死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜



「小春様!」

 御神影家の門の前には血の気のない鷹宮がいた。鷹宮は小春を見つけるなり駆け寄り、その血に染まった手を見てさらに顔色を変える。

「お怪我をなさって……!」

 鷹宮は懐から布を取り出し、手早く小春の手へ巻きつける。そしてそのまま腕を掴み、切迫した声で告げた。

「ここは危険です! 避難所までお連れします」
「だめなの」
「しかし──」 
 鷹宮の言葉を遮るように、小春は問い返した。
「朔夜様は?」
「今、鎮定局員と共に、穢れを浄化されています」
「行かないと」
「なりません!」
 鷹宮は小春の前へ回り込み立ちかだかる。

「朔夜様のご命令でございます。決して小春様を来させるなと」

 苦渋を噛み潰したような表情だった。

「でも、朔夜様のところへ行かなくちゃ!」
「命を奪われるかもしれないのですぞ!」
「私が行かねば、朔夜様が死にます!」

 その叫びに鷹宮が言葉を失う。
 小春は震える指先を握り締めながら、それでも真っすぐ鷹宮を見つめた。

「大丈夫。私、朔夜様と一緒に助かることしか考えていません」
 
 その瞳に宿る決意を見た瞬間、鷹宮の手から力が抜けた。 
 掴んでいた小春の手首を、そっと解放する。
 小春は小さく微笑んだ。

「ありがとう……行ってきます」

 若草色の着物の裾を翻し、小春は奥の院へ向かって駆け出した。

(絶対に、一人にさせない!)

 走るたびに意識が徐々に鮮明になっていく。地面を踏みしめる感覚が、はっきりと戻ってくる。
 やがて、小さな社があった浄水場辺りに辿り着いた。
 そこには数人の局員たちが立ち尽くしていた。

 彼らの前に広がっていたのは、巨大な穢れ。
 森そのものが底の見えない黒い沼へ沈んでしまったかのようだった。
 変わり果てた森の景色に小春の足が一瞬止まる。
 その時だった。

「ラムネ菓子だ! 食べろ、御神影!」

 九条の鋭い声が響く。
 小春がハッと視線を跳ね上げる。
 黒い靄に飲まれかけた朔夜の姿が、そこにあった。
 思わず駆け寄ろうとして──小春は息を飲み立ち止まる。

(目が……血管が、黒く……!)

 その異様な姿に、胸を抉られたような痛みが走る。
 それでも目を逸らさず小春は叫んだ。

「朔夜様!」

 びくりと朔夜の身体が震える。ゆっくりと、その顔が小春へ振り向いた。

 ──何も言わない。
 けれど、その瞳だけは確かに小春を捉えていた。

(鈴白小春には反応している──!)

 九条はすぐに悟る。
 狂気に飲まれかけた意識の中で、『小春』という存在だけが、朔夜を現実へ繋ぎ止めているのだと。

 小春は震える声で呟いた。

「死神に……なっている?」

 しかし、九条は希望を見出す。

「鈴白小春! 君の声は御神影に届いている! ラムネ菓子を食べるよう伝えろ!」

 小春は朔夜の腰元に下がる巾着を見つける。
 だが近づこうとした瞬間、濃密な瘴気が押し寄せ、足を止められた。
 
 小春は息を吸い込み、声を張り上げる。

「朔夜様! ラムネを……一口、食べてください!」

 朔夜は確かに小春の声へ反応していた。
 けれど、その手は動かない。瘴気に縛りつけられた指先が、ピクリと震えるだけで巾着へ届かない。
 ただ茫然と、小春を見つめているだけだった。

(どうして……!)

 焦りが小春の胸を焼く。
 その瞬間、小春の頭の中に榊の言葉が蘇った。

『穢れは心の隙間に入り込む』
 
(自我を……奪われている……!)

 理解した途端、ぞわりと鳥肌が立つ。
 すると、朔夜の口がゆっくりと開いた。

「……来るな……お前だけは」

 掠れた声の拒絶の言葉だった。だが、それは小春を遠ざけたいのではない。巻き込みたくない──ただ、その一心。

 自我を失いかけながらも、なお小春を守ろうとしている。

(そんなにまで…… 私を守ろうとするのですね)

 込み上げる嗚咽を小春は必死に飲み込んだ。
 そして、いつも朔夜の隣で見せていた柔らかな笑みを浮かべる。

(これが、私の覚悟)

「おそばにいます。絶対に一人にはさせません」