翌朝、小春が目を覚ますと、すでに朔夜は起きていた。障子は開け放たれ、縁側で座して花壇を眺めている。
一瞬、夢かと見紛う。
だが精霊たちの声が弾んだ。
『おはよう。朔夜様の方が早起きだね』
——現実だ。
小春は跳ね起きた。乱れた髪を整えながら、もう片手で浴衣の合わせを引き寄せる。
気配に気づいた朔夜が振り返り、板間に手をついて身体を向けた。
「お、おはようございます……寝坊してしまいました」
「いや。今日は非番だ。ゆっくりでいい」
小春は慌てて布団を上げる。その背に朔夜が歩み寄った。
「お前の菓子があると思うと安心して眠れた」
柔らかな表情に、小春は目を離せない。
「……昨晩も考えていました。朔夜様の身体を整える菓子があってもいいのではないかと」
朔夜がわずかに目を見開く。小春は唾を飲み込み、一歩踏み出した。
「ここの榊たちの力はとても強いんです」
「そうか。なら、作ってみろ」
言葉は淡々としているのに、どこか優しい響きがあった。
朝餉を済ませると小春はすぐに縁側へ向かった。
草履を履き、桶に水を汲む。
柄杓で掬い、ゆっくりと花壇へ注いでいく。
最後に端に佇む榊の根元へ水をやる。
「榊さん。あなたの力を借りて、飴玉を作ろうと思うの」
『いいね。僕の力は即効性はないけど、瘴気を溜めにくくする』
「でも、葉は食べられないわ。どうすればいいの?」
『朝露だよ。それを飴に混ぜて』
「朝露……」
小春は手を止め、指先に残る水気を見つめたまま思考を巡らせる。
『ただし気をつけて。力は半日ほどしかもたない』
「大丈夫。携帯できるようにするから」
『朔夜様のためなら私も使ってよ!』
足元のタンポポが背を伸ばしたように見えた。
「ええ、みんなの力を──」
言いかけて小春の動きが止まる。
(あれ……今、何を──)
意識がわずかに霞んだ。
『小春、知らないの? 私たちと深く繋がると体力を消耗するのよ』
「あ……そう、なんだ」
精霊たちの声が水の底から響くように遠のく。足がふらつき、咄嗟にその場に座り込んだ。
『早くハッカ飴を舐めて! 私たちは一度、退くね』
ぷつり、と気配が途切れた。
小春は重たくなる瞼をなんとか開き、胸元から取り出した飴を口に含む。冷たい甘さが舌に広がり、やがて耳と目の感覚がゆっくりと戻ってきた。
「おい。濡れているぞ」
朔夜の声に引き戻される。
柄杓が小春の手から滑り落ちており、足元を濡らしていた。
(いつの間に落ちた?)
「す、すみません」
小春は慌てて、ゆっくりと立ち上がった。もう足のふらつきはなかったが、心臓がまだ速く鳴っていた。
朔夜がそれを拾い、小春が持つ桶を受け取る。
「また精霊と話していたな。独り言がひどい」
からかうような声音だった。
(そうだ! 大事な話をしていたんだ)
「朔夜様、榊と相談したのですが──」
「待て。急ぐな」
朔夜の少し呆れの混じる顔を見る。はっとして、小春は身を引く。
「座ってから聞こう」
二人は縁側に腰を下ろした。
小春は深く息を吸い、胸の高鳴りを整える。
「桜の力は……強すぎます」
「確かに。あれを食べると、眩しくてうるさかった」
「一時的に動けなくなります。だから、ここぞという時にしか使わない方がよいです」
「なるほど」
「でも榊なら、毎日少しずつ瘴気を溜めにくい身体に整えられます」
「葉を食べるのか」
「いいえ。朝露を使うのです」
朔夜は空を仰ぎ、ふっと笑った。
「榊で整え、桜で断つ──そういうことだな」
小春は頷く。
「すぐに作れるか」
小春はハッカ飴を掌に乗せ差し出した。
「私、飴作りも得意なんです。明日には試作を完成させます」
小春は菓子への自信を滲ませる。
朔夜の視線は差し出された小春の手に止まる。
無意識に伸びかけた手が空を切り、すっと引っ込められた。
そして、その手を袖の中に隠した。
「……頼む」
それだけ言った。
台所では小春が早速、水飴作りに取りかかっていた。
砂糖と水を鍋に入れ火にかけた。やがて小さな泡が立ち始め、甘い香りが立ちのぼった。木べらでゆっくりとかき混ぜながら、ふと手が止まった。
先ほどの場面が脳裏によぎる。思わず自分の手を見下ろし、指をそっと握り込んだ。
(……触れられなかった)
残念さに気づいた自分に小春は驚く。
(私ったら、何を期待しているのよ)
その期待を消し去るように、木べらを持つ手に力を入れてさらに木べらを動かした。
