死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜




 重々しい空気の中、上層部を交えた定例会議が始まった
 重厚な楕円卓を囲むように、霊災課の幹部たちが静かに席についている。
 その席には、朔夜だけでなく九条の姿もある。

 上官が静かに立ち上がり、壁に広げられた地図へ歩み寄った。細い杖で各地を順に指し示す。

「本日も、これらの地点で瘴気の発生が確認された。幸い人的被害は出ていない。だが──ここ最近の発生件数は、明らかに異常だ」

 室内の空気がわずかに張る。

「しかし、巡回と早期報告のおかげで小規模なうちに対処できています」

 朔夜は淡々と事実だけを述べた。
 上官は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに咳払いを挟む。

「今は、な。だが現在の処理班の規模では、今後さらに件数が増加した場合、対応しきれなくなる可能性が高い。そうなれば人的被害は避けられん」

「その懸念は僕たちも共有していますよ」

 九条が軽い調子で口を挟む。だが、その目だけは笑っていなかった。

「ああ、御神影は少し違う考えみたいだけど」

 ちらりと九条の横目が朔夜に向けられる。
 朔夜は挑発に乗らず、視線を地図へ据えたままだった。
 九条はつまらなそうに唇を尖らせ、椅子へ深く背を預ける。

「それで、国としての今後の方針をお聞かせ願えますか」

 九条の促しに、上官は重々しく椅子へ腰を下ろした。

「今後だが、瘴気を浄化するのではなく、結界によって一箇所に集め固定する方針とする」

 朔夜が弾かれるように顔を上げた。

「危険だ! 瘴気は固定して終わりではない。蓄積した穢れはいずれ崩壊する。制御を失えば、取り返しのつかない災害になる」

 普段の穏やかさからは想像もつかない、怒りに満ちた声だった。
 上官は視線を伏せる。

「だが……」

 上官が言い淀んだ言葉を、九条が引き継いだ。

「御神影。浄化の能力者は、未だ君しかいないんだよ。いつか君にも限界がくる。あのお父上のように──」

 その瞬間、ドオンッと朔夜の拳が机に叩きつけられた。重厚な卓が鈍く震え、書類が跳ねる。上官の肩がびくりと揺れた。
 だが九条だけは目を瞬かせたあと、すぐいつもの笑みに戻る。

「はいはい、机は壊さないでよ。備品管理が泣くから」

 九条は肩をすくめ、続ける。

「国としても御神影家だけに負担を押し付け続けるわけにはいかないんだ」

 朔夜の視線が鋭利な刃のように九条へ向けられる。

「父も俺も、犠牲だと思ったことはない。ただの務めだ」

 空気が張り詰める。
 上官は慌てて二人の間へ割って入った。

「まあまあ、御神影くん。君の働きに感謝している者は多い。だが九条くんの意見にも一理ある。国としては、安定した処理体制を構築したいのだ。理解してくれたまえ」

「そういうこと。国の決定は覆せない。御神影でもね」

 九条がどこか楽しげに笑った。
 朔夜は何も答えなかった。ただ静かに地図へ視線を落とす。
 瘴気発生地点の分布に、拭えきれない違和感を覚えていた。


 会議終了後。
 誰より早く会議室を出た朔夜の背を、九条が小走りで追いかける。

「待てよ。わざと早歩きしてるでしょ」
「まだ何かあるのか」
 朔夜は振り返りもしない。
「御神影には、軽度の穢れだけ浄化してもらう。重度は、僕たちが固定する。そうすれば君は壊れずに済むんだ」
 九条は歩幅を合わせながら続ける。
「だから、鈴白小春の菓子はもう不要だよ。君を生かす仕組みは、もう彼女である必要がない」
 妙に明るい声音だった。それがかえって不気味だった。
 だが朔夜は反応しない。
「御神影、時代は変わったんだ。自分のためにも受け入れろ。彼女をそばに置けば、お前はまた無理をする。いつまで経っても平穏はないんだぞ」
 ここでようやく、朔夜の足がぴたりと止まった。
 勢い余った九条が数歩前へ出てしまい、慌てて振り返る。

「鈴白家に入れ知恵したのは、九条だな」

「あのまま放置すれば、鈴白は必ず実力行使に出た。だから先にガス抜きした」

「余計な真似をするなと言ったはずだ」

 低く落ちた声に、九条の笑みが少しだけ薄れる。

「……まさか本気で惚れてるの? 君らしくないな」

 九条は細めた目で朔夜を見る。

「お父上の件、忘れたわけじゃないだろ。大事なものに触れてはいけない、壊してしまうから」

 瞬間、朔夜の目が鋭く冷え、九条の腕を捉えた。
 九条が反応する間もなく、その身体を壁に押し付けられてしまう。

「っ……!」

 驚きに目を見開く九条の顎を、指先で強引に持ち上げた。朔夜は冷徹な美しさを湛えながら、圧迫感を放っている。

「……口を開けろ」

 九条の瞳が揺れる。
 普段は抑え込まれている朔夜の威圧感が、真正面から叩きつけられた。

「え……?」

 隙間ができたその瞬間、朔夜は手の中にあったものを、九条の口内へと放り込んだ。
 九条は反射的にそれを舌で転がし、激しく顔を歪めた。

「うわっ、ぺっ! なにこれ!」

 掌に吐き出した飴を見て絶句する。

「柑橘!? 最悪!!」

 朔夜は平然と巾着を懐へ戻した。

「小春がお前のために作った」
「嫌がらせじゃん!」

 九条は涙目で叫ぶ。

「柑橘は感覚が鈍るんだよ! 異能の残滓が読めなくなる!」
「たまには感覚を麻痺させて、尖った神経を休ませろ。……お前のためだ」
「余計なお世話!」

 廊下に九条の声が響く。
 朔夜は満足げに目を細めた。

「なら、お前も俺に余計な口を出すな」

 ぐうの音も出ない九条は子供のように頬を膨らませた。

「親切で言ってあげてるのに。嫁の実家が破産したら困るだろ?」

「残念だが。小春は俺が守る」

 そう言い捨てて、朔夜は迷いのない足取りで歩き出した。

「この頑固者! せいぜい追い詰められた『鈴白』の逆襲には気をつけなよ!」

 九条が背へ叫ぶ。
 朔夜は足を止めないまま、首だけで振り返った。

「頬を赤くするな。こちらが照れる」
「なっ、違う! 僕はそっちの趣味じゃない!」

 九条の抗議を背に、朔夜は去っていく。
 一人残された九条は再び柑橘飴を見下ろし、顔を青くしてトイレへ駆け込んだ。

 一方の朔夜は、すでに次の一手を考えていた。
 小春を誰にも奪わせない方法を。