翌朝、小春はほとんど荷物も持たされないまま、店の前に停められた馬車へと押し出された。
御者は一言も口を利かず、無言で手綱を握っている。馬車が動き出すと、見慣れた町並みがゆっくりと遠ざかっていった。
小春は膝の上で風呂敷包みを握りしめる。中に入っている桜餅が、かすかに温もりを伝えてきた。
『大丈夫、私たちがいるよ』
小さな声に、小春はそっと息を吐く。
「……うん」
風呂敷の中には、切り倒された桜からもらった花びらの塩漬けがある。それを使って作った桜餅だ。これが『毒』とならぬようにと、小春は静かに祈った。
やがて御神影家が近づいた頃、不意に空気が変わった。
窓の外の景色が、どこか色を失ったように見える。
周囲の人の気配が、ふっと途切れた。
(御神影の領域に入った)
小春は理由もなく、そう理解した。
帝都では昔から、御神影家の周囲だけ空気が違うと言われている。
明治になり、帝都は急速に姿を変えた。
鉄道が走り、煉瓦造りの建物が並び、人々は豊かさを求めて忙しなく生きている。
けれど、その繁栄の裏で増え続けたものがあった。
人の欲、妬み、苦しみ。
行き場を失った強い感情は土地に澱のように積もり、『穢れ』になるのだと大人たちは囁く。
穢れは瘴気を生み、人の心と身体を蝕んだ。
眠れなくなる者。
突然、正気を失う者。
時には、村ごと滅びた土地さえあるのだという。
そして、その穢れを引き受ける一族こそが御神影家だった。
内務省霊災対策課──通称『鎮定局』。
表には決して出ないその組織で、御神影の人間たちは命を削りながら瘴気と戦っている。
だから、人々は畏れた。
──『死神』と。
