死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜




『小春に触れたら、父上のように壊れちゃうよ』

 九条の言葉が朔夜の脳裏を掠める。すると、その瞳から熱が引いた。
 砂の城のように崩れ落ちる父の姿が、鮮明に蘇る。

(何を……今さら)

 朔夜は、ぐっと目を強く閉じる。
 しかし、小春の手をすっと離してしまった。
 伸ばしかけた小春の指先が宙に取り残される。

「……朔夜様?」

 小春の呼びかけに、朔夜はゆっくりと目を開く。だがもう視線は合わなかった。

「瘴気を浴びると気力を奪われる。今日はゆっくり休め」

 それだけを告げると、朔夜は立ち上がってしまう。
 思いやりの言葉なのに、無理やり距離を切り離されたようで小春の胸が痛んだ。
 背を向けた朔夜を目で追いながら、思わず声が漏れる。

「お待ちくださいっ。おそばに」

 無意識の願いだった。小春は慌てて口元を抑える。
 朔夜はゆっくり振り返ったが、戻っては来ない。困ったように眉を下げる。

「志乃をつける」

 それだけ言い残し、部屋を出た。

 襖を後ろ手で閉めた朔夜は、ひとつ深い息を吐く。
 小春に触れた熱い掌を見つけ、恨めしげに眉を寄せた。
 そして、ぐっと拳を握り締める。

(弱っている。なら、触れてはならぬ)

 襖の向こうを振り返りかけ、途中で止める。目を閉じ、数秒だけ苦しげに息を止めた。振り切るように顔を上げ、その場から離れた。

 遠ざかる足音を、小春は布団の中で聞いていた。

(朔夜様はお優しい。でも……私には触れてくださらない)

 熱をもらい損ねた手を見つめる。そっと胸元へ引き寄せた瞬間、涙が静かに溢れた。


「入ります。ご機嫌はいかがです?」

 入れ替わるように、志乃が盆を持ち部屋に入ってくる。
 小春は慌てて涙の跡を指で拭った。

「ご心配をおかけしました。気分も良くなってきました」

 そっと上半身を起こした。
 志乃がことんと畳の上に置いた盆には、ほんわかと淡い湯気が立つ湯呑み。

「葛湯を作ってきましたよ。どうぞ召し上がってください」
 差し出された湯呑みを受け取る。
「胃が弱っている時は、葛が一番ですからね」
 志乃は柔らかく微笑んだ。小春そっと口をつける。
「……甘い」
「黒糖を使いましたからね」
「……胃に優しく吸い込まれるみたい。志乃さんの手作りだと、余計に……」
 小春は言葉が続かない。

「うっ……」
「どうなさったの。熱い? まさか、まだ瘴気が?」

 小春は懸命に首を振る。

「違うんです。みなさんの優しさが嬉しくて。私を本当の家族みたいに、大切にしてくださるから……」

 それだけで、十分幸せなはずだった。

(なのに、朔夜様に触れて欲しいなんて……)

 自分の欲深さが恥ずかしくてたまらない。
 小春の目から涙が溢れて止まらない。
 志乃は何も言わず、ただ優しく肩を撫でている。

「嬉しいのに涙が止まらないんですね。何かご心配でも?」

 穏やかな声色に、閉じ込めていた想いが溢れ出した。

「私は……身の程知らずな娘です」

「あらあら、自分の魅力に気がついていないのね」

 小春は大きく首を振る。

「いけない願いを、ずっと心に抱えてしまって……」

 浮かぶのは、朔夜の慈しむような眼差しと、そっと触れかけて離れていった手。
 胸が針で刺されたように痛む。

「朔夜様との距離が……寂しいです。そばにいろとおっしゃるのに、触れてはくださらなくて……」

 志乃は手を止め、目を瞬かせた。

「朔夜様から……何も聞いておられないのですね?」
「何かあるのですか?」

 志乃は膝の上で手を重ね、静かに居住まいを正した。

「それは勘違いですよ。朔夜様は、大切なものほど触らないのです。あのことを知らなければ、小春様もお辛いでしょうね。朔夜様は寡黙ですから。代わりに、私がお話ししましょう」