死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜





 その頃、御神影家には帰宅したばかりの朔夜がいた。
 そこへ、志乃が慌てた様子で駆け込んでくる。

「朔夜様、鈴白の旦那様と、小春様の妹君と申される方々がお見えです」
「何用だ?」
「さあ……。朔夜様にお話があると」
「小春はどこにいる?」
「買い物で外出されております」
「わかった。通せ」
 朔夜は一つ、大きく息を吐いた。

 居間へ通されたのは小春の父親と妹の紗良だった。
 紗良は目を奪うほど鮮やかな振袖をまとい、化粧も隙なく施している。

「小春は不在です。本日はどのようなご用件でしょう」

 朔夜は淡々と口を開く。

「本日は、姉様のことなどどうでもよろしいのですわ。それにしても、白制服姿の朔夜様が、これほどお美しい方だとは存じませんでした。わかっていれば、最初から私が参りましたのに」

 紗良は意味ありげに父親へ視線を送った。
 父親は重々しく頷く。

「単刀直入に申し上げる。小春を返していただきたい。あいつは家伝である鈴白の味を盗んだ。そのせいで客足が遠のき、店は存亡の機に立たされておるのです」

 父親は怒りを押し殺した声で訴えた。
 朔夜は腕を組んだまま、黙って聞いている。

「鈴白の味は小春でなければ再現できんのだ。代わりに妹の紗良を嫁がせます。小春より器量も良く、何より安全な菓子をご提供できましょう」

 今度は父親が紗良へ目配せする。
 紗良は恥じらうように、しかし満足げに微笑んだ。

「朔夜様は姉様の毒菓子を召し上がり、お命をすり減らしていると伺いましたわ」

 その瞬間、朔夜の脳裏に九条の顔が浮かぶ。思わず眉をひそめた。

「姉様は本当に罪深い人間ですわ。朔夜様が可哀想で」

 紗良は袖で目元を隠し、わざとらしく涙を拭う仕草をする。

「毒ではない。今、私がここにいるのも、小春の菓子のおかげだ」

 聞いていた話と違ったのか、紗良と父親は怪訝そうに顔を見合わせる。
 しかし紗良は、すぐに次の手へ出た。

「鈴白の娘として、繊細な細工を施した上菓子をお持ちしましたの。朔夜様の妻となるには、菓子の腕前が必要だと伺いましたので」

 自信満々に差し出したのは、花菖蒲や紫陽花を模した練り切りだった。

「この花びら一枚一枚を形作るのに、とても苦労いたしましたのよ」

 紗良は上目遣いで微笑む。

「……見てくれと同じだな」

 底冷えする声が落ちた。

「はい?」

 朔夜は菓子へ手を伸ばしかけ、すぐに袖の中へ戻す。

「細工ばかりに凝り、着色は毒々しい。化粧の匂いが移って、肝心の餡の香りが死んでいる」

 紗良の目が見開かれた。

「これこそ毒だ。食べれば体調を崩す。どうか、そのままお持ち帰りください」

 冷たく言い放たれ、紗良の顔がみるみる赤く染まる。
 今度は父親が身を乗り出した。

「小春を返してもらわねば、鈴白は潰れてしまうのだ! そもそも正式な婚約もしておらんだろう。いつまで小春を引き止める気だ!」

 父親は勢いだけで押し通そうとする。
 屈辱を味わされた紗良も合わせるように声を荒げる。

「いくら執行官の御方だからと申しましても、無礼ですわ!」

 しかし、紗良はふっと口元を歪める。

「……そもそも姉様は、鈴白には不要な人間でしたが、せめて御神影家の役に立つならと差し出したのです。しかし、どう聞いても朔夜様に相応しいのは、この私です」

 そう言って自分の胸元に手を添えた。

「私は鈴白の跡取り。父も私も、その思いを断念してここにきたのですよ。それを理解できないとは、本当に落胆しましたわ」

 居間の空気が凍りつく。
 朔夜は何も言い返さない。

「これは監禁だ。小春をどこにやった。警察に訴えるぞ!」

 父親の怒声が響く。
 再び、しんと場が静まった。

 その中で、廊下の向こうから静かな足音が近づいてくるのが聞こえる。ひたり、ひたり、と一歩ずつ。やがて、居間の襖がすっと開く。

 そこに立っていたのは、小春だった。
 紙袋を抱えたまま、暗い表情で室内を見つめている。

「小春! どこへ隠れていた! 家へ帰るぞ!」

 父親が立ち上がり、小春へ歩み寄ろうとする。

「帰りません!」

 小春の澄んだ声が、はっきりと響いた。
 父親の足がびくりとして止まった。

「……何と生意気な。お前に決定権はないと教えただろう!」

 父親が剣幕に腕を掴もうとした瞬間、父親の腕を朔夜が強く掴んだ。

「小春に手を出すことは、許しません」

 鋭い眼差しに射抜かれ、父親は息を飲んで怯む。
 小春は震える指を握り締めながら、それでも背筋を伸ばした。

「お父様。私は自分の意思でここにいます」

 声は震えていたが、その瞳だけは逸れない。

「私はもう、鈴白のための道具にはなりません。私は自分で作る菓子を、自分で届けたいんです」

 父親と紗良が、信じられないものを見るように目を見開く。

「姉様、何を言って──」
「私、ずっと怖かったの」

 紗良の言葉を遮り、小春は続けた。

「役に立たなければ価値がない。そう言われ続けるのが、ずっと怖かった」

 小春は一度、ぎゅっと唇を結ぶ。そして、朔夜を見た。

「でも……ここで初めて、自分の作ったものを必要だと言ってもらえました」

 その言葉に、朔夜の目がわずかに細められる。

「だから、帰りません」

 それは小春の静かで確固たる宣言だった。
 そこへ、鷹宮が静かに割って入る。

「鈴白様。これ以上の強要はおやめください。場合によっては警察をお呼びいたします。それに、これ以上悪い噂が立つのも、お困りでしょう?」

 穏やかな口調とは裏腹に、その視線は鋭かった。
 父親はごくりと唾を飲み込む。数秒黙考した末、何も言わず踵を返した。
 紗良は部屋を出る間際、憎しみの滲む目で小春を睨みつける。

「……後悔なさらないでね、姉様」

 吐き捨てるように言い残し、去っていった。
 襖が閉まった途端、小春の膝から力が抜ける。

「……ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 崩れ落ちた小春の隣へ、朔夜が膝をついた。

「悪知恵を吹き込んだのは九条だ。奴らの術中に嵌るな」
「あ……」

 不安げに見上げてくる小春に気づき、朔夜はそっと頭を撫でた。

「小春は今までどおりでいい」

 小春は小さく息を吐き、静かに頷く。

「……もう曖昧なままでは守り切れないな」

 その呟きは誰に向けたものでもなかった。
 鈴白にも、九条にも、小春が自分のものだと示す必要がある。
 朔夜は静かに目を細めた。