死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜




 帝都内務省 霊災対策課鎮定局の会議は、今日も薄暗い部屋で行われていた。
 壁に貼られた東京の地図。そのあちこちに、小さな赤い炎の印が記されている。
 上官が差し棒で地図の一点を示した。

「各地で小さな瘴気が多発している。現在、封じ込めには成功しているが……」

 言葉を濁した上官は席につき、一つ咳払いをする。

「報告によると、固定した穢れから瘴気が溶け出す事例も確認された」

 九条の肩がぴくりと揺れた。

「そのまま穢れの集積所まで、地脈に沿って流れてくれれば問題はないのだがな」

「その集積所。御神影家の奥の院ですが、穢れを置いておくにも限界があるのでは?」

 九条はいつもの愛嬌を消したまま言った。

「閉じ込めている周辺の森に、異常の報告は上がっていないのですか?」

「まだない。安心したまえ」

 上官は軽く答える。
 九条の眉がわずかに吊り上がった。

「あそこには強力な結界が張られています。しかし、穢れが臨界に達したら一気に瘴気が漏れ出しますよ」

「だから君たちがいるんじゃないか。国としても後継者の育成には力を入れている。心配するな」

「浄化師はいまだ御神影しかいませんけど?」

 表情を消したまま九条は首を傾げた。

「今は御神影くんに頼るしかないだろう。彼は最強の神職だからな」

 満足げに、まるで他人事のように上官が笑う。
 その瞬間、九条がバンッと机を叩き勢いよく立ち上がった。

「御神影に自死しろと?」

 上官へ向けるには鋭すぎる眼差しだった。
 上官は咄嗟に視線を逸らす。

「ち、違う。処理できるのは彼だけという意味だ」

「育成が遅れているから、御神影だけに頼らざるを得ないんですよ」

 九条は吐き捨てるように言い、再び椅子へ腰を下ろした。

「これは国の責任です。彼一人に背負わせないでください」

 その場の空気が凍りつく。
 上官は口を一文字に結び、俯いた。
 そこで、朔夜がようやく口を開く。

「西東京、千羽地区。そこから浄化を始めよう」

「おお、御神影くん。やってくれるかね!」

 上官が前のめりになり声を弾ませた。

「移動だ、九条」

 そう言い残し、朔夜は廊下へ出た。
 九条は腕を組んだまま、不服そうな顔でその背を見送った。
 しばらくして、大きくため息をつく。
 そして朔夜を追うように足早に部屋を出た。


「待てよ!」

 廊下に九条の声が響く。
 だが朔夜は振り向きもしない。
 苛立った九条は駆け出し、朔夜の前へ回り込んだ。

「準備しろ。出発する」

 立ち止まった朔夜が静かに言う。
 九条は唇を噛んだ。

「仕事を拒否しろよ!」
「俺の仕事に口を出すな」

 朔夜は即座に返す。
 しかし九条も引かなかった。

「お前が行かなきゃ、国は方針転換せざるを得ない。浄化官の育成に切り替えるだろう?」
「それでも、繋ぎは必要だ」

 迷いのない声だった。
 九条は一瞬、言葉を失う。

「……全部処理していたら……お前は本当に死ぬぞ」

 吐き出すような細い声だった。
 しかし朔夜は小さく息を漏らす。

「取り乱すな。九条も完璧な固定師だろ」
「僕だって薄々勘づいてる。……決戦は近い。そうだろう?」
「……だからなんだ。瘴気を放っておけるか」

 その淡々とした言葉が九条には耐え難かった。頭に血が上る。九条は勢いよく腕を振り、拳を壁へ叩きつけた。

「少しは、怯えろよっ!」

 朔夜の目は逃げることなく、まっすぐ九条を捉えていた。そこにあるのは、揺るぎない覚悟だけ。
 九条の腕がずるずると下がる。

「今日は……僕は行かない。部下を同行させる」
「わかった。頼む」

 朔夜は短く答えると、そのまま廊下の奥へ消えていった。

「なんなんだよ……あいつ」

 九条は浅い呼吸を繰り返し、息がうまく吸えない。しばらく、その場から動けなかった。


 廊下を曲がったところで朔夜の足が止まる。胸元から霊草飴の入った巾着を取り出し、中から一粒つまみ上げた。

「……これがある。やるしかないだろう」

 口へ入れた瞬間、頭から足先まで鳥肌が立つような冷えが走る。臓腑が凍りつくような感覚に一瞬だけ顔が歪んだ。
 だが次の瞬間、視界は恐ろしいほど鮮明になり、耳は小さな音まで拾い始める。

 朔夜はただ、自らの使命へ向けて再び足を踏み出した。