死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜




「……くしゅん」

 火鉢に手をかざして、小春がくしゃみをした。

「傘もささずに。姉様って、本当に鈍臭いわね」

 呆れた声音で、紗良が部屋に入ってくる。

「はいこれ。畳が濡れるから使って」

 小春の頭に古布を被せた。
 小春は軽く頭を下げ、髪の雫を拭う。

「ごめんなさい。突然押しかけてしまって」

 か細い声は今にも消えてしまいそうだった。
 紗良は座卓に肘を突き、大福を頬張る。何度か咀嚼したあとお茶で流し込んだ。

「喧嘩でもしたの? 死神と」

 紗良は自然に声をかけた。
 しかし小春の表情はさらに暗くなり俯いてしまう。

「ふーん。なるほど。夫婦になるって大変ね」
「……私たち、まだ夫婦ではないの……」

 その事実を聞いた途端、紗良は手についた餅を舐めたまま固まった。

「そんなことってあるの……? 今まで、あの家で何をしていたのよ?」

 紗良が眉を顰める。
 小春は一瞬だけ顔を上げるが、すぐにまた視線を落とした。

「大切にはしてもらっていたわ。でも……」

 泣きそうな小春を見て、紗良は宙を仰ぐ。

「いいように使われていたってわけね! まあ、私が言える立場じゃないけど」

 濡れ手拭いで手を拭いたその時、襖がすっと開き父が入ってきた。かつての威厳は微かに失われていたが、以前のような獣じみた歪みは消えている。

「……小春。御神影の家には、何と言って出てきたんだ」

 父は尋ねるが目は合わせない。
 小春は一瞬、身体を震わせ、さっと手を畳につけて頭を下げた。

「申し訳ございません。私の我が儘です。しばらくの間、ここに置いてください」
「……」

 父はすでに小春の価値を知っている。そして、彼女を恨む理由がないことも。だからこそ、すぐには言葉を返せない。
 その様子をじっと見ていた紗良が代わりに口を開いた。

「お父様、いいじゃないの。ちょうど菓子作りで人手がいるし」
「え?」

 小春が目を大きくして紗良を見る。

「もちろん、姉様には商品は触らせないわよ。でも、下準備なら慣れているでしょう」

 いつも通りの冷ややかな物言いだったが、悪意は一切なかった。むしろ、助け舟を出しているかのようだ。
 小春の表情が和らぎ、控えめな笑みが浮かぶ。

「……もちろんよ」

 そこへ母がやってくる。

「食い扶持が増えて困るけど、その分、ちゃんと働けば置いてあげるわ」

 そう言いながら、体の冷え切った小春に温かい緑茶を差し出した。ほかほかと揺れる湯気を見て、小春の凍えていた胸の奥が一気に熱くなる。
 かつてこの家を衰退させた『枯らし娘』だと、そう言われて追い出された。けれど今、小春を見つめる父と母の瞳の中には、侮蔑の色などひとかけらもなかった。

「……ありがとうございます」

 小春は唇をぎゅっと引き結んだ。そうしないと、涙が溢れそうだった。
 じっと火鉢の赤い炭を見つめる。

(ああ……朔夜様と一緒にラムネを作った景色。
 ……初めの一粒は、一緒に食べる約束だったのに)

 思い出すと、胸の奥に隠した感情が一気に溢れ出した。涙が次から次へとこぼれ、指で拭っても拭いきれない。

「……っ……うっ」

 ついにしゃくりあげて泣いてしまう小春を見て、紗良が大きく息をついた。

「姉様! 泣く暇があるなら菓子を作るわよ、来て!」

 紗良は小春の腕を取り、厨房へと引っ張り出した。

「紗良、ちょっと待ってよ」

 戸惑う小春を厨房の奥へと押しやり、襷を手渡す。

「近々、豆大福で店を再開させることにしたの。鈴白の味になってきたし。でも、他の商品も作らないとならないわ」

 顔をぐっと近づけられ、小春は驚いて一歩後退した。

「働かざる者、食うべからず! くだらないことで涙を流す時間があるなら始めるわよ、姉様!」
「紗良……」

 紗良が大ぶりの鍋を取り出し、竈にかける。
 その潔い姿を見て、小春の心はすっと軽くなった。

(私が落ち込まないように、気を遣ってくれているんだわ)

 小春の指に力が戻る。襷をぐっと引き、手早く着物に掛ける。

「何から作る?」
 小春に尋ねられ、紗良がニヤリと笑う。
「私の練り切りは、東京一美しいの。第二の看板商品にするつもりよ」
 つられて、小春も笑みを浮かべた。
「わかった。なら、私が白豆を洗って渋切りをするわ」
 袖を翻して、小春は厨房に立った。