死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜





 仕事帰りの馬車の中から、人だかりの絶えない両替所が目に留まり、朔夜は馬車を降りた。
 様子を観察するため、隣の花屋で商品を品定めするふりをする。

 どうも人々の様子が落ち着かない。
 やがて両替屋の店主が店先に現れた。
「今日はこれで終了だ! また明日来てくれ!」
 そう言い切り、店の戸を無理やり閉めてしまう。
 取り残された人々から、不満や焦燥が噴き上がった。
「政府は明後日にも貨幣統一のお触れを出すらしいぞ」
「頼む、今日中に変えてくれ!」
 戸を叩く音も虚しく、店の中からの反応はない。
 人々は苛立ちを滲ませながら、散っていった。

(町の連中は動きが早い)

 朔夜が踵を返そうとしたその時、花屋の女店主に声をかけられた。

「どなたかに贈り物ですか? この薔薇など女性は喜びますよ」
「いや……」

 断りかけた視線の先に、鮮やかな薔薇の赤が目に飛び込む。

(──そういえば小春は庭の草花と話すのが好きだったな)

 途端、その花を抱えて微笑む小春の姿が鮮明に脳裏をよぎった。

「…………」

 朔夜が顎へ手を添えたまま、彫像のように動かなくなる。
 店主はその横で不思議そうに瞬きをしていた。





「おかえりなさいませ! 朔夜様、大変でございます!」

 屋敷に帰り着くなり、鷹宮と志乃が血相を変えて駆け寄ってきた。

「どうした」
「小春様が……商店街に行かれたまま、お戻りになりません!」

 志乃の声が震える。
 続けて、鷹宮が小春の買い物籠と空き瓶を差し出した。

「商店街へ探しに向かったところ、道中にこれが落ちておりました」

 朔夜の目が鋭く細まる。

「私の代わりに瓶を返却すると、そう仰っていたのです。薬種屋にも寄るはずでしたが、店主は小春様を見ていないと」
 志乃の手が震え、エプロンをぎゅっと握りしめる。
「……誘拐、では?」
 掠れるような声で鷹宮が呟く。
 
 朔夜の脳裏を掠める。先日の鈴白の押しかけ騒動、そして九条の警告。
 次の瞬間、朔夜の周囲から陽炎のような怒気が立ち昇った。外套を翻し、鋭い足取りで再び玄関へと向かう。

「鈴白だ」

 確信に満ちた声。しかし、一歩手前で顔だけを鷹宮に向けた。

「鷹宮も来い。──『あれ』を持って」

 意図を即座に察した鷹宮は、無言で深く頭を下げ部屋の奥へと急いだ。




 馬車が鈴白に到着すると、朔夜は迷いなく戸を叩いた。
 警戒するように戸を細く開けたのは、小春の父親だった。

「何の御用でしょうか。二度と顔を見せるなとおっしゃったのは貴方様でしょう」

 威勢よく嫌味を浴びせてくるが、頬は痩け目の下には濃い隈が浮かんでいる。凛とした風格は消え失せ、目の前のものへ縋りつこうとする飢えた獣のようだった。

(この変わりよう……小春が見れば傷つく)

 ぐっと握った拳に力がこもる。
 不要な問答は小春を苦しめるだけ。
 朔夜は一つ深く息を吐き、呼吸を整えた。

「小春を迎えに来ました。返していただこう」

「あいつはうちの娘だぞ! 攫うなら、お前こそが誘拐犯だ!」

 突きつけられた指を、朔夜は氷のような眼差しで見据える。思わず、奥歯を噛み締める。それでも声音だけは冷静だった。

「対価なら払う。──全部だ」

 朔夜の背後から、鷹宮が大きな鞄を抱えて前に出た。
 父親の後ろから、母親が下卑た好奇心を隠さずに覗き込んでくる。
 鷹宮はニ人の視線が集まったのを確認し、おもむろに鞄の口を開いた。

 そこには、眩いばかりの札束がぎっしりと詰め込まれていた。
 父親は思わず言葉を失う。明らかにその目の色は一変していた。

「これはこれは、御神影様。ようやく結納金をお持ちいただけたのですね」

 父親は声色を変えてそう言い、戸を全開にして這いずるように鞄へ手を伸ばす。
 しかし、鷹宮がすんでのところで脇に抱え直した。

「あなた。落ち着いて! 一旦、中へ。受け取るのはそれからですわ」

 笑顔の母親に招き入れられる。
 その変わり身に、朔夜は呆れを覚えた。
 家へ上がると、さらに朔夜の視線が険しくなる。

「先ほどは父が失礼いたしました。朔夜様」

 そう言って現れたのは、小春の若草色の着物を纏った紗良だった。
 その若草色を見た瞬間、朔夜の呼吸が止まった。
 あの日、自ら選んだ色だった。

「……それは、小春のものだ」

 朔夜の瞳がこれまでにないほど鋭く細められる。髪が逆立つような威圧感が室内に満ちた。

「あらやだ。まるで私が奪ったみたいに。姉様が、私の方が似合うからと交換してくださったのですよ」

 悪びれる様子もなく、紗良は袖を広げて裾を揺らした。
 朔夜は目を伏せ、額に青筋を浮かべる。そして、鷹宮へ視線を送る。
 鷹宮が鞄を卓に乗せ、中から札束をどすんっどすんっと積み上げる。
 三人は前のめりになり、狂喜の声を上げた。

「これで鈴白は立て直せる!」
「こんな大金を持参されるなんて。あの子も役に立ったものね!」
「姉様を連れて行くんですもの、当然の対価ですわ!」

 父親の手が札束に触れようとした瞬間、朔夜の低い声が響いた。

「お渡しする前に。契約を交わしていただく」

 三人の意識はすでに金に支配されている。
 鷹宮がすっと一枚の用紙を差し出した。そこに記されていたのは、小春と鈴白家の縁を断つ誓約。

「ああ、あれで良ければどうぞ、差し上げますよ!」

 父親はろくに内容を読みもせず、笑いながら拇印を押した。

(この男の浅慮が、鈴白を潰したのだな)

 冷めた確信を抱きながら、朔夜は用紙を回収した。
 そして改めて低く告げる。

「……では、小春を返していただこう」

 朔夜の声に三人は笑顔のまま固まった。
 その時、屋敷の外から何かが落ちる小さな音が聞こえた。
 朔夜の瞳がすっと細められる。

 ──いた。