死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜




「午後には帰る」

 朔夜はそう告げると、いつものように静かに手を差し出した。小春もまた、何も言わず飴の入った巾着をその掌へ乗せる。言葉を交わさなくとも自然に成立するやり取りに、小春はくすぐったいような温かさを覚えた。

 朔夜を見送ったあと、小春は屋敷の掃除を手伝い始める。

「奥の院は私どもでやりますので、小春様は居間をお願いいたします」

 鷹宮はそう言いながら、胸ポケットから小さな薬箱を取り出した。慣れた手つきで丸薬を一粒摘み、口へ放り込む。次の瞬間、眉間に深い皺が寄った。

「……にがっ」

 珍しく顔をしかめる鷹宮に、小春は思わず目を丸くする。

「苦い薬なんですか?」

「胃薬ですよ。薬草臭くて閉口しますが、舌に乗せた瞬間、しゅわりと弾けるのでございます」

「しゅわり……?」

 その響きに、小春の耳がぴくりと反応した。

「まるで、ラムネの炭酸みたいですわね」

「ああ、確かに似ておりますな」

 鷹宮が何気なく頷いた瞬間、小春の瞳がぱっと輝いた。

「それです!」
「はい?」
「お砂糖で作れば、しゅわっと弾けるラムネ菓子にできるかもしれません!」

 小春は思わず身を乗り出した。

「口の中ですぐ溶けて、瞬間で力になるお菓子……! 朔夜様を助ける、新しい霊草菓子になります!」

 小春の胸の奥が熱く高鳴る。九条に突きつけられた『飴は即効性がない』という言葉。その通りだと悔しかったし、同時に、現場の過酷さも理解してしまった。

(もっと早く、朔夜様を楽にできたら)

 その一心で、小春は鷹宮の両手をぎゅっと握った。

「鷹宮さん、これです! 私が作りたかったもの!」
「お、おお……」

 勢いに押されつつも、鷹宮はどこか感心したように目を細めた。

「なるほど。新作菓子の考案ですな。でしたら、私も協力いたしましょう」
「ありがとうございます! その薬は、どちらで手に入るんですか?」
「街の薬種屋でございますよ」
「では、早速、作り方を教わってまいります!」
 小春はそう言うなり、掃除用のたすきをするりと外した。
「あらあら、気をつけてくださいまし」
 志乃が廊下の角から、くすりと笑う。
「小春様は、朔夜様のことになると一直線ですねぇ」
「当主様も、似たようなものですがな」
 鷹宮がぼそりと付け足す。
 二人は顔を見合わせ、小さく吹き出した。



「いらっしゃい。何をお探しで?」

 薬草の匂いが立ち込める店内で、店主が顔を上げた。

「丸薬の作り方を教えていただけませんか?」

 小春が真剣な顔でそう尋ねると、店主はぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「……薬を買うんじゃなくて、作りたいってのかい?」

「はい。口の中でさっと溶ける胃薬のように、一瞬で広がる菓子を作りたいんです」

 まっすぐな瞳で見つめられ、店主は思わず眉をひそめる。

「あの薬の材料は何でしょう? どうしてあんなふうに弾けるのですか?」

「簡単に教える職人がいるわけないでしょう。飯の種だよ、飯の種」

 店主はしっしっと手を振った。
 けれど小春は引き下がらない。

「私も菓子を作ります。失敗の苦労なら、少しはわかるつもりですわ。砂糖を焦がしては捨てて、水飴を固めては割って……何度も失敗してきましたもの」

 その言葉に、店主の表情がわずかに緩んだ。

「……はっ。そりゃ、どこの職人も同じか」

 腕を組み、ぶつぶつと独り言のように語り始める。

「材料自体は珍しくもない。難しいのは配合だ。水気が入れば、すぐ泡立っちまう。それを抑えるのが腕なんだよ」

 小春は息を飲んだ。

(水分で反応してしまう……)

「つまり、口の中の水分で溶けるよう設計するんですね……!」
「おう。膨らまし粉と酸を合わせりゃ、気が弾ける」

 言った瞬間、「……あっ」っと店主の顔が固まった。
 小春の瞳がきらりと光る。

「酸とは、何を使うのです?」
「お、おい!」

 店主は慌てて暖簾を払った。

「教えないって言っただろ! 買わないなら帰った帰った!」



 店を出たあとも、小春の胸は高鳴ったままだった。
「膨らまし粉と酸……」
 一つはもうわかっている。
(重曹だわ。焼き菓子でも使うもの。残るは酸の正体)
「酸っぱいもの……お酢かしら?」
 試したいことが次々と浮かんでくる。
 口の中でしゅわっと弾け、瞬時に甘さが広がる菓子。朔夜を少しでも早く人間へ戻すためのお菓子。
 想像するだけで小春の胸が躍った。

 小春の横を、二人の婦人が通り過ぎる。

「鈴白さん、とうとう店を閉めたわね」
「最近は餡の味が落ちたもの」
「職人も辞めたらしいわよ」

 婦人たちの噂話が、ふいに小春の耳へ届き足が止まった。

(鈴白が……ついに)

 胸の奥がずきりと痛み、思わず手で抑える。
 幼い頃から過ごした厨房。湯気の立つ餡鍋。菓子木型の並ぶ棚。
 辛い思い出ばかりではない。幼い頃、父に餡の味見をさせてもらった日もあった。
 小春はぎゅっと唇を噛んだ。
 けれど、ゆっくりと顔を上げる。

(今は、やるべきことをやるだけ)

 九条の言葉の答えは、まだ分からない。
 けれど──今の自分にできることは一つだった。
 小春は再び前を向き、力強く歩き出した。