死神の贄嫁 〜私の霊草菓子でしか人間に戻れない旦那様〜

 丁寧に整えていた土は掘り返され、草花は根ごと引き抜かれて庭の一角に投げ捨てられている。葉も茎も無残に折れ、踏みつけられた跡がはっきりと残っていた。
「……」
 小春は、しばらくの間、声も出せず動くことすらできない。何が起きているのか、頭が追いつかない。そして、ゆっくりと縁側から降り、足元の土に触れる。
 いつもなら感じられるはずの温もりも、かすかな声も、何も返ってこない。
 精霊たちは完全に沈黙していた。

「……っ」
 声にならない息が漏れる。視線を奥へ向けたとき、さらに言葉を失った。
 そこにあったはずの桜の木が、なくなっている。幼い頃からずっとそばにあった木だ。季節ごとに違う表情を見せ、何度も語りかけてくれた存在。その幹は無残に切り倒され、低い切り株だけが取り残されている。

「……どうして……?」
 ようやく絞り出した声は、ひどくかすれていた。膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。土に手をつくと、指先にざらついた感触だけが残る。
 背後から足音が近づいてきた。

「源蔵さん、仕事が早いわね。さすがだわ」
 振り返ると、紗良が庭を見下ろしながら満足そうに言った。その表情には、ためらいも後悔も見えない。

「……紗良が、やらせたの?」
 小春は顔を上げ、かろうじて問いかける。

「ええ、そうよ」
 悪びれることもなく、あっさりと肯定される。

「姉様が未練なく嫁げるようにと思って。これで何も気にせず、死神様のところへ行けるでしょう?」

 紗良は小首をかしげ、楽しげに笑った。
 風が吹き抜ける。切り落とされた桜の花びらが、遅れて宙に舞った。その一枚が小春の目の前に落ちる。それを拾い上げ、そっと手のひらに乗せた。
 どうしようもなく指先が震えている。

「……ごめん……」
 口から出る言葉は、情けないほど弱々しかった。
「ごめんね……」

 握りしめた掌が、じんと熱を帯びる。それでも、もう何も返ってこない。
 その様子を見下ろしながら、紗良は退屈そうに髪を指で弄んだ。

「本当に面倒なのよね。草と話す気味の悪い真似、外に知られたらどうなると思ってるの?」
 紗良はため息まじりに続ける。
「こっちは姉様を隠すのにどれだけ苦労してきたか」

 小春は何も言い返さなかった。ただ、手の中の花びらを見つめている。
「……みんな、ごめんなさい。私のせいで……こんなこと……」
 掠れる言葉の後が続かない。

 そのとき『ぐしゃり』と音がした。

 顔を上げると、紗良が草花の山に足を乗せていた。躊躇なく捻るように踏みつけている。

「紗良、やめて……!」

 小春は這うようにして近づき、その足にしがみつく。

「もう……それ以上、傷つけないで……!」

 必死に引き離そうとするが、紗良は力を緩めない。むしろ体重をかけて、さらに踏み込んだ。

「ただの草にいつまでも執着して、ばかみたい!」

 冷たく言い放つ言葉が小春の胸に突き刺さる。

「いい加減、現実を見てよ! あんたは明日、死神のところへ嫁ぐの! 贄嫁になるの!」

 その言葉が、小春の胸の奥に重く落ちる。やがて、小春の手から力が抜ける。それ以上、抗うことができなかった。

 どれくらいそうしていたのか、小春もわからない。
 気がつけば日は傾き、庭には長い影が落ちていた。風が吹くたび、冷たさが肌に沁みる。乾いた涙の跡が、ひりつくように痛んだ。

(……もう、ここにいる意味はない)
 ぼんやりと、そんな考えが浮かぶ。
(明日、私はここを出る)

 怖くないわけではない。それでも、今のこの場所に留まる理由は、何も残っていなかった。
 そのとき、懐の中で小さな光が揺れた。小春はゆっくりと手を差し入れ、小さな巾着を取り出す。その中には懐紙にくるんだ手作りのハッカ飴を入れている。一粒手にとる。すると、淡く光が瞬いた。

『……ひどい人たちね』
 小さな声が確かに響いた。
『小春は何も悪くないのに』
 続けて、もうひとつの声が重なる。
『大丈夫。ボクたちがついているよ』
 小春はそれを両手で包み込む。
 確かな温もりが、じんわりと掌に広がる。
「……ありがとう」
 涙を指で拭い、ゆっくりと息を吐いた。
「あなたたちがいれば……私は、どこでも生きていける」

 まだ声は震えていた。それでも、その言葉にはかすかな決意が宿っていた。
 小春は涙を拭い、ゆっくりと立ち上がる。

「……御神影様に求められているのなら、菓子をお作りしないと……」

 その温もりを胸に、小春は静かに前を向いた。