初恋アイロニー

 腹立つなー、と隣に座る幼なじみを横目に呟く。何でおれが、こいつに優しくしてやる義理があるんだ。おれに近づいてくる夏樹(なつき)のおでこを軽く叩いてやる。

「おい、気安く触んなよ」
「わり。なんか、」
「魔が差したとか言ったらぶん殴るからな」

 冗談っぽく言ってみれば「痛そう」とへらへら返事をされた。それがまた、苛立ちを募らせる。

 ベッドから立ち上がろうとすると、引き寄せられた。背中を向けたままなのに夏樹はひっつこうとしてくる。

「寂しそうにしてるから、構ってほしいのかなって思ったけど違った?」
「残念。違います。だいたい、何する気だったんだよ」
「んー、とりあえずハグ。ストレス癒やされるって言うじゃん」
「余計ストレスだわ、勘弁して」

 嬉しいわけがない。気軽なスキンシップに期待すると痛い目を見るのはおれなんて、百も承知だ。

 昨日のことを思い出して、今更疲れがのしかかってきただけでなんてことはない。さみしさを感じていたわけでは、断じてない。

 夏樹を好きらしい女の子からあれこれ訊ねられた挙句、この前かわいい女の子と歩いていたけど彼女なのかと、おれが全然知らないことまで質問された。ちゃんと相手にしてしまったせいで、ものすごい疲労感が帰宅してなお続いている。

 知るか、そんなこと。誰なのか、こっちが訊きたい。

 おれは、どうやら幼なじみでしかないから、夏樹に好きな人がいるのかさえ知らない。そのかわいい女の子が夏樹の好きな人なのか、友達なのかは検討もつかなかった。

 いつのことか確認したら、その日はバイトだとおれと別れた日だった。バイト前にドーナツを食べようと誘われて、気分じゃねーと断ったのを覚えているから確実。

 まさかバイトがなかったとは。女の子と仲が良さそうに見えたと言われて以降は、話が半分も入ってこなかった。話しかけてきたのも誰だか知らないが、一緒にいたというその人のことはたぶんもっと知らない。

壱馬(かずま)は難しいからなあ」
「そういうの本気でムカつくからやめろ」
「何で不機嫌なのか言ってみ?」

 ん? ときらきらの顔をこっちに向ける夏樹。かっこいいな、と思ってしまうからムカつく。きれいな顔しやがって。

「別に不機嫌じゃねーから」
「じゃあ、シュークリームあげるから機嫌直して」

 夏樹がテーブルに手を伸ばして、さっき買ったシュークリームを見せてきた。今のおれの不機嫌レベルはこの程度ってことかよ。

 お前の顔面にシュークリーム投げつけたい気持ちなんですけど。

 おれの手のひらに載せた後は隣で背もたれに寄りかかって、夏樹はスマホを見る。おれは即テーブルに戻す。

「明日は10時に迎えに行けばいい?」

 行きたくない、と口の中で呟く。言ったところで不機嫌が直ってないだけだと思われるから、答えるのも嫌だった。

 お前はいったい女の子と2人で何をしてたんだ。訊いたら教えてくれるのか。デートだって言われたら、どうしようか。

 自分の足元がこんなにも脆かったなんて知らなかった。おれはさっきの返事はしないまま訊ねた。

「……やりとり、誰?」
「ん? 何も。明日の予定確認だよ。ほら」
「へぇ。そう」

 普段なら何てことない動きまで、女の子と連絡なのかもしれないって思えてくる。画面まで見せてくれたのに、疑ってしまう。

 夏樹の彼氏として隣にいた勘違い男こと、おれの可能性を考えたくない。無理、ほんと無理。どうしよう。

 幼なじみとして一緒に20年近くを過ごして、恋人になってからはまだ1ヶ月。夏樹はどうだか知らないけど、おれは夏樹と付き合ってから不安がまとわりついて満たされないまま。幼なじみのときよりも、何だか夏樹と距離を感じている。

 長年のおれの恋煩いを解消してやろうという優しさで付き合ってくれているんじゃないかって思えてしまう。気が済めば、『もういい?』って言われるんじゃないかと怯えている。

 夏樹への信頼よりも、自分に対する自信のなさが圧勝して、とどめに昨日のことだ。

 こんなことなら、片想いのほうがまだマシだった。うん、そうだろ。いっそ片想いに戻ってしまうのもありかもしれない。
 
 そうすれば、気持ちの大きさが違って当たり前だと思える。夏樹が誰とどこで何をしようと自由で幼なじみであることは変わらない。

 また距離が近づけるなら、幼なじみでいたほうがいいのかもしれない。

「壱馬は明日、何が食べたい?」

 夏樹の優しい微笑みもおれの心には痛かった。

 手のひらで冷たいシーツの感触を感じながら、顔を上げる。引き返せるうちに何とかしたい。
 
「……いらねーから、もういいよ。恋人ごっこ、付き合ってくれてありがとう」

 終わりにしよう、と出した声が自分でも驚くほど震えてしまって笑いそうになった。情けねーな。

「は? いきなり何?」
「おれは、夏樹が好きだよ。けど、夏樹は流されてくれただけだし、やっぱ幼なじみに戻ろうとか言われても無理だから。幼なじみに戻って」
「……うん? 意味わかんなくね?」

 深く息を吐いて、落ち着こうとすると涙が出そうだった。

「夏樹から言われたくねーから、おれから言うんだよ。今なら傷が浅くて済むだろ」
「何で俺が言うとか決めてんだよ」
「だって、やっぱ彼女のが良かったってことだろ!? おれはそんなの立ち直れねーから。嫌だから」

 勘弁して、と出てきた声が震える。
 
「やっぱ彼女のが良かったって何。俺に彼女できたことねえだろ」
「さすがに嘘つくなよ。1人はいただろ」
「少なくとも、今付き合ってんのは壱馬だろ。不安になるのは勝手だけど、八つ当たりは違くね?」
「おれはずっと怖い。夏樹が付き合ってた子と別れたみたいに、別れることになるかも……とか考えたら無理。今ならまだ何とかなるし」

 幼なじみなら、とりあえず一緒にいられなくなることはない。それでもいい。

「何とかなるなよ。お前は俺がいねえと生きてけなくなればいいよ」
「絶対やだ。ふざけんな」

 なし崩しにキスしようとしてくる鼻先を押しのける。夏樹がいなくても平気になりたい。

「壱馬が他の誰かと付き合ったらそいつのこと殺したいくらい嫌いになると思う。まあ、壱馬が嫌なタイプの好きかもしんねえけど、好きだよ」

 どうしたら伝わんの? と、夏樹が眉を下げた。

「その好きは、幼なじみとしてじゃねーの?」
「幼なじみとしても好きだけど。恋愛として好きしかねえだろ、こんなの。何が不満なんだよ」
「……おれが夏樹に好かれ続ける自信がない」

 押し付けるように唇に触れたかと思えば、がぶっとかじられた。抵抗する手は塞がれてどうにもならない。血が滲むほどではなかったものの、痛みに顔を歪める。

「俺がいくら好きでいても、壱馬がそれに気づいてくんなきゃどうにもなんねーだろ」
「わかんねーよ。夏樹は誰にでも優しいから、おれだけじゃねーし」
「アホなのか? 誰にでも優しいわけねえだろがアホ」

 アホって2回も言われた。両手で頭を押さえられて、嫌でも夏樹に向き合わされる。

 目の前の夏樹はまっすぐおれを見ていた。

「いいか、俺が優しくするのも、優しくしたいのも壱馬だけ。あとはどうでもいいんだよ」
「……じゃあ、一緒に歩いてたかわいい女の子って誰なの?」
「女の子? 誰?」
「おれが知りてーよ、そんなの」

 震えた声と一緒に涙が滑り落ちていく。手の甲で拭っていると、夏樹が箱ティッシュを取ってくれた。それを取って目に押し当てる。

「え、待って本気でわかんねえ」

 夏樹は眉間にしわを寄せて、首を傾げた。思い当たることがないみたいだ。

「つか、女子と歩いてたところで何で気になんの? あ、俺がやっぱ女子とってことか――んなわけねえだろ」

 ぐいっと力強く引き寄せられて「そういうのはすぐ言えよ」と耳元で囁かれた。

「昔からその自棄になるくせ直んねえのな。俺が壱馬から女子に乗り換えるとかありえねえだろ」
「あでっ」

 べしっと雑に頭を叩かれて声が漏れる。そんなもの、わかんねーだろ。

「夏樹は彼女いたことあるんだから、あり得るだろうが」
「そこは俺が悪いけど……っ、とにかく俺はやましいことねえから」
「バイトだって嘘ついたのに?」
「え? ……あー、わかった。あれか! バイトのつもりで行ったら、先輩のお疲れ様会だったんだよ」

 俺が予定忘れてたんだけど、と苦い顔をする夏樹。

「そのまんま教えてくれればいいじゃん」
「後から説明するほうが変だろ。まあ、元カノもいたしちょっと言うのダルかったのはある」
「元カノと歩いてたってこと?」

 詰め寄るおれに夏樹は「駅まで歩いた」とうなずいた。夏樹の目線が泳ぐ。

 後ろめたさがゼロではないらしい、とおれにはわかった。

「何話したの?」
「いや待って。後ろに先輩らいたからな? 2人きりじゃねえから」
「え、そうなの」

 ベッドに寝転んだ夏樹が天井を眺める。

 それなら何で後ろめたそうな顔になるんだ。意味がわからない。

「つか、何ならその後ろ大勢いたし。壱馬は何を見たんだよ」
「おれがっつーか、見たって人がいたから」
「それ聞いて俺が女子とこそこそ会ってんじゃねえか疑われたわけか。まあ、それも黙ってた俺が悪いか」

 そうだよ、とは言えなかった。黙ってたことが後ろめたかっただけなのか。

 人伝に聞いたことで、おれがすべきは不安になることじゃなかったのに。不安になって、自棄になって夏樹に当たってしまった。

 まずは訊けばよかった。といっても、それができねーからこうなったわけなんだけど。

「俺の予定、ぜんぶ共有しとくわ」

 スマホ画面をつけて、片手でポンポンとタップしていく夏樹。

「カレンダーもバイトにしてた。これは余計嘘つかれたになりそうだけど、とりあえず共有しとく」
「え、いいよ。そこまでしなくても」
「俺がしたいからする。壱馬が不安になることしたのは事実だし、他は何かしたいことある?」

 通知音が聞こえて、おれは自分のスマホを確認する。共有されたカレンダーを見ると、明日の予定に《壱馬とデート》があった。

 おれの自信のなさで振り回したのに。その不安さえ消そうと努力してくれる。おれだけが不甲斐ない。

「……逆に夏樹はしたいことないの? いつもおれ優先で、それがちょっとさみしい」

 優しさに甘えすぎたおれを、まずは反省すべきだった。しおらしくなったおれに「バカだなあ」と夏樹はくすくす笑った。

「う……先走って暴走して、ほんとごめん」
「もう慣れたけど、別れるって言われんのは心臓に来るわ。せめて理由言ってからにして」

 うん、ごめんね。もう一度謝ると、腰の辺りをバシバシ叩かれた。聞こえたごめんにこくりとうなずく。

「あー、で、したいことか。隣に壱馬いたら何でもいいしなあ、俺は。今日泊まっていい?」
「もちろん。でも、それがしたいことはダメだよ」

 えー、と夏樹は口をとがらせる。泊まるだけならいつも通りだ。そんなんダメに決まってる。

「……したいことは思いつかねえわ。けど、壱馬が拗ねて暴走する相手は俺でいて」

 え、と振り向くと両腕を顔の前でクロスさせて隠す夏樹。

 おれも横に寝転んでも、顔を見せようとしてくれない。その腕をどかそうとしても全然動かない。力強いな。

「ちょっと夏樹? 今の何て?」
「言いたくねえ、聞こえてたろ。あ、てかメシ何にする?」

 バッと自分で腕を動かして、真顔の夏樹が勢い良く起き上がった。そのまま立ち上がろうとするのに気づいて、おれが腕を引っ張る。

 逃がすか。せっかく言ってくれたのに。

「はぐらかすなよ。おれはそういうの嬉しいから、もっと言ってよ」
「言わねえよ」

 素直じゃなさすぎる。振り向かない夏樹の手をぐいぐい引っ張っていると「俺の気も知らないで」と、肩を押された。

 ベッドに体が沈む。びっくりした。

「メシの前にしたいことあったわ」
「いや、おれ準備してねーんだけど」
「別にいいよ。一緒に昼寝しよ」
「昼寝かよ。もう夜だけど」

 思わず吹き出してしまった。この流れで昼寝なのか。

 シングルベッドは2人では狭い。おれの頭の下に腕を差し込まれて、遠慮なくその上に乗っかった。

「これおれとしたいことなの?」
「だから、隣に壱馬いたらいいんだって。俺は一生壱馬の親友だと思ってたから、今かなり幸せなんだよ」
「えっ、何それ全然知らなかった」

 横を向くとすぐ近くに夏樹の顔があった。夏樹はおれと目が合ったかと思えば、そらして気まずそうな笑みを浮かべる。

「初めて言った。まだ1か月だし、壱馬がいつ俺に愛想つかしてもいいように心の準備してんだよ」
「何でよ。そこは一緒にいる準備して」
「ばーか、自信がねえの。壱馬と同じ。わかんねえだろ、俺がどんだけ浮かれて……不安で怖いのか」

 知らなかった。夏樹って、そんなにおれのこと好きだったのか。

「ごめん、わかんない。全然わかってなかったんだけど、夏樹っておれのことすげー好きなの?」
「当たり前だろ。15年愛舐めんなよ」

 えっ、と声が漏れた。顔を覗き込もうとしたら、大きな手のひらが目元を覆ってくる。ほんと力が強い。

「そんなに!?」
「そうだよ。受け入れるってんなら、覚悟しろよ」
「するけど、ちょっと待った。何で彼女できたの?」
「……幼なじみが長すぎて、壱馬を大事なのが恋なのか執着してるだけなのかわかんなくて。そんときに、これが恋なのかもって人がいたから付き合った」

 勘違いだって言われて振られた、と初めて聞く別れた理由に瞬きを繰り返す。よくわからんけど振られたと濁していたから、何かしらあったんだろうとは思ってた。

「幼なじみへの恋心をごまかすなって怒られた。そんなつもりなかったけど、そうだったのかもなあって。だから、悪いことしたって思うよ」
「そっか。おれ、夏樹のことはよくわかってるつもりだったんだけどなー。びっくりしかしてねー今」
「壱馬はかっこいい夏樹が好きだから頑張ってたけど、頑張って空回ってたら意味ねえしやめる」

 かっこいい夏樹が好きだなんて一度も思ったことがない。思わず返事に詰まると、隙間から覗く夏樹の顔が真っ赤に染まる。

 おれがかっこいい夏樹のこと好きだと思ってたの?

 言った記憶もねーのに。夏樹なら何でもかっこよくてずるいって思うことはあるけど。

「ずーっと夏樹のことかっこいいと思ってるよ。小さい頃お化け屋敷で泣いた夏樹とかかき氷ひっくり返してしょげてる夏樹は、かわいいに分類されるかな」
「恥ずかしい記憶を引っ張りだすなよ」
「へへ、やだ。空回る夏樹もかっこいいよ」
「調子いいやつ」

 仰向けになろうとすると、夏樹が阻止して来た。仕方なく腕の中に収まる。

 夏樹のおれより高めの体温は安心できて、このままいれば眠れそうだ。自分の鼓動が予想外に響いて感じられて、夏樹が気にしてないことを願う。

 ぐぅと雰囲気をぶち壊すような腹の音が鳴ってしまい、上からクスクスと笑う声が降ってきた。

「シュークリーム食う?」
「食べる」

 2人でゆっくり起き上がって、夏樹はテーブルからシュークリームを取った。時間が経って汗をかいてしまっている。

 袋を開けて口元まで運んできてくれる甘やかしっぷりだ。

「うま!」
「俺にもちょうだい」
「いいよ。ほら」

 差し出したシュークリームはあっさり無視された。何となくそんな気はしてた。舐められた唇に反応して開けると、押し込まれた熱に息が止まる。

 ぼんやりしそうになる頭を何とか保つ。この野郎、とせめてもの抵抗で足蹴にしてやった。残念ながら何の効果もない。

「……あま」
「わかってただろ。夕飯何しよ。夏樹が何か作ってよ」
「壱馬の気分当てようか。カレー」
「チャーハンだよ。そこは当てろよ」

 立ち上がった夏樹に続いておれもキッチンへ向かう。

「わかんねえこともあるよ」と夏樹が苦笑する。

「だなー。けど、今のは当てるとこだろ」
「紅しょうがつけてほしいってのはわかるよ」
「おっ、さすが」

 わかりやすくて、全然わからない幼なじみ。この先も一生楽しいと思う。夏樹もそうだったらいい。

 冷蔵庫を開けた夏樹が中を物色する。

「紅しょうがない。また買い物か」
「いいじゃん。行こうよ」

 おれが夏樹の手を取ると、夏樹は「しょうがねえな」と目を細めた。