「どうしましょう……朔夜様は、まだお戻りではないというのに……」
志乃は落ち着かない様子で廊下を行ったり来たりしていた。普段は穏やかな彼女がここまで取り乱すのは珍しい。
鷹宮もまた、内心は同じだった。だが、それを表へ出すわけにはいかない。
「落ち着きなさい」
志乃に低く言い聞かせる。
「我々まで乱れては九条の思う壺だ」
志乃ははっとしたように足を止めた。
「……申し訳ありません」
「目を離さぬように。あの男は、こちらの動揺を拾って揺さぶるのが得意だ」
鷹宮自身、その恐ろしさを嫌というほど知っていた。柔らかく笑いながら、人の逃げ道を塞いでいく。まるで細い糸で首を締めるように。
志乃が不安そうに襖の方を見る。
「小春様、大丈夫でしょうか……」
「……小春様は国にとって危険分子ではない。だから、九条も無闇に手出しはできないはずだ」
つい、元霊災課の人間の本音が漏れた。
「その前に……」
鷹宮は懐から小瓶を取り出し、慣れた手つきで胃薬を飲み込む。
志乃が目を瞬かせた。
「鷹宮さん……また、胃が痛むの?」
「当然です」
鷹宮は真顔で答える。
「こんな神経を使う連中の集まりだから辞めたというのに。どうか、朔夜様。一刻も早くお戻りください。私の胃に穴が開く前に」
そう言って、真鍮のピルケースをパチリと閉じた。
※
居間へ通されても、九条は座ろうとはしなかった。
開け放たれた縁側に立ち、外の庭を眺めている。白い制服の裾を風が揺らし、その姿だけ見れば涼しげな客人のようにも見えた。
(だけど、私のことを裏で調べていた人)
小春は、どこか落ち着かない気持ちでその背を見つめていた。
「どうぞ、お掛けください」
勧めても九条は振り返らない。
代わりに視線を止めたのは、縁側近くへ置かれていた竹籠だった。
収穫したばかりの夏蜜柑が瑞々しい香りを漂わせている。
その瞬間、九条の眉がわずかに寄った。
(素材の時点ですでに尋常じゃない霊力が宿っている。やはり、この娘が原因か)
同時に、精霊たちが騒ぎ出す。
『この人、嫌い』
『笑っているのに、怖い』
その声が小春の耳へ届く。
けれど、小春にはそう見えなかった。
九条は柔らかく笑っているし、口調も穏やかだ。
「そんなふうには見えないけれど……」
思わず口に出してしまった瞬間、小春ははっとした。
九条が、ゆっくり獲物を捉えるような仕草で振り返る。
「鈴白さんは、草花の言葉が分かるんだね」
静かな声音だった。
だが、小春の肩がぴくりと震える。
九条の目は、もう確信していた。
(しまった……!)
