死神の旦那様は花嫁菓子しか食べられない 〜捨てられた霊草菓子職人は、主神様の唯一の救いになりました〜




 ──ぱっと、朔夜の身体から桜の花びらが弾け飛んだ。



 重苦しい空気が、一瞬で瑞々しい桜の香りに塗り替えられる。
 幾重にも重なった花びらが、内側から淡い光をまとって広がり、ふわりと宙へ舞い上がる。まるで生きているかのように、ゆっくりと空間を巡り始めた。

 小春の手が止まる。思わず息を忘れ、その光景を見上げてしまう。

 花びらはその場にとどまるように漂いながら、重く淀んでいた空気へと触れていく。すると、黒い瘴気が揺らぎ、ほどけるように崩れていった。粘りついていた闇が、静かにほどけていく。

 やがて、舞っていた桜はすっと溶けるように消えた。
 同時に、その場の空気は軽くなる。張り詰めていた重さが嘘のように薄れていった。

 朔夜の喉が動き、桜餅がゆっくりと飲み込まれた。
 荒れていた呼吸が少しずつ整っていく。
 そして、先ほどまで浮かんでいた黒い血管は引き、闇に染まっていた瞳も、すべて元に戻っていた。

 そこにいるのは、ただ一人の男だった。
 陶器のように滑らかで、あまりにも白い肌。
 夜の闇をそのまま紡いだような漆黒の長髪が、はらりと零れ落ちる。
 静かで神々しいほどに整った顔立ち。
 そして、黒い闇が払われたその双眸──吸い込まれそうなほど透明な紫の瞳が、まっすぐに小春を射抜くように見つめた。

「……お前」

 低い声が静かに響く。
 小春は膝をついたまま、その顔を見上げる。
 確かに彼の意識は戻っている。
 だが、その視線にはまだどこか焦点の合わない揺らぎがあった。
 突如として、朔夜の冷たい指先が小春の手首を強く掴んだ。
 次の瞬間、彼の呼吸がもう一度乱れた。
「……っ」と短く息を吸い込む音がする。
 今度は苦しさゆえではない。熱に浮かされたような、浅い吐息だった。

 朔夜の視線が小春へと定まる。
 先ほどとは違う、鋭すぎるほどに研ぎ澄まされていた。

(……何か、違う)
 その場の空気が再び張り詰める。瘴気は消えたはずなのに、別の緊張がその場を満たす。

『……この人、ただ者じゃない』
 桜の精霊が息を潜めるように囁いた。
『小春の力を全部、受けきってる……普通の人なら、途中で壊れるのに!』
 わずかな間のあと、声がさらに低くなる。
『でも……きれいにしすぎた。瘴気だけじゃなくて、抑えていた感覚まで、一緒に引き剥がしちゃってる』

(……やはり、食べさせない方がよかった?)
 そう思った瞬間、掴まれている手の奥から確かな鼓動が伝わってくる。さっきまで、あんなにも冷たかったのに。朔夜の呼吸は、もう乱れていなかった。

(……戻ってる)
 その事実に胸の奥が震える。
 次の瞬間、彼の指先の力が小春を逃すまいと強まった。


「──俺のそばを、離れるな」