大学は甘くない 〜女子校上がりの私、先輩の「特別」になりたかった〜

「お疲れー」
 今日はキャノンディーの活動の日だ。
 珠奈さんはいつも通り、みんなに明るく挨拶をしていた。
「お疲れさまでーす」
「……す」
 裕子は普通に挨拶を返すが、私はあからさまにそっけなくしてしまった。
 先日の猫カフェの記憶が、目に焼き付いて離れない。
 バイト先で働く私を尻目に、楽しそうに過ごす二人の姿。
 あんな目に遭うために、ユッキーさんを誘ったんじゃないよ。
 大好きだった珠奈さんとは、今は関わりたくない。
 ユッキーさんの方をちらりと見ると、いつものように男子軍団の中でおしゃべりをしている。今はときめきよりも、ショックの方が勝る。
 どうやら、私だけがおかしくなっちゃったみたいだ。また胸の中に黒いドロドロが溢れてくる。
 
「そういえば、タナチューって猫が好きなの?」
「まあ、はい……」
 珠奈さんが親しげに聞いてきた。私は伏し目がちに答える。
「うん、いいよね。あのお店の縞模様の子が可愛かったなあ」
 頼む、もうやめてくれ。
 私はその場が耐えられなくなり、さっさと部屋を出て帰ってしまった。
 我ながらひどいな、と思う。こんな態度をとって、子供みたいだ。
 珠奈さんに嫌われただろうか。みんなの人気者の珠奈さんとの関係が悪いままでは、キャノンディーの活動も難しくなりそうだ。
 うう、気が重い。
 
 帰宅途中で、スマホの通知が鳴った。珠奈さんからのメッセージだ。胸のドロドロが暴れだしそうになる。
 嫌々ながらも内容を開くと、それは謝罪のメッセージだった。
『ごめんなさい!』『裕子ちゃんから事情を聞きました』『タナチューとユッキーの関係を知らなくて、デリカシーのないことをしました』『ちゃんと謝りたいので、会ってくれますか?』

 *
 
「本当にごめんなさい!」
 翌日、校内で私に会うなり、珠奈さんは深々と頭を下げた。
「ちょっと、ここではあれなので……」
 私は慌てて珠奈さんを連れて、適当なベンチに腰かけた。
 
 話はこうだ。
 あの日、ユッキーさんは珠奈さんを遊びに誘った。別れて二年近く経っている珠奈さんは、それを受け入れた。彼のことが嫌いではないし、今なら普通に友人として接することができるだろうと。そして、二人は会った。
 ここまではいい。いや、私としては全くよくないけど、一般論としてはおかしくないだろう。
 そこでユッキーさんから私の話題が出た。猫カフェでバイトしているらしいよ、と。
 そして、珠奈さんは私に会いたくなり、ユッキーさんを連れて店にやってきたというわけだ。
――タナチューがここで働いているって聞いたから、遊びに来ちゃった
――田中のバイト先のことを話したら、珠奈が行きたいって言い出してな
 一応、あの時の二人が言っていたことそのままだ。
 しかし、肝心なところが珠奈さんに伝わっていない。
 まず、私が猫カフェにユッキーさんを「誘った」こと。彼の言いぶりでは、ただバイト先の情報を聞いただけみたいに聞こえる。
 そして、私とユッキーさんがデートやスキンシップをする関係であること。まだ二回だけど。珠奈さんにしてみれば、私たちは単なるサークル仲間という認識だったのだ。
 昨日、私が帰った後に、裕子がそれらを説明してくれたので、珠奈さんも状況を理解したのだそうだ。

「ユッキーとは、もうただの友達だから、本当に何もないよ。ヨリを戻したいとかもない。ていうか」
 珠奈さんはひゅっと息を吸ってから、叫んだ。
「あいつ、クズだな!」
 突然攻撃的な言葉を発する珠奈さんに、思わずひるむ。いつも優しい人だからこそ、怒った時は怖い。
「ああもう! 久しぶりに連絡が来たから、つい舞い上がっちゃった。最悪だよ。タナチューを傷つける共犯みたいにされて!」
 珠奈さんは憤りを隠せない様子だ。私は驚いてしまい、何も言えない。
 少し冷静さを取り戻した珠奈さんは、私に問いかけた。
「それで、ユッキーのこと、どう思った? ちょっかいを出されているみたいだけど。ユッキーは悪い意味でマイペースで、人の気持ちを全然考えないから。恋愛対象としてはやめた方がいいよ」
 悪い意味でマイペース。確かに、ユッキーさんを説明する言葉としてしっくりくる。
 そして、恋愛対象としてはやめた方がいいという発言は、親切心から来たものだろう。私にだってそのくらいはわかる。
 でも。
 口を真一文字に結び、改めて自分がどうしたいかを考える。答えはすぐに見つかった。
「私は、ユッキーさんの彼女になりたいです」
 私は珠奈さんの目を見据えて言い放った。想定とは異なる回答に、珠奈さんはうろたえる。
「え?」
「珠奈さんはズルいです。だって、ユッキーさんと付き合ったことがあって、下の名前で呼ばれて、特別じゃないですか。私なんて田中って呼ばれますよ。きっと珠奈さんは、キスとか色んなこともしてますよね? 私はまだです。私だって、ユッキーさんの特別な存在になりたいです」
「タナチュー……」
 まったく、やめた方がいいよ、だなんて! あなたはユッキーさんと付き合ったことがあるから、そんな余裕ぶったことが言えるんだ。
 私はもっと、何度もデートをしたり、手をつないだり、キスをしたい。例の下着だって、本当は早くお披露目したい。
 やりたいことを考えれば考えるほど、私の中でユッキーさんが大きくなる。
 それを聞いて、珠奈さんは諦めたようにハアーっと息を吐いた。
「そうなの。わかった。タナチューがそこまで言うなら、私は何も言わない。むしろ応援します! あいつは一筋縄ではいかないと思うけど、どうか頑張ってね」
 珠奈さんは私の両肩に手を添えながら言った。
 思わぬところで、私の味方が増えた。元カノのお墨付きというのは、何だか心強い。私は内面から力がみなぎってくることを感じた。
 胸の中の黒いドロドロは、すっかり消え去ってしまった。

「ところで、珠奈さんはどうやってユッキーさんと付き合ったんですか?」
「ああ……」
 珠奈さんは少しうつむいて、ふっくらした人差し指をおでこにくっつけた。ちょっと恥ずかしそうだ。
「キャノンディーに入って早々に、ユッキーから会おうって連絡が来たの。私はユッキーのことが気になっていたし、女子校出身で男性経験がなかったから、もう嬉しくて。そして割とすぐに、付き合おうって言われて、付き合ったの」
 おや? なんだか私に似ている気がする。ただし、一つだけ決定的に違う。交際の有無だ。そこにちょっと腹が立つ。
 それにしても、あのユッキーさんがすぐに付き合おうと言うなんて。いくら珠奈さんが魅力的な女性であっても、今のユッキーさんのイメージとは少し違う気がする。
「なんかね、当時のユッキーは、とにかく彼女が欲しかったみたい。付き合えたことは嬉しかったんだけど、ユッキーは彼女ができれば充分で、私のことなんか興味ないみたいだった。それを感じたから、私から別れを切り出した。彼はあっさりと、いいよ別れよう、とか言って、お別れしたの」
 切なそうな顔で、珠奈さんは全て語った。今は普通に接しているように見えても、連絡が来て浮かれてしまう程度には、今もユッキーさんのことが気になっているのだろう。
「私と別れてから、彼女ができたという話は聞いたことがないな。なんとなくだけど、もう彼女とかの関係は満足しちゃったんじゃないかな」
 もし珠奈さんの予想が本当なら、もう脈ナシもいいところだ。
 私は握りこぶしを膝に置いて、しょんぼりとしてしまう。それを見た珠奈さんは慌てた。
「でもでも、わかんないよ! 人はどんどん変わるからね。とにかく、私はもうユッキーとの距離をとるから。気にしないでどんどんアプローチしちゃってください!」
 珠奈さんがにっこりとほほ笑んだ。
 私は、それが難しいんだよ、と心の中でぼやいた。