死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜




 九条は背を向け、その表情を朔夜には見せない。

「でもね、御神影を待っていたら手遅れになって、また人間も一緒に固定しなければならなかった。今回もこれで正しかったんだよ」

 九条は何事もなかったように笑う。胸の奥に、必死に何かを隠しながら。

「……あの手を、忘れられるか」

 朔夜の声が小さく震えていた。
 九条は少しの間、口を閉ざしていた。だが、ゆっくりと背筋を伸ばす。

「忘れていないから、僕たちはこの仕事を続けているんでしょう?」

 逆に問われ、朔夜は何も言い返せなかった。

「僕らの意見は平行線だけど、国を守るっていう目的は一緒だよね。ただ、間違いがあるとすれば……御神影が自ら死に向かおうとすることかな」

 おちゃらける九条に、朔夜は冷たく返す。

「俺は昔とは違う」
「たった一人、大切な人ができただけでその自信か。危険だね。結局、無理して疲労を溜めているじゃないか」

 九条は手袋を嵌めた指先で、朔夜の胸元をぴたりと指さした。
 朔夜は目を逸らさず九条の言葉を突き返す。

「溜め込んでいるのはお前のほうだろう」

 必死に隠していたものを正確に見抜かれ、九条は口をへの字に曲げた。今度は彼が何も言い返せなかった。

 一年前。
 ともに浄化処理の任務を遂行していたあの日。
 穢れの発見が遅れ、数名の人間がすでに瘴気に飲み込まれ切り離せない状態になっていた。被害を最小限に抑えるため、上官の指示の元、彼らを丸ごと固定したのだ。
 いつだって思い出すのは、どす黒い瘴気の中から縋るように伸ばされていたあの小さな手。

「小さな犠牲……そう呼ぶことでなんとか心の均衡を保っているよ」

 九条は焦点の合わない目で一点を見つめ、ぽつりと呟いた。

「あの手があるから、俺たちは役目を忘れずにいられる」

 二人は並んで静まり返った村を見つめる。
 言葉で確認し合わなくとも朔夜には理解できていた。息ができないほどの苦しみを抱えても吐き出す場所など、どこにもない。
 九条もまた、自分と同じ地獄を生きているのだと。

「異能者の宿命だもんね。だから、これからも目を逸らすつもりはないよ。……そして、君を見殺しにもしない」

 ふと横に視線を向けると九条と目が合う。

「僕の村も君のお父上に助けてもらったからね。感謝しているんだ。御神影家を守るのも、その恩返し」

 九条はまたいつもの張り付いたような笑みを浮かべた。だが、すぐに外套を翻した。

「さっ、戻ろう。次の処理が待っているよ」

 去っていくその背中を朔夜は無言で見つめていた。

(宿命──そこから誰が逃げ出せるというのか)

 いつの間にか空が澄み切ってきていた。
 朔夜は手で日差しを遮り、見上げる。
 吸い込まれそうなほど透明な青。
 それを見ていると自然と小春の姿が頭に浮かんだ。

「小春は……笑えているか?」

 会いたい。今すぐ戻って、あの身体を抱きしめたい。
 だが自らの胸の奥は、まるで瘴気に飲まれたように重く冷たいままだった。

 朔夜もまたゆっくりと足を踏み出す。
 自らの宿命を最後まで果たすために。