その時、表から馬の嘶きが聞こえた。続いて、砂利を踏む足音が近づいてくる。
「御神影、生きてる?」
聞き慣れた声に、小春は思わず顔を上げた。
「九条さん!」
白制服姿の九条が部下を引き連れて縁側へ現れる。
「……やはり、嵐か」
朔夜が呆れたように息を吐いた。
九条はラムネを楽しんでいる朔夜の様子を見て、ふっと肩をすくめる。
「五日間の特別休暇、満喫しているね」
「お前は……仕事に出ているのか?」
「ああ。職場くらいしか居場所がないからね」
そう言って軽く笑う九条に、小春は思わず息を飲んだ。
九条は気にすることなく、続ける。
「見舞いついでの経過報告だよ」
九条はそう言いながら、縁側の手前の石畳の上で止まる。
後ろに控えていた部下たちは、手際よく缶箱や書類を縁側へ置き、一礼すると少し距離を取った。
「奥の院の穢れは沈静化している。再暴走の兆候もない」
九条は淡々と告げる。
「地脈の乱れも予測より早く落ち着いている。帝都の瘴気発生件数も激減した」
「そうか」
朔夜は短く返し、目を伏せた。
「小春さんの菓子が循環を補助している影響でしょうね」
九条の視線が、小春の持つラムネ瓶へ向く。
「しかし、御神影のそばに小春さんがいることは、僕は認めてないよ」
「九条さん……」
小春が目を丸くする。
九条は構わず続けた。
「御神影を骨抜きにしないでよね。彼は稀有な存在なんだから」
「……お前な」
朔夜が眉を寄せる。
「ですが」
九条はふっと視線を細め、朔夜を見る。
「以前より遥かに安定しているのも事実なんだよね」
その声には、わずかに安堵が混じっていた。
小春は嬉しそうにラムネ瓶を抱え直す。
「では、ラムネ菓子のおかげですね」
「あのラムネ菓子は……」
九条が少しの間を空けてから、わざとらしく咳払いする。
「まあ……選ばれし異能者への支給品としては、許容範囲かな」
「つまり、美味しいってことですよね?」
小春が素直に返した。
「違います」
九条は間髪入れずに即答だった。
「御神影の回復力を目の当たりにしたんですから、信じざるを得ないだけです」
小春は口元を押さえて、小さく言う。
「九条さんも、朔夜様のことがお好きなんですね」
「はあ!?」
九条の声が裏返る。
「僕はそっちの趣味じゃありません!」
小春は首を傾げて、きょとんとしている。
朔夜は額を押さえ、小さくため息を吐いた。
「……九条、もういいだろう」
「御神影まで何だよ。その顔は」
九条が不服そうに言い返す。
そのやり取りに、小春は思わず笑みを零した。
縁側を抜ける風が、三人の間を穏やかに吹き抜けていく。
やがて九条は小さく息を吐くと帰る仕草を見せた。
「ということで、報告は以上。僕は戻ります」
部下たちも静かに頭を下げる。
九条は、ふと思い出したように言った。
「……そうだ」
九条は置かれた小さな缶箱へ目配せをする。部下がすっとその缶を小春に手渡した。
「え……あの、これは?」
小春が抱き留めているのは、深い紺地に金色の細い線が描かれた洋風の缶だった。
「舶来品のビスケット。保存性が高いらしいですよ」
九条は興味なさそうに続ける。
「研究でもしたらどうです。君の菓子は現場向きだ」
小春は缶を見つめながら、小さく瞬きをした。
「……現場向き」
「携帯できる菓子になれば、救える命も増える。そうでしょう?」
九条はそれだけ言うと、踵を返す。
革靴が踏んだ小石の音が高く鳴った。
「九条さん」
呼び止められ九条が半身だけ振り返る。
小春は柔らかく笑った。
「九条さんにも……帰る場所ができるといいですね」
一瞬だけ九条の足が止まる。
風鈴が、ちりんと鳴った。
「……これだから、即効性のある菓子を作る人間は恐ろしい。人の心にまで、一瞬で踏み込んでくるんだから」
小さく、本当に小さく自嘲気味に呟く。
「……余計なお世話ですよ」
背中を向けたまま返された声は、どこか力が抜けていた。
九条は軽く腕を上げる。
「では、失礼」
去っていく白制服を見送りながら、小春はそっとビスケット缶を抱きしめた。
その隣で朔夜が小さく息を漏らす。
「あいつなりに、気に掛けているんだろう」
「はい」
小春は嬉しそうに頷いた。
「とても、優しい方です」
遠ざかる革靴の音は、夏の夕暮れの中へ静かに溶けていった。
