死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜




「姉様が私に教えることって、そんなにないのね!」

 紗良が重い木べらで鍋底を力任せに混ぜながら、不満げに言った。
 隣に立つ小春は困ったように眉を下げる。

「技術なら紗良はもう十分に身についているでしょう。私が教えられるのは……心の込め方だけよ」

「心って……そんなあやふやなもの、どうやって菓子に閉じ込めるのよ?」

 うんざりした表情で紗良は眉を上げる。

「今だってそうよ。ただ焦がさずに混ぜるだけではだめ。丁寧に、何度も灰汁を取って」

「……灰汁、キリがないのよね」

 紗良は面倒そうに唇を尖らせ、お玉で白い灰汁を集める。

「美味しくなれって心を込める、地道な作業が大事なの」

「はあ、そんな簡単なことなら誰にでもできるわ。もっと、あっと驚くような裏技を期待していたのに」

 紗良は呆れながらも、ひたすら鍋の餡を混ぜ続ける。

「ふふ。裏技がないからこそ、その積み重ねがおいしさになるのよ」

「姉様って、やっぱり変わっているわ。こんなこと……毎朝やっていたなんて」

 紗良が急にすんとなり、口を閉ざした。
 小春は紗良の手元へと視線を落とす。彼女は利き手ではない左手で木べらを握っていた。

(手首を痛めているわ……。鍋から離れずに混ぜ続けていた証拠)

 小春はそっと紗良の横顔に視線を送る。その瞳は驚くほど真剣だった。そんな妹の姿が、今の小春には少しだけ頼もしかった。

「じろじろ見ないでくれる? 何か文句があるんなら言いなさいよ」

 木べらの手を止めずに、紗良が突っかかってくる。
 小春は小さく肩をすくめた。

「そうね……ひとつ、菓子作りで相談してもいい?」

「面倒なことは答えないわよ」

「ふふ。あのね、重炭酸と酒石酸を混ぜた菓子を作りたいの。でも、この二つは水では繋げないのよ。水分を含むと、その場で弾けて気が抜けてしまうから。紗良なら、何で繋ぐ?」

「水がダメなら無理じゃん。終了ー」

「真剣に考えて。朔夜様を救う薬になるのよ」

「え? 死神も死ぬの?」

「彼は人間よ!」

 小春と紗良はお互いに顔を見合わせ──どちらからともなく、小さく笑い出した。

(紗良と、こんな風に話ができるなんて)

「繋ぎなら、寒天とか葛もあるじゃないの」
「でも、やっぱり水分が多いから気が抜けてしまうわ」
「じゃあ、蜂蜜は?」
「そうね、悪くないわ。でも、もう少し水分がないほうがいいわね……」

 蜂蜜を鍋で煮詰め、極限まで水分を飛ばす──。
 その光景を頭の中で想像した瞬間、小春はある決定的な事実に気がついた。

「……あれ? もしかして」

 小春は弾かれたように紗良に向き直る。何度も、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「私……いつも作っているじゃないの」
 紗良が不思議そうに首を傾げる。
「何?」

「……水飴よ」

 その閃きが、徐々に小春の中で確固たる希望へと変わっていく。

(とことん火を入れて水分を飛ばしきった水飴。あの粘り気なら、ほんの少量を粉に混ぜて繋げば、炭酸を飛ばさずに成形できる!)

 小春の瞳に強い光が灯った。

「できる……! きっとできるわ!」

 紗良は木べらを動かしたまま、ふっと笑った。

「なんだ、答えが出たじゃない。じゃあ、あとは」

 ここでようやく紗良の手が木べらから離れた。彼女は振り返り後ろの吊り棚の奥から、ある使い込まれた道具を取り出した。

「これで押し固めれば、完成!」

 紗良が卓に置いたのは、落雁を作るための精巧な木製の押し型だった。

「……落雁の型! いい案だわ。すごい、紗良!」

 小春は小さく跳ね、思わず紗良の両手をぎゅっと握りしめていた。

 紗良は一瞬だけ拒絶するように身を固くしたが、すぐにその木型を小春の手に握らせた。そして、照れ隠しのように再び木べらを持ち直す。

「紗良……ありがとう。本当に助かったわ」

 小春は木型の重みを感じながら、しみじみと言った。

「で、もうここには来ないつもり?」

 ぽつりと溢れたのは、相変わらず棘のある言い方だった。

「え?」
「うちの看板は豆大福だけじゃないのよ」
「……うん」

 はっきりしない態度の小春に、紗良はそっぽを向いたまま不器用な声をかける。

「まだ……私に教えるべきこと、沢山あるんだからね!」

(私を……必要としてくれているの?)

 小春の心が、ふわっと軽くなる。同時に、泣きたくなるような温かさが胸の奥から込み上げてきた。小春はそれをぐっと喉の奥へ押し込み、こらえた。

「……もちろん。言われなくても、また来るわ」

 紗良は何も答えず、ただ静かに鍋を回し続ける。
 西日の差し込む厨房は、かつてないぬくもりに満たされていた。

 小春は生まれて初めて、壊れかけた家族の柔らかな体温をその肌で感じていた。