと、感じていたものをようやく言葉にできた。
(ここが彼らの根城ってことね)
相手の顔をはっきりとわかるぐらい近づいた時、冴は鋭い表情になっていった。
立ち姿、指先、少しだけたたえた笑み。
それは彼女が以前、婚約まで誓い合った神下 俊(かみした すぐる)の母親のそれだった。
「お久しぶりです。お母さま」
「久しぶり、冴さん」
その様子に一番驚いたのは下のフロアの男性だった。
「あれっ、お二人ご存じだったんですか?」
冴の目の前の、白髪の老婦人は男性に少しだけ目配せをしてこう言った。
「ここからは二人で構わないわ。ありがとう」
「耳は必要ですか?」
「いらないわ、この子は大丈夫」
「わかりました。それでは見社さん。私はここで失礼します」
そう言って男性は下のフロアへ戻っていった。
しばし沈黙が流れた。
冴に去来するものは穏やかなものではなかったが、
流れた月日は彼女の表情を変えさせなかった。
玄関のような入口から入るとまず目に飛び込んできたのは鶴の絵だった。
赤を基調とした色づかいで、冴が下のフロアでもらったものと同じだった。
「この絵ね……そのまんまだけど鶴よ」
「……」
「足元には何が描かれていると思う?」
冴はその質問一つ一つ、自分の答え一つ一つに未来が用意されていると悟った。
「浮世……無常で儚く享楽的な今です」
俊の母親は冴の答えを楽しむように、また少し笑みを浮かべた。
「鶴は何でも食べるわ、カマキリもね」
冴はそういわれて少し感情的になってしまった。
「カマキリは毎年沢山の子を生みます。
それらが育ってまた増えて行きますし、
自分より大きな相手を捕食することもあります」
「そうね、そうかもしれない」
とても長い沈黙だった。
二人はまるで言葉以外の何かで語り合っているようだった。
話し始めたのは俊の母親からだった。
「あれから何年かしらね」
「十年ぐらいです」
「あなたも律儀ね……俊とは連絡取り合ってないのね
私たちからのメッセージをちゃんと受け取ってくれて嬉しかったわ」
「私がこの施設に来ることは分かっていたのですか?」
「あなたがちゃんと、ここに来られるようにしたのよ。
なんだか迷子になっていたようだったから」
冴は思った。
(俊と別れさせられたのも、ここまで踊らされて来たのも、すべてこの女の仕業だ)
そう思うと冴は、腸(はらわた)が煮えくり返るような気がして来た。
同時にどこまで俊の母親が知っているのかを、冴は量り兼ねていた。
そこで冴は視点を変えてみることにした。
「俊さんは元気にしていますか?」
「ええ」
冴は思った。
(『ええ』って、それだけで終わらないはず。
この人は何か隠したいものが……隠しているものがある)
冴はそう思えるようになると、なんだか笑いをこらえることが出来なくなって来た。
その笑い声は、なんだか薄気味悪いものだった。
俊の母親もそれには気分を害したようだった。
「冴さん、何が一体おかしいの」
冴の笑いはそれでも止まらなかった。
ようやく笑いが収まった頃、静かに語りだした。
「お母さま、年をとるのはお互い嫌なものですね。
何か指の間からするすると抜け落ちて行く感じ。
当たり前のように出来ていたものが出来なくなる。
守れるものも守れなくなっていく」
「何を言いたいのか分からないわ」
「答えはあなたの目の前にいるでしょう?」
「どういうこと?」
「あなたは私のような人間にこれから頼って生きて行かなきゃいけない。
あなたはもう俊を守り切れない。
そうでしょ?
だったら、こんなまどろっこしいことしないで素直に頭下げればいいじゃない?」
「確かに、あなたの言う通りだわ。ちゃんと話さないといけないわね。
小娘……よく聞きなさい。これからの話を」
俊の母親は産業族について語り始めた。
その巨大さ、闇深さ、巧妙さについて。
そしてそれに抗う組織、『赤鶴(あかづる)』について。
「私たちは彼らをあと一歩のところまで追いつめていた。
追いつめていたと思わされていたのかもね」
「でも負けたのね」
「そうよ、でも彼らも疲弊していたし若返りが必要だった。
もちろん私たちもね。そこで彼らと取引をしたのよ」
「取引って?」
「あなたのお父さんよ。
彼は産業族や私たち赤鶴が知らない情報まで持っていた。
だから彼にはお互いが手出しをしにくい場所に居てもらうために」
「刑務所に入ってもらったってことなのね」
「そうよ、私たちの側にいれば彼らは疑念を持つから争いは止められない。
苦肉の策だったのよ。
あなたと俊の仲についても今まで通りなんていうのもおかしいでしょ?
だから別れてもらったのよ。
あなたには本当にすまなかったと思っているわ。
でも、このような形で再会できるとは思わなかった。
マンティセスの筆頭の『誰かさん』」
「低俗なコンテンツもご覧になられるんですね」
「そうよ、今の流行だから。嫌でも目につくわ」
「お母さま、一つ質問してもよろしいですか?」
「構わないわ」
「若返りのために私はここにいるとして、その見返りは?
父の名誉の回復はあるのですか?」
「ないわ。あったとしても、あなたのお父さんはそれを望まないでしょう」
「望まないってどういうことなの?」
「文字通り、そのままの意味よ。
今、この場で判断してなんてお願いはしないわ。
一度、お父さんと話をしてみたら?
その時は『ティーチャー』という言葉を出せば、
話してくれるかも知れないわ」
「つまり、あなたとこれ以上話しても意味がないということですね」
「そうよ、今日は来てくれてありがとう。いい返事がもらえるのを待っているわ」
冴は部屋を出て行こうとした。
俊の母は冴の背に向けて言葉を投げかけた。
「俊は今もあなたのこと、愛しているみたいよ」
その言葉に立ち止まった冴は振り返った。
「なんだかあなたのことが小さく見える」
「見え方は人それぞれ、構わないわ。お父さんによろしくね」
――冴は自分の父親に会うべく、刑務所へ向かった。
「お入りください」
冴は刑務官に促されて入室していった。
父は既に着席しており、冴を見ると表情が明るくなった。
前々から普通とは異なる感覚の持ち主だと思っていたが、
今日は今まで以上にそう思えていた。
「父さん久しぶり」
「冴、どうしたの? 会いに来なくてもいいのに」
「時間があまりないからいきなり本題に入るね」
「構わないよ」
「ティーチャーって何?」
「ん? 僕のこと」
「それって何なの?」
「AIの先生だよ。僕以外に数名いて、ほとんどはアメリカに住んでる」
「いや……父さんもっと詳しく教えて」
「えー、面会時間オーバーしちゃう」
「オーバーしたら次の日また来るから続きを話してくれればいいでしょ?」
「テレビドラマみたいな感じでワンクール始まるよ」
「そ……あっ……いゃ、父さん」
父は刑務所暮らしが長くなり一層ギャップが深まったと、冴は思った。
「どした? おっ、髪切った?」
面会室という場所だったため、冴は強く拳を握りしめたままゆっくりと机に押し付けた。
ようやく父に自分の気持ちが伝わったようだった。
「あんたのせいで私の人生台無しじゃないの!返してよ!」
冴の父は少しうつむいてこたえた。
「ごめんな、父さん居場所がここしかなさそうだったんだよ
でもね、ここ結構快適。別に罪を犯したわけじゃないし。
世間的にそうはなってるけどね……ほとぼり冷めたら元に戻れるってよ」
「それっていつなの?」
「ゴメン、わからない」
「一つ分かったことがあるわ」
「それは良かった。どんなこと?」
「父さんは昔っから変わってないってこと」
「ええっと、それって良い事・悪い事?」
「私もう帰る」
「俊君によろしくね」
「どうして?」
「この前、彼ここに来てくれたから」
「何を話したの?」
「今日と同じような話だよ。一緒に来れば良かったのに。
今度一緒に来なよ、同じ話をしなくて済むから
そろそろ仲直りしたら? 俊君は冴のこと……」
「父さん、それ以上はいらない!」
冴はこの人とこれ以上一緒にいると頭がおかしくなると思い、面会を終了した。
「父さんは一生、あそこにいてもらった方が世のため人のため。
次は、あいつだわ」
――俊も冴の父との会話は理解があまり追いついていなかった。
彼は日々の業務とは別に『ティーチャー』について調べを進めていた。
「ティーチャーは総じて好奇心が強く、IQなどでの測定はできない。
ギフテッドとは異なるが生来の読書好きとされている。
例えば、幼少期に図書館の蔵書を読破しようとしていた。
速読よりも遅く読めないため、国語の能力を疑われることが多い。
これ……そのまま冴のお父さんに当てはまるな」
俊は帰宅途中だったが歩くのをやめた。
「こんな性格の持ち主が組織的な経済犯罪の主犯を行えるはずがない。
あの人は面会の時、一言も事件のことを言わなかった。
というかまったく知らない雰囲気だったし、そもそも興味がなかったようだった」
俊は立ち止まったままうつむいていた。
「冴……自分から終わらせといて、しかもだいぶ経っちゃってるし。
もっと早くこの違和感に気づければ」
遠くで雷が鳴ったことに気づいたのと同時に、
目の前に誰かが立っていることに気がついた。
「俊」
俊は自分の名前を呼ばれた先を見た。
「冴」
彼女は抱きついたかと思ったら強く口づけをした。
突然のことだったが俊は長い年月が経った今も、彼女のことは体が覚えていた。
彼女の体が少し離れたと思った瞬間だった。
『パンッ』という乾いた音が冴の平手打ちと共に響いた。
俊が何か言おうとした瞬間だった。
「冴……ごめ」
『ビシッ』という体重を乗せた一撃だった。
女性の力とはいえ俊はよろけ、しりもちをついてしまった。
彼が気づいた時には冴はもうその場にいなかった。
(二度目のは、ちょっと理解ができないんだけど)
泣き面に蜂とはこのことを言うのだろう。
突然、ゲリラ豪雨が彼を襲った。
(このタイミングの豪雨も理解できない)
タイム・パフォーマンスは限りある人間の命を考えると合理的な判断だし、
コスト・パフォーマンスは単位当たりの価値密度を上げることで見返りを増やせる。
それは至極、当然の帰結だ。
しかし、世の中を見渡してみよう。
皆が高いパフォーマンスを求めた結果、どうなったか。
誰が幸せになったのだろうか?
誰を幸せにしていったのだろうか?
君らはどうだ?
パフォーマンスを追い求めた果てに獲得したものは、
他者への不理解と無自覚な怠惰だったのではないだろうか?
秘密結社『マンティセス』はそんな奴らを撃滅する。
その筆頭である私のことを、皆は畏怖の念をもって「カマキリ」と呼ぶ。
私は見社 冴(みやしろ さえ)。
マンティセスの筆頭で、犯罪者の娘として生きる女。
――マンティセスのメンバーは必ず人混みにいる。
理由は誰かさんのスマホを乗っ取るため。
これによって『誰かさんの誰かの誰か』になることができ、
ピア間通信の傍受システムにかかりにくくなる。
このようにして素人集団である私たちは、群れとしての統率を保っていた。
私はいつもこんな感じで無数の顔ナシたちとチャットしている。
[今回のテーマは痴漢っぽい人]@誰かさん
[つまらん…]@誰かさんの友だち
[そんなことない、彼らはビジネスとして自分の『特技』を活かしている]@誰?
[そんなにニーズあるん]@誰かさんの友達の知り合い
[それは、ご本人たちに聞いてくれ]@誰かの誰か
[最近の論文ではエロじゃなくって支配欲が根っこらしい]@誰かさんが転んだ
[お薬処方してもなくならないわけだ]@見知らぬ誰か
[タチが悪いな]@誰かさんの隣の誰かさんになりすましている誰か
[いろんな意味で筆おろしされてない奴らなんだな]@ほぼ私
[そんなことより今回のゴールは?]@誰かさんの隣にいた誰か
[一匹、釣り上げてみて金流(カネ)を見る]@誰かさん
[ようやく、面白案件になって来た]@誰!
[大きな借り物は漁船]@誰かさん
[ラストシーン俺やりたい]@どうしてみんな誰かさんってつけるの?
[ライブ配信すんの?]@今日も明日も誰かさん
[やらないけど配信はご本人次第]@誰かさん
[つまらん…]@誰かさんの友だち
[何人?]@後ろの誰かさん
[派手にやるからメンバー全員参加]@誰かさん
[たのしそ…シリコンマスクOK?]@誰かさんの友だちかも
[もちろん]@誰かさん
[詳細はこちらをクリック]@誰かさんの代理
――その人を本当に知りたかったら、『カネと女を洗え』というのが鉄則らしい
ここでいう『女』っていうのはその人の弱みってこと。
私たちはターゲットのすべてを丸裸にしていった。
[普通の人]@誰1
[子持ちししゃも]@誰2
[社交的]@誰3
[からの……うちの子に限って]@誰4
[麿が現世転生したら色々NGだった件]@誰5
[テスト期間と週末が重なる日]@誰かさんは真面目
[アレの日ってネットで情報を集められるからね]@誰1
[にしても奴らのスキル、もっと他に活かせないの?]@誰4
[とんでもない社会的損失、ハイスペに多いんでしょ?]@誰5
[らしいよ]@誰か99
[まあ俺らも似たようなもんだけど]@誰2
[毒をもって無害にしてみる]@誰29
[ちょっと、ケツ決めようよ通信コスト安くない]@真面目な誰かさん
[だな]@ALL
[ラストシーンのライトアップってどうすんの?]@誰Zero
[それコミで釣り船チャーターできた今週末ね]@誰かさん
[り]@ALL
――ターゲットは走った。あの有名な小説の一節を思わせるような走りだった。
私たちは漁船までエスコートして差し上げた。
恐らくターゲットにとっては人生最大の大舞台だ。
日没後の海浜公園はカップルを中心に皆、思い思いの時間をゆっくりと過ごしていた。
ターゲットはそれに不釣り合いなぐらい走っていた。
マラソンをしている人よりも早く、しかしスーツ姿で走っていた。
すれ違う人たちは、滑稽な姿を見てこう思ったに違いない。
(待ち合わせの時間に遅れたのかしら)
(これ……完全に修羅場に向かう顔してんなー)
(でもどうして……スマホで一言、連絡すれば済むコトじゃん?)
(バグっちゃったんだろ? お仕事とお私事……オツです)
(ここの名所、愛の鐘で君が待ってる……って感じでモーレツに走ってる)
(あの人……酔ってるな、自分に)
クライマックスの舞台は海浜公園の名物、『二人の鐘』。
桟橋の先に設置された鐘を鳴らせば結ばれると県外でも有名な恋愛スポットだ。
プロモーションミスなのか地元の人は『あの鐘』と呼んでいる。
ターゲットは何かに導かれるように、糸を手繰り寄せられるかのように桟橋の先へ全速力で走っていった。
すれ違う人の中にはターゲットのつぶやきを聞いていた者もいた。
「俺のカネが!口座がなくなる」
「今まで貯めて来た俺のカネ!」
「なんで……どうして……こんなこと」
「あいつら何なんだ!? みんなやってることだろ?」
「なんで俺だけなんだ!」
「俺よりもっと悪い事してる奴いるだろ?」
「あの鐘を鳴らせば……噂は本当だったんだ」
「あいつらは実在したんだ」
「あの鐘を鳴らせば俺は大丈夫だって」
「ヒー、ヒー、フー!ヒー、ハー、フー!」
周辺にいた人が聞いた最後のセリフは、有名なあの歌詞に似ていたらしい。
「あの鐘を鳴らすのは……この俺だ!」
そう言ってターゲットは鐘の振り子を思いっきり引っ張った。
それは鐘の音ではなく『プツン』という細い糸が切れた音のようだった。
「あれっ?」
振り子には既に細工が施されており強い力を加えるとすっぽ抜けるようになっていた。
落下防止のために施工されたはずの柵もなぜかなかった。
ターゲットはそのまま桟橋から海へと突き抜けていった。
おそらく飛び込みは素人だったのだろう。
『パーン』という大きく痛々しい腹打ち音と共に海へ叩きつけられた。
ターゲットが海に落ちたのと同時に、
漁船が煌々とライトを照らしながら近づいて来た。
「あぶっ!おぼげぇ!助け……やっぱ……引き揚げないで!」
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドドドドドドッ。
船のエンジン音は凄まじく、ターゲットの声は船長に届かなかった。
船長はエンジン音に負けない声量でターゲットに話しかけた。
「兄ちゃん!言われた通りやって来たぞ。今、引き揚げっから。
オメーさん、そんなに暴れてっと網の中で怪我するってよ!
もうちょっと大人しくしてろってば、暴れんなって!」
「網じゃなくって、その浮き輪投げて!」
「何言ってんだオメーさんがSNSでバズりたいっていうからよー、
これちゃんと撮影許可まで行政に出してOKもらってんだぞ。
最後までやり切らねーと俺もカネもらえねぇんだわ。
兄ちゃん、男なら腹くくって最後までやり切れ!!」
「違う違うって、そうじゃないんだってば」
「『嘘じゃなーい』って、若いのに古い曲よく知ってんのなぁ!」
「はい、皆さん撮影タイムです」
船長はそう言うとその場にいた人たちに合図した。
ターゲットは眩い光の中にいた。
「おい、ちょっと待てよ!撮るなよ」
「兄ちゃんよ、スマイル・スマイル♪」
「船のおやじ!早く下ろせよ」
「なにほざいてんだ。尺が必要だって言ってたのオメーさんだろ?」
「うっせ、うっせーわ、このじじい。その口つぐめや!」
「おい……兄ちゃんよ。それ演技じゃねーよな?
俺と拳で語りあいてーってことか!あんっ?」
「いえ……違います。すんません」
「はい!皆さん撮影は以上で終了です。兄ちゃんも迫真の演技だったね。
今からゆっくり下ろすから。これからも応援してるよ!」
ターゲットは天文学的にかみ合わない状況に心から叫んだ。
「俺の人生、返せー!」
――ターゲットとされた人は警察の取り調べに応じていた。
「あの……違うんです」
「このあなた名義で提出された申請って受理されてないみたいですよ。
鐘の部品も柵も損壊って扱いになりますね」
「いや……あの」
「あーあ、そんなこと言うの?
じゃあ表現変えるよ。If~、けが人でたら責任とれるの? とれないの?」
「とれませんということになろうかと思います」
「はい、お認めいただいたってことで。ここに署名と……押してもらえますか?」
「あ……はい」
「目立ちたいのはわかるけど、もうちょっとルール守ってね」
「すみません」
「あと材料費と人件費。高騰しているらしいから、補修の件ね。
相場の1.5倍は覚悟しといた方が良いんじゃない?
僕の家もこの前リフォームしたら、ええってぐらい請求されたもんね」
「ええっ?ええ……わかりました」
「じゃあ僕らはこれでお終い。後は違うところから呼び出しあるだろうから、
ひとつずつ誠意出していこう。次からこんなことしないようにね」
「すみません、ありがとうございました」
――ターゲットがこってり本当の大人たちからのリクエストをさばいていた頃。
冴たちはいつも通りチャットをしており、次のターゲットを物色していた。
[釣果はどう?]@誰かさん
[市場経由でターゲットが損する形で上納しているっぽい]@人A
[市場って?]@誰かさん
[取引所だよ金商の]@人A
[売買するとスプレッドを胴元に払うじゃん]@人B
[究極それ繰り返すと元本ゼロになるね]@人C
[ターゲットは損したってことになる=上納]@誰かさん
[お金は右から左に動くという物理現象]@人C
[動いた先の人は幸せ]@人B
[先の先の人も幸せ]@人A
[へー、面白いね]@誰かさん
[次はその金商業者?]@人D
[なんかヤバそう、自分はパス]@人L
[同じく]@人LL
[ちょっとね……同じく]@人LLL
[気にしないで一人でもやるから]@誰かさん
[ハウ?]@人D
[さあね]@誰かさん
[なんか心配]@人D
[また連絡するよ、ちょっと考えさせて]@誰かさん
冴は考えていた。
(相手も金融のプロだ。それなりのエンジニアを飼っているはず。
ハッキングしてカネの動きを追うのは、よっぽどの穴がないと無理。
映画みたいにはいかないし、それに体制を整えるっていっても時間がかかる。
今の段階は産業族のフロントマンが使ってる電話番号さえわかればいい。
考えられるやり方ではリスクが大きすぎる。
もうちょっと、サクッとできないかなー)
冴は自分の部屋を歩き回りながら、何やらブツブツと言い始めた。
「サクッと……ね」
「サクッと……サクッと」
「サクッと、サクッと……サクッと、サクッと」
「サクッと、サクッと、ウエハース」
「ウエハース!」
冴は少し考えすぎて頭がお花畑になりつつあった。
と同時にバチバチッと脳内が発火してある男を思い出した。
「山田だ!」
冴はスマホで山田に電話をしようとしたが連絡帳に彼の電番はなかった。
「そういえばあいつアンプラグドン(スマホ持たない派)だ。
ほんとに面倒くさい奴……明日、大学の研究室に直接突撃しようっと」
そう言って冴はシャワーを浴びることにした。
「あいつ大学の頃から相変わらずだろうから、お土産買ってやらないと」
――翌日、冴は山手線の内側にある大学のキャンパスに向かった。
ジジジッ、カチッ、コチッ、キュキュルルル。
山田はやはりここにいた。というより彼の居場所はここしかない。
大学卒業後も教授の研究室に入り浸りそのまま助教授扱いとなった。
山田は教授になるつもりも就職して働こうとも思っていない。
ただひたすら機械、現在ではドローンと呼ばれる無機質の変則移動体と、
二次元モノクロアイドルに囲まれて生活できればそれでよかった。
既に冴は山田の背後に迫っていたが気づいていなかった。
山田は集中すると視覚と触覚以外の感覚がゼロになる過集中の持ち主だった。
さすがの山田も数時間の集中が切れ、嗅覚が戻ってきたころだった。
「いやだから伊藤ちゃん、研究室で香水ふりまいちゃダメっしょ?
僕のモノクロアイドル『田中美里』ちゃんの仮想臭気と混ざっちゃうじゃーん」
少し補足しよう。
モノクロアイドルとは自身のイマジネーションをマキシマムにせしめるため、
コンテンツをあえてモノクロにして楽しむ輩のことをいう。
彼らはカラフルに着色されたコンテンツを『カラード』と呼び一線を引く。
モノクロアイドル信奉者たちは音や匂いを語り合い、
いかに自分が言語化できるかを競い合う。
そこが彼らの悍ましい部分だった。
振り向いた先には伊藤はおらず、その代わりに見社がいた。
「ん? あんた誰? 部外者厳禁だよ」
「もう忘れたの? あんたに覗き見された、見社よ」
「ゲッ、思い出した!
お前は僕のモノクロアイドル『田中美里』ちゃんの立体模型に一番近しかった
見社 冴だな!今も変わらぬボディラインからの……髪型何で変えたの?」
「はいそれ『触れない痴漢』確定ね。
それになんで髪型変えんのに、お前の許可が必要なんだよ。山田ぁ!
私がお着替え中にドローン送り込んだこと、まだ覚えてるぞ」
「違う、違う、そうじゃない」
「そのセリフ、最近どこかで聞いたな……男ってみんな同じセリフ使うんだな」
「いやだから僕のドローンがあまりにもエクセレンツ過ぎてね。
けしかけたのは当時の教授さんだよ!僕は……」
「研究室を私物化しておきながら『僕は共犯者です。主犯は教授です』ってことね」
山田は少し黙ってうつむいた。
「何? 今更何なの? まだ時効じゃないから言いたいこと言いなよ」
「お前が好きなウエハース手に入れた」
冴はそう言っておもむろに手にしていた菓子箱を山田に手渡した。
「ちょっと待て、この包装用紙は、一年以上予約待ち。
銀座なのになぜか上野のウエハース五十六個入。
金額税込みイチキュッパの奴だろ!」
「情報古いわよ、今は原材料費高騰で二万越えね」
「金の話はどうだっていい。今、僕の手にあるってことは」
「そう、山田。全部君のだ」
「マジで」
「ジーマーで」
「僕のこと好きになっても……まずは美里ちゃん越えしないとだよ」
「そろそろ本題に入っていいかしら?」
「はい、すみません」
そう言って、冴は事情を話した。
両手に持ったウエハースをぽろぽろとズボンに落としつつ熱い玉露をすすりながらも、
山田の表情は曇っていった。
「僕は、二人が乗り越えるもんだと思ってたんだ。
だって関係ないじゃん。
大手にこだわらなければどこでも就職できたろ? 見社ならさ。
どうして意地張っちまったんだよ?」
「そのことを話しにここに来てはいないからノーコメント」
「知らないだろうから言ってやろうか。
二人は僕ら同年代のお手本みたいなカップルだったんだ。
『あーこれこれ、これが普通のパーフェクト・ハッピー。
やべっ、ハッピーオーラ―で近づけねー、太陽風かよって』やつ。
それなのになんで自分から手放すんだよ……お前があの時、一言いえばさー
こんなことにはならなかったはずだぜ? 俊の顔見てなかったわけじゃないだろ?」
「だからノーコメント」
「僕のドローンが欲しいっていうのはさー
なんかヤバいことに首突っ込んでるんだろ?
どうせお父さんの件だろ? それはやめとけって」
「っで? ドローンかしてくれるの・くれないの?」
「貸せるけど、モニターはここでしか出来ないよ」
「問題ないわ、ありがとう」
冴は席を立って部屋の出口へ向かった。
「見社、あんま無理すんなよ」
「そういう時は『ウエハースありがとう』でしょ?
じゃあね。また来るわ」
「次、会う時は二箱で!」
山田は両手でウエハースを食べ続け、熱い玉露を飲み続けていた。
――冴は山田から入手したドローンを金商業者が入居しているビルに放った。
そのドローンはヘビのような動きをするもので、元々災害用に設計されたものだった。
電源はビルの配線から拝借し屋外に面した位置に待機しているもう一台のドローンが携帯通信網を利用して山田の研究室までデータを送信することになっていた。
「とまあこんな仕組みでだね……今の世の中、スパイ映画みたいに人間は動かないよ」
「覗き見の趣味がここまでになるとはね」
「……」
山田は返す言葉もなく、ドローンを操作していった。
「建物の配置だと……大抵、偉い人って景色の良い場所に陣取るじゃん?
だからあと数メートル進ませたところなんじゃない?」
「さすが、あたりをつけるのも天性のものがあるわね」
山田は冴にいじられながらもドローンを操作していたが、
少し映し出される映像に違和感を覚えた。
「なんだあれ……」
「なんか同じようなものが動いてる」
「ちょっと待て、先客がいるみたいだ」
「山田、それってどういう意味?」
「どういう意味って、そういう意味だよ。
しかも、あの形状って」
「さすがに天井裏でバトれないでしょ?
どうするの山田?」
「いやーどうもこうも。あれ僕が作った奴だ。
あのね、僕が作った奴ならお尻のダイオードが青光りするはず」
「えー、なんか悪趣味」
「ちょっとやってみるね。ポチッとな」
山田の言った通り、前方にいると思われるドローンらしき物体の一部から
青い光が点滅した。
「ツートンツートン、ツーツーツートントン、トンツーツーツートントントン……」
「山田、大丈夫か?」
「ちょちょちょ、話かけないで。今解読してるから。
やったことないんだよモールス信号とか」
山田は発音した言葉をネットのモールス信号変換サイトにかけて復号した。
「どう?」
「2501……やっぱり、僕が設定したシリアルだ」
「それはわかったから、誰が操作しているの?」
「もー、見社やめとけよ。これ警察にサンプルとして提供したやつだよ。
内緒で実戦投入してんじゃん」
「へー、山田以外に顔広いんだ。彼女いるの?」
「そうじゃないだろ!防災コンテストで出品して優勝したら
おじいさんに声かけられてさー。
人命救助のために一台貸してくれないかって言われたんだよ。
そう言われたら断れるわけないだろ? あれだけの災害があったんだから。
っで、その送り先が警察だったの」
「その『おじい様』とは今も連絡とってるの?」
「いいや」
「山田もしかして警察にドローン送る時さぁ……律儀に送り主の住所書いた?」
「冴、日本人ならモラル・ルール・当たり前!」
「ダメだ、ここ監視されてる。しくじったなー」
「冴、撤収するぞ」
「やってちょうだい」
「冴、これからどうすんの?」
「向こうの出方を待つわ」
――冴はその間、マンティセスのメンバーとの連絡を断った。
道を歩いて通りすがりの老人を見るたび冴は声を掛けられるのではと思ったが、
待てど暮らせど彼らからのアクションはなかった。
冴は思った。
(アクションがないのではなく、出来ない……というよりもやりたがらない。
するとアクションをとるべき側は彼らではなく私ってことになる。
そうであるならば、私は今後利用される存在として彼らに定義されるだろう。
つまり、マンティセスは解散だ)
マンティセスのルールとして一定期間やり取りがなければ退会させられる。
今回は筆頭が対象となった。
『カマキリ』は獰猛な生き物だ。たとえ頭がもぎ取られたとしても狩ることをやめない。
カマキリが持つ性分と同じく、頭を失ったマンティセスの活動は、
SNSを騒がせるコンテンツの供給者として『誰かしら』たちに継続されていった。
冴は高級介護施設に就職し、ただ彼らからの接触を待った。
そこを選んだのは直感であり、山田が言っていた『おじいさん』というキーワードだけに賭けていた。
そこは接触するには自然で、密室があり、なにより他の誰も気にしない。
彼らが求める人間以外は、敷地に足を踏み入れることすら叶わない。
木を森に隠せる格好の場所だった。
「はい、おじいさん。私のお尻触ったらだめですよ。
本当に次は訴えますよー」
「何をいうとる。余命宣告受け、来週死ぬんじゃ……もう怖いもんあるかいや」
「あら、おじいちゃん。瀬戸内のご出身なんですね。
瀬戸内のどこですか?」
「広島と岡山の中間らへんの……あれっ、どこやったかいね」
「はいどうぞ。この前頼まれた本とコピックの赤ペンです」
「いやーすまんね」
老人はそう言って、先ほど冴から渡されたペンを使ってサラサラと書き始めた。
白と黒の鶴は赤く染まっていった。
「絵がお上手ですね」
「これか? これはわしが書いたもんじゃない」
「そうなんですか。上手な鶴ですね」
「お前さんは良い魂を持っとる。今時、珍しい」
「ありがとうございます」
「みんな、あんたが来て毎日が楽しいって言っとるよ」
「そうですか、それはうれしいですね。
はい、体持ち上げてください」
「どうして今も頑張ってるんだ? もうええじゃないか?
わしを見てみろ……しわしわになってよぼよぼになって
何が楽しくてここまで生きなきゃならんのかのー
息子も孫も、もう会いに来てくれんし」
「さー、私にはわからないわ」
「この鶴の絵、お前さんにあげるよ。
君は合格だ」
「大切に飾っとくわ、ありがとう」
冴はこの時、何を言われているのか分からなかった。
余命幾ばくもない老人の言うことだ、記憶の混濁もあった。
その時はそう思っていた。
冴は働きが認められ違うフロアの担当を命ぜられた。
そこは個室で今までの部屋とは雰囲気が違い、まるで高級ホテルのような佇まいだった。
「新しくお世話させていただきます。
よろしくお願いいたします」
その部屋にいた老人は比較的若かった。
冴はなぜこの人がここにいるのか少し不思議に思っていた。
ただ、質の高いサービスを受けられる施設であったこともあり、
さほど意識に上がることはなかった。
「へー、若いのに頑張っているね……なんていうの名前」
「みやしろって言います」
「珍しい名前だね。出身は?」
「ごめんなさい、あまりそういうのは答えるなって言われていますので」
「すまんすまん、つい癖で……下のフロアのあいつはまだ生きているかい?
あいついつも『俺の余命は来週もない』とか言っていただろ」
「ええ、お元気ですよ。この前、鶴の絵をいただきました」
「直接手渡してもらったの?」
「はい、そうですが」
「珍しいな、あいつが合格だすなんて」
「そうなんです。私、合格みたいですよ」
「っで、何色?」
「えっ?」
「下着の色じゃないよ。その鶴の絵の色だよ」
「赤です」
「なるほど……今日はもういいよ。また明日来なさい」
「わかりました。失礼いたします」
――冴は次の日も昨日の部屋に入って行った。
「おはようございます」
「早くにご苦労さん。さっそくだけど上に移動しよう」
「でも、私のセキュリティカードでは、
上のフロアのボタンは押せない仕様になっています」
「大丈夫、彼女が開けてくれるから」
二人はエレベーターで上の階へ行き、廊下を歩きながら少し話をしていた。
冴は目の前の男性の歩き方がやけに静かだったのを覚えていた。
「一番上のフロアはさらに別世界だろ。
なんせここの一部屋は下の二部屋ぐらいあるからね」
「そうなんですね。知りませんでした。
というよりお詳しいんですね」
「まあね」
男性はそれ以上、しゃべることはなかった。
そのフロアの奥の部屋まで行くと女性が立っていた。
冴はフロアへ上がるごと、感じていたものをようやく言葉にできた。
(ここが彼らの根城ってことね)
相手の顔をはっきりとわかるぐらい近づいた時、冴は鋭い表情になっていった。
立ち姿、指先、少しだけたたえた笑み。
それは彼女が以前、婚約まで誓い合った神下 俊(かみした すぐる)の母親のそれだった。
「お久しぶりです。お母さま」
「久しぶり、冴さん」
その様子に一番驚いたのは下のフロアの男性だった。
「あれっ、お二人ご存じだったんですか?」
冴の目の前の、白髪の老婦人は男性に少しだけ目配せをしてこう言った。
「ここからは二人で構わないわ。ありがとう」
「耳は必要ですか?」
「いらないわ、この子は大丈夫」
「わかりました。それでは見社さん。私はここで失礼します」
そう言って男性は下のフロアへ戻っていった。
しばし沈黙が流れた。
冴に去来するものは穏やかなものではなかったが、
流れた月日は彼女の表情を変えさせなかった。
玄関のような入口から入るとまず目に飛び込んできたのは鶴の絵だった。
赤を基調とした色づかいで、冴が下のフロアでもらったものと同じだった。
「この絵ね……そのまんまだけど鶴よ」
「……」
「足元には何が描かれていると思う?」
冴はその質問一つ一つ、自分の答え一つ一つに未来が用意されていると悟った。
「浮世……無常で儚く享楽的な今です」
俊の母親は冴の答えを楽しむように、また少し笑みを浮かべた。
「鶴は何でも食べるわ、カマキリもね」
冴はそういわれて少し感情的になってしまった。
「カマキリは毎年沢山の子を生みます。
それらが育ってまた増えて行きますし、
自分より大きな相手を捕食することもあります」
「そうね、そうかもしれない」
とても長い沈黙だった。
二人はまるで言葉以外の何かで語り合っているようだった。
話し始めたのは俊の母親からだった。
「あれから何年かしらね」
「十年ぐらいです」
「あなたも律儀ね……俊とは連絡取り合ってないのね
私たちからのメッセージをちゃんと受け取ってくれて嬉しかったわ」
「私がこの施設に来ることは分かっていたのですか?」
「あなたがちゃんと、ここに来られるようにしたのよ。
なんだか迷子になっていたようだったから」
冴は思った。
(俊と別れさせられたのも、ここまで踊らされて来たのも、すべてこの女の仕業だ)
そう思うと冴は、腸(はらわた)が煮えくり返るような気がして来た。
同時にどこまで俊の母親が知っているのかを、冴は量り兼ねていた。
そこで冴は視点を変えてみることにした。
「俊さんは元気にしていますか?」
「ええ」
冴は思った。
(『ええ』って、それだけで終わらないはず。
この人は何か隠したいものが……隠しているものがある)
冴はそう思えるようになると、なんだか笑いをこらえることが出来なくなって来た。
その笑い声は、なんだか薄気味悪いものだった。
俊の母親もそれには気分を害したようだった。
「冴さん、何が一体おかしいの」
冴の笑いはそれでも止まらなかった。
ようやく笑いが収まった頃、静かに語りだした。
「お母さま、年をとるのはお互い嫌なものですね。
何か指の間からするすると抜け落ちて行く感じ。
当たり前のように出来ていたものが出来なくなる。
守れるものも守れなくなっていく」
「何を言いたいのか分からないわ」
「答えはあなたの目の前にいるでしょう?」
「どういうこと?」
「あなたは私のような人間にこれから頼って生きて行かなきゃいけない。
あなたはもう俊を守り切れない。
そうでしょ?
だったら、こんなまどろっこしいことしないで素直に頭下げればいいじゃない?」
「確かに、あなたの言う通りだわ。ちゃんと話さないといけないわね。
小娘……よく聞きなさい。これからの話を」
俊の母親は産業族について語り始めた。
その巨大さ、闇深さ、巧妙さについて。
そしてそれに抗う組織、『赤鶴(あかづる)』について。
「私たちは彼らをあと一歩のところまで追いつめていた。
追いつめていたと思わされていたのかもね」
「でも負けたのね」
「そうよ、でも彼らも疲弊していたし若返りが必要だった。
もちろん私たちもね。そこで彼らと取引をしたのよ」
「取引って?」
「あなたのお父さんよ。
彼は産業族や私たち赤鶴が知らない情報まで持っていた。
だから彼にはお互いが手出しをしにくい場所に居てもらうために」
「刑務所に入ってもらったってことなのね」
「そうよ、私たちの側にいれば彼らは疑念を持つから争いは止められない。
苦肉の策だったのよ。
あなたと俊の仲についても今まで通りなんていうのもおかしいでしょ?
だから別れてもらったのよ。
あなたには本当にすまなかったと思っているわ。
でも、このような形で再会できるとは思わなかった。
マンティセスの筆頭の『誰かさん』」
「低俗なコンテンツもご覧になられるんですね」
「そうよ、今の流行だから。嫌でも目につくわ」
「お母さま、一つ質問してもよろしいですか?」
「構わないわ」
「若返りのために私はここにいるとして、その見返りは?
父の名誉の回復はあるのですか?」
「ないわ。あったとしても、あなたのお父さんはそれを望まないでしょう」
「望まないってどういうことなの?」
「文字通り、そのままの意味よ。
今、この場で判断してなんてお願いはしないわ。
一度、お父さんと話をしてみたら?
その時は『ティーチャー』という言葉を出せば、
話してくれるかも知れないわ」
「つまり、あなたとこれ以上話しても意味がないということですね」
「そうよ、今日は来てくれてありがとう。いい返事がもらえるのを待っているわ」
冴は部屋を出て行こうとした。
俊の母は冴の背に向けて言葉を投げかけた。
「俊は今もあなたのこと、愛しているみたいよ」
その言葉に立ち止まった冴は振り返った。
「なんだかあなたのことが小さく見える」
「見え方は人それぞれ、構わないわ。お父さんによろしくね」
――冴は自分の父親に会うべく、刑務所へ向かった。
「お入りください」
冴は刑務官に促されて入室していった。
父は既に着席しており、冴を見ると表情が明るくなった。
前々から普通とは異なる感覚の持ち主だと思っていたが、
今日は今まで以上にそう思えていた。
「父さん久しぶり」
「冴、どうしたの? 会いに来なくてもいいのに」
「時間があまりないからいきなり本題に入るね」
「構わないよ」
「ティーチャーって何?」
「ん? 僕のこと」
「それって何なの?」
「AIの先生だよ。僕以外に数名いて、ほとんどはアメリカに住んでる」
「いや……父さんもっと詳しく教えて」
「えー、面会時間オーバーしちゃう」
「オーバーしたら次の日また来るから続きを話してくれればいいでしょ?」
「テレビドラマみたいな感じでワンクール始まるよ」
「そ……あっ……いゃ、父さん」
父は刑務所暮らしが長くなり一層ギャップが深まったと、冴は思った。
「どした? おっ、髪切った?」
面会室という場所だったため、冴は強く拳を握りしめたままゆっくりと机に押し付けた。
ようやく父に自分の気持ちが伝わったようだった。
「あんたのせいで私の人生台無しじゃないの!返してよ!」
冴の父は少しうつむいてこたえた。
「ごめんな、父さん居場所がここしかなさそうだったんだよ
でもね、ここ結構快適。別に罪を犯したわけじゃないし。
世間的にそうはなってるけどね……ほとぼり冷めたら元に戻れるってよ」
「それっていつなの?」
「ゴメン、わからない」
「一つ分かったことがあるわ」
「それは良かった。どんなこと?」
「父さんは昔っから変わってないってこと」
「ええっと、それって良い事・悪い事?」
「私もう帰る」
「俊君によろしくね」
「どうして?」
「この前、彼ここに来てくれたから」
「何を話したの?」
「今日と同じような話だよ。一緒に来れば良かったのに。
今度一緒に来なよ、同じ話をしなくて済むから
そろそろ仲直りしたら? 俊君は冴のこと……」
「父さん、それ以上はいらない!」
冴はこの人とこれ以上一緒にいると頭がおかしくなると思い、面会を終了した。
「父さんは一生、あそこにいてもらった方が世のため人のため。
次は、あいつだわ」
――俊も冴の父との会話は理解があまり追いついていなかった。
彼は日々の業務とは別に『ティーチャー』について調べを進めていた。
「ティーチャーは総じて好奇心が強く、IQなどでの測定はできない。
ギフテッドとは異なるが生来の読書好きとされている。
例えば、幼少期に図書館の蔵書を読破しようとしていた。
速読よりも遅く読めないため、国語の能力を疑われることが多い。
これ……そのまま冴のお父さんに当てはまるな」
俊は帰宅途中だったが歩くのをやめた。
「こんな性格の持ち主が組織的な経済犯罪の主犯を行えるはずがない。
あの人は面会の時、一言も事件のことを言わなかった。
というかまったく知らない雰囲気だったし、そもそも興味がなかったようだった」
俊は立ち止まったままうつむいていた。
「冴……自分から終わらせといて、しかもだいぶ経っちゃってるし。
もっと早くこの違和感に気づければ」
遠くで雷が鳴ったことに気づいたのと同時に、
目の前に誰かが立っていることに気がついた。
「俊」
俊は自分の名前を呼ばれた先を見た。
「冴」
彼女は抱きついたかと思ったら強く口づけをした。
突然のことだったが俊は長い年月が経った今も、彼女のことは体が覚えていた。
彼女の体が少し離れたと思った瞬間だった。
『パンッ』という乾いた音が冴の平手打ちと共に響いた。
俊が何か言おうとした瞬間だった。
「冴……ごめ」
『ビシッ』という体重を乗せた一撃だった。
女性の力とはいえ俊はよろけ、しりもちをついてしまった。
彼が気づいた時には冴はもうその場にいなかった。
(二度目のは、ちょっと理解ができないんだけど)
泣き面に蜂とはこのことを言うのだろう。
突然、ゲリラ豪雨が彼を襲った。
(このタイミングの豪雨も理解できない)
