大学は甘くない 〜女子校上がりの私、先輩の「特別」になりたかった〜

 校舎の前に、落ち葉が吹き溜まりになっている。学生が通るたびに、踏まれてカサカサと乾いた音がする。
 大学に入ってから、いつの間にか半年以上が経っていた。
 私は、自分の心境の変化に気が付いていた。以前と比べて、男子にときめかなくなったのだ。普通に話したりできる。
 キャノンディーの活動で男子と過ごすうちに、すっかり慣れたんだと思う。
 もう、女子校上がりの初心な子は卒業し、余裕のある女になりつつあるのだ。
 だけど、やっぱりユッキーさんだけは違う。あの人のことを思うと、熱に浮かされたような感覚になる。
 デートの記憶を辿れば、熱どころではない。香水の香り。彼の手の温もり。それらは私の脳を麻痺させてしまう。

 裕子と一緒にカフェテリアでお茶をしていると、スマホに珠奈さんからメッセージが来た。
『あいつから連絡が来たよ』『暇じゃねーし! って断ってやったわ!』 
 スクリーンショット付きで、ユッキーさんからのお誘いを断ったことを伝える珠奈さん。そこには『学園祭の後の土曜日ひま?』『また遊びに行こうぜ』というメッセージが。
 珠奈さんは「距離をとる」という宣言を有言実行している。ちょっと聖人すぎるでしょ。私は思わずふふっと笑った。
 
 すると続けざまに、雪谷淳——ユッキーさんからのメッセージが来た。
『学園祭の後の土曜日ひま?』『また遊びに行こうぜ』
 久々のユッキーさんからのお誘いに、私は小躍りしてしまう。
 ああ、ありがとう珠奈さん。あなたが振ってくれたおかげで、私にチャンスが巡ってきました。

 目の前の裕子に、今起きたことをウキウキで報告した。
 すると、裕子は苦虫を噛み潰したような顔で私を牽制する。
「ユッキーさんヤバすぎでしょ。スクショの時刻見てよ。ついさっきじゃん。内容もコピペだし。珠奈さんに断られて、すぐにタナチューに連絡してきたってことでしょ? 完全に代わりの駒として見られているよ」
 相変わらずの説教モード。私はムッとして言い返した。
「でも、私はユッキーさんと話をしないといけないの。向こうからお誘いが来るなんて、運命の赤い糸、たぐり寄せちゃったかな」
 裕子は頭を抱えてしまった。
「はあ、だめだこりゃ。タナチュー、ちょっとよく聞きなさい」
 真剣な顔でこちらを見る。私も思わず背筋が伸びる。
「次のデートに行ったら、あなたはユッキーさんと話して、関係性をはっきりさせます。わかった?」
「はい」
「それができるまでは、体に触られそうになったら断ること」
「はい」
「服を脱がされそうになったら逃げること」
「はい」
「キスもだめだよ」
「はーい」
 はあ、まったく、親かよ。私は裕子のしつこい話にうんざり。
 とにかく、どうにかしてユッキーさんに彼女として認めてもらおう。
「とりあえず、オッケーだって返信するね」
 えへへ。私はつい笑みがこぼれてしまう。
 裕子は細い目でこちらを睨みながらアイスティーをすすった。

 私は自宅に帰ってから、あの下着を引っ張り出した。思わず口角がだらしなく上がる。
 指先に触れるチュールの感触が、観覧車での彼の指の動きを思い出させる。
 よし、準備は万端だ。

 *

 学園祭は盛況のうちに終わった。
 今回の目玉は、光恵さんの創作した緻密なカマキリだった。巨大な一枚の紙から作られており、高さが三十センチほどもある。ディティールをこだわるために、萩野さんと共同で制作したのだそうだ。
 大きいだけではなく、なんと羽を広げることができる。さすがに展示品を動かすわけにはいかなかったので、羽の可動は映像で紹介した。
 他のメンバーも、大小さまざまな作品を制作して展示した。
 
 今回は私も制作に参加した。珠奈さんの声掛けにより、ユッキーさんのユニット折り紙のパーツ作りを手伝ったのだ。二人でせっせとパーツを折り、最終的にユッキーさんがそれらを組み合わせた。
 初めての共同作業。ありがとう珠奈さん!
 完成した作品は、複数のくす玉が連なった不思議な形だった。どことなく分子構造を思わせる。
「これは何なんですか?」
「んー、わかんない。テキトー」
 ユッキーさんはいたずらそうに笑って言った。その笑顔に、つい私の顔はにやける。
 でも、そんなテキトーな作品は、とても芸術的で素敵だと思ったし、何より私とユッキーさんが折った紙で作られているという点が特別だ。
 作品名は「薗部式ユニットによる変形くす玉」。制作者として、雪谷淳と田中宙の名前が並んでいる。
 へへ、これがドキドキせずにいられるかってんだい!
 
 学園祭が終われば、次の土曜日はユッキーさんとデートだ。
 私はテキトーな作品を片付けながら、それをうっとりと抱きしめた。

 *

「うう、寒い」
 学園祭の片付けが終わった後。
 冷たい風を感じて、私は上着がないことに気が付いた。すっかり日は暮れている。
「多分、部室に忘れたんだと思う。ごめん、先に帰ってて」
 私は裕子と別れて、部室棟へ向かった。
 
 部室といっても、キャノンディーの部室はメンバーがたむろするような場所じゃない。割と狭いし、他のサークルと共同で使用しているから、実質的には荷物置き場だ。
 片付けの際に、展示物や備品を部室へ運んだ。その際に暑くて汗をかいたから、上着を脱いだのだ。
 
 部室まで辿り着くと、ドアの曇りガラスから光が漏れていた。まだ誰かいるの? まあ、他のサークルかもしれないな、と思い直す。
 
 ドアを開けると、上着はすぐに見つかった。
 そして、部屋の奥で人が抱き合ってキスをしていた。誰もいない部室で、二人だけの世界を作り上げているようだった。
「す、すみません!」
 思いがけない遭遇に慌ててしまう。まったく、こんなところでイチャイチャするなよ。
 それをきっかけに、その二人はパッと離れた。そして、誰なのかがわかった。
 
 それはユッキーさんと光恵さんだった。
 
 私は息を飲んだ。
 それと同時に、二人は驚いてこちらを見た。
 光恵さんの顔には、涙の筋が光っている。
「タナチュー……?」
 涙で顔が崩れたままの光恵さんが、私のことを認識した。
 私は混乱した。あまりの衝撃に、膝から崩れ落ちそうになる。
 光恵さん? ユッキーさんのことをありえないと言っていた。そもそも彼氏がいたんじゃ? キスしてた。ユッキーさんと?
 光恵さんの隣のユッキーさんは、徐々に驚きから諦めたような表情に変わった。
「あの、タナチュー」
 ハッとした様子で、光恵さんが喋りだした。しかし、それを聞く前に、私は力を振り絞って上着をひったくり、部屋を飛び出した。
 
 どういうこと。
 部室で見た光景が、頭の中でフラッシュバックする。
 ユッキーさんの細くて長い腕が、光恵さんの腰に絡みついている。
 光恵さんの小ぶりな唇が、彼のそれにしっとりと重なる。
 どうして。
 逃げるように駆ける私の足音が、廊下に吸い込まれていった。
 
 *
 
『話したいことがあります。部室に来てください』
 翌日、光恵さんから呼び出しのメッセージが来た。
 いったい何を言われるのか。私は心臓を握り潰されるような心地になる。
 ユッキーは私のものよ、とか?
 もうユッキーに近づかないで、とか?
 頭がぐるぐるしたまま、部室棟へ歩を進めた。
 
 部室に着くと、怖い顔をした光恵さんが待っていた。ドアを閉めて、私は緊張したまま光恵さんへ近づく。
「タナチュー、昨日、見たよね」
「……はい」
 私は死刑宣告を受けるような面持ちで答えた。怖い。
 すると、光恵さんは手のひらをパチンと合わせて、拝むようなポーズになった。
「お願い! 熊田さんには言わないで!」
 へ?
 まったく想定していなかった発言に、私はぽかんとしてしまう。
 熊田さん? 私は頭を働かせた。そうだ、キャノンディーのOBで、光恵さんの彼氏だ。
「あの……大丈夫ですよ、熊田さんの連絡先とか知らないんで」
 面食らったせいで、私は弱々しく答えた。
「キャノンディーのメンバーにも言わないでね」
 光恵さんは心配そうな顔をしている。
「まあ、はい、言いません……」
 しかし、そこで私はスイッチが入った。
 この人は彼氏持ちだ。それなのに、ユッキーさんとキスをするなんて!
「それより、どういうことですか! なんでユッキーさんとキスしてたんですか!」
 私は爆発した。
 光恵さんはユッキーさんに興味がないはずだった。それなのに、私が必死になって得ようとしているものを、平然と奪っていった。
 光恵さんはバツが悪そうに答える
「いやー、ちょっとね。うっかり隙を見せちゃったんだよね。恥ずかしいな」
 照れ隠しなのか、頬をぽりぽりと掻きながら、はは、と笑った。
 光恵さんの言うことは、私にはよくわからなかった。
「隙を見せたって、どういうことですか? 光恵さんはユッキーさんが好きなんですか?」
「いやいや、あんなやつのこと、何とも思わないよ。ただ私、熊田さんのことでちょっと色々あってさ。泣いてたら、あいつが慰めてくれて、流れで……なんか、拒めなくてね」
 私は雷に打たれたようにショックを受けた。何とも思っていないのに、キスができるなんて!
「おかしくないですか⁉ 好きでもないのにキス?」
 私は、こんなに、必死になっているのに!
「そんなの、ユッキーさんに悪いです!」
 二度目の爆発。すると、今度は光恵さんがぽかんとする番だった。
「え、何それ」
 私の目を見ながら、光恵さんの目がスッと細くなった。
「タナチューは、ユッキーと付き合ってるんだっけ?」
「……いいえ」
「じゃあさ、ユッキーのことに口出しする権利ないよね」
 非難するような発言に、私は固まってしまう。
 おかしい。私は何も悪くないはずなのに。
 光恵さんは、はあ、とため息をついた
「とにかく、昨日のことは誰にも言わないでね」
 そう言い捨てて、光恵さんは部屋を後にした。
 昨日の光景が脳裏に焼き付いて離れない。
 二人が抱き合っていたこの部屋で、私は一人で立ち尽くしていた。
 自分の目から、ぽろぽろと涙がこぼれていることに気が付いた。
 それは床に落ち、冷たい音を立てて消えていった。